- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061984400
作品紹介・あらすじ
花の哀れに託した女の一生。
女の盛りを過ぎようとしていたホステス葉子は、大学教師松崎との愛人生活に終止符を打ち、古巣の銀座のバーに戻った。無垢なこころを持ちながら、遊戯のように次々と空しい恋愛を繰り返し、やがて睡眠薬自殺を遂げる。その桜花の幻のようにはかない生に捧げられた鎮魂の曲。実在の人物をモデルとして、抑制の効いた筆致によって、純粋なロマネスクの結構に仕立てた現代文学屈指の名作。
小谷野 敦
葉子が最後に死ぬことは、エピグラフによって暗示され、作品全体は、あたかも夢幻能における死者の語りのように描かれているのである。『花影』を日本の文学伝統のなかに位置づけるなら、それは一見花柳文学だが、実は鬘能の系譜に連なるものなのである。能楽は、徳川時代、武家の武楽であった。つまり武士的精神を枠組として女の色恋を描こうとすれば、死者となった女の語りという形式をとるほかないのである。――<「解説」より>
感想・レビュー・書評
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フロベールの「ボヴァリー夫人」を彷彿とさせる葉子。
最初から葉子の運命は決まっていた。なにせ葉子のモデルは自殺した作者の愛人なのだから。けれども、現実をそのまま流用するようなアホな作者ではない。むしろ、あまりにしたたかである。
むろん、語り手は安易に葉子を理解できるとはそもそも思っていない。しかしどうにか理解しようとあがいている。卑俗化への欲望、また崇拝への欲望をも抑制している。またはその両方をうまく含ませている。
葉子はなぜ死んだか。本書におけるいちばんの謎は、けっきょくのところ、直接は語られ「ない」。
しかし、男、金、時間、近代、そうした、新しい意匠をまとったものどもが、葉子をじわじわと嬲り殺していく様子が克明に描かれている作品。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
水商売をし、男をてんてんと渡り歩く女の話。死ぬことを生きがいにしている描写に、精神疾患を持つ私としては妙に共感してしまった。また、服毒する前の儀式のような行動にはへんな安寧があって、美しささえあった。これがフィクションなら、「美しい」だけで終わったものの、モデルがいるという解説には少し胸を締め付けられた。
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時間が許せば。
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知り合いの年配の男性に勧められて読んだ本。その人は「いい小説だよ」と言っていたのだけど、私は読み始めて数ページで「何だこの胸糞悪い話は」と思ってしまった。巻末の解説を読んでさらにびっくり。まさか実在のモデルがいて、大岡昇平自身もその一人とは。
誰もがあまりに醜く、馬鹿らしい。それでも私は葉子は死なないだろうと思っていた。きっと周りの人たちも考えもしなかっただろう。
高島はたとえお金があったとしても、葉子と一緒にはならなかった気がする。「お金がないから幸せにできない」は言い訳なのだ。この人たちにとっての幸せって何なんだろう。ものすごく空虚な人生を見せられた感じだ。葉子にも同情する気にはならない。
とはいえ自分が睦子だったら、これをネタに小説にされるのはものすごく嫌だと思うのだが。無神経すぎやしないか。「花影を踏めば満足だ」?すごく勝手な言い分でむかむかする。責任を負いたくないだけじゃないの?
もうすぐ70になる既婚男性と独身三十路女では読み方が違って当然なのだけど、これ本当に「いい小説」か?と、勧めてくれた当人にも正直に感想を伝えようと思う。 -
あるホステスの生涯と最後を描いた小説。四十近い年齢のヒロインは、やり手でもなくただ男に流されるだけの女性で、「老い」は誇りだった美貌や健康を少しづつむしばんでいて、それらを自覚している。空虚な彼女と取り巻く男性たちのエゴが痛々しい。容赦無い心理描写はヒロインを擁護しておらず、丹念に描かれる自殺の準備と実行。息を飲んで読み続けた。ネットでこの小説を調べるとモデルがいて、大物文学者たちの愛人だったそうで著者もその一人だったと知った。うーむ……
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韓国、釜山などを舞台とした作品です。
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ひとつひとつの場面が美しくてわたしの宝物。
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『花影』の続きを、ラーメン屋で、頼んだ赤味噌ラーメン大盛りが出来上がるまで読んでいたら、まずい、落涙しそうになる。
この小説は、誰にも見られない場所、そう、たとえば、風呂の中だとかで読むべきだった。
体の底深い部分に振動がくる。
反射的に体がビクンと痙攣する。
いかん、いかん。
葉子に似ている女を、具体的に知っているわけではない。
葉子はそれ自体としては存在しない。
葉子はむしろ、男の感覚器を通して描かれているフシがある。
だから、自分の任意の経験が、容易に投影でき、追体験できる。
ラーメン屋で、まざまざと別れた女の背中が見えるのは、つらいことだ。
「はい、赤味噌大盛り」の声に、現実に返る。
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強烈に、はかない小説。
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書かれた当時の女性観に、やや違和感があります。
そこを乗り越えることができれば、味わえます。
いま読むと微妙です。
外国の小説という気分で読む必要がありそうです。
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『武蔵野夫人』は、いま読むと厳しいけれど、
この小説は生き残ったと言えます。 -
【お金が無いので再読】
読みやすかったが、葉子の描写はそんなに実感出来るものでもない。
オンナの衰えを描きこんでるけど寄り添って描いてないから、外側の描写だけっていう感じな点。
さらには葉子の生き方にも賛同出来なかった点。
もちろん女給がどうとかいうレベルの話じゃなくて。
行動・思考の話で、あたしとは違うなぁと。
オンナを外側からみたら、そうなるかもな、という位。
でもダメダメな感じでもなくまーまーかな。
解説(新潮文庫版)には俘虜記で足らなかった女を書いたとあったけど、以上の理由から花影でも描ききれてはないのは確か。
それに対し、女から見たじじぃの描き方は確かなんじゃないかな、と思った。
そういう観点からは女を描いたとはいえるかな。