傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを

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著者 : 矢作俊彦
  • 講談社 (2008年6月20日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (402ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062143943

傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーをの感想・レビュー・書評

  • <おーい、シょーケン!!>

     いまだにあのメロディーを口ずさんでいることがある。タラッタータタラタ タリタリタリララー♪

     あの小暮修が帰ってきた!

     で、なんと、矢作俊彦である。

     自分としては、これだけで充分なので、内容は見てのお楽しみ、ということにしたいのだが、結局、全編、亨を死なせてしまったことに対する修の気持ちが物語をつくっているように思えた。

     

     途中で「相棒」の映画の話もでてくる御愛嬌もあるし、綾部貴子も辰巳も健在で、なんと、健太もでてくる。そして新しい相棒も登場。続編も期待できそうだ。


     でも神代辰巳ももう他界してしまったし、岸田今日子ももういないんだよね。


     

  • TVドラマ傷だらけの天使は昔夕方の再放送で見ていました。ショーケンのオサムと水谷豊のアキラのコンビがかっこよかった。アキラが死んでから30年後にオサムが事件に巻き込まれその事件を解決していく。ストーリーはなかなか面白いし、オサム(当然かなりの年だが)の雰囲気も悪くない。もう少し切ない感じが全体的に出ていると、もっと良かったかな。

  • エンターテインメントとしてはおもしろかったが、これを「傷だらけの天使」でやる必要があったかというとちょっと疑問。

    直前に市川森一による脚本を読んでいたこともあるが、傷天の魅力って、街角の些細な事件を通して描かれる人間の情けなさや哀しさみたいなところにあると思う。

    どうしてもそこから離れられないため、話のスケールがでかくなった分、そういう肝心の部分が薄まってしまっているように思えて仕方がない。

  • 変わっていく街に、変わらない男が帰ってきた。男気があって情に厚く、無教養な臆病者――でも、そんな修ちゃんだから、生き抜いてこれたのかも。弟分のいない新宿。すれ違う『相棒』の面影。夢の島の件は息が詰まって平静に読めなかった。小説より映像っぽい書き方(視点とか)なのはちょっと惜しい。

  • 50代で、ホームレスをしている小暮修。賭けゲートボールで小銭を稼ぐ。
    ホームレス仲間が襲われた。自分と間違えられた。危篤状態。
    犯人探しに区役所の青年と暴力団事務所(サラ金)へ。昔の仲間がいた。
    若い女がもめている。車を盗み逃げる。高級車泥棒の外人を探す。
    その男が死んだ。
    六本木ヒルズに住んでいる綾部に会う。別れ際に100万円と40万のスーツ。
    外人達の集まる店。小暮修は仮想空間で伝説のヒーローだったので本人を探していた。

  •  これ思ったよりも面白かった。矢作さんの作品って、途中で支離滅裂になりがちで、しかもグダグダなのが多いんだが、最後まで辛抱してスリリングに書ききっていた!エライw

  • 2009/3/21購入
    2013/1/20読了

  • 50代になったコグレオサムの物語

  • あれから三十余年、オサムは新宿から離れて、公園で寝泊まりする路上生活者に。でも仲間が自分と間違われて殺され、真相を解明する為に新宿に戻る。友達だったヤクザ、外国人犯罪グループ、オサムを執念深く追い回す刑事、不良娘、オタク、色々テンコ盛りで入り乱れて話が進む。エンターテインメントとしては面白いんじゃないか? ショーケンが見えて来るかどうかは、読み手次第。オサムじゃなく、サブちゃんだったり、後々オトナになってお医者さんだったりするショーケンも見てるからね。でも、いつだったかトヨエツがオサムの役になってた映画よりは、それっぽいかも。

  • 作者は相当楽しんで書いているなぁ と。

  • なつかしー。ショーケン大好きでした。

  • 矢作俊彦は天才である。それで十分だな。

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    物語の序盤は「エッ?!あのオサムがホームレス?」って感じでのめりこむように読めたけど、中盤に差し掛かるあたりから(時代のオフセットを感じさせるためとはいえ)都内案内がダラダラと続いたのには閉口させられました。
    ともあれキャラや当時の番組のイメージを損なうことなく、楽しく読了させていただきました。
    「あーっ!あのメンバーで【30年後の傷だらけの天使】作ってくれないかなぁ…」と叶わぬこととは知りつつも、願わずにはいられないのが本作を読まれた方すべての感想ではないでしょうか。

    いやー、それにしてもコンビーフ缶をかじりながらトマトに噛りつき、牛乳壜のフタを口で開けるオープニングテーマの場面を真似をされた方って少なからずもおられるのではないでしょうか。
    (少なくとも私は若かりし頃、そのためだけにすべてのアイテムを買い揃えてやっちゃいましたが、それがナニか?)<Img Src="http://www.geocities.jp/chizuki/dialy/ehen.gif">


    <a href="http://www.geocities.jp/chizuki/Book_log/kizudarake.html" style="text-decoration:none"><font color="black">傷だらけの天使</font></a></p>

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  • 木暮修、コグレオサム。TVシリーズはビデオに撮っていなかったなあ。観てから読んだ方が絶対面白かったと思います。読みごたえありです。

  • この作品はなんと、30年以上前に放送されたTVドラマ『傷だらけの天使』の続編。

    そうと知ったら読まずにはいられなかった。
    『傷だらけの天使』は、萩原健一、水谷豊主演の、不器用な生き方しかできない若者を描いた、ふざけてて、下品で、やさしくて、感動的で、ハードボイルドな連続TVドラマだった。
    思い出すと「アキラぁー!」「アニキぃ〜」の声が聞こえる。子供のころ、話題になったドラマだった。とにかくBIGIの服を着たショーケンがかっこよかった。表情がよかった。働くようになったら、ぜったいBIGIの服買うぞ、と思った。水谷豊も見事なはまり役だった。いい味出してた。あれほどわくわくするドラマはなかった。

    あれから30年。小暮修は55歳。ホームレスになっていた。いまだ、亨(アキラ)の死を引きずったまま。そんなある日、仲間のホームレスが何者かに襲われ死ぬ。どうやら、修と間違われたらしい。修は、自分の身代わりで殺された仲間の落とし前をつけるため、そして自分が狙われる理由を求めて、再び新宿の地を踏んだ。

    ストーリーは現代社会を反映していた。修の頭ではついていけないIT世界を利用した犯罪。ちょっと違和感を持ったが、それでも修(萩原健一)が躍動する姿が目に浮かべば楽しく、嬉しくてたまらなかった。
    修が、奪った1964年型の7リッターV8、425馬力のTバードを駆るシーンには痺れた。
    残念だったのは、服。綾部貴子がみつくろったのは、ヒューゴ・ボスの白いピークド・ラペルのスーツに、タニノクリスティーの茶と白のコンビ靴、そしてボルサリーノ。上品過ぎる。修はタケオキクチの方がいいなぁと言ったのに、マルイに売っているような服なんてと却下された。ぜひとも青山の菊池武夫の店40CARATS&525で揃えてほしかったのに。

    この作品にはサプライズというほどでもないが、ちょっと粋な演出がある。捜査を続けていた修が新宿コマ劇場前に来たとき、向かいの映画館で『相棒』の舞台挨拶をやっていたのだ。看板にはアキラ、いや水谷豊、いや杉下右京の姿があっただろう。中学中退と東大卒、現実と虚構、過去と未来が一瞬溶け合う、嬉しい瞬間だった。

    蛇足だが、私は『相棒』の水谷豊にはいまだに馴染めない。アキラが最高だったから。

    総じて、この作品はあくまでかつてのTVドラマを毎週楽しみに観ていた人が対象になる。もちろん再放送を観て好きになった人も大丈夫。知らない人はきっと面白くないだろうから、読まないほうがいい。

  • 小暮修は生きていたのだ。ホームレス、いや宿無しとなってもなおあの頃の熱さを心の隅に持って。もう読んでいて映像浮かびまくりです。読んだ後本当に映画を観ていたようだった。綾部の婆ぁや胃下垂辰巳が登場するにいたっては、もうたまりません。久しぶりに「たまらん節」を唄ってしまいました。

  • なんか無理やり今っぽい事件に巻き込んでいるよう。

  •  100%読者の夢を実現させてくれる作品なんてあるはずがない。世の中を切り裂く作品は多くても、長い間ずっと思っていたようなことが実現するなんていうことは、あるわけがない。そう諦めてしまうのが当たり前である時代に、そうした諦念を笑い飛ばすかのように、本書は、まるで奇蹟のように、唐突にぼく等の前に出現する。それだけで、最早、もう涙、だ。

     萩原健一、ショーケン、小暮修という伝説に生きる世代が、日本には確かに存在するはずである。ぼくはこのドラマを人生で最も多感であった高校時代にリアルタイムで経験させられている。日々は『傷だらけの天使』であった、といっていい70年代であった。

     なぜあのドラマがぼくらの世代のバイブルとなってしまったのか。その理由なら、今でもいくらでも語り尽くせる多くのことがある。ぼくらはとにかく学歴偏重主義の教育ママに育てられ、三無主義、進学競争と何かと親の期待を背負わされていた世代であるかと思う。世代という言葉が最大公約数的な意味合いしか持たないので、個々には言い及ぶことができないことはお許し願いたいのだが。

     しかし、確実に世代、その傾向、その独特なる文化というものは存在するものであり、ぼくらの十代に小暮修と乾亨(いぬいあきら)というキャラクターは少なからず影響を与えたものである。まず学歴偏重時代に対し、中学卒業の修と中学中退の亨の生き方はまるでハンディキャッパーのようであった。あの高度成長時代に生きようとする文盲は衝撃ですらあった。

     しかし彼らは当時の青少年の心を捉える。汚れ、貧しい、都会の中で、とても深い情を示し合い、事件を理屈ではなく、天然のハートで受け止めるその青春のデリカシーこそが多くの青年の心を捉えて離さなかったのである。

     今、そうした時代が過ぎ行き、ドラマでも映画でも、あのピュアな、けだもののような若者の熱い塊を、カタルシスいっぱいに描く、エネルギッシュでラジカルなドラマなど、どこを探したって存在しない世の中、世代の代弁者である矢作俊彦という作家以外、このような形で現代と70年代のギャップを小説化できる才能は存在しなかったろうと思われる。

     だからこそ、あれから長い時間が経ち、未だに弟のように可愛がっていた亨の死を自らの罪と担い続ける修の姿が泣けるのである。この小説を今の若い人たちが読んでどう思うのかはわからない。少なくとも矢作が、市川森一の創出した世界を現代に甦らせた功績は言葉では言い尽くせないものがある。

     泣き、笑った。こういう読書は他にはあり得ない。持って歩き、団塊の世代や、ぼくよりも若い世代にも、本を示してどうだ、じゃーん! と見せると、ほとんどの人がえ? え? 何? それ? という驚愕に満ちた反応を示した。ほとんどのドラマファンは矢作を知らないかもしれない。でも表紙のショーケンの画像には、けっこうな反応を示してくれるのである。嬉しい。

     小説は、誰にでも勧められるくらい骨組みも精神もしっかりとドラマを今に受け継いでいる。それでいて知る人ぞ知るという遊びにも満ちている。サブタイトルにもなった「天使のハンマー」は1960年代に主にPPMのカバーで世界を席巻した曲である。

     ホームレスの小暮修が冒頭で食べる牛乳、コンビーフの缶詰、トマト、魚肉ソーセージは、ドラマのタイトルシーンのことである。小暮修が目覚めにかけている水中眼鏡も。

     さらに、手入れを受けるやくざが「七曲署か?」と叫ぶシーン、歌舞伎町の映画館では映画「相棒」の舞台挨拶が行われているシーンなど、どれも小暮修、乾亨ではなく、萩原健一、水谷豊という俳優陣の出演作品のパロディである。

     あの頃のドラマの役者たちは、小説生内でも確実に踏襲されているが、既に鬼籍に入っている西村晃は小説でも... 続きを読む

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