- Amazon.co.jp ・本 (354ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062168366
作品紹介・あらすじ
一九六六年(昭和四一年)、東京・国分寺市で一人の主婦が被害者となった強盗殺人事件が発生した。四日後に逮捕された二二歳の犯人・長谷川武は、裁判でさしたる弁明もせず、半年後に死刑判決をうけ、五年後には刑が執行された。その長谷川死刑囚が、独房から関係者に送っていた手紙が残されていた。とくに事件の捜査検事だった土本武司は、当時、手紙に激しく心を揺さぶられ恩赦へと動き出そうとしたほどだった。人が人を裁くことの意味を問う、注目のノンフィクション。
感想・レビュー・書評
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内容(「BOOK」データベースより)
一九六六年(昭和四一年)、東京・国分寺市で一人の主婦が被害者となった強盗殺人事件が発生した。四日後に逮捕された二二歳の犯人・長谷川武は、裁判でさしたる弁明もせず、半年後に死刑判決をうけ、五年後には刑が執行された。その長谷川死刑囚が、独房から関係者に送っていた手紙が残されていた。とくに事件の捜査検事だった土本武司は、当時、手紙に激しく心を揺さぶられ恩赦へと動き出そうとしたほどだった。人が人を裁くことの意味を問う、注目のノンフィクション。
死刑制度に関する本は何冊か読んでいるけれど いくら考えてみても是非の答えは出ない。でもどちらかというと死刑廃止論者ではないし 世の中の凶悪な事件に対して無意識のうちに「応報刑」の考え方を持っていたと思います。
しかしこの本を読んで人が人を裁くことの難しさを考えさせられ 立場の違いで考えは正反対な意見にもなり得るなぁと思いました。
この感想を書く前に以前テレビで放送された〝「死刑裁判」の現場 検事と死刑囚の44年 捜査検事に届いた死刑囚からの手紙9通〟を観て土本検事の気持ちにとても共感しました。テレビ番組で土本検事の苦悩がよくわかります。
あの時代の検事としての判断は間違ってなかっただろうし 「死刑制度がある以上、特段の事情がないのに死刑を執行しないのは法治国家を破壊する」という意味もよくわかります。
現在ならきっと死刑判決はでなかっただろうと思うし 更生出来る人だったんじゃないかとこの本を読んで強く感じました。
「もう一歩、深く重いところで人の命を考えると、できれば(死刑制度は)ないほうがいい」と語っていて 人としては違う結論になってたかもしれない。
裁判員制度が始まって数年経つが 死刑制度や裁判に関する事についてほぼ無知な人達が人を裁いてもいいのだろうかと改めて思いました。
数年前に子供の同級生のお母さんが裁判員に選ばれたと聞き 人ごとではない身近なことに感じていた時期がありました。人を裁くなんてとても考えられず 自分の出した答えが他人の人生を左右させたと嫌悪感を抱きながらその後の日常を過ごさないといけない苦悩に耐えられるのか...
けれど以前「死刑執行人の苦悩」を読んだ時にも思いましたが 世の中には誰かがしないといけないことをやっている人もいるんだよなぁ...と...
殺人を犯していい理由なんてどこにも見つからない。けれど人が人を完璧に裁けるとも思えない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
刑罰は何のためにあるのか。
私自身、積極的な死刑廃止論者ではないのですが、今までこの問いについて考えたことはありませんでした。つまり無意識のうちに「応報刑」の考え方を採っていたわけです。
筆者の緻密な取材のもと、血の通った人間として浮かび上がってくる青年の姿。
いつ訪れるかわからない執行の時を待つ青年。
文鳥を愛し生命への畏敬の念を取り戻した青年。
満たされなかった母への愛情に真正面から向き合った青年。
そして命を命で償っていった青年。
こんなにも改悛の情を見せた彼は、果たして本当に極刑に値したのか?
わからない。
例え懲役刑であったとしても、彼は同じように改悛しただろうか?
それも、わからない。
わかりようがない。
わからない我々が唯一出来るのは、考え続けることだけ。
逃げず目を逸らさず、議論し続けることだけ。
裁判員に選ばれる前に読めてよかったです。 -
人が人を「裁く」ということはどういうことか。
一人の死刑囚を追いながら、その難しい問題に真正面から向き合ったルポルタージュ。
途中、何度も何度も泣けた。
人が人を裁くことの限界、何が正義か、何をもって償いとするのか、深く深く考えさせられた。
この長谷川武死刑囚に関わった裁判官、検事、弁護士、周囲の人々そのだれもが、彼を死刑にすることが本当に正義なのかを自問していたという事実が、人が刑罰を与えるということがどういうことなのかを如実に表していたように思う。
事件の被害者がいて、その命が奪われたことは理不尽で、遺族の悲しみも当然、加害者は罰せられて当たり前なのだ。そうなのだ、理屈ではわかる。そうなのだが、でも。
取り調べに問題があって、情状酌量も満足にされず、充分な審議もされず、改めて事件を掘り起こしてみれば、必ずしも死刑が妥当とは思えない死刑囚が、誰の目から見ても充分に反省し更生し真摯に自分の罪を受け入れている時、果たして彼を死刑にすることが本当に正義なのだろうか。
法の名の下の「殺人」をすることが本当の正義なのだろうか。
検察の取り調べの問題、司法の在り方、そして人が人を裁くということの難しさ。
「死刑」とは何なのか。何のための刑罰なのか。
教育し更生させるための罰なのか。犯した罪に対する報復のための罰なのか。
そこの部分の議論が圧倒的に足りていないのではないのか。
犯罪が起きた時、それを犯人個人の責任に押し付けるのは間違っているのかもしれない。
社会の何かがそういう犯罪者を生んでしまったという責任を、社会を作っている私たちが負うという意識をもたなければならないのかもしれない。
裁判員制度は、その負担の大きさが取りざたされるが、社会を作っているものの責任として、その負担を負うことは必要なのかもしれない。 -
前著「死刑の基準」同様の確かな筆致で、のめり込むように読了しました。「死刑の基準」では、展開に粗い部分があって少し残念な読後感でしたが、本著はノンフィクションの醍醐味を十分に味あわせてくれる力作です。
「彼の死をもって裁かれたのは、彼を囲んだ人たちだったのかもしれない。」著者のこの言葉に、読者である私達の人生も裁かれているように感じました。
著者には、加害者と被害者家族との視点からの死刑についての次作品を期待します。 -
死刑制度について、死刑囚から死刑を宣告した裁判官や検事あてに届いた手紙から考える。
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40年以上前の事件。事実と背景を淡々と追った良書。
→文庫化(講談社文庫) -
続けて堀川惠子さんの本を読む。
じゃぁ被害者の立場は?という思いはあるけれど、それでもやはりわたしは簡単に死刑制度が存続するべきだとは言えない。
何度もうなづける言葉が出てきた。
特にあとがきの「そして、私たち」の中の文章は、うむうむと思って読む。
人が人を裁くことの重み。
そこにある背景。 -
著者が後書きできちんと断りをいれているように、この本は意図的に被害者を除外して綴られている。
被害者を絡めるならば、この本とは別にもう1冊書く必要がある、という著者の断り書きは正しい。
刑罰の理想論として、「更生罰」という考え方があるようだが、これは机上の空論にすぎず、基本的には「報復罰」であるのが正しいと思う。
「更生すること」が目指す理想であるならば、刑罰は罪の重さに関係がなくなってしまう矛盾がある。 -
裁判員制度のニュースも、気になっていたけれど死刑判決の是非についてまで考えなかった。無知の涙に繋がるもの、格差、貧乏、という人間らしく生きる権利の保障こそが、犯罪をなくす事になるということ。簡単ではないが、そういう視点を持つことが大事と教えられた。しかし、難しい❕