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この作品からのみんなの引用
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二十歳の学生の手持ちの価値の度量衡をもってしては計量できないものが世の中には無限に存在します。彼は喩えて言えば、愛用の三十センチの「ものさし」で世の中すべてのものを測ろうとしている子どもに似ています。その「ものさし」では測れないもの、例えば重さとか光量とか弾力といったことの意味を「ものさし」しか持たず、それだけで世界のすべてが計量できると信じている子どもにどうやって教えることができるでしょう。
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時間が経過するにつれて、さまざまな経験を取り込んで、自分自身の質を向上させてゆく能力、教育の目標はそれを習得させることい尽きると僕は思っています。
― 160ページ -
学びというのは、自分が学んだことの意味や価値が理解できるような主体を構成してゆく生成的な行為です。学び終えた時点ではじめて自分が何を学んだのかを理解するレベルに達する。そういうダイナミックなプロセスです。…これを僕は「メンター(先達)のパラドクス」と呼んでいます。
― 150ページ
みんなの感想・レビュー・書評
ちょっと表現が難しい部分があるのですが、個人的にはかなりスッキリとした読後感がありました。目からウロコというか、合点がいったというか…。子どもを持つ親として読んでおいてヨカッタ、そんな気がする一冊です。
たしかにそれらしい状況であるし、どうしてそうなったか理解できる。ではどうするかまで読みすすめられなかった
勤労が憲法に規定された国民の三大義務であるというのは言われてみれば、という指摘である。 そんなことは普段意識していないし、いわれても違和感が残る。働くか働かないかは自己決定だと思っているからだ。 勤労が国民の義務であることの意味は今でもうまく説明できない。我々を規定する価値観やそれを培う教育が自己決定する主体としての個人として自分を認識することしか教えてこなかったためである。 憲... 続きを読む »
タイトルと目次、少し読んで気になったので購入。
まぁ、だよなぁ…と。さて、今回、やっとゆとり教育が見直されました。
わかっていたことなのにね。
下流志向の若者…って、そうさせたのは、我々大人です。
反省の意味をこめて、ごめんなさい、でもちょっとがんばってみよっか、どうしようもない世の中だけど…と、ダメですか?
何でもかんでも意味を求めたり、すぐ役に立つかどうかを基準にしがちなのは現代が消費社会だからか。うー、まだ咀嚼しきれていない部分がある。
目から鱗という感じで、自分では思いつきもしなかったような発想を、久しぶりにたくさん1冊の本からいただきました。なかなか面白いお薦めの本です。 なぜ子どもたちは勉強しなくなったのか。なぜ若者は働こうとしないのか。筆者は一つの見方を提示しています。それは、日本に消費社会が浸透してしまい、何もかも経済的な損得で物事を判断することが、横行しすぎているのではないか。 別の言い方をすると、それは... 続きを読む »
知性と無知の解釈を、時間の観点から説いた点が最も印象に残った。近代以降の時間と空間の定量化に対する、例のあの人(A.Giddens)の話を思い出させてくれた。
あんまり明るいことは書いてないんだろうけれど、
この作者さん、何かでも紹介されていたし、気になる。
まだまだ読んでみたいものばかりで、読んでないもの
ばかりだなぁ~。
「学び」と「労働」とは本質的に等価交換ではない。「学び」に対する対価はすぐには得られないし、「労働」に対する対価は常に過小である。だから経済的合理性がないと判断する子どもは「学び」と「労働」から逃走する。にゃるほど〜。 (以下引用) 学びとは、学ぶ前には知られていなかった度量衡によって、学びの意味が事後的に考量される、そのようなダイナミックなプロセスのことです。学び始めたときと、学んでいる... 続きを読む »
ゆとり世代とか、そんな簡単な言葉では解決出来ない「学び」と「労働」の価値観の変化。「これ、何のために勉強するの?」と言っていた自分の潜在的な価値観がわかった気がしてゾッとした。これ読ませたい人が複数いる(笑)
期待以上に面白かった。
なぜこの勉強するのか?というのは子供の素朴な疑問であり、等価交換の質問とは言い切れないはず。
これに答えないのは当たり前だというのは、答えられない言い訳だと思う。
経験を通して一緒に考えてあげるべきでは?
中学時代の自分を考えて耳が痛くなる部分や、若者の仕事に関する観点は納得できる部分もある。
労働が当たり前の世界で、労働を放棄したニートを保護するロジック、、、ニートが本当の弱者とは思えない。
なんと言われても私には納得できない・・・。
おもしろかった!
学ぶことを拒否すること、働くことを忌避することは、つまり「消費主体」だからという。それと対になっているのが、「労働主体」。
私はどっちなんだろうと真剣に悩んだ。どっちにしろ、お手伝いしててよかった・・・!って思ったよ。
経済合理性とか、等価交換の無時間性とか、コミュニケーション「おせっかい」とか。なるほどと思えることがたくさんあった。
たくさん印象に残るものはあったけど、“どう生きるか”の壁が目の前にあるわたしにとっては、「理論を語っても仕方がない」(p206)かな。
実際に、示していかなきゃはじまらない。
(※2010年手帳より)
「何のために勉強するの?」
自分もよく疑問に思ってたなー…
そもそも勉強は役に立つ立たないじゃないんだけど、市場経済にどっぷりつかった私たちの思考は、「役に立つこと」とか「答えのあるもの」を自然と求めてしまっているんだろうな。
市場経済が教育にも影響している様子が明確に言葉にされていて、痛快でした。
相変わらずの"内田節"で「ホントかな~」「例証は?」と思ってしまうところもありましたが、現在の子供達が「消費主体」となっているという指摘にはそそられるものがありました。大学関係者(特にFD関係!)の方もご覧あれ!
【鹿児島大学】ペンネーム:あいがも
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鹿大図書館に所蔵がある本です。
〔所蔵情報〕⇒ http://kusv2.lib.kagoshima-u.ac.jp/cgi-bin/opc/opaclinki.cgi?fword=11109021175
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「教育」の本質を論理的、情緒的に舌鋒鋭く解き明かす名著。
幼いころから大人たちの消費者社会・市場原理主義・アメリカナイズされた思考法をロールモデルに成長する子供たちが抱く「価値観」が現代にはびこる様々な日本社会問題に瀰漫しているという事実を、論理的・客観的に示されて読者は愕然とするだろう。
理論自体はおもしろく、理論展開も良い
ただしデータが全く提示されていないため、根拠が薄弱なのが残念
消費マインドで学習を捉える現代人への警告。投資に対してリターンがすぐかえってくるものばかりではないので、リターンありきで全ての物事をみるのはやめようという内容。読みやすいし、はっきり主張しているので反論も整理しやすい。本としては非常に良質。概ね賛同できないけど、そのことに気づかせてくれるのも良本の特徴。
自己を「生産する主体」と定義するか「消費する主体」と定義するか。
ここから出発することで自己と周囲との関係を説明し、
時間性と身体性の喪失を描写する流れが秀逸。
名著です。自分にあてはまることが多々あり反省せねばと思いました。刹那的な価値でしか物事の善し悪しを判断しない現代の若者に、もっと時間的な価値観を持つよう警鐘を鳴らしています。幼子が最初にする行動が労働か消費かで大分変わるという。苦労は買ってでも努力し続けること、社会に積極的に関わりを持つことの重要性を改めて学びました。
消費者として登場し、初めから等価交換をする子どもたち
分からないものには無関心で、関わるためにはわからないといけない
だから、「勉強って何の役に立つの?」の答えがないと始まらない
役に立つと思えないものには時間を使わない
学びの楽しさを知らない子どもたち
だから勉強しないことを選択し
下流へ。
働かない若者も同じ。
まえがきに
フロムの『自由からの逃走』に触れている
やっと手に入れた自由を、二束三文で手放す現代人
やっと手に入れた教育の権利を
自分から捨てる子どもたち
そういえば、専業主婦が理想と答える女子大生が多くなった
やっと手に入れた女性の働く権利なのに
じーんと寂しくなるが
鋭い観察だと思う
面白かった。
筆者の理論展開はやや強引な気もすれど・・・頷ける部分も多々。
なんというか、「学ぶ」ということは私たちが子どもの頃は、問答無用のことだったような記憶があるのだけれど(単に単純だっただけ?)、自分の子どもたちを見ているとなんだか少し違う。うまくいえないモヤモヤ感がちょっと晴れた気がしました。
ただ、その対策までは書かれていないので、評価は3.5かな。

自ら下流を選択する若者達を理解する助けとなる本
感想
アカデミックな書籍を引用する一方で、
スターウォーズを具体例として挙げるなど
著者の緩急剛柔な語り口で、
現代の日本社会の問...






