結婚帝国 女の岐れ道

  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (298ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062124133

感想・レビュー・書評

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  • 信田さよ子が口癖のように使う言葉がいい。
    「そんなに簡単なことでもないと
    思うんですよね」(P25)
    「そんなにこだわらなくてもいいかなって、
    思いますけどね」(P59)
    「そういう風に言い切れるのかな」(P135)
    決めつけない、妥協しないという姿勢が
    にじみて出ている。
    当然、上野も深い
    「こう言うんだよね、この人は。
    わたしがこういうふうに言うと(笑)」(P25)

    鋭いなと思ったのは
    「セクシュアリティを婚姻の中に
    封じ込めてきた母親世代が、
    自分の生き方を娘に全否定されてしまう」(P25)
    「援交のギャルは、隠され、抑圧された
    母親の欲望を自ら体現して見せている」
    (上野 P31)
    「娘を人生の第二走者として走らせる」
    「自分になかったものを持って欲しい。
    一方で、自分の人生を否定させることは許せない」
    (信田 P43)
    AC(アダルトチルドレン)は
    「現在の生きづらさが親との関係に起因すると
    自ら認めた人」(P71)と定義されるのだと知る

    「綿々と続いてきたものに対して、
    突然そういう反応をする世代が現れたと
    言う場合、エポックメイキングなこととして
    考えていいんですか」
    「そこに自覚的な契機がない以上、
    わたしはちょっと信じられない」(P50)
    という信田のもっともな指摘と
    「マクロの社会変動って、そういう
    時代の無意識が動かすものでしょう」(P50)
    という上野は返答は「教養」として
    肝に銘じるものだと思った

    「『本当のわたし』って聞くとね、
    わたし、頭から角がキーッと出る
    感じがする」(P70)
    信田のこの表現が可笑しい。
    「あなたにとってかけがえのないわたし」
    が「自己中心的な欲望」と言う指摘(P71)は
    あっ、と思った。目からウロコだった。
    逆に思っていたのだ。
    こういうのがあるからたまらない。

    特に興味深かった題材は
    「既婚女性も不倫市場に参入」(P96)。
    「愛がなくてもセックスはできるし、
    同時に二人を愛することもできる」(P92)
    と発言する上野。
    そのことは「常識」だと言い切る。
    幻想を喝破する現実主義が素晴らしい。

  •  「愛」「性」「結婚」を三位一体とするロマンチックラブのイデオロギーが崩壊し、結婚制度そのものが形骸化することを題材になされた、信田さよ子と上野千鶴子の対談。

    <b><30代女性について></b>

     30代(この本の出版当時の30台。つまり1970年代生まれ)の女性は、母親から両立不可能な人生を託されてきた、と信田は述べる。
     すなわち、「成績を上げてやりたいことを見つけなさい」という男並みの人生と、「結婚、出産してこそ女」という人生だ。
     一方の上野は、「30代は『股裂き』状態」と評する。
     上の世代が持つ、ロマンチックラブのイデオロギーを押しつけられ、頭では理解しているが、実際はそうでない行動を取っているのだ。

    <span style="color:#0033ff;">P266
     (30代、20代後半むけの女性誌によせられる悩みに答える仕事があったことのある信田氏。そこには、仕事にやる気が起きない、これはどんな病気のせいですか、仕事のやる気を起こすためどうしたらいいのですか等の質問が寄せられる。信田氏が「どういうときに仕事のやる気が起きないか」等の状況還元的、関係還元的な言語に直すと編集部から「困る」といわれた、エピソードを受けて)
    信田
     今の30代、20代後半は自己完結的な問いや考え方に芯まで染まっている。で、最後は「癒し」になだれ込んでしまう風潮がありますね。これはやっぱり、ネオリベラリズムの罠なんですかね。
    上野
     ネオリベって個人の中で完結する論理ですから。
     問い自体が間違っているかもしれないという可能性は考えないんですね。</span>

     自己完結的になっているこの世代は、一方で自分を可愛がるための自己愛的な消費行動が多く、信田氏は「グルーミング産業、癒し系のなでなで産業(美容室やネイル、エステ等)」と呼んでいる。


    <b><結婚帝国の崩壊></b>
     ロマンチックラブのイデオロギーが崩れ、セックスと結婚が必ずしもセットではなくなってきた。
     だがそれは離婚が増える、という形よりも「結婚が空洞化している」と述べる両氏。
     キセルのような中抜き(つまり、不倫)が増えた、という。
     恋愛のロマンチックラブイデオロギーを脱した後は、空洞化した結婚生活を送り、最終的には儀礼家族になるという営みがいまも厳然として続いている。
     しかし、そんな、形骸化した制度なのに、なぜ女性にいまもなお「結婚願望」があるのかわからない、という上野の問いに、

    <span style="color:#0033ff;">P112
    信田
     特に女性は結婚というステップによって、その先の人生が保証されたような気持になるんじゃないでしょうか。そこに性的使用権をたった一人に委譲するという意識があるのかどうかはわかりませんが。「私一人しかいないのよ」みたいな快感で倍増された結婚の陶酔、それに人生をリセットできる幻想が重なって結婚願望になっていると思います。</span>

     と答える。
     そして、DVされても別れない妻を「結婚帝国の難民になりたくないから(つまり、離婚してしまうと社会的な身分や将来の保証を失いたくないから)」と語る。

    <b><DV男性について></b>
     竹田青じが「(結婚すると)家庭が自己アイデンティティに重なる」とインタビューで語っていたことを引き合いに出し「妻は、あんたの自己アイデンティティに重なりたくないだろう」と両氏は一蹴する。
     男性は女性を「所有」する以外に愛し方を知らない。
     この「所有」は自分の延長に妻子を置くやり方で、女もそれを愛と勘違いしている。
     男にとっての恐怖は暴力をふるわれることよりも「逃げられる」こと。そうすると、脆弱な男性的アイデンティティが揺るがされる。
     そういう男性にとって、逃げた女を究極的に所有するのが「殺人」という手段になることもある(復縁殺人)。
     
     DV男性にとって、そもそも妻は「所有物」。
     コミュニケーションをはからなければいけない「他者」ではないので、言語化できる(つまり、インテリの)男性でも殴るときは殴る。
     信田氏は、カウンセリングの現場で、DV男性にDVの再発防止のためには、妻とのコミュニケーションをするようすすめるが、
    <span style="color:#0033ff;">P173
     信田
     (コミュニケーションの前提として必要なのは)相手がコミュニケーションしなければならない対象である、あるいはコミュニケーションに値する対象であるという他者認知なんです。

    上野
     男には「わたし」というものがないんじゃないか。他者任知をする「わたし」というものが空虚だからこそ他者を他者とせず、妻を自分の延長に置くとか、そういうことが起こるんじゃないですかね。



     仕事と自己実現が一致するなんて、大きな幻想ですよ。

    <b><自立でも依存でもなく、したたかに生きる、とは?></b>
    上野
     「自分は無力で限界がある」つまり自分の分をわきまえるということは、「自分に何ができる」ということがわかると同時に「自分に何が出来ないか」ということがはっきりわかること。(略)
    信田
     (カウンセリングを求めてやってくる人は)ただその前段階のね、自分にできることとできないことがまったく区別がつかない。
    上野
     ええ、ですから、あなたが言った「自・分」つまり「分・別」です。「分・別」がつかなければ、自分の限界を測ることさえできない。当たり前ですよね。自分が他人に何を求めているかさえ、実はよくわからない。
     (略)
     自立を、自己完結であるというふうに捉えると、自分の中で全ての欲求が充足されるということになりますが、そんな自己完結ができないことはわかりきっています。欠乏があることははっきりしている。「自・他」の別がつけば、自分に何が充足でき、何が充足できないか、自分の欠乏の内容が何かということがわかる。欠乏があることは、恥でもなんでもない。欠乏があれば、それをよそから満たすスキルがあればそれで十分。

    上野
     人は社会的存在でなければならないということも、私には深い疑問を持ってきました。なぜわたしが、生きることに他者の承認がいるのか?なぜ私が他人の役に立つ存在でなければならないのか?そうでなくなった時私は生きる価値を失うのか?



    </span>

  • 私はちょうど最近、竹田青嗣の「ニーチェ入門」を読んだところだったから、竹田青嗣の話がけっこう出てきて面白かった。
     
    竹田青嗣が「家庭を持つと、自分という単位が妻とか子どもに広がる」「家族が自己アイデンティティに重なる」と雑誌の対談で言っていたのを信田さよ子が見つけて、上野千鶴子と「あまりに通俗的」「古い男だね」と言っていた。
    竹田青嗣じゃない人の書いたニーチェの本も読んでみようかなと思った。

  • 367.1

  • 目覚めよ女たち、手遅れにならないうちに!「非正規雇用・非婚の30代女」は親のストックを食いつぶし、少子高齢社会の巨大不良債権となる。「そんなこともわからない度し難いオヤジ社会」の病理を斬る!

    --------------------
    当然のように目の前に横たわる女性性とか社会観とかをばっさばっさと切り倒していくような感覚。読んでいて凄く面白い!
    これは、世の女性に限らず男性にも読んで卒倒して頂きたいw

  • 言うなればフェミニズムの理論と実践の対談。読みやすかった。

  • ▼選択肢を作る仕事

    『結局、人は、多様な選択肢の中で、自分に一番つごうのいい理論を選び取るものですから』『理論て、そういうものじゃないですか』『そういうものです。理論家の役割は、その選択肢を増やすことですから』『というふうにおっしゃる学者は、少ないでしょ』『学者の中には、理論はメ正しいか間違っているか、どちらかだと言う人もいるようですが、理論はつごうがいいか、つごうが悪いか、どちらかだと思うんで。問題はだれにつごうがよいか、ですけどね』(上野千鶴子×信田さよ子:著 / 結婚帝国女の岐れ道 / P245)

    『だって真理とかいうじゃないですか』『あの方たち、真理がお好きですねえ。“真理”や“正しさ”が、結局はだれかのつごうを隠蔽していることに無自覚なだけでしょう』(上野千鶴子×信田さよ子:著 / 結婚帝国女の岐れ道 / P246)

    とくにこの言葉はなんか、色んな私の回路のいくつかがバチッと繋がったような感覚を受けた言葉。靴屋にはたくさんのデザインやサイズの靴が並んでいる。種類が多ければ多いほど選ぶ自由度は高くなるし、より自分にふさわしいと思える靴が選べる。しかし、靴のデザインやサイズの種類が少なければ少ないほど、靴の選択は妥協するしかなくなる。数少ないアイテムの中で、『一番マシそうなものを選ぶ』。なんかデザインはいまいち気に入らないし、サイズも微妙に合ってないので、靴擦れもする。痛いし履き心地も悪い。今の社会でメジャーな『理論』『概念』『枠』『分類』『道徳』にフィットしきれない人が、世の中にはたくさんいて、何かしらみんなそれぞれにその中に収まりきれない居心地の悪さや不条理を抱えていたりする。自分の好みや足の大きさにフィットする靴があると街を歩くことが楽しく&快適ことがあるように、自分にフィットする理論があると人は楽しく&快適に生きられることがある。理論はひとつではなくて、自分にフィットするもの、都合のよいものをチョイスする。

    『家庭』『学校』『男女恋愛』『男らしさ』『女らしさ』『戸籍』『人種』『国』『会社』『夫婦』などの社会が枠のなかに、世界中の人を振り分けた時、それに振り分けられないひとがいる。その枠に仕方なく居ることで苦しんでいるひとがいる。その枠に入っていないことで社会的に『カウント』すらされていないひと。その枠にフィットしない自分は、価値のない人間だと思うひとがいる。『家庭がメチャクチャだった』『何故他の家のような幸せな家庭になれないのか』『家に居場所が無い』という劣等感や孤独感を抱えて育ってきたひと。『学校でいじめに遭うから、学校をやめた。人間として失格だ』と思うこども。『日本人と韓国の混血で自分は一体何人なのか、どこに故郷を感じればよいのか』と悩む在日のひと。住む場所が無く、移民難民と言われている定住地を持たないひと。

    ある学者は『現在の学校のカタチはここ35年くらいに出来たにしかすぎない。たかだか35年の規範に入れなかったからといって人間失格なんてバカバカしい。』という。ある学者は『家庭は必然ではない。家庭がなくとも子は育つ』という。ある学者は『人は定住することだけが本来の姿ではない。移動しながら暮らすことも、メジャーであった。暮らす人だけでは何も見えない。動く人、暮らす人を同列で、全体を見なければ、今までもこれからも見えない』という。

    そうやって、今までの枠や理論や思い込みを一度カーンと打ち壊して、新たな理論や枠や居場所を模索し再構築していく。『真実』とか『正しさ』をベースに、今までのことを否定するのではなく、今までの選択肢に新しい選択肢を加えて行く仕事。学者ってそんな仕事らしい(…と勝手に思った)。

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    ▼被害者は加害者

    『わたしがあなたから学んだ中で、非常に大きなことのひとつは、「被害者であり続けることが、そのまま加害者性に転化する」「被害者であることと、加害者であるということは、別のことではないのだ」ということ。』(上野千鶴子×信田さよ子:著 / 結婚帝国女の岐れ道 / P209)

    『私は感動するのである。どうすればこれほど、自信のないという人間と、自負まみれの人間が誕生するのか。なぜここまで気遣う人間と恐ろしいほど鈍い人間に分かれるのか。なぜ、他人に集中する人間と、自分にしか興味のない人間が出来上がるのか。そして、驚くことにこの二つは、みごとに合併共存し得る。……は、ぼくノビノビする人、わたしノビノビさせてあげる人、に聞こえて仕方がない』(遥洋子:著 / 働く女は敵ばかり / P80)

    『男性が高慢に育つ裏には、数多くの女性のあきらめがある。冷遇への、不平等への、幸せへの、そして、自分の人生へのあきらめ…。女性のあきらめが多いほど、立派な高慢男が完成する。』『「あきらめ」は何も主婦だけのものではない。働く女性にも深く根差している。一人の女性のあきらめが、社会で常に問題を起こす高慢男を育てる。どうか自分の幸せになることをあきらめないでほしい。それが世のため人のためだ。』(遥洋子:著 / 働く女は敵ばかり / P238)

    『だれかに対して自分が被害者であり続けることが、被害・加害の構造を温存することに貢献することになります(加害に貢献する被害者=被害者も加害に加わっている)。そうすると、自分が加害者にならないたったひとつの方法は、自分が被害者であることにノーと言う、それしかないんですよ。』(上野千鶴子×信田さよ子:著 / 結婚帝国女の岐れ道 / P210)

    『具体的にどういう行為をすると、被害者から抜け出したことになるか。』『…つまり、「わたしはあなたに属さない」ということなんですね。「わたしはあなたに属さない」ということは「わたしはあなたと違う」。』『Aという人がBという人にある行為をすると、BはAにそれをやめさせようとする。でもそういうことをお互いに繰り返している限りは、問題はずっと続きます。暴力もそうだし、子どもの問題もそう。そこでわたしが最初に話すのは、相手の行為をやめさせようとする前に「まず、相手とあなたのの間に線をひきましょう」ということです。この線からこっちはあなたの問題、この線から向こうは別の人の問題、というふうにして、誰の問題かということを整理するところからはじめるんです。』これはわたしの問題、これはあなたの問題。この問題については、わたしは基本的に関与できない。あなたが関与できるのは、ここからこっちのあなた自身の問題だけ、というふうに整理していくと、非常に具体的なリアルに問題が解けていくんです。(※写真)』(上野千鶴子×信田さよ子:著 / 結婚帝国女の岐れ道 / P210)

    『パーティでは年下の男性が甲斐甲斐しく動いた時だ。皿を運び、酒を注ぎ、氷を取りキッチンに走った。ほとんど喋ったり楽しんだりせず常に神経は皆に集中していた。』『のびのびくつろぐ女性もいた。「あれとって」と言い、「肩もんで」といい、「もういいわ」とは言わなかった。その男性は肩をもみ続け、ほとんど食べていなかった。』『私にはわからないのだ。一方が痛々しいほど気遣い、もう一方が果てしなくくつろぐのではなく、皆が集まって皆が楽しむのは不可能だろうか。根性比べでもなく、男女逆転でもなく、私がほしいのは対等な関係だ。』(遥洋子:著 / 働く女は敵ばかり / P98)

    被害者と加害者はお互いの行動によって影響しあう。加害者が『オラ!』と怒鳴れば被害者はその声に恐さに『影響され』縮こまる。被害者が加害者を怒らせないよう、気をつかう行動が加害者に『影響』し加害者はますます気が大きくなる。加害者は被害者をつくり、被害者は加害者をつくるという、パズルのピースがぴったり噛み合うように、『お互いに合わせ』ながら影響しあう。仕事でも、クライアントに、(古風な嫁のように)尽くせば尽くすほど、気を回せば回すほど、デザイナーの仕事量が増えデザインの仕事ではないような雑用までやらされる、というパターンをいくつか見てきた。(やった場合もあり)結局、これも相手と自分の間に線を引かないことで、相手の仕事が自分の仕事に、相手のミスが自分のミスになってしまっている例だと思う。そしてその関係を生み出しているのは、デザイナーでもある。会社の上司との関係もそういった場合があると思う。…逆にそういう線引きの意識を持って、しっかり全体の流れと損得を見極めている会社はいい仕事をしてると思う。実際の生活で、そういったことをストレートに言うことはできないけれど、意識を持ってじわじわとやってくテクニックがあると思う。只今それを勉強中(わたしの場合まずコミニュケーションスキルが激しく足りないが)。仕事や家庭で『ムキー!』と思うことがある人、幸せをあきらめないで『うまくしてやったり』ってニヤッと笑える人になるよう、お互いがんばろ。

  • 勉強になった部分。
    ・(女向けのサービス産業は)女の風俗(64頁)
    ・「本当のわたし」踏みつぶしてやりたい言葉、男に選ばれるという存在証明(70頁)
    ・権力とは状況の定義権である。(初出どこ?167頁)
    ・指導教官というものはポジションとして加害性を持つ(244頁)
    ・(理論というのは正しいか間違っているかのどちらかではなく)「つごうがいいか、つごうが悪いか、どちらかだ」(245頁)
    ・「真理」や「正しさ」が、結局はだれかのつごうを隠蔽していることに無自覚なだけ。(246頁)
    ・欠乏があることは、恥でもなんでもない。それをよそから満たすスキルがあればそれで十分。(265-頁)

  • おもしろかった。
    上野千鶴子の本は読んでみたいと思って、図書館で借りてきたりするのだけれど、どうも読みこなせないというハードルの高さを感じていたのですけれど、対談だと読みやすいわね。
    でも、上野さんにも信田さんにもしかられているような気分にさせられる本でした(苦笑)
    でもためになります。本当に。
    結婚の価値の高さをわかりやすく怖く解説しているという感じです。
    あと、わからないことを「わからない」とはっきり言うというのが潔いとホントに思う。
    そして、女同士の話の広がりはどんな話でもどんな場でも変わらないと思う。
    いろんな方向に繋いでいって、広がっていって、興味の赴くままって。

  • 信田さよこさんは、名前は聞いたことがあるが、読んだことがなかった人。
    やわらかいタイプのようで、現実に即した感覚で話されているような感じで、理想論だけでない、感じがするのがよかった。

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著者プロフィール

上野千鶴子(うえの・ちづこ)東京大学名誉教授、WAN理事長。社会学。

「2021年 『学問の自由が危ない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

上野千鶴子の作品

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