- Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062170024
感想・レビュー・書評
-
T図書館
2011年の本で、10年経った今、がつがつやっていた時代とそぐわない部分があるように思う
一方で、誠意ある細かな心配りで結果を出しているお二方は経営者の鑑だ
一生懸命な姿勢がないと経営が成り立たないのも事実だ詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
見城さんの熱い仕事感を感じることができる一冊。
男子たるものは一度戦って負けてもやめてはならない。二度目三度目の戦いの後でもやめてはならない。刀折れ、矢尽きてもやめてはならない。骨が砕け、最後の血の一滴まで流して、初めて止めるのだ。
キリスト教を布教した新島襄の言葉。1番刺さりました。 -
今までの人生がなんて生ぬるかったのかと考えさせられた!
自分も努力してきた方だと思ったが、努力の本質が全く違っていた、これが圧倒的努力というものなのかと思い知らされた!
ひとつひとつが胸に突き刺さる数々の名言。
仕事で難題にぶつかったり、メンタルが弱った時に読むことによって自分自身を鼓舞させています!
-
見城徹と藤田晋の仕事哲学。ストイックでエネルギアな内容に危機感を煽られた。
見城徹が抽象的な言葉を、藤田晋がそれをベースに具体的内容にカスケードしていくという構成になっている。この対比が空きさせずに面白い。 -
すた丼みたいな一冊。若い時はこういうのガツガツ読めたのに、30半ばにもなると食い入るようには読みきらない。下手に歳を重ねてるもんだから、こういうエネルギッシュなのは図書館で借りで丁度いいな。買って本棚には置きたくない。
この感情なんなんだろう。書いてあることは正論だし忘れてたようなものもあるし今一度徹底しないとなで収まるんだけど、なんでも吸収して同期のあいつより目立ってやるぞーとかいうのがなくなって、家庭とのバランスとりながら長く細く働くぞーに変わった。それに伴って、自分が長く細く働くために必要なスキルが、土台づくりではなく専門性の強化に変わった。とめどない野心が公私バランスの調整に変わった。そりゃ同じ文章でも読み方変わるよね。経営者として社会でのしあがって、途方もなく刺激的な毎日を過ごす人生に憧れないことはないけど、それでもなお憂鬱なんだったらいいやってなる。自己顕示欲と自己嫌悪を同時に極端にできる人間が向いているってのはその通りだと思う。その振れ幅が俺にはなさすぎる。
でも副業はしてみたいな。たった1人で社会にどんな価値を提供できるのか。それはとても興味がある。
-
ここまで自分にできるのか、と考えさせられる。
「男子たるものは、一度戦って負けても、やめてはならない。二度目三度目の戦いの後でも、やめてはならない。刀折れ、矢尽きてもやめてはならない。骨が砕け、最後の血の一滴まで流して、初めてやめるのだ。」
新島襄
「あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」
大石内蔵助の辞世の句
「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」
吉田松陰が浦賀での密航失敗後、江戸・伝馬町に護送される途中、忠臣蔵四十七士の霊が眠っている高輪・泉岳寺の前で詠んだ大石への返歌
「自己顕示と自己嫌悪は「双子の兄弟」」とはいえ必要な人並みはずれた自己顕示
「努力は自分、評価は他人」とはいえ必要な圧倒的努力
「天使のように繊細に、悪魔のようにしたたかに」とは必要な徹底的に無償の行為
これら3つには、共通の構造がある。矛盾を引き受けるという覚悟と群を抜いて貫く何か -
・反感の持つパワーが、これほどまでに強いと思わなかった
→自分の好きなこと、好きなようにやりつつ、敵は作らないように。そして、嫌われないようにすることも大事。
・ローマ人が、徹底して道路を整備したのは、辺境にすみやかに派兵するためだ。人間関係でも、多方面に円滑なルートを作れば、ローマ帝国のような安泰を築ける。 -
憂鬱でなければ仕事じゃない
人は憂鬱、辛い方を避けるので、そちらにあえて飛び込むことで、大きな成果を得られる
大石内蔵助
あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし
-
一見、極端な人物による極端なビジネススタイルの話のようでいて、ところどころ身につまされるようなエピソードが続く。両名とも、基本的には実際に行なっていることを書いているようであり、そこから説得力が生まれている。