ミノタウロス

著者 :
  • 講談社
3.57
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062140584

作品紹介・あらすじ

二十世紀初頭、ロシア。人にも獣にもなりきれないミノタウロスの子らが、凍える時代を疾走する。-文学のルネッサンスを告げる著者渾身の大河小説。

感想・レビュー・書評

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  • ロシア革命期のウクライナ。
    そのあたりの歴史に詳しくないので、何が起こっているのかはっきり分からないまま話が進んでいく。でもそれは、噂や肌感覚で世の中の流れを知るしかない主人公と同じなんだろう。
    革命の中心人物に志があるとしても末端にはそんなものはなくて、どっちへ行けば生き延びられるのか、ましなのか、それだけみたいだ。
    略奪はあまりにも激しく、未来を見ていない。酷いと思うけど考えなしだと馬鹿にする気は起きないし、なんかもう、それしか生きる術がないと思った。

  • 未熟の成せる生き方。成り上がりの父親のもとに生まれて途中までは何不自由なく育った主人公。けれど政局が危うくなり戦争が始まると、きれいに坂を転げ落ちて堕落してしまう。偶然知り合ったドイツ人と共に追いはぎをし、人を殺しながらその日その日の生活を送るようになる。明日の見えなさ、それがよくいう目の前が真っ暗な感じではなく、なぜだか絶望的なのにフラッシュの炊き過ぎで白くなった世界のように感じる。内省なんてないから言い訳もしない。けれど最後、彼は自分が「人間」のようにふるまえる部分とそうじゃなくなる境目を思い知る。何をもって人間とするのかという部分を描いていたんだとその時に気付く。だからミノタウロスなのか。

  • タイトル一本釣り。「ミノタウロス」ですよ、半獣半人ですよ。ものすごい示唆的。物語の設定は20世紀初頭、ロシア帝国南西部(現ウクライナ)。主人公の一人称で語られる混迷の時代、荒涼とした大地、そして堕落する自分への自己言及。

    一代にして財を成した父親が没落し、兄が首を吊り、故郷を逃げるように離れた主人公「ぼく」は、ただひたすらにその荒野を生き抜いていく。人を殺し、強奪した食物を喰らう。次第に「人間性らしきもの」はすべて削ぎ落とされていく。折りしも時代は第一次大戦の勃発した1914年。しかし、世相などまるで無関係に「ぼく」は堕ちていく。
    「人間性らしきもの」は消えつつも、「ぼく」が「ぼく」として言葉を繰り出していく様は、人間と獣の狭間をいったりきたりしているようで、その不安定さに、読者は惹き付けられていきます。で、結末、意義なき暴力への傾倒、そして死。ここは人それぞれの解釈になるでしょうけど、「ぼく」が人間として「ぼく」であり続けるための手段ではなかったか、と私は思うわけであります。生物中最も不条理な生物が人間であると仮定するならば、意義なき暴力なんてものは、まさに人間性を表現しているような気がするのです。そう書くとA・カミュの『異邦人』のテーマみたいなのだけれども。
    「読む」という行為が、思惟を伴うものであること、また、それが興奮するほど「楽しい」ことを感じさせてくれる作品です。

  • 一生懸命、紙飛行機を作りそれを飛ばすことで得意気になっていた子どものすぐ横で、「じゃっ!」と言ってジェット機で飛び立っていくパイロット。 子どもはジェット機にあこがれます。そして紙飛行機に失望し、それを捨ててしまう。私はそんな心境になりました。もちろん、パイロットとは佐藤氏のことで、私は子どもです。

    ただジェット機よりも、紙飛行機の方がいいと思う人もたくさんいるはずですから、とりあえず私は精一杯よく飛ぶ紙飛行機を作りたいと思いました。

  • なんというか、感想に困る。

    革命という時代を、政治的・社会的なものを一切そぎ落として、その時代のうねりの中で生きる、フツーの立場の人を描くと、こういう物語になるのかもしれない。革命の意味なんて、起こしている人間はともかく、巻き込まれている大多数の人間にはわからないものだ。とにかくひたすら、何をしてでも生き延びようともがいている。

    泥と血とあらゆる汚物の臭いがただよう荒廃した時代、転落してゆく主人公。淡々と一人称で語られる「ぼく」の獣性と人間性。手加減も容赦もなく描かれていく暴力に支配された世界なのに、乾ききって見えるのは、主人公の視線(と心情)のあり方のせいか。そんな若者のロードムービー的物語。まさに疾走。

    どばどば人が死んでいくのに、あまり陰惨な感じはしないし、人の命の重みも感じられない。人が人であるというのは、いったいどういうことなのか。けだもののように残虐で非道な行いを繰り返して生き延びようとする側からも、ぼろきれみたいにあっさり殺されて捨てられる側からも、そんな問いを投げかけられているかのよう。残虐なのに、たまに繊細なところが見え隠れする。結末は見えているけれど、ラストシーンの文章に衝撃。すごい。

    世界文学全集のどっかにするっと載っていそうな、そんな重厚で壮大な物語。

  • 救いがない。へこむ。でも文章があんまり圧倒的だから、もう何でもいい。

  • 何よりも驚くのは、この小説が翻訳された小説ではない、ということである。それ程に、この作家の描くロシアの大地にはリアリティがある。もちろん、それは日本人である自分のイメージするロシアなのであるけれど。

    ロシア人作家に特別の理解がある訳ではないので確かなことは言えないけれど、この小説に通奏するうねるような息の長いフレーズ感からは、たぶんにロシア的だと感じるものがある。それはチャイコフスキーやショスタコビッチの音楽の中に容易に見出される旋律と相通じるグルーブのような感覚を呼び覚ます。

    息の長いフレーズ、という表現は、少々誤解を招くかもしれない。何故なら、連なる言葉は決して長いブレスを必要とすることがないからだ。むしろ、間接話法で書かれた異国の言葉をこま切れにして並べたつたない訳文のようなリズムさえあると言ってもよい。その文章を読んでいると、本来は必要のない息継ぎを、むやみやたらに強要されるような切迫感が湧いてくる。結果、その文章は、軽い過呼吸症候群のように脳の酸素飽和状態を作り出す。

    あたかも翻訳された小説のよう、ということで村上春樹のことを思い出すのだが、そういう印象は村上春樹の小説を、何かニュートラルな位置へ固定する作用を引き起こしはするものの、どんなに村上春樹が米国文学的フレーバーを醸し出したとしても、その言葉の下に見え隠れする「何か」を米国的だと勘違いしたりはしない。ところが、佐藤亜紀の「ミノタウルス」は、頁の黒インクをこすり落とした下にキリル文字が浮かんできそうな程にロシア的なものを感じる。

    繰り返して言うけれど、あくまでも自分が思うロシアではあるのだ。吐く息も途端に顔の周りに凍りつくような寒気と、少しでも気温が上がればすぐにぬかるんで来る泥道、そこをギシギシと音を立てて進む馬車。二次大戦の、そして革命期の、白黒の映像から刷り込まれたロシアが自分の脳のどこかの細胞には蓄えられており、その記憶が佐藤亜紀の文章によって呼び覚まされる。

    うまい、という表現はあまり使いたくはないけれど、佐藤亜紀はなかなかうまい作家である。

  • この本はすごい!
    感想はこちら。

    http://yurinippo.exblog.jp/8156903/

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「この本はすごい!」
      ホント凄いです。。。
      佐藤亜紀の作品は、どれも息苦しくなるような重さを持っているけど、決して嫌な気分にはならない。祝祭...
      「この本はすごい!」
      ホント凄いです。。。
      佐藤亜紀の作品は、どれも息苦しくなるような重さを持っているけど、決して嫌な気分にはならない。祝祭的な部分があるからでしょうか、、、
      2013/08/06
    • yurinippoさん
      nyancomaruさん
      >祝祭的な部分が
      なるほど、そういうことかもしれません!
      読んだ後、ぐったり疲れるんだけどなぜか爽快な感じが
      祭り...
      nyancomaruさん
      >祝祭的な部分が
      なるほど、そういうことかもしれません!
      読んだ後、ぐったり疲れるんだけどなぜか爽快な感じが
      祭りの後とか、運動の後とかと似てる気がします。
      2013/08/09
  • ロシア革命前後のウクライナが舞台です。地元社会の崩壊をきっかけにあらぬ方向に突っ走っていく地主の息子と、それに合流するオーストリア軍の脱走兵の物語です。この2人の行くところ、まるで草木1本残らない。合い言葉は「(あらゆる意味で)やっちまえ!」といったところでしょうか(笑)。 標題の「ミノタウロス」が示すものは正直言って日本人にはイメージしにくいと思います。ギリシャ神話ではあっさり死んでる感じなのですが、暴虐と殺戮など、あらゆるダークサイドのイメージをはらむキャラクターと考えればいいでしょう。主人公は、現代小説では流行りの幼児期トラウマなどはどこ吹く風。ナチュラル・ボーンで堅気じゃないし、相方となる兵士もまともそうで壊れています。この2人が地元のギャング集団や軍隊の間をすり抜けながら生きていくさまは壮絶そのもの。とはいっても文体自身は格調高く、下品なところは皆無です。新潮社クレスト・ブックスにそっと入れられていても気づかないほどの良質の文体だと感じました。結末は救いのかけらも何もないのですが、なぜかほっとさせるような切れのよい結末です。 主人公と相方のキャラクター造形もさるものですが、前半で異彩を放つのが主人公の兄。もともと影が薄い存在なのですが、傷痍軍人として故郷に帰ってきた後の存在感の不気味さが重たくのしかかってきます。ビジュアルを想像すれば結構怖いです。おそらく、描き方は異なりこそすれ、桜庭一樹さんの「私の男」の目指すものといい勝負をする路線の作品だと思います。あまりに危険であるけれど、それが読み手の何かを惹きつけずにはおかない…といったところが共通するように感じます(自分のなかの毒に気づくというのも大切なことだと思っているので)。小悪党ものでも大悪党ものでもないけれど、疾走感あふれるダークな物語をこんなにキレイに読めたというのは驚きでしたのでこの☆の数としたいと思います。 [2007.9.17にAmazon.co.jpにアップしたレビューをこちらにもアップし、一部書きなおしました]

  • ●はー、ほへー、なんてこったい、とか言いながら読了。

    ●舞台は20世紀初頭、ロマノフ朝の弱体化が急速に進む中、社会主義勢力が勃興し、対外的には第1次世界大戦に参戦したことにより、よりいっそうの社会的混乱の下にあるロシア。
    ちょっと要領がよくて賢くて、贅沢ざんまいに育った地主の次男坊“ぼく”の目を通し、その混乱が映し出されてゆく。
    突き放した文体で、鮮やかに描写される冷酷非常きわまりない内容に心胆寒からしめられた、とか書くと、それっぽいですな。
    実際、ほんとに整った小説です。
    昔ながらの世界文学全集に、しれっと1巻載ってそうなくらい端整な筆致だし。

    ・・・でもねー、これ、ほんとは×ウス・パークみたいな話なんじゃねえの?(笑)
    いえ観たことないんですけどねサウ×・パーク。あれ、すげえロクでもないガキどもが、とんでもない悪さばっかしする話なんでしょ?
    したら、この小説と一緒じゃん。断言。←なんて乱暴な・・・・・。
    特に後半、いろいろやらかした後、逃亡生活に突入した“ぼく”と、ドイツ人少年兵(?)の鬼畜系クソ餓鬼ウルリヒと、農奴根性満点の卑怯卑屈な少年フェディコの極悪残虐三人旅のパートが、そんなイメージです。
    いやー、とってもすがすがしいスタンド・バイ・ミー☆ だよねー。(´∇`)←嘘つけや。

    ●アゴタ・クリストフの『悪童日記』あたりが好きな人は、読んでみてもよいかも。
    ただし、アレよりもなお救いがないっつか極悪っつか倫理観に欠けるっつか、ときに実に普通の人間らしい反応だよなあ、と思う箇所もあるけど、全体的にはさすが『ミノタウロス』を名乗るだけのことはある。
    なお、ミノタウロスは牛頭人身の怪物だが、この場合は人面獣心て四字熟語がより適合する感じ。さてはて。

  • まるで翻訳のような文体。もしかしてこの人は英語で書いてから日本語に訳したんじゃないかとさえ思った。フランス語で書いてから中国語に訳す サシャ(でしたか?)のように。東欧黒海近くの架空の都市を舞台とした 革命前夜の物語。支配するもの と 支配されるもの搾取するもの と 搾取されるものそこには高くゆるぎない壁があると思われていた。けれど本当はそこには一本の弱々しい線があるだけで、いとも簡単にその線を越えることが出来るのであった。革命 それは 過ぎ去ってから正義という名の元に正当化されるけれど、そこにある者にとっては殺戮と略奪と蹂躙以外のなにものでもない。ヒトにもケモノにもなれず 荒ぶる心をもてあますミノタウロスを救うのは永遠の死のみ なのかも知れない。

  • まさかの内容でした
    興味も関心もなく・・・
    ただただ終わった

  • (再読)閉じられた迷宮の中で彷徨った挙句に誕生する怪物、そして破滅。

  • ミノタウロスという作品名が物語る通りの、生立ちによって人生が決定されてしまった少年の話です。ミノタウロスのような怪物の話です。そして、時代に、国に、翻弄される人間たちの話です。とにかく切なくてやり切れない話です。

    戦争は自分でどうにかできるものではなく、生きるために人間は何だってするのです。革命であれ何であれ、戦いは良いことなんてひとつもないです。

    最後に殺戮を終えた主人公の少年がこれからの自分を想像する部分があって、生い立ちからあれこれを経てそこに行き着くという構図でこの作品は完成するのだと分かりました。それこそが最も伝えたいことなのではないかと思いました。残念なことに少年の夢は叶うことなく小説は終わってしまうけど。

    “ 帰る道々、ぼくは想像してみた。 一人なら、逃げ隠れするのも生き残るのもずっと簡単だ。だから取り敢えずこの冬は、無人を装った屋敷で越す。その後、春が来たら、ぼくは村娘と母親の畑を手伝ってやる。母親は嫌な顔をするかもしれないが、男手は有り難い筈だ。幸い、土地は幾らでもある。主たちは消え失せた。小さな小屋の前の小さな畑を耕して、ぼくはその畑から万事を始める。娘を女房にするだろう。子供だってごろごろ生ませるだろう。何人かがごろつきやあばずれになって家を離れても、何人かは地べたにしがみ付いて家に残るだろう。畑は広がり、うまくすれば作男を何人か雇って耕作させるくらいにはなるだろう。兵隊はやって来ては去って行くだろうが、何、ああいう連中のことは判っている。彼らは過ぎ去っていくものであり、ぼくたちはただ根刮ぎにされないように踏ん張って、頭を垂れていればいいのだ。”

  • 3年前位に贈呈されて読了。佐藤亜紀さんの受賞作としては3冊目なので期待して読んだら人外の物語。強奪、強姦、殺戮を繰り返す若者が死ぬまでの構成。彼等をミノタウルスだということなのだろう。

  • 「それでも、ぼくたちはまるで人間のような顔をして生きてきた。」と悟る場面が哀しい。人間っていつの時代も本質は変わらず同じようなことを繰り返してる、現在進行形で。

  • ロシア革命期のウクライナに地主の息子として生まれた主人公ヴァシリの、強奪、凌辱、殺戮にまみれた生涯。本作はヴァシリの悪党ぶりを描くピカレスクロマンというもののようだけど、個人的には少し穿った読み方をしたかも。つまりヴァシリをはじめとする登場人物は、単にその時代その場所に生を受けたがためにそうならざるを得なかったのではないか、と。衣食足りて礼節を知ると言うけれど、それらがまったく足りず、笑顔も幸福もない戦時の環境下で、逆にどうしたらヴァシリのようにではなく生き得たのか、とも感じた。

  • ロシアの田舎地主の息子が、ロシア革命という混乱の中で次第に人間から何か違うモノへと解き放たれていく様を圧倒的筆力で描いた大河小説。

    日本ファンタジーノベル大賞を受賞した『バルタザールの遍歴』以来、16年でいまだ8作という作家の新作、それも傑作が読めたのは幸せでした。

  • 配置場所:摂枚普通図書
    請求記号:913.6||S
    資料ID:50700352

    第42回吉川英治文学新人賞

  • 人名がとにかく覚えにくい。
    主人公の名前すら、後半になって出てきたような…

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著者プロフィール

1962年、新潟に生まれる。1991年『バルタザールの遍歴』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞。2002年『天使』で芸術選奨新人賞を、2007年刊行『ミノタウロス』は吉川英治文学新人賞を受賞した。著書に『鏡の影』『モンティニーの狼男爵』『雲雀』『激しく、速やかな死』『醜聞の作法』『金の仔牛』『吸血鬼』などがある。

「2022年 『吸血鬼』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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