津波と原発

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062170383

作品紹介・あらすじ

日本の近代化とは、高度成長とは何だったか?三陸大津波と福島原発事故が炙り出す、日本人の精神。東日本大震災にノンフィクション界の巨人が挑む、書下ろし四〇〇枚。東日本大震災ルポの決定版。

感想・レビュー・書評

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  • 東日本大震災のまとめだけかと思ったら、日本に原発が導入されたときの経緯のまとめがあって興味深く読んだ。仕事とカネがない地方に経済的なメリットをもたらすという側面は良く語られているが、それ以上に原発を導入する意欲を持った人間がいたのだということを改めて知った。

  • 原発の成り立ちがわかった。フェールセーフが成り立たない、あるいは、暴露制限で人を使い捨てのような働き方しかできない仕事で成り立っている技術は、使ってはならないと思った。

  • 浜通りにはルーツが北陸の人が多く住む。原子力の父、正力松太郎は北陸出身。

  • 東日本大震災と福島第一原発事故について、おそらく一番早く出版されたルポルタージュ。
    著者は、地震発生一週間後の3月18日には三陸の津波被災地に入り、また、4月25日には福島第一原発周辺の立入禁止区域にも潜入して被災地の実態を目の当たりにするとともに名もなき被災者たちの生の声を集めます。

    そして本書の後半は、日本の原発推進の歴史、そして福島の浜通りに東電の原発が建設されることになった経緯を詳らかに追っていきます。
    リサーチと当時を知る人への取材にかける熱意が強烈に伝わってきます。
    著者には、過去に、”原発の父”正力松太郎や”東電OL殺人事件”を採り上げたルポルタージュの著作があり、そのあたりも一方ならぬ思い入れに繋がっているように思われます。

    正直、著者の感性にはついていけない部分もあり、共感は相半ばという印象でしたが、読後に何とも云えぬ”イヤな気持ち”が広がっていくような、情念が込められたルポルタージュになっています。

    この本に出てくる福島浜通りの被災者たちは、口々に「原発は安全だと信じ込まされてきた」「東電に騙された」と語ります。
    それはその通りなのでしょう。
    東電の罪は極めて重いと思います。
    が、彼らは100%イノセントな被害者なのかといえば、そう言い切るのにどこか躊躇いを感じます。
    東電の原発が、特段の産業も無く貧しかった浜通り地域に繁栄をもたらしたのも事実なのです。
    その恩恵を浴びながら、自ら安全神話に身を委ねてきた側面は果たして無いと言えるのか。

    浜通りの地元民だけではありません。
    原発推進者たちは決して悪意のある扇動者としてのみ存在していたのではなく、省資源国家に未来のエネルギー源をもたらす、或いは、貧しい過疎地域に産業と雇用を生み出すといった真面目な想いが活動の原動力になっていたのもまた事実なのだと思います。

    ところがその結果起きてしまったのは残酷な現実。
    放射線の健康に与える影響については諸説入り乱れていることは承知ですが、少なくとも人類史上稀にみる大量の放射性物質により、一部とはいえ国土を汚染し、人が住めなくなり、多くの家畜に犠牲を出した、その事実だけは間違いなく実在している。

    だからこそ、この本の読後感は苦く、”イヤな気持ち”をもたらす。
    そしてそのことにこそ、このルポルタージュの存在意義があるのだと思います。

  • 同じ著者のあんぽんが面白かったので本書も読むことにした。

    現地にいき 被災した人々の生の声、 津波でなくなった町。

    伝えなければ風化しそうな声を丹念に拾っている。

    このような話は山ほどあるが、それでも都会にすみそして1年以上たった今でも繰り返し疑似体験はしないといけない。

    そういう意味では読ませる内容だ。

    また原子力発電が地方政治の中で中央の資金を呼び込む手立てとなっていたのは当然といえば当然だが、反対派から転向したり、公共工事で懐を温めたりなど、これまた当然と言えば当然の成り行きだ。


    人は理想で動くのでもなければ打算だけで動くのではない。

    エネルギーをつくるという 半ば抽象的なもくてきと 建設工事がくるという生々しい話が不可分で降ってくる。 放射能漏れの事故の可能性と現ナマを天秤にかけて判断するなんてできなかったことがよくわかる。

    最後の方にあった消費行動を取り戻して日本を元気にするという提案には反対。そこそこ消費でいいんじゃないだろうか。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/56255

  • 第1部では、マスコミのありきたりな報道に嫌気を差した著者が取材依頼を受けて、311の大震災から1週間後に出発し三陸海岸沿いの町の惨状とそこで生きる人々の姿をビビットに描いている。
    著者ならではの思い込みも見受けられるが、それでも貴重なドキュメントだと思う。
    映像で知られる大津波との歴史的な経緯とそこで生きる人たちの感情は体験したものでないとわからないだろうが、その一端でも伝えようとする著者の情熱は伝わる。
    第2部第1章では著者の過去の著作「東電OL殺人事件」での東京電力の体質に触れながら、大熊町、双葉町といった福島第1原子力発電所一帯の惨状を1か月半後、禁止区域にも侵入して描いている。各地に避難した元住民にもリアルな発言が並ぶ。
    またこの一帯が戦前は陸軍の飛行場だった歴史的な事実から天明の大飢饉にまで遡り土地と住民の歴史をたどる。
    第2章では過去の著作「巨魁伝」で描かれた正力松太郎を中心として核爆弾から原子力の平和利用という名目で原子力発電が国家政策として推進される様が英国、アメリカとの関係も含め描かれる。
    第3章では国、財界が推す原発政策が地元行政、東電の実行部隊によって推進される姿が描かれる。
    同時に地元行政と地域の貧しく遅れた状況が国の補助金や東電の資金で開発され、雇用を生みズブズブな関係性を描かれ、単なる善悪をではない現実が描かれる。
    カメラではなく自らの取材活動で描写したルポは、断片的、ややクセのある表現もあるが貴重なものと評価したい。

  • 原子力発電
    社会
    ノンフィクション

  • 東電OL殺人事件取材時の東電側の慇懃さが、今回の「人災」への東電対応にも通じる・・・というのは著者ならではの視点。

    練られたノンフィクション・ライターの筆によって、3.11が克明に"小文字"で語られる。


    果たして10年後に読み返したら、どういう感慨が生れるのか。

  • 福島原発の成り立ちについてはよく分かったが、なにかもの足りず。緊急出版だったから仕方ないか。

  • すごい本である。
    「さて俺の出番!」と品薄状態の防護服と外国製の線量計をオーダーし被災地に乗り込む、そこまではいいとしてその取材と言えば現地はそこそこに後は内地のホテルで酒を酌み交わしながらのインタビュー中心…やっていることと言えば著者が目の仇にするお大尽のご視察旅行となんら変わらない。
    中身にしてもエロやらグロやら人目をひくためのカストリ雑誌然とした記事が大半でそれを(笑)で締めくくるなどまるで被災された人のことなど見ていない。
    そして足らないページは原発の資料をコピペしてハイ出来上がり!
    ジャーナリズムの巨人は偉大なのは態度だけだったようだ

  • 3.11は原発について改めて考える良い機会となった。この本で特に注目すべきは、読売と原発の繋がりである。読売を弱小新聞社から朝日・毎日に並ぶ全国紙に育てたのは正力である。正力は元警視庁警備部長という要職(警視庁トップ3)にあり、将来を約束された身であったが、皇太子裕仁親王(当時)が虎ノ門で狙撃されるという大不祥事を引き起こして首になり、その後読売新聞に入ったのである。この男が読売新聞を使って強力に原発推進キャンペーンを繰り広げ、政界に入り東海村原発を造り上げたのである。現在も読売はナベツネの機関紙と化しているが、どうやらあの新聞は社主の思想を広める為の新聞社であるようだ。

  • 冒頭は現地ルポがあって、へえー頑張るねと感心してたら後半は資料中心で「なぜ福島に原発ができたのか」みたいな歴史的な話題を延々やっていく。ところが今回の事故でおおよその歴史的経緯は新聞等で読んでしまっており、そんなの知ってるよ、と感じる部分が多かった。

  • なぜ福島のあの場所に原発が作られたのか、それが問題。原発は不毛の過疎地を狙う。金儲けや功名心にとらわれた政治家や財界人がそれに群がり、地元の首長も取り込まれる。交付金で表面上は潤うが失くしたものは取り返しがつかない。騙されたといっても後の祭り。目を背けていたらまた二の舞になる。

  •  ノンフィクション作家佐野眞一が東日本大震災を現地取材し一冊の本にまとめる。

     この本の取材はまさに生の取材だ。人に会いに行き話をする。たったそれだけのことなのにとても重くそして面白い。「おかまバーの名物ママの消息」「嗚咽する”定置網の帝王”」 タイトルからもう面白い。立ち入り禁止区域に入って原発のすぐ近くのほうれんそう畑を見て、その持ち主を探し出して取材するあたりは本当にすごいと思う。
     津波と原発の二部構成だが、原発の部分は現地取材に加え、なぜ原発が日本で推進されそして福島のあの場所に建設されたのかという歴史の流れも追っている。「原発に唄も物語もない」「原発労働はなぜ誇りを生まないのか」などのタイトルにあるように原発にはある種の後ろめたさと暗さがずっとつきまとっていたのだと感じた。

     東日本大震災はそれ単体が大きな事件としてあるのでなく、戦後の日本が抱えていた影の部分がクリアに表に出てしまうきっかけだったのではないかと思う。だからこそ佐野は震災後の日本人は今までと全く違う道を歩まなければならないと訴えているのではないだろうか
     東日本大震災を考える上でぜひ読んでおきたい一冊。テレビやネットではこれは味わえない。 

  • 大津波の話で、「津波てんでんこ」の著者、山下文男氏にインタビューした部分を見つけて読み始めました。山下氏は日本共産党の文化部長を歴任された元幹部だったといいます。1974年の創共協定に絡んでいる方だそうです。そして最後まで在野の津波研究者でした。その山下氏が、陸前高田県立病院から自衛隊のヘリで助けられ、「僕はこれまでずっと自衛隊は憲法違反だと言い続けてきたが、今度ほど自衛隊を有り難いと思ったことはなかった。国として、国土防衛隊のような組織が必要だということがしみじみわかった。」と語ったことは、今回の極限体験が語らせたものだと思いました。
    原発前夜−原子力の父・正力松太郎、なぜ「フクシマ」に原発は建設されたか、は、第二次世界大戦後から現在に至る歴史がコンパクトに描かれています。最後の30ページは、さらりと読むには堪え難いことが書かれています。現実にこのようなことがあることを知った上で発言したい。

  •  第一部は3月18日から20日に南三陸町、大船渡、宮古などを訪れて、古い知り合いであるるとともに津波の被災者でもある、もとゴールデン街のオカマバーの経営者や「津波博士」として知られていた共産党元幹部などに会ったルポ。第二部は、4月の終わり頃に大熊町や双葉町などを訪れ、避難者や原発労働者の会ったルポに福島原発の開発史を交えたもの。
     ルポは当時の状況を伝えているし、開発史は堤康次郎や正力松太郎など、知らなかったことがいろいろ出てきておもしろい。やっぱりそれなりに力のある作家だと思う。
     ちょっと気になったのは、オカマバーの経営者を見下すように、金にうるさくて一億近い金をためこんだみたいなことが書いてあったこと。リアリティを出すつもりなのかも知らないが、旧知の被災者に対する礼儀だって必要だろう。えらそうなののはいけない。

  • 地べたを這う取材と視点。ジャーナリズムが伝えきれない、ノンフィクションのあるべきひとつの姿。

  • 東北大震災と原発事故についてのノンフィクション。震災の大きさと原発事故が人災であったことを、再認識させられました。

  • 実はこれはある方の推薦図書ということでいやおう無く読んだのであるが、正直最初は自分の考えと相容れない部分があって読み進めていくのが辛かった。

    ただ、先の震災に関して、津波の被害、そして原発事故に起因する放射能被害そして、恐怖。

    色々な感情がおりまじった様子を赤裸々に書き記しているような印象を受けた。

    ここに書かれていることは確かに、私たちが当時報道を通して知りえた情報とは毛色の違う、そして被害者の方の率直なそんなことが書かれている。

    そして、2章、3章と章を追うごとに何故原発が受け入れられることになってきたのか、その悲しいまでの現実がしっかりと書き残されている。

    今回の震災からほんの三ヶ月ほどで書籍化された、いわばリアルタイムな一冊だけに、これは一級の歴史資料として後に認識される可能性もある一冊である。

    是非一度読まれたし。

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著者プロフィール

1947年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。編集者、業界紙勤務を経てノンフィクション作家となる。1997年、民俗学者宮本常一と渋沢敬三の生涯を描いた『旅する巨人』(文藝春秋)で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2009年、『甘粕正彦乱心の曠野』(新潮社)で第31回講談社ノンフィクション賞を受賞。

「2014年 『津波と原発』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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