- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062136709
作品紹介・あらすじ
鳥取に、ホスピスケアのある19床の有床診療所「野の花診療所」を開設して5年。自由な、その人がもっている死のかたちを、何とか実践しようとする診療所の姿を臨床医第一人者の声で語る。命と死を感じる、言葉のかたまり。
感想・レビュー・書評
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再読本、たしか2年ぐらい前に読んだ本。そしてたしか、季節も同じだったと思う。この本、たしか完読してない本だったけ?
そう思い出したのは、いちばん初めのエピソードを読んでから。これはまずいと思った。この作品に引き込まれたら、自分が本当に死ぬと思いました。
焼肉のお話、船のお話、看護師さんのお話・・・なんと言うのか、書き口調がね、引き込まれるんですよ。波長があうってこんな感じなんだと思います。
この本、ピンと来る人はピンとくるけど、引っかからない人は引っかからないと思う。
今回も危うかったんで、完読できませんでした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「死」は怖いもの、軽々しく話せないものというようなイメージがあると思うけれど、この本では良い意味でさらっと軽く、あたたかく書かれています。
この場面でこういう風に言うんだぁと思わされる目から鱗の言葉もたくさんありました。患者さん、家族と先生が築いた関係だからこそ言える素敵な言葉だと思いました。患者さん、家族とのやりとりが目に浮かびます。
病院で働く者として、すごく心に響く一冊でした。 -
以前爆笑問題の番組で拝見した、鳥取の野の花診療所の徳永先生の本。
「死」って悲しいとか、恐いイメージがあるけど、
「生」も「死」もなにも変わらないのだなぁと読んでて思いました。
だから、自然に流れるようにそのときを迎えるだけ。
「生」も「死」も結局ひとりで引きうけていくんだよなぁ。
でも、先生も書いておられるように本当に一人で死むことってほとんどない。
家族や、お医者さん、看護師さん、だれかに見守られて死を迎える。(生もそうですね)
それってあたたかい。
「人間も結局は雑草地に生きる一本一本の野の花なんだなぁ」
という一文が印象的でした。
雑草なら、つよくつよく生きたいなー -
なかなか
「死」に対する考えが
一般的なものとかなり違っているので
興味深い
たくさんの死に囲まれているホスピスが
なぜかとても明るくて
「包む」という感覚
看護婦など「生きていくもの」と
患者さんたち「死んでいくもの」が
同じ空間にいる不思議
家族の死に直面した家族のこぼれ話
自分にもやがてそんなときがくるのかなと
センチメンタルになりました -
緩和ケアを自らの使命としてがんばっていらっしゃる鳥取県在住の徳永先生の著書です。
徳永先生のすごいなあと思ったのは、堅苦しい病院の先生という印象がまったくないということ。もちろんお会いしたこともありませんが、先生のこの著書の中に出てくる言葉一つ一つがとても、"普通の人"という印象であったところです。医者であるが、その原点は一人の人間であり、医療人である前にその辺にいるおっちゃんなんですよね。なんかそうすう肩がこらない人と人とのつきあい方というより"向き合い方"に私はとても惹かれました。
そしてなによりも、自らがこの"野の花診療所にいきたい"という人がきているということ。これ、すごくないですか? みんな自分の死に向き合い、もがきながら最期の場所をもとめてここにくる。その気持ちに真摯に向き合っているという姿が私にはきらきらと光かがやているようにみえてしまいました。
それと、何よりも徳永先生の普通人としての気持ちがひしひしとでています。おかしな家族だなあ~とか、臨終なのになにか笑える家族の姿とか、彼氏と彼女の姿が懐かしい日々をおもいおこさせるとか、もう読んでて吹き出しそうな内容と、涙でかすむエピソードと混ざっております。
それはさておいて、この著書をどのようによまれるかは読者次第だと思います。私は死生学と緩和ケアについて勉強を少しずつ重ねております。その過程で読んだ本です。これからなにかしら医療にかかわる学生が読んだ感想と色々な死をこどものころから看取り、間近で生と死に接する機会がおおかった私たちの世代とは読み方も異なると思います。ですが、節目節目の年齢で読み返してみるとまた違った感動と新しい発見があるのではないでしょうか。
徳永先生のように地域に根付いた緩和ケアをするお医者様が増えること、そしてそれを受け入れる行政ができることを願ってやみません。 -
2006
鳥取のホスピスの日常。
死の選択。 -
先生、いつも本をかいてくださってありがとうございます。
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死っていうのは、ずっと遠いものでなるべく触れちゃいけないもので触れたくないもので とにかくタブーなイメージがあったけれど、これを読んで全て覆った気がします。死は誰にも訪れるもので自然なもので大切なこと。死に触れるその度にどこかで感じていた肩の荷が、すっと消える感じ。あぁ、そうだよなぁ、って、静かに波が寄せて帰る感じ。