不可能

著者 :
  • 講談社
3.34
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  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062170284

作品紹介・あらすじ

生とは、一瞬のきらめきにすぎないのか?「現在」が亡霊として揺らめいているだけの、時間のない世界。そこに舞い戻ったのは、咽喉元に二筋の瘢痕を持つ男。-やがて物語は、恍惚の極致へ向かう。魂が倒錯の世界を挑発する短編連作集。

感想・レビュー・書評

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  • 三島由紀夫が自決できずに死にそこない、刑に服したあと、本名の「平岡」老人としての余生を描く連作集。

    前半は結構面白かった。お金には困っていない平岡老人がシェルター(あるいは棺桶)のような住居にこもり地下にバーを造り石膏像の客と街頭で録音された雑音をBGMにグラスを傾ける贅沢。編集者と英国旅行に出かけたり、今度は月光を浴びるための塔を西伊豆の海辺に新築したり、なかなか優雅だ。

    しかしどんな贅沢も淡々としていて貪欲さはなく、すでに一度死んだものとしての悟りの境地のような精神の静謐さがあり、なんというか、吉田健一的な。5話目「竹林まで」で、過去の自分、自決に成功した自分との幻想的な邂逅をするくだりでは圧倒された。パラレルワールドのように、あの日を境に自決した三島と、死にきれなかった平岡の二つに分かれてしまった、その劇的な岐路。

    ところが「ROMS」で、怪しい老人サークルに参加するあたりから、どんどん趣向が変わってくる。それまで平岡自身の内面との対話だったことが、どんどん外部からの介入になり、結果、誰かに踊らされている感、騙されている感のほうが強く幻想とは言い難い事態になってくる。あげく平岡自身がグロテスクな茶番劇を計画・実行するに至り、結局、枯れた隠者のようだったはずの彼がまだまだ俗世の欲望を捨てきれない俗物に堕してしまった。

    「竹林まで」で終わっていれば素晴らしい作品だったのに。以降は蛇足だったと思う。単なる彫刻家として登場したS…君という人物がなんでも万能にこなしてしまうのも、辻褄合わせのご都合主義にしか思えず不自然。それとも彼は悪魔かなにかだったとでもいうのか。

    ※収録
    地下/川/鏡よ鏡/塔/竹林まで/ROMS/判決/不可能

  • 『生とはことごとく一瞬のきらめきにすぎない以上、人間社会の法も規則も所詮、仮初の約束事にすぎない。煙草を吸うか吸わないかという些事ばかりではない。犯すのも殺すの盗むのも、もしやりたければ大いにやればいいというのが平岡の信念だった』-『二、川』

    松浦寿輝には少々複雑な思いがある。彼の作品には惹かれるのだけれども、その文章の中の人を拒絶するような言葉づかいに、ぐっと詰まる思いも抱くのである。村上春樹を認めないというのも気にはなる。しかし、それと作品に惹かれることとは、やはり別なのである。自分は松浦寿輝の闇に惹かれるのだ。

    松浦寿輝の闇に引き寄せられるような心持ちがするのは何故か。「幽」、「巴」、「半島」、中でも自分が一番好きな闇は「そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所」のそれだ。どこまでも自分の心の奥底を覗き込んでゆく。かと言って自愛とは程遠い。捨て鉢と言ってしまうこともあるいはできるのかも知れないが、それにしては理知的な心の動きが勝っている。詰まる所、孤独なのだが嫌味がない。そこに吸い寄せられる人もいる孤独である。しかし、それらの闇に他人の入り込む余地は、ない。

    この小説の主人公にも、連れ立つ者がいるにはいるが、彼らを受け入れるつもりが主人公に微塵もないことは明白だ。最終盤におけるミステリアスな展開から一転して現実が立ち現れる場面では、主人公も束の間の人間臭さ(それは他人とのつながりが醸し出すもの)をみせるけれども、それとて傍らのものが無色透明的な存在であったが故に成立することであると思う。その証拠に、その傍らのものが一瞬にして俗人的自我をみせる様をわざわざ松浦寿輝は描き、読み手にこの人物が主人公の抱える闇に共鳴するものでも、まして何かを共有するものではないことを印象付ける。主人公がこのものを伴っていたのは、まさに主人公の言葉通り、一瞬の輝きを楽しむためであったのだと知らしめるのだ。

    この刹那性、そこにどうも自分は惹かれていくようだと改めて思う。生き続けることにどのような意味があるのか、と少々大袈裟にその思いの裏側を言葉にすることもできはするけれど、それは実は余りに他人の目を意識した言葉であるのだということも、松浦寿輝を読んでいると思い知らされる。ちゃんと生きなければちゃんと死ぬことも適わない、と。

    ところで、この本の主人公が三島由紀夫を準えていることはどれだけの意味があるのか。自分にはよく解らない。もちろん、冒頭で引用された文章から始まって、文中に投げ込まれる多くの三島由紀夫イコンから、この主人公の老人を三島由紀夫以外であると思って読むことはかなり難しい。そのことで掻き立てられるイメージもあるけれど、むしろそのことによって、この小説の結末は落ち着くところが難しくもなってしまっているように思う。自分には、最後の種明かし的生の存続の下りは、むしろ蛇足だと思えてならない。

  • 1970年11月25日、三島由紀夫は市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺した。本書はその自決が未遂に終わり、彼が現代に生きていたら……という世界線のフィクションである。
    このような想像、いや妄想は、三島の読者なら誰しも一度は考えたことがあろう。ただし本書は、「もしも三島が存命だったら、きっとこうであろう」という内容ではない。むしろ、三島が絶対にやらなそうな三島由紀夫像と言ってよい。
    まず、80代の三島はもう小説を書いていない。東京西郊に建てさせた自宅で隠遁生活を送っている。その風貌は平凡で特徴がなく、まるで太宰の人間失格のごときである。夭折を天才の幸運などと呼ぶのは俗悪であり、人生の凡庸さを呪い剣道やボクシングに勤しんだことさえ青臭さと一蹴する。太陽と鉄ではなく、月と骨。極めつけはラストの殺人事件である。あろうことか、本書はミステリなのだ。
    三島由紀夫はなぜ死ななければならなかったのか。それは永遠の謎解きである。だが、この本は逆説的な形でそれにひとつの答えを提示したのかもしれない。したがって、「こんなのは三島由紀夫じゃない」という慷慨は、まったくもってその通りなのである。

  • 「不可能」(松浦寿輝)を読んだ。
    
うーん、これはかなりやばい問題作だな。
(って、すごく面白かったのだが)
    
内容には触れない方がよいだろうと思う。
    
イメージは、混沌・不条理・禍々しくも耽美な情景、等々。
    
この作品の重要な役割を担うのが三島由紀夫なんだが、考えてみると(考えてみるまでもなく、か)三島由紀夫を好んで読んではこなかった私である。
あらためて読んでみるのも良いかもな。
    
気になった文章を二つだけ引用。
    
『しかし美とはそれをじっと見つめて長くは耐えていられないからこそ美なのだった。』(本文より)
    
『救済などという言葉がアイロニー以外の意味を持ちえないのは火を見るよりも明らかだった。』(本文より)
    
たぶん何度も読み返す作品になるだろうな。

  • 最終章はやや興醒めであった。まさに「ザ・純文学」。読みごたえがある。三島由紀夫をモデルだ。老いとは何か考えられさせた。考えると余計にわからなくなる。そんな体験をした。装丁にも怖い凄みがある。首なしモノクロに「不可能」の文字である。松浦の本の装丁は独特のものがある。特に『半島』は素晴らしい。

  • もし三島が死なず老境を迎えていたら?という設定による短編連作集。死に損ねた老作家の無常観がもわっと漂う。偏屈で奇矯な思い付きでとある空間を創作、蟄居した状態の中で想念を手繰り寄せる。このまま陰鬱な静の描写が続くかと思われた。(4章「塔」の叙景は絶品)。ところが後半「悔悛老人クラブ」が出てくるやいなや急展開。ここからはミステリー。三島小説のパロディも散見し、グロイしエグイし、てんやわんやであっという間に読了。捩じ曲げた人物の捏造に三島信者は鼻白むだろうけれど、私はめちゃ面白かった。解放してあげたんだよな。


    キモはバタイユ。でもこれ絶対ネタバレいかんやつなのでこれ以上言えない。

  • 2014/4/11購入

  • 初めから中盤くらいまではなかなか味わいがあって面白かったです。静寂に闇を増す閑散とした宵の中で無機質な廃墟と化して佇む僕の心のその綻びた肌に馴染む感覚のものだった。けど、終盤と最後が少し何か物足りなくて残念だったかな。そうそう、終盤に「あれ?犯罪推理小説になっちゃうの、、?」って感じはあった。あと、「S・・・君」ってなにものなんだろう、流石に¨ナンデモあり過ぎ¨な感じはした。そこらへんはもう少し現実的であってほしなと思いました。いや僕が現実を知らないだけかもしれませんが。最後の一ページがなんともなぁ、、。

  • 設定の奇抜さに惹かれて手に取りました。しかし、その着想は構造として示されるのではなく、乾いた湿度、みたいなものに包み込まれています。実際、川のエピソードが度々出てくるし、液体みたいなものへのこだわりを感じました。読みながら、著者の本で以前、手にとったことがあるのが「川の光」であることに気づき、全然違う雰囲気だけど、水の回りで進行する湿った質感は共通しているような気がしました。三島由紀夫が生きていたら、はもはやテーマではなく、質感のためのモチーフなのではないか、と感じました。

  • 喉元に傷跡のある、「平岡」なる老人が体験する奇妙な出来事全8編。

    ある日、平岡は自宅地下室のバーに設置するための、本物の人間そっくりの石膏像をつくらせ、出来上がったその像たちに囲まれては、ひとり恍惚を感じる。
    あるときはスコットランドの川べりで自らの生涯を振り返り、またあるときは入口も出口もない塔の上で月光を浴びる。

    不可思議な情景が描かれており、独特な浮遊感と淡々とした平静さが感じられる。当初はそれが心地よくもあったが、全編を通して(少なくとも自分には)難解な表現が多いように思われた。
    語彙の乏しさをさらすことを恐れずに言えば、辞書を引きながら読むことになり、読了まで結構な時間を要した。そのため、「面白かった」というより、「やっと開放された」という印象が強い。その点でも不思議な作品ではある。

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著者プロフィール

1954年生れ。詩人、作家、評論家。
1988年に詩集『冬の本』で高見順賞、95年に評論『エッフェル塔試論』で吉田秀和賞、2000年に小説『花腐し』で芥川賞、05年に小説『半島』で読売文学賞を受賞するなど、縦横の活躍を続けている。
2012年3月まで、東京大学大学院総合文化研究科教授を務めた。

「2013年 『波打ち際に生きる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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