絶望の国の幸福な若者たち

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著者 : 古市憲寿
  • 講談社 (2011年9月6日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062170659

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絶望の国の幸福な若者たちの感想・レビュー・書評

  • 20代の私にとって、この本はまるで自分自身を書かれているような気分になった。確かに、日本は絶望の国といえる。作者もデータを使って示していた通り少子高齢化は進み、社会保障費に関しても損することが分かっている。その絶望の国にいながらも若者の満足度は高いのだ。本文に若者は自分たちだけの世界を作り、その中で幸せを感じるとあった。よく言えば日常のなかに幸せをみつけることができ、悪く言えば自分たちの殻に閉じこもっているのである。大学のゼミやサークル、小中高の友達、アルバイトという社会的集団の中で自分の居場所があり、何気なく生活できることが幸せなのだ。しかしながら、未来に対する不安やこのままでいいのかというモヤモヤした感情があることも否定できない。そのモヤモヤしたものをどうすれば無くすことができるのか?それは今ある生活にある程度満足しているから、結局解決することができないのだ。これに危機感を感じる若者がどのくらいいるのか、疑問に思った。繰り返しになるが、私自身も含め今ある現状に満足しているため何か行動に起こすことはなかなか難しい。
    用語の解説もついていて、分かりやすく一気に読み進められた。最後まで読み終えたとき「絶望の国の幸福な若者たち」その正体をより深く考えることになる。

  •  図書館より

    『だから日本はズレている』の古市さんの著作で『だから日本はズレている』内で言われていたキーワードもいくつか見られます。

     面白かったのは第一章の「若者」がいつのころから社会的な概念として誕生し、そしてどのようにその立ち位置を変えてきたか、ということ。ビックリするほど昔の大人たちと今の若者批判が似通っていて思わず笑ってしまいそうでした。今も昔も大人たちは若者に対し、ある種の似たような期待をし続け、そして裏切られ続けているのですね。

     そうした若者論といっしょにこの本内で語られるのは、日本という国家のことです。成熟し先進国の一員となった日本の限界もこの本では語られているように思います。共通の倒すべき敵を失い、叶えるべき大きな目標がなくてもインフラの充実で生きていける、そうなると自分の身の回りのことを充実させ満足するしかない。国家としては完成形の様な気もしますが、それが絶望の国の正体だと言われるとなんだか複雑な気持ちになります。

     著者は最後に一人一人が生きられるなら日本が終わってしまってもいい、と書いています。ただそれは日本というインフラを過小評価しているような、また日本というインフラなんかなくても生きていける、と自分たちを過剰評価しているような気もします。

     ただ自分が臆病なだけかもしれませんが、自分も含めた1億人以上の人が日本というインフラを頼って生きている以上、絶望の国に簡単に絶望できない気がします。かといって何か行動ができるかと言うと、その手段は非常に限られているわけで結局は徐々に沈んでいく日本を見ていることしかできないような気もしますが…

  • 気鋭の「若者」社会学者による「若者」論。
    本書によれば、こちとらとっくに「おじさん」カテゴリーに分類される側だけど。
    古今の「若者」論をフラットな視点で追いながら、
    今時の「若者」らしい“熱くなさ”(何じゃそりゃ)で論じる。
    現象としての「若者」の生き様分析は、ひとまずわかった。
    さて、バブルな「おじさん」達はいずれいなくなる。
    君たちが「おじさん」になった時、社会との関わりは?生き様は?

    代表イコン=俳優:佐藤健くんが
    「命をかけた明治維新より、今の社会で、
    千葉で友達と一泊二日で旅行に行き、バーベキューをする幸せを選ぶ」
    という「絶望の国で幸福に生きる」感覚が、
    将来「おじさん」になった健くんでも変わらず続くのか。

    例えば、子供を産み・育てるには大いに、
    いやほとんど「自分のこと」の我慢が必要だが、
    我慢というのは外から見た感覚で、
    当事者にしてみれば我慢どころか無償の喜びを感じさせてくれる、
    これ以上ないような幸福だ。
    本書は、そこまでは踏み込まず、
    結婚できない理由や子供を作らない理由を仕事を、
    まるでひと事のように、そうしづらい「社会」のせいにし、
    「何も変わらない」と政治には興味を持たず、
    ハンディな幸せで満足する事が
    「絶望の国で幸福に生きる」あり方だとする。

    かと言って孤独かと言えば、友達は大事にするし、
    社会に無関心かと言えば、ボランティアには積極的だ。
    みんないい子たちだなあ、と
    バーベキュー好きだけど、それだけじゃ物足りない
    現役の「おじさん」としては思ったり。
    まあ高度成長期やバブル期の生き方が
    果たして人間的に幸せだったか?と言われれば怪しいもんだけど。
    苦労と引き換えでしか手に入らない幸せ(子育て等)や、
    スマホなどの便利ツールで満たされる楽しさとは別種の楽しさもある、
    って事も是非実感して、
    バーベキューもあるけど子育てもしやすい、
    いい社会を形成する原動力になって欲しいものだ。
    「おじさん」も手伝うぜ。
    え?上司が飲みに誘うみたいな、余計なお世話しないで欲しいって?
    「おじさん」絶望Orz

  • 私も今が幸せで、確かにそれは将来に対して希望がないからだなと、すごく納得した。いや、なくはないんだけれど...。
    あとは昔から、毎日つまんねーって言う人達に対して、少なくとも自分よりは幸せな環境にいた彼らに、ふざけるなと思っていたけど、何でか分かった。将来に希望を持っているからそんなことが言えるんだろ、という妬みだったんだ。

  • 同い年のイケメン社会学者、古市センセイ渾身の一冊を読み終えた。
    僕も筆者のいうような、国の将来に何か希望を抱いているわけでも無いけどほぼ毎日を楽しく幸せに生きている若者の一人であると思う。が、本の中でこんな世の中でも幸せを感じる理由としている、「将来が今より良くならないと思っているからこそ、今に満足し幸せを感じられるのだ」という分析は、僕が幸せを感じている理由とちょっと違う気がした。

    国が絶望的なのかどうかは、自分でどうこうできるレベルではないのであまり情報も追っておらず正直なところよくわからない。2030年代には消費欲旺盛な団塊の世代がいなくなり、「ひきこもり」や「ニート」が若者問題ではなく高齢者問題になる、という本書の記述を読んで初めて驚いたくらいだ。

    幸せを感じる理由としては、この情報化社会が発達したおかげで新しいことや面白いと感じることをいくらでも自分自身に体験させられるからであるように思う。またそうすることによって、環境は変わらずとも自分自身が変わっていくことが特に楽しい。不幸だと感じるのは、コミュニティからの承認が得られなくなるときでは無く、時間が全く取れなくなり何も変化させられなくなるときではないだろうか。(たまにそうなってしまうので極力避けたい)

    と、何か反論するような感想を書いてしまったが、筆者もあとがきで、研究者として「自分」と「自分のまわり」の世界を明るしていくことは楽しい。と書いているので、何か僕が変な読み取り方をしたのかもしれない。僕も日本を変えるような努力はできないけれど、自分を含めた手の届く範囲を変化させる努力は続けたいように思う。その結果、幸せになれれば満足だ。

  • 『絶望の国の幸福な若者たち』古市憲寿を読んで。

    『物語』からの自由。

    補助線:『ハウルの動く城』
    この映画は主人公ソフィーの2度の人生を描いている。

    1度目:彼女は年をとりました。終わり。めでたしめでたし。
    魔女に魔法をかけられて年をとったというのは比喩で、
    物語のない人生を送ったという表現。
    ※2011年9月『絶望の国の幸福な若者たち』古市憲寿の論点

    2度目:ソフィーはハウルその他との物語(家族)をつくった。
    ※2004年11月『希望格差社会』山田昌弘の論点

    『希望格差社会』は未来に期待(しすぎている)人の絶望を書き、
    『絶望の国の幸福な若者たち』は未来に期待していない人の(今の​)幸せを論じている。

    わずか7年でこんなに変わるんだという感想。

  • テレビで見る古市さんの本が読みたかった。どれから読んでいいか分からかったけど、とりあえずこれから読んでみました。
    実は、このタイトルだけはよく目にしていましたが、著者と古市さんが一致していなかったです。

    読んだ第一印象は、テレビのイメージと違ってかなり分かりやすく書いてあり、きちんと研究もされている人だとうけました。
    テレビのイメージだと研究者というイメージではないんですけどね。
    自分のイメージは、若いコメンテーターというイメージでした。
    しかし、かなりの本を読み、フィールドワークもしていたり、プロフィールを読むと珍しい経験をしているのが分かり、苦労や経験が顔や態度に出ないタイプの人なんだと印象が変わりました。

    読後感もいろいろ考えさせられるいい本でした。
    もちろん、社会学の用語も出ているので、分からなかった用語を調べるだけで、勉強にもなります。
    きちんとやっていたりするのに、年上にはちゃんとやれみたいな印象を持たれていたり、年下には、うまいことやってるな、みたいな印象を持たれていそうな古市さんがみてとれました。
    厚さのわりには、スルスル読めました。

  • 私は20代の若者である。私は正直、私の世代を幸せであると思うことができない。それは上の年代の人達が決めた政策で過ごし、その政策が失敗だったとわかった途端何故かその中で育った私達が攻められたり、就職難という未来に希望を持ちにくい中で生活を送ったりしているからだ。そのため、この書のタイトルを初めて見たときは驚いた。しかし、読み進めていくうちに「なるほど」と苦笑いをしつつ理解ができた。

    この書は「若者論」として、若者について多方面から論じておりとても良くできていると思う。そのなかでもやはり「幸せな若者」の正体がおもしろかった。「将来に希望を持てないからこそ、今を幸せと感じている」という指摘に思わず納得してしまった。また、20-30歳の人だけではなく国民が若者化しているという視点も非常に興味深かった。

    また、補章として載っている俳優の佐藤健との対談もおもしろかった。というのも、著者が投げかけた質問に対する佐藤健の答えが本書で描かれていた若者の回答や行動と重なる点が非常に多かった為である。この書の前置きにもあるように、この中で語られているのはあくまで一つの若者像ではあるが、佐藤の回答との一致は単なる偶然ではなくこの書が今の若者像を良くとらえているという一つの強い論拠なっているのではないだろうか。

    個人的には今の自分が置かれている立場を客観的に見ることが出来たこともあり最期まで面白く読み進めることができた。

  • 1985年生まれ、東大大学院の若手社会学研究者の作者。数々の過去の文献や統計資料を持ち出して、バッサバッサとあくまでも冷たくぶった斬りながら、この絶望の国日本の若者は、言われてるほど可哀想でもないし、不安はあるけど結構幸福なんですよと結論づけている。その皮肉まみれの語りっぷりが新鮮でかなり面白く読んだ。ふむふむなるほどねと興味深かったのに、読み終わったら、握ってきたはずの何がが手の中からするすると抜け落ちて、何も掴めてないような、そんな感じ。結局、同じ若者と言っても彼は勝ち組なのかな?という印象。

  • <絶望の国の幸福な若者たち> 2013年5月14日 
     
    ・日本の若者が不遇な状況に置かれているのにいっこうに立ち上がらない理由は、日本の若者は幸せだから
    ・ 現代の若者の生活満足度や幸福度は、ここ40年間の中で1番高いことが、様々な調査から明らかになっている
    ・ 2012年:20代の若者のうち「社会志向」なのは55%、「個人志向」なのは36.1%であった
    ・ 2011年:日頃、社会の一員として、何か社会のために役に立ちたいと思っているか?という社会貢献意識では、20代の若者の実に59.4%が社会のために役に立ちたいと思っている
    ・ ボランティア活動に参加する20代の数は1970年代からほぼ横ばいになっている
    ・ 社会志向の若者は増えているし、社会に貢献したいと考えている若者も増えているにも関わらず、実際に社会貢献活動に参加している若者は増えていない
    ・ 政治に関心がある若者は増えているにも関わらず、投票率は低下している
    ・ 不況だ、格差だと叫ばれている近代の方が、バブル時代よりもよっぽどみんな留学している
    ・ 若者は決してものを買わなくなった訳ではなく、買うものとそのスケールが変わっただけの話
    ・ 過剰な消費や拡大を目指さない、サステイナブル消費の若者達
    ・ 10年前から若者の分母が2割も減少すれば、消費は落ち込んだように見える
    ・ いつの間にか消費者を踊らせるはずだったマーケターや広告会社たちが、かつて自分たちの作り出したフィクションに踊らされている、という皮肉な構図が「若者がモノを買わない」論の真相である。
    ・ 「かわいそうな若者」の例として、非正規雇用、低賃金で働くワーキングプア、どんどん厳しくなる就活戦線、現代版ホームレスともいえるネットカフェ難民が取り上げられている
    ・ 半数以上の若者が自分のことを幸福だと感じながら、同時に不安だとも思っている
    ・ 若者達にとって友人や仲間の存在感が増して来ている
    ・ 世代間格差に怒り、その是正を訴えるのは40歳前後の「おじさん」が多い

  • 三葛館一般 367.6||FU

    「現代の若者は不幸でかわいそう」当事者ではない世代からこう見られる「若者」は、実は他の世代よりも生活満足度が高い!著者自身が「若者」とされる世代(出版当時26歳の大学院生)である本書は、様々な人の意見や多くのデータを用い、現代の若者像に迫ります。

    和医大OPAC → http://opac.wakayama-med.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=62735

  •  おじさんたちが真面目な顔して、深刻に、日本の将来や現代の若者たちについて論じていたとき、当の若者は、やっぱり真面目な顔して、それを茶化していた。それが本書。はっきり言って悪ふざけが過ぎる(笑)。

     古市さんは、とてもシニカルに――まるで最近のラノベ主人公みたいだ――今日まで論じられてきた日本や若者に関する論考を再考する。自身が「若者」であることにかこつけて、ある意味では無気力に、そして革新的な意見を構築していく。古市さんの前では、たとえホリエモンの意見であっても、まるで革新的ではないのではないかと錯覚すらしてしまうのだ。
     とはいえ、研究の名目で活動しているから当然だが、しっかりと根拠を持った論構築となっている。決して、若者の戯言なんかではない。

     さまざまなメディアで語られる「若者」というものがわからなくなってきた人は、まず本書で頭の整理をしてはいかがだろうか。本書はソフト面もハード面も「若者」によって成立している。これでもか!というほどに「若者」を堪能できるだろう。


    【目次】
    はじめに
    第一章 「若者」の誕生と終焉
    第二章 ムラムラする若者たち
    第三章 崩壊する「日本」?
    第四章 「日本」のために立ち上がる若者たち
    第五章 東日本大震災と「想定内」の若者たち
    第六章 絶望の国の幸福な若者たち
    補章 佐藤健(二二歳、埼玉県)との対話
    あとがき
    謝辞

  • 2010年現在で20代の男女の生活の満足度70%以上。しかし、将来に悩みや不安を感じているのも60%以上。このようないびつな状況を生んでいる日本の若者の思考にフューチャーした本。

    ・若者は「内向き」になってしまったのか?
    ⇒政治離れ、海外離れ、地元化、嫌消費などが叫ばれているが実際のデータを見るとそうは言い切れない。
    ⇒「社会」という「大きな世界」には不満があるが、自分たちの「小さな世界」には満足している

    ・リアリティを感じないものに対して行動を移さなくなっている!
    (『相対的剥奪』自分の所属している集団を基準に幸せを考える)
    (身近に「分かりやすい貧困」がないから)
    ⇒強制的に動く理由は、自分たちの領域が侵された場合
    ⇒能動的に動く理由は、何をすれば貢献できるかが分かった場合
    (目に見えるハッキリした目標が必要)

    ・若者に広まってるのは、身近な人々との関係や小さな幸せを大切にする価値観である。

    ⇒「社会」という「大きな世界」が自分の「小さな世界」にどう影響しているのかがもっと身近で、リアルに感じ取れれば人は動き出す。
    それは若者・世代関係なくどんな人にも当てはまる。

    今起こっている出来事は自分に多大な影響を与えており、遠くない未来の自分に降り注ぐことへの関心を強めることが大事!!
    ⇒『物語の主人公化』が必要である

  • 【絶望か幸福か】

    日本社会は暗い話題で包まれていて、未来に希望なんてない。
    けれど、そんな中若者はたまに友達と集まって飲んだり遊んだりして少し幸せを感じることができている。
    「昔はよかった」なんて言われるけれど、何十年前に戻りたいって人なんていないよね?
    現在の社会問題とその解決する考え方はというと…。

    ざっとそんな感じの話です。
    僕も現状にそこまで不満を感じているわけでもないし、将来ゆるく生きたいなんて甘いこと考えてるんで、そこには古市さんの「若者」像と一致している部分がありますね。
    むしろ「未来に不安を抱いて」すらいないっていう危機的な考え方すらしてしまいます。
    とりあえず頑張って生きていれば「僕だけならなんとかなる」のではないかと考えてしまうんですよね。

    ただ、話は矛盾しているかも知れませんが僕は「自分自身」という個体だけはどうにかなると感じているだけであって、「日本社会」には早急に対応しなければいけない事案がたくさんあるような気がしてならないのです。
    その点、古市さんは
    「明日すぐに日本が経済破綻したり、他国に侵略されるという状況は考えにくい。時間はある。この国が少しずつ沈みゆくのはどうやら間違いないけれど、これからのことを考えて行く時間くらいは残されている。「奇妙」で「いびつ」な幸せはまだ続いて行くだろう。
    と言っていて少し呑気なこと言ってるなと感じてしまいました。
    この前にも
    「日本にこだわる必要はない」
    と書いていますが、僕は個人的には日本が大好きで日本に居続けたいと思っているため、志向の違いが生まれてくるのは当然のことかも知れません。

  • この書籍と著者の圧倒的な強みは、若者が若者論を語ったところにあると思う。
    年長の専門学者がいくら弁をふるったところで、若者という集合体を外から眺めて考察したにすぎない。けれど、若者であれば自分やその周りを考察すれば自ずと答えに近いものがみえてくるから。〜論というものは、とくに属性に帰するところがある論文は、より真実に近い方が正義なのだから、著者の優位性は高いはず。
    なのだけれど、最後の結びの部分が不完全燃焼に思えて仕方がない。
    現代の若者は、将来は不安だけれどいまは幸せ。でも、そのなくなんとなく幸せな状態に出口を見つけたいと思っている。それが、「やりがい」という言葉に変わって、自己献身に向かわせる。消費だって海外だって、案外ちゃんと目を向けてる。年長者にコテンパンに叩かれるほど、若者はダメじゃないことを立証しようとして…
    とはいえ、そんなふうに叩かれても声を挙げないのが今の特徴だものね、とまさに若者論そのものを象徴したような終わり方。
    言いたいことは、そういうことだけど、まぁ、うん。分かってもらえない気がするからいいや、べつに。を地でいっているような心地でした。ある意味正しい姿かもしれないけど。

  •  20代の社会学者による、ややシニカルな「若者論」。

     中身の半分はタイトル通りで、世の中の大きな不安から目をそむけ、身近の小さな世界で仲間と楽しく過ごす生活に満足している若者像をあぶり出している。世代間格差や就職難民などマスコミで騒がれるほど、彼らは自分を不幸だとは思っていないのだ。
     この奇妙な現象の理由を、著者は元京大教授の推察をもとに次のように分析する。人間は、将来はもっと幸せになるだろうと考えられる時に「今は不幸だ」と言うことができる。逆に言うと、人間は将来に希望をなくした時には「今の生活が幸せだ」と言うしかないというのだ。まさに「絶望の国の幸福な若者たち」だ。
     著者の目はその先へ向かう。そういった若者たちが年齢を重ね、いずれは日本全体が「一億総若者時代」になると、階級が固定された社会や身分制社会の方が、多くの人にとって幸せなのではないか、と。ここまで醒めた目で分析されると夢も希望もなくなるが、その夢や希望をどのくらい今の日本人が持っているのか、という自問にもつながる。

     中盤のなんちゃってフィールドワークや、ナショナリズム論の章からは迷走が始まった感じで、最後には現状肯定で終わってしまった。巻末の俳優・佐藤健との対談も、何とか自説へ誘導しようとする姿が少し痛々しかったりする。ただし、冒頭の「若者論の系譜」や「ムラムラする若者たち」、そして終章の考察は、いずれ”若者化”していく「日本人論」として一読の価値がある。

  • アラサーとしては凄く共感できる部分と、「なるほどなー」と感じる少し下世代の考察とがあって面白かった。

  • 多くの資料をもとに
    さまざまな側面から、若者を語っている一冊。

    ちょうど同じ世代の著者ではあるので
    まぁ同感できる部分も、もちろんある。


    ただまぁ・・・

    --≪引用≫--
    「日本」がなくなっても、かつて「日本」だった国に生きる人々が幸せなのだとしたら
    何が問題なのだろう。
    国家の存続よりも、国家の歴史よりも、国家の名誉よりも
    大切なのは一人一人がいかに生きれるか、ということのはずである
    ------------

    これは、ないわーーー。
    なんでやねーーーーーーーーーーん!!!!って感じです(;´Д`)


    「日本」がなくなったら、「日本人」じゃなくなるねんから
    また幸せの定義も違ってくるって。
    国体は大切よ、ほんまに。


    その前に“日本がなくなる”なんて
    そんなこと軽々しく書かないで~って思う。


    一人一人がいかに生きるかは大切かもしれないけど
    大前提として、日本っていう国家があると私は思うよ。



    ちょうど12月に会うので
    その時にでも、いろいろお話しよーっと。

  • 『絶望の国の幸福な若者たち』だん。おもしろかったってのが第一声。年代もわりと近いからか、感覚が近いというか。古市さんの視点は好きだな。あと、disりかたもすき 笑

    『目的性』を失わせるものとしての『共同性』だったり、「経済性」と「承認」だったり、「階級」と「世代」だったり、そのへんから、すーっとはいってくるような文体で「若者」を読み解いていた。

  • 朝まで生テレビに筆者が出ていたのをきっかけに読んでみた。
    文章はちょっと読みにくいのと難しいことも言っているので理解できたかどうかは怪しいけれど現代の「幸福な若者」について興味深く読ませてもらった。
    絶望的な未来だからこそ今が幸せという若者・・まるで終末期のがん患者のよう。違いはがん患者は痛みがあったり、病気の進行を肌で感じるから現実的な不安を感じるけど若者は「なんとなく」不安なんだな。まるで忘れたかのように過ごすことができる。便利な世の中に満足し、デフレがその生活を支えてくれている。親がその生活を保障してくれている。

    ただ、日本という国がなくなっても平気かもと言うけど特定の国の支配下に置かれると身近な自分の大事なもの(退屈で平和な日々)を侵されることになるからきっと若者も立ち上がるんじゃない?

  • 格差社会のもと、その「不幸」が報じられる若者たち。だが、二〇一〇年の時点で二〇代男子の六五・九%、二〇代女子の七五・二%が現在の生活に「満足」している! んですってさ。あーそーですか。

    実はこれを書く前にもういちど本書を読み直したうえでこうして書いてはいるんですけれど、共感できるのは全体のせいぜい3割くらいといったところでしょうか?後の7割は正直言うと「うーん。あまり僕には理解できないなぁ」というところで、僕も正直言ってもはや「若者」ではなくなってしまったから、というところもありますが、やはり現状に「満足」していなかったり、ある意味では「幸福」なのかもしれませんがまだまだ「不満」を(これはどんな状態でも見つけようと思えば見つけられる)もっているからでしょうね。

    具体的に言うとここが愚痴で埋め尽くさせるのであえて個別には書きませんが。それでも「社会を変えたい」とか、そういうことにはあまり希薄なのかもしれません。できれば、自分の環境と半径5メートルくらいにはイノベーションを起こそうかとは思っていますれど…。そう考えるのも慶応SFCから東大大学院で社会学を選考している筆者と20歳くらいから今まで人生の裏街道を歩んだ自分との「視座」の違いなんでしょうね。

    ここではフィールドワークの対象としてW杯の深夜、渋谷で騒ぐ若者たち。ネット右翼の主催するデモに集まる若者たち。そして震災を前に、ボランティアや募金に立ち上がる若者たち。そんな姿が取りざたされておりまして、
    「センカクショトーって、何すか?」
    という六本木のクラブに並んでいた方の規格外の発言に度肝を抜かれ、
    「サッカーのWカップのときだけに日本のナショナリズムは出現する」
    ということを渋谷の街でW杯に熱狂する彼ら彼女らの姿から思い、右よりな若い男女が集うSNSで知り合った人間たちが主催するデモに分け入る。そういう姿を見て、自分のたどってきた道を振り返るいい機会になったかとは 正直思います。その是非は別として。

    ただ、最後のほうにある「日本がなくなってもいい」という主張には正直言って非常に後味が悪くここで書かれていることが「若者」の「集合的無意識」だとしたら、本当に恐ろしいなとは思います。多分、仮に戦争や国家の破綻で「日本」という国がなくなってしまったとするならば、こういう「平和な」話題で云々する余裕はまずないであろうなということは想像に難くないだけに、そこだけは少し残念かと思いました。僕は現在、下の世代にことには正直、考えたりかまってあげられるほどに余裕はありませんが、もし、彼ら彼女らと深く接する機会があれば、ここに書かれていることを少し思い出してみようかとそんなことを考えております。

  • 職業上、「若者」の中で生きているし、僕も「若者」の一人です。

    「若者」という集団を客観視して、全体的な傾向を掴むためには非常によく書かれた本でした。
    何かをしなければいけないと思っていて、でも、何をしないといけないかがわからない学生、確かに増えています。
    個人的に安心するために、友人を絶やさない事に異常なまでに執着する雰囲気、キャンパス内に蔓延しています。

    しかし、自分の近しい友人たち、学生たちを見ていると、
    絶望の国と思っているのか?幸福だと感じているのか?と少し違和感を覚えました。
    意欲や期待を静かに燃やして、
    自分の考えるあるべき姿になろうと前を向いている人が、
    僕の周囲には多くいます。

    全体的な傾向として、「若者」がこれでいいのか?と言われる状況は確かにあるな、と思いながら、
    そうした中でも捨てたもんじゃない「若者」も増えてるんじゃないかな、と思います。

    少なくとも、僕はこの国に絶望はしていないし、
    今現在が完全に満たされているわけでもありません。
    もっとより良い生活が、社会が自分の行動で作ることができるかもしれない。
    そう感じています。

    そういう意味で言えば、この本は
    26歳の著者が書いた、まさに等身大のメッセージです。

  • この国の若ものは何故こんなにも幸福感に満ちあふれているのだろうか。停滞する経済成長、出生率の低下によって少子高齢化は進み社会保障で高齢者1人あたりを支える現役世代数の減少、増え続ける財政赤字、原発問題、未来の問題は山積みだ。しかし客観的にどう考えても絶望の国に生きる若ものは意外にも幸せらしい。まだ将来が希望にあふれていた「あの頃」の若ものはインターネットも無いし、Googleで検索なんてもってのほかの時代であった。そんな若ものは僕らから見たら少々不幸にすら思えてしまう。経済的に成功したい!とかそんな大きな幸せよりも現代の「友達と一泊二日で千葉に旅行にいける幸せ」を望む若ものという視点で社会を描いたリアルな一冊です。

  • 若者が書く若者論というのは、ありそうでなかったところ。この若さで単行本を出させてもらえるような人が少ないですし…。

    「おじさん」たちの言説(学問的根拠はあるんだろうけど)に対してシニカルに検証していくのは面白いけれど、著者の主張がイマイチ伝わってきません。「若者というのが一概に定義できない」というのはその通りなんだろうけど、わからんなりに何か主張して欲しかった…。
    本としてまとめようとしているのはわかるけど、表面を撫でて終わっちゃった感じ。

    所々で挑発的な言い回しがあるので、これにおじさん達が噛み付いて古市さんが返して……という風に、この本をきっかけに議論が生まれるのではないでしょうか。叩く人もいるけれど、この人がこの本をこの時期に出したという意味は十分にあると思います。

  • 楽しめた。注釈がいっぱいあったんだけど、本文だけ読んでそこは飛ばしてしまった。そこも読んだらもっと勉強になるかも。年金で、ものすごい大金を損している若者の世代。だからといって団塊の世代にはなりたくないという著者の意見には私も同意。ネットショッピングもできて、メールもできる今の時代に生まれたなりの楽しさもある。だから幸せでいいじゃんという話ではないけれど。

    若者は決してものを買わなくなったわけではない。ただ、買うもののスケールが変わっただけ。それは私も思う。どうせ毎日使うものなら、良いものを、と考えている友達は多い気がする。私たちの世代では、車はファッションではなく、実用的なものに変わってしまった。でもそのかわり、ただの消耗品やら日用雑貨がファッションになっていたりする。コミュニケーションをとるための出費も惜しまない。そして意外に社会派の若者たち。

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絶望の国の幸福な若者たちの作品紹介

格差社会のもと、その「不幸」が報じられる若者たち。だが、二〇一〇年の時点で二〇代男子の六五・九%、二〇代女子の七五・二%が現在の生活に「満足」している!これまでの若者論を覆す、「幸せ」を感じている若者の正体を徹底的に取材した最注目の若き社会学者が満を持して立ち上げる、まったく新しい「若者論」。佐藤健(俳優)との特別対談も収録。

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