十字架 (100周年書き下ろし)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (322ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062159395

作品紹介・あらすじ

第44回(2010年) 吉川英治文学賞受賞
あいつの人生が終わり、僕たちの長い旅が始まった。人気作家が大きな覚悟をもって書き下ろした、最高傑作

感想・レビュー・書評

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  • 改めていじめは決してしてはいけないものだと思った。

  • 「十字架が立っているのは、僕が書いてきた物語の丘だ」(重松氏)
    あいつの人生が終わり、僕たちの長い旅が始まった。
    背負った重荷をどう受け止めればよいのだろう。悩み、迷い、傷つきながら手探りで進んだ二十年間の物語。中学二年でいじめを苦に自殺したあいつ。遺書には四人の同級生の名前が書かれていた。遺書で<親友>と名指しをされた僕と、<ごめんなさい>と謝られた彼女。進学して世界が広がり、新しい思い出が増えても、あいつの影が消え去ることはなかった。大学を卒業して、就職をして、結婚をした。息子が生まれて、父親になった。「どんなふうに、きみはおとなになったんだ。教えてくれ」あいつの自殺から二十年、僕たちをけっしてゆるさず、ずっと遠いままだった、“あのひと”との約束を僕はもうすぐ果たす――。
    人気作家が大きな覚悟をもって書き切った最高傑作!
    【講談社100周年書き下ろし作品】
    「Amazon内容紹介」より

    心の苦しみは、結局は当事者にしか分からないこと.結局人間は孤独なのだ.完全に理解することは不可能だし、人がもっている感情は、ことばで表されるものだけではなくて、ことばにならないものもある.ことば、はことばにして発した時点でそのことばがもつ意味にしばられる.
    ほんとうのこと、をいつも言うことが正しいのではなくて、時というのがあって、その時がこないことばもきっとある.閉じ込められることば、というのもきっとある.でも、それでもなお、ことばを発して理解しあえる部分を日々増やしていく.重なっても重ならなくてもそれは営々と続く.
    関わりのある人の死は、それが起こる前と後で非常なる心境の変化、環境の変化をもたらす.近しい関係であればあるほど.忘れることなんてできない.
    十字架を背負う、と言うけど、心の中にあるそれは錨のように心に突き刺さっているものなんじゃないかと思う.

  • 重苦しくて重苦しくて、
    途中で立ち止まるのが嫌で
    最後まで無理やり読んだ。

    これが本の中の事ではなくて、
    現実の場合もあると思うと
    吐き気がする。
    ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、拭えない事。

    言えないことはある。
    学校は毎日楽しいよ、と言われたら
    親は信じるしかなく。

    『青い鳥』の村内先生が、やっぱり必要で、
    そうなりたいと思う。

  • 酷いいじめに遭っていた同級生のフジシュン。
    同じクラスだったけど、裕は助けなかった。
    助けた事により自分が標的となる事が怖かったし、なにより頑張って「そんなに深刻じゃない」と思いこもうとしていた。

    そして、そのクラスメイトはある晩自宅の柿の木で首を吊って自殺してしまう。残された遺書には「真田裕様。親友になってくれてありがとう。ユウちゃんの幸せな人生を祈っています」と書かれていた。

    特別仲が良かったわけではない。もちろん自分自身はフジシュンを親友として認識していなかった。なのに遺書に書かれたことによって以後何十年も遺族と向き合い、責められ、自分も責めることになる。

    同じく遺書に書かれたのは、フジシュンが思いを寄せていた中川小百合。裕は自分と同じく渦中に放り込まれた彼女と身を寄せ合うように付き合う事になり、でも性的な接触は一切拒まれ、自分たちは過去に背を向けるためにお互いの目を見つめていたのだと気づいて別れる。

    裕はフジシュンの父親のことを「あの人」と呼ぶ。フジシュンの死んだ後で出会ったから「おじさん」とは呼べなかった。その人に「親友だったんだろ?何故助けなかった」と静かに責められる。

    これは、自分がある程度年を取ってから読んだから色んな見方が出来るのであって、もう少し若かったら「あの人」の事を責めていたかもしれない。今なら「あの人」の気持ちも分かる。自分の子供を自殺で亡くすような壮絶な経験をした事のない私でも想像できる気持ちだ。

    最後に息子を持った裕は気がつく。
    フジシュンと自分は親友だったんじゃない。
    フジシュンが自分と親友になりたかったのだと。
    憧れの気持ちを持っていてくれたのだ。

    「いじめ」といっても色々あり、受け止め方も色々とあるのかもしれないが、いじめる側の経験をした人間には、のちに辛い十字架を背負うという運命が待っているのだと、少なくともそう信じたい。

  • いじめを苦にして自殺した生徒の家族と、遺書で「親友」と書かれていたもののそこまで親しい関係ではなかった生徒の交流や葛藤の話です。
    亡くなった人とは当然対話ができない分、食い違いや受け止めきれない想いがあった時の苦悩は相当なもので、
    残された人たちが自殺の事実やその思いを消化するには大変な時間がかかるものだなと、なかなか重たい気持ちで読み進めました。

  • 12月発売の「十字架」を読みました。
    テーマは「いじめ」。
    でも、いじめた張本人もですが、周りにいて何もしなかった人が主なテーマ。
    人として大切なことは何なのか、重松氏が今まで言いたかったことを思いっきり書いた作品でした。
    主人公のユウ君とサユちゃんがせつなすぎます。
    きっとライターの「田原さん」は重松氏自身だと感じました。
    ちょっと重い作品ですが、重松氏の世界に引き込まれます。
    大切にしたい本です。

  • 『感想』
    〇どうしても親の視点で読んでしまう。そうすると”あの人”の気持ちを想像し、考えてしまう。

    〇自分が不幸に思うことについて、関わりのある相手に十字架を背負うことを果たして求めるだろうか。もちろんその不幸の中身によるけれど、自分が不幸だったから相手も不幸になれと恨むことは、意味があることなのだろうか。

    〇相手の口から許すと言ってもらえない環境は、つらいな。自分で判断するのはつらい。相手の家族の気持ちを考えたりすると、更につらい。

    〇何か共通のものがある者同士は仲良くなれる。だがそれはお互いにとってプラスのものならば前に進んでいけるが、お互いマイナスのものが同じだということで安心を得ているだけのものならば、本当の意味でお互いが惹かれ合う関係にはなれないんだな。

    〇客観的にものが見えるようになるだけの時間が大切なのかな。

    『フレーズ』
    ・親は、学校で起きたことをこの目で見るわけにはいかないんだよ。だから信じるしかないんだ。ウチの子は元気でやってる、毎日を幸せに過ごしてる・・・。だから親はみんな子どもに訊くんだ。学校どうだ?毎日楽しいか?って。(p.232)

    ・心配するのは、親の仕事だ。でも、子どもを信じるのも親の仕事だ。だったら、子どもが、学校は毎日楽しいよ、って言ったら信じるしかないだろ。(p.233)

    ・わたしたちはみんな、重たい荷物を背負っているんじゃなくて、重たい荷物と一つになって歩いているんだと、最近思うようになりました。だから、降ろすことなんてできない。わたしたちにできるのは、背中をじょうぶにして、足腰をきたえることだけかもしれません。(p.313)

  • マスコミは〈いけにえ自殺〉と名付けた。
    中学二年生で、いじめを苦に自殺をしたフジジュン。
    遺書の中に「ぼくは皆さんのいけにえになりました」とあったからだ。
    遺書には四人の同級生の名前が書かれていた。
    親友になってくれてありがとうと名指しされた僕・真田裕。
    許さない。呪ってやると…三島と根本。
    ごめんなさいと謝られた彼女・中川小百合。
    ありがとう。ゆるさない。ごめんなさい。
    その三つの思いを書き残して、フジジュンは死んでしまった…。


    フジジュンは僕の事を親友と呼んでくれた。
    小学生頃は確かにしょっちゅう一緒に遊んでた。
    幼馴染だけど、親友ではない…。
    僕は、クラスのいじめをただ黙って見ていただけだったのだ…。
    謝られた彼女は、フジジュンからの電話を素っ気なく切ってしまってた…。
    遺書に名前を出された四人は一方的にフジジュンの思いを、
    背負わされたままその後の人生を歩む事になった。
    フジジュンの人生が終わり、僕たちの長い旅が始まった。

    中三に進級し、高校に進学し遠くの大学へと進学し故郷を離れる。
    フジジュンは中二のままなのに、ドンドン年齢を重ねてゆく僕達。
    悩み、迷い、傷付き、足掻きながら手探りで進んでゆく。
    綺麗ごとや、美しいばかりの物語ではなく、
    その年齢毎の幼さを丁寧な心理描写で描いてた。
    その姿に、少し腹立たしさを感じたり、でも中学生だったら…。
    高校生だったら…。そうだよなぁって思いを馳せました。

    フジジュンの死から二十年の時を追って、遺書を残された両親や、
    遺書に名前を書かれた子供達が、重い荷物を背負いながら、
    歩んでゆく姿を、丁寧に描いてた。

    時間は時には優しく、時には残酷だ。
    どんな事件でも当事者でないと、忘れてゆく。
    親友として好きだった人として名前を書かれた裕と小百合。
    進学して世界が広がり、新しい思い出が増えても決して、
    フジジュンの事を遠く感じる事があっても…消え去る事は無かった。
    二人の姿は、やはりとても真摯だったと思う。
    残されたフジシュンの家族・両親と弟の姿も
    とても、とても辛く苦しい姿でした。
    家族が一人欠けるって事は、こんなにも長期間影響を与えるのかと、
    まざまざと実感させられました。深く考えさせられました。

    裕が息子を通じて、親友という言葉に込められた思いを知り
    慟哭するシーン涙がこぼれました。わかって良かったね。
    フジジュンが最後の地と決めてたスウェーデンの「森の墓地」
    の風景を心の中で思い描いてるラスト…とっても良かったです。

  • いじめは幼稚な響き……云々、のくだりに共感。私は現在15歳の女子(四月に高校進学予定)。小学時代いじめを受けていました。十字架の言葉と、ナイフの言葉。私はナイフで抉られ、多数の同級生から傷付けられ、誰を憎むことも罵ることもできず(相手が集団だから)、いつまでも尾を引いた複雑な痛み。――自殺したいぐらい、傷つけられたから分かるけれど、心から〝許す〟ことなど不可能。ただ記憶が風化するだけ。鮮明に憶えていたいのに風化してしまう、そのことが悲しい。被害者でも加害者でもなく、傍観者から書くから切ない物語。



    以上は読書メーターさんに登録した分。この本を読んで、絶対に目を逸らさない決意を改めてすることができた。当時のことは、辛いのであまり振り返らないのだが、私の原点ではある。きついけど、この本のお陰ですごく考えさせられた。

  • #読了。中学校の同級生がいじめを苦に自殺。遺書にはいじめの首謀者の他、親友として名前が書かれていた真田祐。何故自分だけの名が親友として書かれていたのか。同じく遺書に名を書かれていた女性・中川と葛藤の日々が続く。

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著者プロフィール

重松清
1963年岡山県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。91年『ビフォア・ラン』でデビュー。99年『ナイフ』で坪田譲治文学賞、『エイジ』で山本周五郎賞、2001年『ビタミンF』で直木三十五賞、10年『十字架』で吉川英治文学賞を受賞。著書に『流星ワゴン』『疾走』『その日のまえに』『カシオペアの丘で』『とんび』『ステップ』『きみ去りしのち』『峠うどん物語』など多数。

「2023年 『カモナマイハウス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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