危険学のすすめ

著者 :
  • 講談社
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062135290

作品紹介・あらすじ

エレベーター挟まれ事故/学校シャッター落下事故/回転ドア挟まれ事故/ベビーカー引きずられ事故…など、続発する「身近な危険」発生のメカニズムを解き明かす。

感想・レビュー・書評

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  • 著者は東大機械の時代から「失敗学」で著名な畑村さん。福島原発の事故調にも乗り出している。リコールの精神(不具合を憎んで人を憎まずの精神)で問題を明らかにしてほしいところ。
    本書は、六本木ヒルズの大型回転ドアに挟まれ少年が死亡した事件を、手弁当で調査(実験)した結果の一般向けレポート。
    回転ドアは、海外から日本に技術導入された際に、本質的な安全を軽視し、制御による安全確保に走って失敗してしまった。福島原発の事故にも通ずる問題であり、改めて世に知られるべき作品だと感じた。

  • ふむ

  • 著者は、感覚がボーダーレスでさまざまな人々を巻き込んでいく才覚のある人のようだ。大企業だろうと身内だろうと同じように謝意を表し、書いているうちに気づいたらまた感謝、などなかなかユニーク。フラットで率直、明快なミッション意識と熱い人柄がなせる業なのだろう。
    回転ドアという代物が日本で独自の変化を遂げいつしかモンスターになってしまった経緯が興味深い。企業や行政・法律の問題点をもずばり指摘しており溜飲が下がる。

    P35 自立分散型というのは、目的を一にするものに向かって各人が自分自身の立てた規範に従って行動することをいう。

    P95 たとえ使用者自身に過失があったとしても、使用者の安全を守る技術は必要不可欠である。その反対に、完全なものを作りうる技術がまだ世の中にない場合には、「完全でないことがケシカラン」とする考え方もおかしいのではないだろうか。どこに危険が潜み、どうすれば安全が確保されるのかということは、本来は使用するものがきちんと考えておかなければならない。それを「当然のこと」と考えるような文化を作らないことには、本当の安全は保てないのだ。

    P126 六本木の六歳児の事故は「衝突力軽減のために軽量化しなければならない」という重要な知識が忘れられてしまったことに根本的な原因があるといえる。なぜそのようなことになったかというと、新しい製品を設計・開発する者が「技術の来歴」の調査の必要性を感じていなかったからである。
    これは設計や開発に携わるものにとっては大きな落とし穴である。既にあるものや技術を改良して何かをするときには、これをやらなければ、技術の変遷の中で消えていった重要な知識の存在に気づくことができないのは当然なのである。

    P148 今回の実験結果を踏まえて私が「申し訳ないけど宗旨替えをする」というと、JR東日本の荒井さんも「はっきりそう言ってもらえると非常に助かります」と笑いながら答えていた。(中略)情報発信を行うときには変なプライドを捨てて正確に伝えることが大事であると再認識させられる機会になった。

    P159 今回の実験を通じてわかったのは「手動のドアでは大きな力が発生し、自動のものでは小さな力しか発生しない」ということである。(中略)人間は「自動のものが危険で、手動のものは自分で動かすのだから安全だ」と考えがちだが、現実はそうではないのである。

    P170 本当の検査をせずに問題を放置すると「手抜き、インチキは仕事のうち」と思う人たちが増えて勝手なことを始めるようになるのは世の常である。(中略)インチキを当然とする人たちがインチキをし、インチキに鈍感な人が検査を行うので、インチキに気づかないままエンドユーザーに渡されるというのが世の中の構図である。

    P200 安全なもの、優れたものをつくるための重要なポイントは、つくり手が異なる業界の知見を自らの問題に関連づけて考えるような広い視点を持つことである。

    P208 「原因の究明」と「責任の追及」を混同している日本の風土や文化に根ざしている問題ではないかと私は考えている。
    本来、科学的な態度と社会的な道義責任の追求を明確に分けなければ、事故の真の原因を探ることはできない。

    P210 多くの場合、危険性の認識がないことが免罪符になっているのだ。言葉はちょっと悪いが「賢い人や敏感な人は罪人にされ、バカや鈍感な人は無罪放免になる」というおかしなことが今の日本で現実にまかり通っているのである。

    P244 従来の「失敗学」は、結果を分析する手法で失敗にアプローチするのが特徴だった。そこから一歩進めて、現在ある棄権にまで目を向け、起こっていない失敗にアプローチするときの考え方や手法を示すことができたのが「危険学」の最大の成果である。

    P247 危険に対して真正面から向かい合う考え方が必要になる。従来の「マニュアル」や「べからず集」「失敗事例集」のようなものではダメで、どこにどのような危険が存在し、危険を防止するだめに何をすべきかを示した「危険地図」のようなものでなければ意味がないのである。

  • 手動ドアは、人間が扱うから安全。自動ドアは、機械が動かすから危険。
    ということは間違っているということに目から鱗。
    責任追求と原因追求の違いは、心に書き留めておく。

  • これはよく考えれば
    開発された場所と違う場所で用いる場合は
    使い方も違うということがわかるはず。

    しかしこれが欠如していたがために
    痛ましい事件が発覚してしまったのです。
    一部の人には親が悪いという意見が
    ありますが、それはこの結果を見れば
    到底防ぎようのないことがわかるはずです。

    被害にあわれたお子さんは
    どれだけ苦しんだことか…

    そのほかにも
    子供を囲む危険として
    シャッターの問題も取り上げられています。
    これはずさんさがよくわかるはずです。
    古き時代の悪い面が露呈しますので。

    こういう人がいなければ
    何もわからずに今を迎えたんだろうなぁ。

  • 10-020

  • 実験、検証とはどのようにして行うのか、組み立てが理解できる。形骸化されていない本当の意味での試行錯誤の進みが分かる。

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著者プロフィール

1941年東京生まれ。東京大学工学部機械工学科修士課程修了。東京大学名誉教授。工学博士。専門は失敗学、創造的設計論、知能化加工学、ナノ・マイクロ加工学。2001年より畑村創造工学研究所を主 宰。2002年にNPO法人「失敗学会」を、2007年に「危険学プロジェクト」を立ち上げる。著書に『図解 使える失敗学』(KADOKAWA)、『失敗学のすすめ』『創造学のすすめ』(講談社)『技術の創造と設計』(岩波書店)、『続・実際の設計』(日刊工業新聞社)『3現で学んだ危険学』(畑村創造工学研究所)など。

「2022年 『やらかした時にどうするか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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