ヘヴン

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著者 : 川上未映子
  • 講談社 (2009年9月2日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062157728

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ヘヴンの感想・レビュー・書評

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  • 苦しくて、痛ましくて、二度と頁を開きたくないけれど、胸に突き刺さる物語。

    「ロンパリ」と、斜視で生まれてきたことが罪であるかのように罵られ、
    筆舌に尽くしがたい暴力に晒される日々を送る中二の「僕」。

    別れた父を忘れないための「しるし」として、敢えて汚れを身に纏い、
    「わたしたちは仲間です」と僕の筆箱に手紙を忍ばせ、
    自分と同じように苛めに静かに耐える「君の目がとてもすき」と言うコジマ。

    ふたりは手紙で心を通わせ、時にはふたりきりで会って励まし合いながら
    教室では目も合わせず、まるで弾圧下のキリシタンのように苛めに耐え続けるけれど

    「したいからするんだよ」「良心の呵責みたいなものなんてこれっぽちもない。」
    「僕にとっては苛めですらないんだよ」としれっとして言い放つ、
    苛めの影の首謀者 百瀬の態度に端的に表れているように

    人間サッカーボールとして蹴られて血みどろにされても
    暴力で報復しようなどとは露ほども思わない僕の倫理も、
    人を苛めるしかない人間のためにも、美しい弱さで苦難に耐え
    乗り越えることこそが自分の使命だと信じるコジマの自己犠牲も、
    酷薄な苛めを積極的に続ける人間には届かない。悲しいけれど。

    「理論武装」という言葉をそのまま3D化したかのような百瀬の
    自分が思うことと世界の間には関係がない、という主張はある意味正しいけれど
    だからといって、自分の価値観の中に相手を引きずり込めた方が勝ちと嘯き
    そのためには手段を選ばない、彼のような人間が病巣となって
    悪意が蔓延していくような世の中になったら・・・と思うと、ぞっとしてしまう。
    斜視で全てのものが二重に見えてしまう僕よりも、
    自己犠牲に酔って壊れていくコジマよりも、百瀬がいちばん病んでいる。

    雨に打たれ、痩せた身体を晒し、自己犠牲の恍惚の中で苛める側に微笑むコジマにも
    コジマが好きだといった斜視を手術で治してしまったことを懺悔するかのように
    はじめて像を結んだ世界の美しさを誰とも分け合えないと思う僕にも、伝えたい。

    身体の不自由さや、不幸な環境を敢えて維持して繋がって
    痛々しいほどの自己犠牲に耐えてまで、理不尽な苛めに対抗することなんてないんだよ。
    「目なんて、ただの目だよ。」と言ってくれたお母さんや
    たった1万5千円で済む手術の可能性を知らせてくれたお医者さんのように
    今、手に入れられるものを素直に健やかに受け入れて自分を救うことで
    大切な誰かに手を差し伸べられる人にだってなれるんだよ、と。

  • もし自分の子供がいじめられてたら、学校なんか行かなくていい、と言おうと思っている。
    では、自分が教師だったらどう言うだろう。いじめられてる子どもを守れるだろうか。ニュースや新聞で見るような無責任な教師には絶対なりたくないと思いつつ、どうすれば子どもたちを守ってあげられるかが分からずにいる。
    無闇に助けても、裏でいじめが悪化してしまうこともあるし、その場しのぎの仲直りなんて無意味だ。
    わたしが教師だったら、学校だけが全てじゃないと言うことしか出来ないかもしれない。
    学校という場所は、不安定な気持ちが子どもの数だけあるから、難しい現場だと大学で勉強をしながら、常日頃感じている。
    とても身近なものになってしまったいじめについて、もっとしっかり考えていかなくてはいけないと、強く考えさせられた。

  • *********************************************
    「ヘヴン」(川上未映子著/講談社)
    *********************************************

    川上未映子は神を殺した。

    「ヘヴン」は恐ろしい作品だ。それは単なるいじめに関する物語ではない。今回の評はその恐ろしさについて記したい。だからいわゆる「ネタバレ」などは気にせずどんどん書く。内容を知りたくない人はこの評を読む必要はないが、「ヘヴン」自体は是非手に取ることを勧めたい。

    簡単にあらすじから。

    +++++

    十四歳の主人公の「僕」は斜視で、中学で日常的にいじめを受けている男子。「僕」はあるきっかけで女子の中で「汚い、臭い」といじめを受けている「コジマ」と文通をするようになり、ときどき会っては心を通わすようになる。凄惨ないじめはとどまるところを知らぬが、「コジマ」はそれを「すべて意味のあること」と引き受けようとし「僕」に同志としての連帯と同調を求める。ある日、いじめによる怪我をみせに病院にいった「僕」は斜視が簡単な手術で治ることを知る。それを「コジマ」に告げると二人の関係にはひびが入る。「僕」がなんとか二人の関係を修復させたいと思っていた矢先に、「僕」と「コジマ」の関係がいじめっこグループにばれ、さらなる事件につながり物語はクライマックスを迎える。

    +++++

    さてまずは著者の川上未映子について。「乳と卵」で第138回芥川賞を受賞し一躍有名になった作家。

    彼女の小説は大阪弁をはじめとする独特の言語感覚が特徴的だ。気になる作家ではあったが、あの文体の方が先に来てしまって彼女の本来の価値が今ひとつ計りかねるというようなところがあった。

    しかし本作は彼女が恐らくはじめて変化をつけずド直球で勝負した長編小説。そしてその破壊力はかなりのものだ。

    あらすじにも書いたし、よく引き合いに出されるが本書では「いじめ」を取り上げている。「いじめ」が描かれる理由は色々あろうがいずれにせよ小説などの創作においていじめがテーマになる場合、その表現は目を覆いたくなるような凄惨なものでなくてはならない。さもなくばいじめの先にある苦悩や人間の本質を描くことなど到底できないからだ。

    そういう意味では本作では虫唾が走るようないじめがきちっと書き込まれている。そしてそのいじめの「加害者」と「被害者」の意識レベルの差も見事に表されている。

    しかし本書は必ずしも「いじめ」だけを題材にした小説ではない。もちろん「いじめ」は中心に置かれているが同時に「善悪とは」という哲学的な問いかけもなされている。

    あまり指摘されていないようだが、本書では主人公の「僕」の他に二人の重要人物がでてくる。一人はいうまでもなく「コジマ」だが、もうひとりはあらすじには名前は登場してこないが「百瀬」といういじめっ子グループの一員だ。

    「僕」へのいじめの中心には二ノ宮という男子がいるのだが、「百瀬」はいじめグループの中でどこかクールで超然とした雰囲気を持つキャラクターとして描かれている。

    あるとき「僕」は病院の待合室でたまたま「百瀬」に遭遇し、高ぶる感情を抑えきれなくなり思わず彼に詰め寄る。そこで「百瀬」は「僕」の詰問にことごとく反論する。

    ***

    「権利があるから、人ってなにかするわけじゃないだろ。したいからするんだよ」

    「放っておいてほしいと君が感じるのはもちろん百パーセント、君の勝手だけど、まわりがそれにたいしてどう応えるかも百パーセントまわりの勝手だ」

    「君のことをロンパリと呼んでるのも知ってる。でもさ、そういうのってたまたまのことであって、基本的なところでは君が斜視であるとかそういったことは関係ないんだよ。君の目が斜視っていうのは、君が苛めを受けてる決定的な要因じゃないんだよ」

    「たまたまっていうのは、単純に言って、この世界の仕組みだからだよ」

    「君の苛めに関することだけじゃなくて、たまたまじゃないことなんてこの世界にあるか?」

    「僕の考えに納得する必要なんて全然ないよ。気に入らなきゃ自分でなんとかすればいいじゃないか」

    「なあ、世界はさ、ひとつじゃないんだよ。みんながおなじように理解できるような、そんな都合のいいひとつの世界なんて、どこにもないんだよ」

    ***

    「百瀬」は答えていく。自分がいじめている相手から一対一で詰問されて応えるにしては異様な冷静さだ。そこで読者ははじめて気づく。「百瀬はジョーカーなんだ」と。

    ジョーカーとはもちろん映画「ダークナイト」のジョーカーのこと。

    「ダークナイト」でのジョーカーを「血も涙もない残酷な冷血」と描写する人もいるが、おそらくそんな単純なキャラクターではないだろう。ジョーカーは絶対的な善とか絶対的な悪なんてものは果たして存在するのかといテーゼを人々に突き詰めるキャラクターなのだ。そしてそれは色々なところで指摘されるようキリスト教的価値観に対するニーチェ的挑戦である。

    「百瀬」はジョーカーだったのだ。善悪という価値判断の世界を超越したひとつの現実世界の象徴なのだ。

    このことは本書を解くのに、そして川上という作家を考えるのにおいてとても大切な点だ。川上は哲学に傾倒していたと公言しているが、日本人の小説家でキリスト教的善悪観をニーチェ的コンテクスト上で否定し、これほど見事に小説を構成する作家はなかなかいない。それは同時に「いじめ」というとても根深い問題を善悪という二元論から切り離して考えなけばいけないという川上からの警鐘でもある。

    その役割を担った「百瀬」は独特な存在感を持ったキャラクターに仕上がっている。それでも「百瀬」は「ダークナイト」のジョーカーほどの輝きを放たない。なぜなら本書の狂言回しは「百瀬」ひとりではないからだ。「百瀬」との対立軸上の対称に存在するキャラクターがいるのだ。それが「コジマ」だ。

    先述のとおり「コジマ」も「僕」同様いじめられっこだ。「僕」が斜視でいじめられているなら「コジマ」は不潔と悪臭で嫌われている。しかし「コジマ」は自分が服や体を洗わないのは蒸発した父親を忘れないようにしているだけだという。そして「コジマ」と「僕」は汚くしているという事実と斜視という事実で仲間としてつながっていると主張する。

    「コジマ」はこの主張を教条主義的に、原理主義的に貫こうとする。そしてそれを貫くことによっていじめを乗り越えられると信じている。その証拠に物語が進んでもいじめが改善されないと次は自らを保つことに加え断食に近いことをすることによって困難を乗り越えようとする。

    いうまでもなくこれはキリスト教における信仰により贖罪を得ようとする行為に他ならない。その証拠に「コジマ」はいう

    「そういう神様みたいな存在がなければ、色々なことの意味がわたしにはわからなすぎるもの」と。

    また断食にまで至り「コジマ」はなんともいえない強さを増していく。信仰の力だ。そして信仰の先にあるのが「ヘヴン」なのだ。

    繰り返しになるが本書は単なるいじめの物語ではない。いじめにより「僕」が死をも考えるほどぎりぎりの状態に追い詰められる。ぎりぎりの状態まで追い込まれたとき、つまり生を突き詰めたときに人間が拠るべきは宗教的普遍なのか実存なのかを問うてる物語なのだ。それを神を信じる「コジマ」と実存を象徴する「百瀬」という二人の狂言回しが引っ張っているのだ。

    そして本書で川上は明白に結論を出している。

    ラストで受難に耐え続けていた「コジマ」の自我は崩壊し、「僕」は純化されたものの象徴だった斜視を捨てるのだ。そうして川上はニーチェばりに高らかに神の死を宣言するのだ。

    しかし川上の巧みさはこれだけでは物語を終わらせない。

    斜視を捨てた「僕」は何を得たのか。それは立体的な視野だった。物語は立体的な視野を得た「僕」がいじめから抜け出すことを暗示している。つまり「僕」は斜視という肉体的特徴を正すことによっていじめから抜け出すのではなく、立体的な視野を得ることによって初めてていじめに向き合えるのだ。こういう形で小説としてもきちっといじめという題材に決着をつる技量は見事だ。

    それでも最後「僕」の目からは涙がとめどなく溢れる。彼が捨てたのは斜視だけではなかった。彼はそれと同時にやはり純化された何かを失ってしまったのだ。そうすることによって今後いじめにうまく立ち向かうことができるかも知れない。しかし損なわれた「ヘヴン」は永遠に取り戻すことができないこともやはり「僕」は気づいていたのだ。

  • 胸がざわざわする。

    いじめがテーマ、という時点で、
    気が重いな、直視したくないなあ、と思うのはきっと
    私だけじゃあないはずで。

    主人公くんは斜視で、それを原因にいじめられているんだけれど
    それにはきっと理由なんかないよ、
    仕方ないだろ、ただお前はやり返せないんだろ
    それだけなんだろうと言い切る「たまたま強者でラッキーな」いじめっ子サイドの百瀬くん。
    それには意味がある、わたしたちの護っているものは美しい弱さで
    誰もがいつかそのことに気付く、と信じ込むことで
    自分を守ろうとする、同じくいじめに遭っているクラスメイトのコジマ。

    この物語の主人公はなんというか、あくまでも猿回しで
    百瀬君とコジマちゃんの存在感がやっぱり圧倒的。

    いわゆるいじめのシーンも盛りだくさん、
    リアリティも盛りだくさん、
    ただしそれを、誰かしらの行動によってではなく
    思想によってのみ進行させていくという物語の形は新しい。
    そして、読んでいてつらい。
    タイトルに反して、救いの予感なんてぜんぜんなくって、
    ページをめくりたくない、とすら思いながら読んだ。

    最初のところ、コジマから渡された手紙は
    6Bの鉛筆で書かれたような文字でうすく書かれていて、
    何かを切らないと正気を保てないといったかのじょに、
    なら僕の髪をきればいいよと主人公が言うシーンなぞは
    美しい友情ここに極まれりという、この物語でいう絶頂の時なのですが
    そこからは下降の一途です。
    コジマは弱さと儚さのかわりに強さと狂信を身につけ、
    主人公はそんなコジマと相いれないものを感じる。
    百瀬君に抗議してみるも、たまたま運のいい彼の、諦観ともいえる
    理論を論破できない。

    百瀬君の理論は、
    彼がそういうふうに生まれてついているから
    たまたま言えるだけであって、
    驚くほど他者への想像力が欠落していて、それを仕方がないものと
    思っている彼のような存在たちは、一度、手ひどい目にあわせなければ
    わからないのかもしれない、とまで考えてしまう。

    なんていったらいいのかな、
    誰もが目を背けたいところに、体当たりでぶつかられてきたので、
    つい目を向けなくちゃあいけなくなりました、という感じ。
    意欲作だと思うし、問題作だと思うし、きちんと文学している。
    話題になるのもわかるし、評価されるのもわかる。

    ただ個人的にはもう読みたくない。
    このなかに目新しいなにかを見つけられたわけではなかったし。

  • 人間のありかたと社会との関わりを根本的に問い直す本。読みやすい文章で率直に様々なことが書かれている。乳と卵の前衛性とは随分違った、率直で正統派の雰囲気に驚かされた。
    内容は、端的に集約すれば、コジマの主張と百瀬の主張にある。しかしこの本はその正反対なあり方のどちらを取るかに重きが置かれているわけではなく、両方の間揺れ動きながらただ結末を迎える。コジマの主張は揺るぎなく強く美しいが、現実味を欠いた部分があり、特に最後のくだりではひとりよがりさも露呈したかな、という印象。一方の百瀬は、達観していて現実的だが、どこまでも冷酷ではっきり言って人間の情のようなものがかけらもない。こちらも、自分は自分、世界は世界というある意味のひとりよがりの側面も見える。どちらが正しいとかではなく、極論に近いものをふたつ並べることで、自分の求める真理や正義のようなものに近づいていくという姿勢は非常に学問的であり文学的であり、ストーリーも面白い上ここまでの内容を含むという本はなかなかないと思う。
    個人的には、あえて語られていない様々な伏線が気になります。僕がトイレで聞いた二ノ宮と誰かの声。体育の授業をいつも休んでいる百瀬が病院にいた理由。百瀬の妹について。二ノ宮の百瀬への過剰な反応。またコジマや僕の家庭環境についても、描写はあったけれどもまだまだ設定はあったのに出し切っていないような、そんな印象を受けました。小出しにするのがとても上手い。ひとつ言えるのは、百瀬はかなり死に近いものとして存在しているかもしれないということ。それこそが百瀬の主張を固める素材なんじゃないかなあ。どちらにしろ、色々な側面から見てとても上質な小説だった。もう一度読みます。

  • 私が言葉に出来なかったことが、この本に書いてあった

  • 重い・・・。
    色を感じない本でした。
    見えるのは血の色と、アロハシャツの色。

    装丁って、本そのものなんだなぁ・・・。

  • 良かった。いや、読んでる最中はいじめの描写が辛かったけど。
    聖痕のことだったんだな。しるしって。全然気づかなかった笑
    コジマは悟りを開き、百瀬は達観している。でもどちらも未熟で偏ってる。主人公が健全なことに救われる。周りに引きずられ、惑わされ、でも、極端に偏らない。
    大人は頼りにならないけど、大人に頼れば解決することはそれでも意外とある。世界は子どもが思うよりは広いんだよ。と、この子たちに言ってあげたい。

  • 苛める人間と、苛められる人間が存在してしまう理由、どの強さが本当の強さなのか、どうあるべきなのか。
    どの答えも、肯定も否定もせず書いているところが良い。

  • クラスで男子から陰湿ないじめを受けている僕。同様に女子からいじめを受けるコジマがいた。2人は手紙を通じて、隠れて会うようになる。互いに心の拠り所は出来たが、いじめはエスカレートする一方。そこへ、ある出来事をきっかけに2人は気持ちがすれ違い始め-。

    いじめを題材にした本作。生々しいいじめシーンはやっぱり読んでいて苦しい。教室という狭い空間で生きる、いじめる側・いじめられる側それぞれの言い分と世界観。ここではない別の世界に行くには、そんな方法しかなかったのか。

    不条理さと、何とも言えない苦々しさが後に残る。

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ヘヴンの作品紹介

「僕とコジマの友情は永遠に続くはずだった。もし彼らが僕たちを放っておいてくれたなら-」驚愕と衝撃、圧倒的感動。涙がとめどなく流れる-。善悪の根源を問う、著者初の長篇小説。

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