末裔

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (306ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062167376

作品紹介・あらすじ

家族であることとはいったい何なのか。父や伯父の持っていた教養、亡き妻との日々、全ては豊かな家族の思い出。懐かしさが胸にしみる著者初の長篇家族小説。

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、家に帰って『鍵穴はどこにもなかった』と玄関扉の前に立ち尽くすことになったらどうするでしょうか?

    いや、どうするも何もないですよね。仕事で疲れて家に帰ってきたというあなた、一刻も早くシャワーを浴びたい、晩御飯を食べたい、そして疲れたので早く寝てしまいたいと思っているのに玄関扉が開かない。その理由が『鍵穴』がないなんて全くもって意味不明です。

    悪戯で『鍵穴』に接着剤を流し込んで開けなくしたというニュース報道がありました。とんでもないことをする人がいるものだと思いますが、一方でそれは『鍵穴』を塞ぐ行為です。『鍵屋に電話をすれば』なんとかしていただけるのだと思います。それが、『異物が詰まってるとか?』ではなくて、『鍵穴そのものがないんですよ。朝はあったのに、帰ってきたら』『鍵穴がなくなっちゃったんですよ』なんて電話で言われたら、『あのねえ、こっちも仕事でやってるんだから、そういう冷やかしみたいな電話されても困るんですよ』とまともに取り合ってはもらえないでしょう。今の世の中、そんなファンタジーのような話をのんびり聞いているほど暇な方はいないと思います。

    さて、ここに、現実論は別として、『鍵穴そのものがない』、『帰ってきたら鍵穴がなくなっちゃった』という目の前の光景を前に戸惑いの中に立たされた一人の男性が主人公となる物語があります。『もう定年が見えている。出世もしていないし、仕事そのものが打ち込めるものでもない』というその男性は『勤めから帰ってきたのに家に入れない』という現実を前に困惑の極みに陥っていきます。この作品は、そんな男性が『人がどんどんいなくなる家だった』と、そんな家で過ごしてきた日々を振り返る物語。そんな中にバラバラになってしまった『家族』の存在を思う物語。そしてそれは、そんな男性が行き詰まりを感じてきた今までの人生を振り返り『何かを始めるということ』という言葉の先に続いていく未来へと一歩を踏み出す瞬間を見る物語です。

    『鍵穴はどこにもなかった』と、『いつもと何ら変わりはな』い『木製のドア』を見つめるのは主人公の富井省三(とみい しょうぞう)。『そんなばかなことがあるものか』と、『二、三度チャイムを鳴らしてみたが、もちろん誰が出てくるわけでも』ありません。『もちろん鍵は手の中にある。しかしその鍵が受け入れられない』、『鍵穴だけが消えてしまった』状況に、省三は『閉め出された』という今を思います。『鍵穴がなくてドアが開かない。勤めから帰ってきたのに家に入れない。何故にこんな間抜けな羽目になるんだ』と嘆く省三。『一戸建ての住宅なのだから』庭から入るという選択肢はもちろん考えられるものの『ゴミ屋敷』と言われ裏庭へ抜けるのは不可能という状況。雨が振り出し、『僅かにつき出ている軒』に立つ省三は、『人がどんどんいなくなる家だった』という我が家を思います。『姉と弟とはこの家で育った』という省三は、父親が『五十代半ばで事故死した』ことをきっかけにこの家に『家族』と戻ってきました。しかし、母親に『認知症の兆候』が出始め『施設』へと入ったものの『もはや省三が誰かもわからな』くなっていきます。一方で、妻の靖子は『膵臓癌の診断を受けて入院』、帰らぬ人となりました。そして、『一周忌が過ぎた頃』、『お父さんへ。仕事と住むところが見つかったので家を出ます』というメモを残して娘の梢枝も家を後にします。『あれから三年』、『死んだ父親の年齢も超えてしまい、もう定年が見えている』という省三は我に返り、『鍵屋に電話をす』ることを考えますが、『鍵穴そのものがないんですよ。朝はあったのに、帰ってきたら』と説明するも『冷やかしみたいな電話されても困る』と言われるだろうと諦めます。結局、息子の朔矢に電話した省三ですが、『どっか泊まるしかないんじゃないの』と言われてしまいます。やむなく『新宿通りを四谷方面に歩きはじめた』省三は『ふと強い視線を感じ』ます。『向こうから歩いてきた』『格闘技をやっているかのような体格』の男に身構える省三。そんな省三に『あの、すみません』と声をかけてきた男は省三のことが『気になった』と続けます。『あなたのことでお話ししたい』という男と『地下街に下りる階段を二、三段下りたところ』に座った省三が『あんた何者なんだ』と訊くと『乙と呼んで下さい』と返す男は『梶木川乙治』という名前を名乗り『占い師をしてい』ると説明します。くたびれてすっかり『警戒心が枯れ果てた』省三は『今からチェックインできるホテルはないかな』と乙に訊くと『千駄ヶ谷ですけれど。よければご案内します』と小さな建物へと案内されました。『「ホテル・プレクサス」と、看板が出てい』るホテルへと案内された省三は『ゆっくり寝て下さい。昼頃お迎えに来ます』と乙に言われ、『なぜだ』と返そうとしますが、先に乙にこんなことを言われます。『青い鳥があなたを待っているんです』。そして、ベットに横になった省三は一日を振り返ります。『消える鍵穴なんて聞いたこともない。どうなってるんだ』、そして『乙とかいう男…いんちき野郎に違いない』と思うも『今はどうにもできない』と思う省三。『家に入れないなんて、そんなことがあってたまるか』と思う省三のどこか不思議な日常が淡々と描かれていきます。

    “家族であることとはいったい何なのか。父や伯父の持っていた教養、亡き妻との日々、全ては豊かな家族の思い出。懐かしさが胸にしみる著者初の長篇家族小説”と内容紹介にうたわれるこの作品。世の中に数多の小説があるとはいえ、『鍵穴はどこにもなかった』という全くもって意味不明な書き出しで始まる小説というのも強烈です。作家さんによってはこの状況が何らかの犯罪事件に繋がっていくという展開も考えられますが、『鍵穴だけが消えてしまったのだ。富井省三は、閉め出された』というどこか事件の緊張感のない描写がこの作品がファンタジーであることを匂わせてもいきます。そんな作品を三つの視点から見ていきたいと思います。まずひとつ目は比喩表現の数々です。三つご紹介します。

    ・家から閉め出されてしまった自身のことを『切手シートからミシン目で切り取られた一枚の切手のようだ』と思う省三は、『使いそびれて事務机の中に忘れられ、裏面の糊にはホコリがついている』と自身を例えます。『薄くて頼りなく、形状は同じなのに収入印紙と違って軽んじられる。五十円とか八十円とか百円とかの価値をついうっかり忘れてしまう』と比喩します。
    → これはあなたにもピンとくるのではないでしょうか?引き出しの切手。これってどうしたんだっけ?と思うも捨てるのも気が進まず、かと言ってどこか適当に扱ってしまう感覚。『定年が見えている』ものの『出世もしていないし、仕事そのものが打ち込めるものでもない』という今の省三を見事に言い表しているように感じます。

    ・『人がどんどんいなくなる家だった』という我が家を思う省三。ついには省三まで入れなくなってしまった家のことを『次々に人が出て無人となった家は、そうだ、言うなれば遺跡のはじまりである』と言い放ちます。『小さきパルミラ、小さきカッパドキア、小さきナン・マドールである』と具体的な遺跡に比喩する省三。
    → 確かに『遺跡』は人がずっとい続けたなら『遺跡』にはならなかったはずです。人が一人いなくなり、また一人いなくなり…という先に誰もいなくなった場所となり、『遺跡』と呼ばれるようになって現在に至ります。これも上手いところを絶妙に突いた比喩表現だと思いました。

    ・『南側にある庭は幅三メートルくらいのどぶ川に面している』と家の横を流れる川を思う省三は、『夏場はよどんでひどく臭う。風情のかけらもない川だ』と言い切ります。『岸辺に下りる道はないし、もちろんそんな酔狂なことをする人間もいない』という川のことをこんな風に例えます。
    → 『あの川だったらダリの時計が流れていたって不思議はない』。おおおっ!まさかの『ダリの時計』の登場です。クネクネに曲がった『ダリの時計』を知らない方はいないと思いますが、そんな時計が『流れていたって不思議はない』と言い切る絲山さん。『鍵穴だけが消えて』しまう世界観にはどこか似合う光景にも感じてしまうから不思議です。

    サラッと書かれる『ダリの時計』という表現も洒落ていますが、他の独特な比喩表現もなかなかに興味深い喩えです。

    次に二つ目は、『犬』があちこちに登場するところです。犬好きでいらっしゃる絲山さんですが主人公の省三は大の犬嫌いです。『俺の大嫌いな、けたたましく吠える生臭い生き物』とまで言い放ち『犬』のことをこんな風に表現します。

    『依存心を売り物にして飼い主には媚びへつらい、要求があれば吠えたて、足手まといになり、他人には敵意をむき出しにする、飼い主に少しでも落ち度があればたちまち偉そうにふるまい誰も手出しできなくなる、家畜として生産性ゼロの生き物。真面目で利口そうな顔をしておきながら実は習慣と手続きと損得勘定でしか動かない』。

    いやあ、犬が嫌いという人もいらっしゃると思いますが、ここまで言うこともないでしょ、という位の言いようです。一体『犬』にどんな恨みがあるんだ、あなたは?と訊きたくもなりますが、絲山さんはここに意味を持たされます。こんな風に『犬』のことを罵った省三はふと気づきます。

    『自分のことのようだ』。

    嫌いだと思うことは意識することです。そこに、自分自身を投影していることに気づくという瞬間。そんな風に見ると、『犬』がさまざまに登場するこの作品の各場面が違う意味をもっても見えて来ます。そして、この作品は上記の通りファンタジーでもあります。ファンタジーに登場する犬にまさかの瞬間が訪れます。『すると犬は答えた』というビックリ!なその瞬間。他にもこの作品にはファンタジーだと再確認させられるシーンが多数存在します。これから読まれる方には、ファンタジーだぞ!と意気込むのではなく、なんだか日常の中に当たり前に展開してしまう独特なファンタジー世界の描写にご期待ください。

    そして、最後に取り上げるのが、内容紹介にも” 懐かしさが胸にしみる著者初の長篇家族小説”と書かれる通り主人公・省三と『家族』との繋がりを描く部分です。『定年が見えている』ものの『出世もしていないし、仕事そのものが打ち込めるものでもない』という省三は、家庭にあってもどうもパッとしない存在として描かれています。『膵臓癌』により急逝した妻の靖子、そして息子の朔矢と娘の梢枝が残ったわけですが、就職せず『バイトが忙しいと言って、寝るため以外には滅多に帰って来な』くなった梢枝にどう対峙したら良いわからない省三は、梢枝との間に『会話らしきもの』がない日々を送ります。

    『何で俺がそんなに嫌われなければならないのか。俺は家庭のために尽くさなかったか。俺はそんなに悪い父親だったか』。

    『妻がいなければ娘に口もきけない』という現実に悩む省三。一方で朔矢との関係は悪くないものの妻の香奈恵との関係が上手くいかず、なかなか会うこともままならない日々を送る省三は、そんな香奈恵が、省三の嫌いな『犬』を飼いたがっていると知って『嫌犬権』=『犬を嫌う権利』はないのか、と朔矢にこぼす始末。そんな省三が『消える鍵穴なんて聞いたこともない。どうなってるんだ』というファンタジーな展開の中に、息子や娘と関わり合っていく様が描かれていきます。そんな『家族』との繋がりを描く中に、過去を振り返り、過去を見遣る中に、先祖の存在が浮かび上がっても来ます。そして、『末裔』という考え方をふわっと登場させていく絲山さん。まさかのファンタジー設定を、そんな風に展開させるのか!という物語がそこに描かれていきます。決してスッキリとはしないその結末、ファンタジーがファンタジーで終わるその結末の一方で、リアルな『家族』の繋がりが描かれる物語はなんとも不思議な余韻を残してくれたように感じました。

    『富井家の末裔は堕落した。俺だけじゃない、日本中の知識人の末裔が堕落したのだ。だが、それはなぜなんだろう』。

    『末裔』という普段あまり使うことのない漢字二文字の言葉を書名に冠したこの作品。そこには、『定年が見えて』きた一人の公務員が体験することになる不思議な日常が淡々と描かれていました。『消える鍵穴なんて聞いたこともない』というまさかのファンタジー世界を舞台にしたこの作品。その一方で『家族』に絶妙に焦点を当てるこの作品。

    終始、夢と現実を行ったり来たりするような摩訶不思議な物語世界の描写の中に『鍵穴』が消えたことの意味を深く考えてもしまう、そんな作品でした。

  • 自宅の鍵穴がなくなる、というところから始まる主人公を取り巻く家族の話。なくなった妻、音信不通の娘、親しかった父方の親戚、母方の親戚、どんどん引き込まれて私自身もなぜか懐かしくていっぱいになる。佐久の風景を描く描写が読んでいてきもちよかった。

  • なんと不思議なお話。自分の家の扉の鍵穴が無くなるんだから。向こうの国とこっちの国が交流する。過去と現在が交流する。

  • 「村上春樹で読むべき本がなくなっても、我々には絲山秋子がいるから大丈夫」みたいな紹介文をどこかで見て、関心がわいて、読んでみました。いやー、おもしろかった! ユーモラスななかに深い洞察が垣間見えて、またそのうち再読したいと思いました。【2023年8月21日読了】

  • 100ページ目あたりまで来て涙が出てきて困った。そこからまた50ページぐらい進めるとまた涙が・・・

    私は絲山さんのものの中では「海の仙人」が一番好きで何度も読んでいるが、「末裔」は「海の仙人」に近いものを感じさせた。この本もこれから何度か読むことになりそうだ。

    絲山さんがご自身の「絲山」という名前の由来について語っているのを読んだのはどこの文章だったか。それを読んだ時に「先祖」といったような言葉(もしくはそれが誘発するイメージ)に対して格別な思いを持つ作家であるのだなと感じたことがある。

    私の亡くなった父方の祖父なども教養人というわけではなかったように思うが、その本棚に大岡昇平の「レイテ戦記」などが入っていたのを見て、これを昔祖父も読んだのだろうか、という気持ちと、これを読んで祖父が得られたものは私に伝わってきているのだろうか? 伝わってなかったとしたら祖父の死と共にこの本にまつわる思いも消え去ってしまうのだろうか、という思いを抱いたことがある。

    小説を書く動機というのはいろいろとあると思うが、過去に出会った人の歴史を残しておきたい、という欲望も一つだと思う。亡くなっていく人の記録を残していくのは、まさに今生き残っているものにしかできない仕事であるからである。そのような強い意志を私はこの小説から感じ取り、個人的にだいぶ心を揺さぶられた。福田和也さんが「海の仙人」の解説で書いているように、絲山さんはとても「倫理的」なものを感じさせる小説家なのである。

    奥泉光さんはどこかで「歴史というのは書かれないとなくなってしまうのです」と発言されていた。そんな言葉も「末裔」を読みながら頭をよぎった。

    小説のラストへの向かい方に見られるサービス精神のようなものも「海の仙人」などと共通していると感じられた。

  • よかったです。(*^_^*)58歳、公務員の省三。妻に先立たれ、息子と娘は二人とも家を出ているし、しかも、どこかちぐはぐな関係。と、誰にでも、自分もそうなるのでは…と、背中からすぅすぅするような寂しい予感を持たせる設定なのですが、その彼が「会社」から帰宅した自宅には鍵穴がなくなっていた!!!家に入れず、(その家も妻が亡くなって以来、近所でも鼻つまみモノのゴミ屋敷なのだけど)ふらふらとさ迷い歩く省三。実体があるのかないのかわからない者に声をかけられ、泊まる場所は日々確保し、また、ほとんど「会社」を休まないで勤め続けるところが、哀しいような、可笑しいような。叔父が住んでいた鎌倉の空き家にいた、オキナインコのルネが囁くつぶやきが絶妙に物悲しく、可愛らしい。また、死んでしまった黒い犬が水をねだる様子も、何の象徴なんだろう、と考える必要もないような存在感で好きだった。自分は先祖の「末裔」。その危うさがそのまま人間の立ち位置の不確かさとして提示され、なるほどね・・・と。わけのわからない不安が支配している話なんだろうに、妙に面白く、ふわっと柔らかい気持ちになれた。これはもう一度、時間をかけて読みたい。

  • 生きている人間は修正が利くが、死んだ人間のことなんか間違えて覚えていたらそのまんまじゃないか。

    今までは気持ち半分で両親や叔父母の先祖についての話を聞いていたがこの一文で先祖についての意識が変わりいまは先祖についての話を深く聞きたいそう思う。
    鍵穴が消えているという不思議な出来事から省三の中の心境が少しずつ変わっていく物語。不思議な点はいくつかあるがそれも読み切るまで違和感は感じなかった。そう言うところを自身で噛み砕くのもまた一つの楽しみではないか。私はまだ若輩で省三ぐらいの年齢で読んでいたらもっと違うように思えたのかな、そう思いまたきたる時に再読したいと思った。

  • 文学

  • 47:「家の鍵穴が消滅する」という不条理。幻想的な雰囲気と世知辛いリアルの狭間で、細い糸を辿るように自らのルーツを遡る主人公。絲山さんの作品に特有のブラックさより、佐久の地で見た雄大な空に代表されるような開放感を強く感じました。自分の前にも後ろにも、目が眩むように大きく広い流れがある。「そう考えたら俺なんかまるでどこにもいないようなもんだ」と誰もが感じ、その誰もが流れの一部を作っている。壮大で雄大で、まさに「末裔」というタイトルが相応しい、家族の物語でした。

  • 妻を失い、子供達にも構ってもらえない主人公の男性の話が、鬱々と進むのに、最後の展開についていけなかった。
    結局、人間は基本、楽観的ってことかな。

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著者プロフィール

1966年東京都生まれ。「イッツ・オンリー・トーク」で文學界新人賞を受賞しデビュー。「袋小路の男」で川端賞、『海の仙人』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、「沖で待つ」で芥川賞、『薄情』で谷崎賞を受賞。

「2023年 『ばかもの』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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