曲線と直線の宇宙

著者 :
  • 講談社
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感想 : 2
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  • Amazon.co.jp ・本 (434ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062008167

感想・レビュー・書評

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    ── 亀倉 雄策《曲線と直線の宇宙 198310‥ 講談社》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4062008165
     
     亀倉 雄策  デザイン 19150406 新潟 東京 19970511 82 /武蔵野美大教授
    /1960-1964 東京五輪ポスター連作“構成主義の旗手”199703‥スキー転倒
    http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%B5%B5%C1%D2+%CD%BA%BA%F6
     
    togetter_jp ‏@togetter_jp · 11 時間11 時間前
     全国に同じ名字の人、840人いるんだ…! / “【五輪エンブレム】
    新エンブレムが決定!→作者である野老さんの読み方が分からないと
    話題に - Togett…” http://htn.to/EiPRVy #オリンピ
     
    togetter_jp
     肝心のデザインから「話題を逸らす」という目的だったら絶妙だ。
     しかし、正統派のデザイナーが、どうしてヒゲ・チョンマゲなのか。
     彼らがリスペクトしてやまない亀倉 雄策のファッションは、いつも
    ストライブのシャツに蝶ネクタイだったのに。
     
    https://twitter.com/awalibrary/status/724704527631278080
     
     56年前、亀倉 雄策《TOKYO 1964》を初めて見たのは、デパートの
    日宣美展だった。ついで翌月のデザイン雑誌が全国に伝えた。
     アメリカ製の煙草「ラッキー・ストライク」そっくりの陰口もあった。
     さほど絶賛されたのではなく、第一人者としての自信にあふれていた。
     映画《羅生門》と同じく、海外の評価につれて国内で認められたのだ。
     
    http://togetter.com/li/967123
    https://twitter.com/awalibrary/status/724711437046824962
     
     いまもし《羅生門》や《TOKYO 1964》を国民投票にかけたら、もっと
    凡庸な作品に敗れるだろう。そもそも映画ファンも、プロデューサーも、
    海外の新作など、どんなものが出現しているか、まったく知らないのだ。
     そんなことを考えながら、いましがた遭遇した本がある。(つづく)
     
    https://twitter.com/awalibrary/status/724715402857709568
     
    (20160426)
     

  • 「曲線と直線の宇宙」亀倉雄策著
     2020年東京オリンピックのエンブレム問題についてのこのページ(http://www.poc39.com/archives/4142)に教えられて、1964年の東京オリンピックのシンボルマークやポスターを作った人、亀倉雄策のエッセイ集を読んでみた。
    日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)によれば(http://www.jagda.or.jp/awards/about_kamekura/)、亀倉雄策は1915年生れ、1997年に没している。日本におけるグラフィックデザインの発展に大きく寄与した人のようだ。JAGDA自体の設立にも携わり、初代会長を務めている。作品は東京オリンピックのシンボルマークをはじめ、NTTのマーク、グッドデザインのマーク、トステムのロゴ、明治製菓のロゴ、フジテレビの旧ロゴマーク、EXPO'70のポスター、富士銀行のロゴマークなどなど、多種多彩で、あれもそうか、これもそうかというものばかり。受賞歴も大変なもので、海外での受賞も数多い。JAGDAでは亀倉の業績をたたえて「亀倉雄策賞」なるものも設立している。
     本書には1970〜1980年代の亀倉雄策による文章、対談が収録されている。10代の頃に書いた映画評なんかもある。AからFまでのパートに分れていて、Aは身辺雑記。
    Bは回顧的な文章と交遊録で、土門拳、勅使河原蒼風と関係が深かったことがうかがわれる。知っている人にとっては何を今さらなのだろうが、帝国美術校が内紛で武蔵野美術大学と多摩美術大学に分れただとか、「桑沢デザイン研究所」を創立した桑沢洋子が東京造形大学を創立したなどの史的な記述が興味深い。
    Cは芸術、文化全般に関するエッセイ。亀倉は都市の美観について積極的に発言していて、特に電柱を「街並みの醜の元凶」として槍玉にあげている。それに付随して、円高差益で電力会社が儲かり、電力会社の労組がその差益金で電線を地下にして欲しいと要求したが、社会党によって利用者への差益還元になってしまった、などということが語られている。
    また、韓国の李朝民画の収集と紹介に情熱を傾けたプロデューサー志和池昭一郎が、向田邦子を台湾に案内した際に飛行機事故で向田と共に亡くなったことなども書き留められている。
    Dはデザイン論的な文章、Eはデザイナー論、Fは対談である。このDからFは内容が濃く、読みごたえがある。戦後の日本のデザインを作り上げてきた一人によるデザイン史とデザイン思想になっている。日本のみならず、世界のデザイン界の推移もしっかり取り上げられている。
    亀倉によれば、日本のデザインの出発点は戦前からいた図案屋である。それは染色図案などを描いていた「絵描きのなりそこない」がやっていた。それが戦後、日本の高度成長と共に進展し、デザインが認知され、デザイナーの姿が独り立ちして現われてきた。
    図案屋からデザイナーの間にはある断絶があるのだが、亀倉の場合はバウハウスの影響がそこに置かれて語られている。模様に美人を配置してというようなそれまでの図案を脱して、模様ではない、機能主義のショックがそこにあったと言う。対談している原弘はそれを「視覚伝達の技術」だと思っていた。
    こういう位置からは、芸術としての絵画との相違が当然意識される。たとえばそれは亀倉によると、「とにかくデザインと名の付くものは、いま作ったものはいま社会に受け入れてもらえなかったら、存在理由はないわけです。一○○年後にダメだと言われても、それは構わない。いまなんですからね。そこが絵画とは全然違うところ」ということになる。
    そしてデザインはアノニマス(無名)なものであり、「だからと言って、無責任でいいっていうものじゃない。むしろ、アノニムであることの責任というのが、非常に大きい」のである。この責任は社会に対する責任である。都市の美観のために電柱を無くせという主張もこの責任感を持っているのだろう。
    しかし、その社会のほうはどうかというと、「デザインの価値の問題」は理解されていないようだ。「デザインの重さと言っていいのかな、例えば僕のオリンピックのポスターと、ある人気作家が描いた喫茶店のマッチと二つポンと並べて、どちらが良いかって投票されるのだからね。これはどうしようも無いですね。そこでマッチの方が面白いって票が入るんですよ。面白いには違いないが、喫茶店のマッチは、なにをやっても良い。ところがオリンピックのポスターは、その国を代表しなくてはいけないし、老若男女国籍を問わず共鳴を持たせなきゃいけない。何人かの好きな人が面白いというのとは、重さが違うと思うんですよ。小さな劇場のポスターと、本当にある重さを持った企業とか、政治とかを背景に持ったポスターを同列に扱うのは間違いじゃないかという気がしますけれど。」
    ここに、2020年東京オリンピックのエンブレム問題を並べてみると、デザインの価値について鈍感な人々が単純に似ている似ていないをあげつらって「パクリ」騒ぎを起した、という見取り図が描けそうだ。そこには、電柱の醜さに鈍感な国民性が流れ込んでいるのかもしれない。この国民は、生活が営まれる円周の中の美醜には反応するが、社会的なシステムの価値の取り扱いについては未だまっとうな技術を持ち合わせていないのだ。
    しかし、それはデザイナーも同じことなのだろう。デザインのソリスト達が現役を退き、デザイナーが「デザインの文体化を制度化する」巨大なシステムの中に埋没して、「アノニムであることの責任」が置き去りにされた時、最後のクライアントである人々が騒ぎたてる前で、ここにはじめて現われたような顔を見せてしまっているのだから。(敬称略)

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