深い河

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 574
感想 : 88
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  • Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062063425

作品紹介・あらすじ

人生の岐路で死を見た人々が、過去の重荷を心の奥にかかえながら、深い河のほとりに立ち何を思うのか。神の愛と人生の神秘を問う、著者渾身の感動的作品。純文学書下し。

感想・レビュー・書評

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  • 読んで人は善悪の二元じゃなく混沌としたものだと思った。人生観が変わった。

  • 初読み遠藤周作。重い、深い、辛い。宗教を根本から見つめている視点。

    聖なる河は綺麗さではなく、生きる者の神であり、死者への敬虔な弔い。カースト制があってもガンジス河は誰ひとり見捨てず受け入れてくれる。宗教の違いはあっても、森羅万象ではないだろうか。

    生まれ変わり。磯辺の妻との約束。生前、妻に対しての自分を省みての旅。磯辺の深い罪償いか。
    戦争での過去。木口の心の奥深い所にある消し去りたい記憶。
    宗教。大津こそが万人の神のようだった。決して人を憎まず、受け入れる。
    愛。成瀬は愛が何か分からず深い悩みにいるが、行動は愛に満ちている。

    人はそれぞれ深い苦しみや憂いを持っている。
    人間の弱さ、傲慢さ、儚さが胸に響く。

    神は他の人間の中に転生した。
    そうであって欲しい。

  • 学生時代に読んでから、数十年ぶりに図書館で手に取り、再読してみました。
    何度も涙が出そうになる場面があってこらえるのが大変でした。。

    遠藤周作さんならではの、深い深い宗教観と、決してこれが正しいと押しつけることなく、読者にそっと悩み打ち明けてくれているような、そんな深い深い本です。

    一つ、女性の言葉遣いに違和感を感じ、発行年をあらためると1993年。あら、その時代って、「わたくし、~ですわ。」って言ってましたっけね。。。??

  • 信仰。
    三條ってのがほんとに最低!

  • 桃山学院大学附属図書館蔵書検索OPAC↓
    https://indus.andrew.ac.jp/opac/book/180646

  • 磯辺、美津子、沼田、木口、大津の5人を軸に展開される物語。磯辺と美津子、美津子と大津は過去に関わりがあるものの、それぞれバックグラウンドが違う5人が印度ツアー旅行で出会い、印度を旅する中で己の過去をなぞり、失くしたものを見つけ出し、やがて背負ってきた過去を、罪も死すらをも全てを包み込む聖なる河、ガンジス河へと手放してゆく。神父になり損なった大津と、生に虚無感を抱き続ける美津子は対極にありながら、この2人は根っこでは繋がっているように感じました。大津は愚直に神を信じ、挫折してもなお信仰を持ち続けて、虐げられた人々の弔いに奔走する様は、そのままイエスの姿に重なります。美津子は空虚さを持て余し、キリスト者の大津を軽蔑しながらも、なぜか彼が気にかかってしまう――それは、大津のように絶対的な何かを信じたかった、もっと言えば愛というものを信じたかったのだろうと思います。大津の生き方を最後まで馬鹿だと詰った彼女ですが、本当は少しだけ羨ましかったのではないかなと思いました。他人から見たら惨めな生き方でも、何かを絶対的に信じ、それに殉じたというのは一種の崇高さを感じさせます。大津は神父になり損なった人でしたが、誰よりも神父らしい、宗教者らしい、生き方をした稀な人だと思います。印度の風景を読んでいると、ふっとそこへ行ってみたくなりました。

  •  これは、難しい主題ですね。宗教について小説で語るのはタブーとも言える気がします。神の声を自分の物とし、それに忠実であろうとする青年は現実の宗教とことごとく反発することになるが、いつも静かにその運命を受けいれる。他方、宗教とは無縁に生きてきた、3人の人物はそれぞれ「そこには自分の探していた物があるかもしれない」と思って『印度仏跡訪問ツアー』に参加し、ガンジス川を目指す。
     「結局宗教は我々にとってどんな存在なのか」読むほどに分からなくなる、というのが正直な感想。少なくともあっけらかんと「この教祖についていきます」と宣言することなど私にはできないと思われた。

  • インド後に読みました。
    衝撃の終わり方だった!

    愛を求めて、人生の意味を求めてインドへと向かう人々。
    自らの生きてきた時間をふり仰ぎ、母なる河ガンジスのほとりにたたずむとき、大いなる水の流れは人間たちを次の世に運ぶように包みこむ。
    人と人のふれ合いの声を力強い沈黙で受けとめ河は流れる。

  • 久しぶりに「ちゃんと」本を読みたい、と思って、寝かせに寝かせたこの本を本棚から選択。
    愛とはなんぞや。宗教とはなんぞや。定評通り、遠藤周作が考えてきたことの集大成のような作品です。それから読んだ時期が時期だったからか、世代、時代とはなんぞや、というところも考えてしまいました。
    宗教的側面については何も綴らずとも、、、とも思うのですが。時々、美津子と同じように、同じではないかもしれないけれど、家族以外の人を愛する、ということがとことんのところ出来ないでいる自分を感じることがあって。だからこそ、愛するという行為は大変難しく重大なことなのだと、無償の愛が与えられるということが文字通り奇跡なのだと、気付く瞬間もあって。現代の若者の多くはそれだけの重さをもって人を好きになっているのか、結婚しているのか、それともよりカジュアルな関係性を築いているのか、どうなのだろう、なんて考えてしまったりします。
    同じだけ考え込んでしまったのが、カタカナにしてしまえばジェネレーションギャップの問題です。特に印象的だったのが、今になってしまうと「戦時中の人間」とまとめてしまいがちな世代でも、戦時中の大人と子供とでは、戦争に従事した者と銃後の人間とでは、当たり前ながら全くもって経験してきたことが異なるということです。当時子供だった人間が戦争に行った人間と「同じ」苦労をしたかのように言葉を発したら、後者が嫌悪感を感じるのは仕方の無いことに思われます。それでも前者のノスタルジーには同情の余地があるし、相当の想像力が無ければ自分より酷い思いをした人間の配慮というのは出来ないものだし、その言葉は別に本当に「同じ」経験をしたという前提で発せられたものではないはずです。世代がズレると、色々な物事の価値判断の基準もズレてきてくるものです。だから、何ならパラレルワールドで生きているんだ、位に思わないといけない場面もあるのかもしれません。
    最近「もうすぐ平成という時代が終わる」と呟いてみて、昭和が更に遠ざかった気がしました。本当に知らない時代だし、こうして文学などで昭和をなぞらえてみても「古典」の埃っぽさのようなものを感じることが増えたような気がします。でもその埃っぽく感じる時代を過ごしてきた人がまだまだ今の世の中にも生きているわけで。どうしようもない、埋まることの無い溝を感じるわけで。
    だからこそ、、、と思うのが、異なる世代に向ける視線の問題です。この作品にもそれとなく憐れみや情けなさを思わせる視線がちらちらと出てきました。主体としてはほぼ出てくることなく対象であり続けた三條夫妻も老いた参加者に多少なりと冷ややかな視線を向けていたことでしょう。その描写が無かったのは遠藤周作の年齢もあってのことでしょうか。その視線は言葉とならない限り相手に感付かれることはそうないのでしょうけれど、思われずに済むなら思われない方が気持ちが良いに決まっています。私が当事者で少しでもそんな風に見られていそうだと察してしまったら、自意識過剰だと思われても「自分のことを大して知っているわけでもないのに僅かな情報だけで適当に計って勝手に憐れまないで」とブチ切れてしまいそうです。それなら無関心な方が遥かに優しいと思います。それでも人は人のことが気になって仕方が無いものでしょうし、そんな関心が愛に繋がっていることもあるものです。ああ、難しい。

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著者プロフィール

1923年東京に生まれる。母・郁は音楽家。12歳でカトリックの洗礼を受ける。慶應義塾大学仏文科卒。50~53年戦後最初のフランスへの留学生となる。55年「白い人」で芥川賞を、58年『海と毒薬』で毎日出版文化賞を、66年『沈黙』で谷崎潤一郎賞受賞。『沈黙』は、海外翻訳も多数。79年『キリストの誕生』で読売文学賞を、80年『侍』で野間文芸賞を受賞。著書多数。


「2016年 『『沈黙』をめぐる短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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