滝山コミューン一九七四

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062139397

作品紹介・あらすじ

東京都下の団地の日常の中で、一人の少年が苦悩しつづけた、自由と民主主義のテーマ。受験勉強と「みんな平等」のディレンマの中で、学校の現場で失われていったものとは何か?そして、戦後社会の虚像が生んだ理想と現実、社会そのものの意味とは何か?マンモス団地の小学校を舞台に静かに深く進行した戦後日本の大転換点。たった一人の少年だけが気づいた矛盾と欺瞞の事実が、30年を経て今、明かされる。著者渾身のドキュメンタリー。

感想・レビュー・書評

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  • 著者最新作『レッドアローとスターハウス』が出たのを受けて積読していた本作を読んでみた。西武沿線、東久留米市に誕生したマンモス団地の子供達を受け入れる為に新設された小学校が舞台になっている。時は1974年。

    戦後生まれの若き一教師がソビエト型教育指導により「みんなのための」「なかま」といったキーワードで"全体の為の個"を推し進めていく。

    東急沿線と違い、景観を特に重視せず造成された、ソ連に似た荒涼とした風景、全戸全く同じような間取りに家族構成といった画一化され、日本古来の地縁などしがらみがない団地生活という素地が揃い、大した抵抗もなく浸透していく集団主義教育。

    若い教師が担任となる組を中心に児童達が着実に理想を実践していく過程が、北朝鮮のマスゲームのようで空恐ろしくなってくる。
    班競争という名の下の減点制度に相互監視。児童代表委員を牛耳る為の選挙活動など、果ては体制に反対する児童を同じ立場の児童が自己批判を迫る。

    時代と環境が合致した稀有な結果であり、現在の高齢者中心の寂れた街の雰囲気を見れば、若き教師の夢見た理想郷は脆くも崩れ去ってしまったことは明白だ。

    結婚して西武沿線に所縁が出来たものの、どうしても馴染めず10年以上が経つ。それが何故かを問いたくて読んでみたものの、益々遠い存在へと追いやることになってしまった。

  • 昔は「団地」。自由と民主主義がテーマ。受験、みんな平等、学校現場、戦後社会の虚像、、、理想と現実、社会の意味とは?

  • ■一橋大学所在情報(HERMES-catalogへのリンク)
    【書籍】
    https://opac.lib.hit-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/1000138647

  • 滝山コミューン。多摩の小学校に打ち立てられた、生徒の班活動を基礎にし、民主主義という皮をかぶった異質性の排除。減点主義による締め付けはおぞましく、そのあり方はナチズムにも通じるような活動と思った。これが、先生やPTAの支持を受けて推進されていたのだ。理想の教育というものが難しいものであることを改めて感じる。生徒の自主性を重んじているつもりで、その実、大人の思惑を一部の子供に代表させて、子供たちを支配していたのだ。民主主義を考える上で、頭に置いておかねばならないことの一つであろう。

  • 1974年に行われた滝山団地の七小における全生研の「集団づくり」教育。それは、班競争を通じた個人よりも集団を重視するソビエト式教育であった。筆者が体験に基づきつつ、取材を通じて30年前の当時を振り返る。読むべし。

  • 時代のトピックと、小学校行事の一場面、強烈な自意識を抱える内向的な少年の目線と、大人になって俯瞰している目線。
    偏りなく詳細に書かれていて、ユニークな本。自分もほぼ同世代で、一時は団地にいたし団地の多い郊外のニュータウンで育っているので、手に取るように感じがわかる。作者同様、単に懐かしいとはとても言えない、しかし自分に強い記憶と影響を与えているあの時代と全生研教育。何とも言えないざわざわした気持ちをかきたてる。同質化圧力へのアレルギーと、しかしやはり無意識に大きな組織で常識的にふるまうことをも求める自分の原点でもある。

    <blockquote>P176 だが西武では、たとえ駅舎を改築して駅前をきれいにしようが、人工的な住宅街を作ろうが、あるいは狭山丘陵に遊園地やスキー場や野球場を開設しようが、沿線の郊外が帯びる独特の陰影まで消し去ることはできなかった。</blockquote>

  • ★こんな時代と地域があったのか★1970年代に盛んだった政治の季節が過ぎ去ったの後の小学校教育の歴史研究であり、同時に著者の自伝でもある。常に「私」の物語に回収される危険を気にしつつも、その影響は逃れ得ない。だからこそ逆に非常に興味ある内容になっている。しかし、ダメ班に対する嫌悪感の出口が、東急沿線と慶応の中学というのはプチブルへの回収とでも言われそうで皮肉だ。集団教育を指導した先生のその後をもう少し知りたくなった。

    著者とは一世代違い、暮らしたのも西武ではなく東急沿線だった。それでも団地に暮らし、中学受験をした感覚など随所に近しい部分を感じた。著者が日記を含めて当時をこれだけ鮮明に覚えていること、そしてソ連式とでもいうべき集団教育とそれへの違和感をはっきり感じていたことに驚く。選挙を経て児童会の役員をしていたがそうした雰囲気はみじんも感じなかった。実際になかったのだろう。

    もうひとつの大きな違いは、育ったのが団地だけで成り立つ地域ではなかったということだろう。造成地が周囲に残り、団地と戸建て住宅だけが並ぶ地域では、あまりにもはっきりとした区分があり、一体感は醸成しなかった。団地に対して先進的な感覚は全くなく、劣っている印象しかなかった。
    著者の例は極めて特殊だったのか?

  • 普通、小学校時代の思い出はわざわざ本にしようとはしませんし、記憶も鮮明ではなかったりするのですが、この本は鮮明な描写でポスト政治の時代である70年代初頭の日本の雰囲気を感じ取ることができるようになっています。天皇、鉄道、団地に詳しい政治思想史の学者が少年時代の思い出を振り返るとこうなる。興味深いノンフィクションでした。
    小学校時代のイベントの細かいイベントや気持ちの動きまで細かく記載されており、後半ではエース教師の生活指導改革が小学校全体に影響力が及んでいく様子に原少年と一緒に憤りを感じることができるでしょう。

  • 3分の1くらいは読んだけど、ごめんなさい。
    何が言いたいのか、何を書きたいのかよく分からなかった。
    今の僕には縁がなさそうな本だった。

  • ああ、そういうことだったのね、と腑に落ちる点も。

    時代のある部分を切り取っていることは確か。でも日本全国津々浦々の全てがこうだったわけではない、のも確か。

    あまり必然性がわからなかった。

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著者プロフィール

1962年生まれ。早稻田大学政治経済学部卒業,東京大学大学院博士課程中退。放送大学教授,明治学院大学名誉教授。専攻は日本政治思想史。98年『「民都」大阪対「帝都」東京──思想としての関西私鉄』(講談社選書メチエ)でサントリー学芸賞、2001年『大正天皇』(朝日選書)で毎日出版文化賞、08年『滝山コミューン一九七四』(講談社)で講談社ノンフィクション賞、『昭和天皇』(岩波新書)で司馬遼太郎賞を受賞。他の著書に『皇后考』(講談社学術文庫)、『平成の終焉』(岩波新書)などがある。

「2023年 『地形の思想史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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