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この作品に関連する談話室の質問
この作品からのみんなの引用
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「寂しさってのは、両方で分かち合うものじゃないんだ。自分は寂しがってても向こうはそうでもなかったり、その逆のパターンだったり……。片思いみたいなものだよ。だから、寂しいっていうのは、相手がそばにいないのが寂しいんじゃなくて、なんていうか、そばにいない相手が、自分が思うほどには自分のことを思ってくれてないんじゃないか、っていうのが寂しいっていうか……その寂しさが寂しいっていうか……」
― 227ページ -
十字架の言葉は、背負わなくちゃいけないの。それを背負ったまま、ずうっと歩くの。どんどん重くなってきても、降ろすことなんてできないし、足を止めることもできない。歩いてる限り、ってことは、生きてる限り、その言葉を背負い続けなきゃいけないわけ。
― 63ページ -
ひとを責める言葉には二種類ある、と教えてくれたのは本多さんだった。ナイフの言葉。十字架の言葉。「その違い、真田くんにはわかる?」~(中略)~「ナイフで刺されたときにいちばん痛いのは、刺された瞬間なの」十字架の言葉は違う。「十字架の言葉は、背負わなくちゃいけないの。それを背負ったまま、ずうっと歩くの。どんどん重くなってきても、降ろすことなんてできないし、足を止めることもできない。歩いているかぎり、ってことは、生きてるかぎり、その言葉を背負いつづけなきゃいけないわけ」
― 62ページ
みんなの感想・レビュー・書評
いじめ、そしていじめによる自殺、自殺した人達の残された家族、加害者、加害者の家族、周囲の人々…
自殺を新聞記事等で目にする度になんとなくその背景が気にかかってはいましたが…やり切れない思いです。
背負ってしまった十字架をはずせる日なんて来ないんだろうなぁ…と思ったり。
本当にいろいろ考えてしまう。
子どもを持つ親となって、自分が子どもの時以上に“いじめ”に対してナーバスになってしまいます。大人以上に子どもって残酷な部分も持っているしね…。
とにかくいろいろ考えました。
結論は出ないけど。
「ぼくはみんなの生け贄になりました」そう遺書を残して自殺した少年。そしてその遺書でお礼をいわれた少女と親友と呼ばれた少年。残された者たちは「何もしなかった」という罪を持って成長していく。
重い話。こんな経験をしたら心が強くなるだろうなと思ったけれど、正直、現実に体験したくはない。
数年前に訪れたことのあるSkogskyrkogårdenが出てきたので驚いた。単なる偶然なんだけれども、見知った場所がひょいと物語に登場すると、なんだかうれしくなる。
「残された家族は大変だろうな」自殺という言葉をニュースなどで目にするたびに、感じることではありました。
遺書にフジシュンが、どんな想いを込めたのか。堺くんに対する報復なのか、思いやりだったのか。ユウくんには?サユちゃんには?
死んだらおしまい、遺されたものは推測するしかないのでしょう。色々な想いを背負いながら。
死がもたらす負の連鎖を目の当たりにしました。それは、時に死よりも、重いのではないでしょうか。
うーん、このテーマを最後まで書ききる精神力が凄いと思った。
主人公以外の周囲の生徒の心が、結局フジシュンの記憶をとどめて行かないであろうことから目を逸らさないところがリアル。
さゆちゃんと僕は、フジシュンをきっかけに出会い、フジシュンを理由に一緒に生きて行けなかったんだな・・。
描かれ方としては自伝めいたものかなあ、という。
見て見ぬふりもいじめみたいなフレーズは良く聞かれますが、でも実際自分がそうしたいじめの場面に遭遇してしまったら、同様に見て見ぬふりをするんじゃないかな、と思います。
そしてフジシュンの自殺後、結局はフジシュンの心境が一切語られてないのも凄くリアルだなあとおもいました。
どういうつもりで親友と書いたのかはかり知れるところではなかったですけど、そのことによって主人公は他の子達とちがう心境でいきてきたものだし、大変とひとことで表すのは良くない気もしますが大変だったんだろうなあ、って。
他者から非難をうけても他人事だから言えるんだ!とおもってしまいます。
フジシュンにとって主人公は【憧れ】の存在だったから親友と書いたのかなあとちょっとぼんやり…思いの一方通行もかなしいですよね(´;ω;`)
いじめが原因で自殺した少年の遺書に<親友>として名前が書かれていた少年の背負った十字架のお話。
変わらないものなんて、きっと無いんだろうけれど、「あのひと」がフジシュンの行きたいと願っていたスウェーデンの「スクーグスチルコゴーデン」に一人立つ描写は、変わらない美しい風景を書き留めているようだった。
読みながら、これはだれが悪かったのだろうかと考えていた。誰にも相談をせずに死んでいったフジジュン、フジジュンの問題に気付くことができなかった家族、いじめを行った加害者、見て見ぬふりをした主人公と中山とクラスメイトたち。このひとが悪いとは一概にいえない。だれにでも悪い点があるのだろう。 フジジュンが自殺したことは事実として残るけれど、それは紙のようなものに油性ペンで書き込むことのような、そんな事実... 続きを読む »
この気持ちをどう表せばいいのか。
背負った十字架の重さ。背負わざるを得なかった十字架がもたらす想い。
思春期から別れを経て、親となった時に感じる感情。
まだ自分の中では、この想いを昇華しきれるだけの準備が整っていないのか。どう表現すればいいか、分からない。
月並みですが「考えさせられる」作品でした。
いじめを見て見ぬふりをしていたやつが一番悪い。
しかしその傍観者は何をすればよかったのか、何をすることができたのだろうか、
その答えは書かれていません。
それを考えるのは読者自身だ、ということでしょうか。
とても悲しいお話。
重松清らしい。
大きなものを背負って生きていく人たち。
見えないふりをしてもいつまでも消えることのないもの。
大なり小なり誰もが抱えてるものだけど、あまりにも切なすぎる。。
苦しい。。
正直、最初の方は読んでいて辛くなりました。
いじめを苦に自殺した中学生、いじめていた同級生。
そして何もしかった、クラスメイトと「親友」の主人公。
言い訳が自分の中に重なり、本当に重かった。
原因は一概には言えないんだけれど、総てが原因になり得るし
みんなが一番悪い訳じゃなくて、でも悪いんだ。
読み進めて、主人公と同じく涙は出なかったのですが
「親友」の理由を知り、涙が出ました。
悪意も善意も何もなく、ただ純粋なだけだったんだろうな、と。
たった今読み終えたのですが、ネットで十字架を見てみようと思います。
寒い国の、針葉樹に囲まれた中で、
曇りの空のしたに引き締まる凜とするような風景が全体的に入ったお話だな、と思いました。
私の中の「あのひと」像かもしれませんが。
罪を背負っていきていくってつらい。ましてやもう償えない罪だと。知らない間に背負わされたものだと。
重松氏の作品はいくつか読んでいるが、他の作品と同様の香りのする作品。
読んでいる途中、少ししんどくなった記憶が。
まぁ、泣いたんですけどね。
実家に置きっぱなしの本。
何度も胸がざわめいて、何度も鼻をすすった。
こんなに感情移入をしたのは久しぶりだし、フィクションでこんなに悲しい気持ちになったのも久しぶりだ。
見殺しをした「僕たち」と見殺しをされた「家族」。
色んな人の色んな思いが描かれているけれど、父と母を支えた弟のケンちゃんに特に込み上げるなにかがあった、と思う。
忘れたくても忘れられない一冊になるだろう。
深い。
いじめのターゲットになった少年を"クラスのいけにえ"と表現している作者をすごいと思う。まさに。
そのいじめを苦に自殺した少年の"親友"とされてしまった少年に投げ掛けられる,おとな達からたくさんの言葉が本当に考え深くて。
命の重さを改めて知る。
―――人を責める言葉には,ナイフの言葉と十字架の言葉の二種類がある。
初めての重松清氏の作品。
重いテーマだったな。
罪からの解放、っていうのかな。
でも結局、罪の意識からは一生解放されることはないんだね。
人を死なせるっていうのは、結局一番罪深いことなんだね。
そう考えると、私は、いじめられてる人を助けたいし助けなきゃいけないって思うけど、きっと自分に被害が及ぶのを恐れちゃうと思う。
一応、ハッピーエンディングで良かった。
私も森の墓地に行ってみたい。きっと綺麗なところなんだろうな。
重いテーマ。ただ見ているだけでも、加害者になる「いじめ」。善と悪。立場や考え方で被害者と加害者が入れ代わる。十字架を背負って生きること。人の命は、やはり重い。

中学2年生でいじめを苦に自殺してしまった少年をめぐる長い物語。
少年の遺書に登場した4人のクラスメイト、少年の家族、少年のクラスの担任、その事件を取材するマスコミなど、多角的な状況を描き、事件の影響...






