ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)

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著者 : 安田浩一
  • 講談社 (2012年4月18日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (370ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062171120

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ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)の感想・レビュー・書評

  • 在特会を語ることで、在特会を生み出したこの社会や普通の人々に潜む「在特会的なるもの」を描き出した圧巻のノンフィクション。最終章で、安田さんは「理解でも同情でもなく、ただ在特会に吸い寄せられる人の姿を知りたかった」と書いているが、最後まで読んで思ったことは、この本は在特会を批判するものでもあげつらうものでもなく、在特会という特異な存在の下に潜む、この社会の狂気だ。家や家族としての組織がもたらす「連帯」や「団結」は、うまくいかないという焦燥や孤独をかき消してくれる。ネットの世界は現実社会と違って人々をセレクトしない。その懐の深さが多くの人を受け入れ、認めてくれるという感覚と居心地のよさを生み出している。そしてそっち側に行くのは、決して難しいことではないということ。


    この本には様々な批判が寄せられているのを見る。自分が持つ思想や信条から在特会の主張自体に疑問を呈する内容に反対する在特会側の人もいれば、あまりに在特会に寄り添いすぎているという取材態度の批判をする人もいるという。ものすごい量インタビューと、綿密な取材によって描かれたものであっても、当然安田さんの会える人、安田さんから見える世界を描いたものであるから、様々な批判があるのは仕方がないようにも見える。しかし、在特会なるものへの問題提起はものすごく重要であり、それ以外の批判はどうでもいいものに思える。

    在特会の人びとが「反エリート主義」や「これは階級闘争だ」と話すのを聞くと、聞き慣れた構造に安心した一方で、最後の方に書かれていた市井の「いい人たち」の中に潜む無自覚な差別の感情や、目に見えない在特会への支持を、より恐ろしく感じる。「日常生活のなかで感じる不安や不満が、行き場所を探してたどり着いた地平」が「愛国よという名の戦場」という症状は、けっして「うまくいかない」人や生きづらい人達だけに生まれているものではない、と思う。


    私の担当する「多文化交流ゼミ」という授業の中で、移民に関するテーマでディスカッションをしたときも、「日本に同化できないなら帰ればいいのに」「税金もきちんと払っていないのに、権利を主張するのはおかしい」という発言をさらっと言う学生がいる。英語で話しているから、言えることに限界がある、主張が単純化されるということを差し引いても、まじめで勉強熱心で、多文化交流や国際的なことに興味がある若い学生が持つ、そのシンプルで迷いのない感覚を恐ろしいと思うことがある。優秀で難関の公立大学に入学し、何不自由なく暮らし、将来の夢に満ちあふれ、友達が多くてリア充の代表みたいな彼女たちが持つ感覚にも在特会を支えるロジックは潜んでいる。

    安田さんの言うように、在特会のいる「あっち」側と、普通の人々が住む「こっち」側には明確な境界線などないのだ。だからこそ在特会の叫ぶことばは対岸の火事などではなく、それを導きだすロジックや感情は自分のなかにもきっとどこかにあって、その引き金もあっちこっちに散らばっているのではないかと思う。

  • 友人にお借りしている「ネットと愛国」をやっと読み始める。ネットを中心に、こうした言論が広まった原因について、少しでも知見が深められればと思う。

    テレビが影響力を持ち過ぎている、という認識が漫然と持たれていた頃(2001年)に大学でメディア学を学び、その間にネットメディアが爆発的に普及していった。そして気がついたらメディアの状況が大きく変わっており、ネット右翼が登場していた。大学入学当時、今の状況など想像し得ただろうか。

    そういうメディア状況の変化を念頭に置きつつ、読んでいきたいと思う。

    主義主張は別として、彼らがネットで「オフ会」して同志になっていくというのは、我々の世代ではごく当たり前のことなのよね。北海道で保守の考えを持った人がいるなんて…という喜びを語っているかたの心情は、なんか分かるw

    ヲタク文化がこれほど広まったのも、在特会が広まった構造とほとんど同じだと思う。テレビ等のメインメディアで取り上げられることがなく、人に言えない趣味だったのが、ネットを見たらこんなに同志がいた…、という。そのことが自信になり、また同志たちが集えるようになって、より先鋭化するという。

    私自身、ネットを通じて人々が自分の趣味を肯定的に捉えられて、また普段知り合えない仲間に巡り会えるということをすごくポジティブに捉えている。だけれど、当然のごとく闇もあるのだなぁ。

    読了。若い頃にインターネットが無かった世代にとっては奇異な存在にしか見えないだろう「在特会」を、1964年生まれの著者があくまで「普通の若者達が所属する組織」として描いた点が面白い。著者と同じ世代の人たちが読んだら、登場する若者達の普通さに驚くのではないか。

    1983年生まれで、学生時代からインターネット文化に親しんでいる私にとっては、なんとなく「予想した通り」の会員像だった。こうした普通の人々が、インターネットで極端に差別的な言動をしていたり、根拠の薄い陰謀論を信じたりということは、よくあることだとなんとなく知っている。

    そして、彼らの行動は極端だからこそ奇異に映るが、その後ろに無言の賛同者がいるからこそ怖い、という点について、著者と全く同意見。そのことを、我々の世代ではなく、上の世代の方が書かれていることに意味があると思う。ネットを見ない人と見る人で、文化が大きく違ってしまっているので。

    それにしても、インターネットの「わかりやすい言動」と「仲間内での悪目立ち」が絶賛されるという性質について、改めて思い知らされるのであった。

    個人的には、ネットは「同士の少ない趣味」を持った人々が集まり、世間の目を気にせずに堂々とできる状況を作ったことに大きな価値があると思っている。ただ、それが「世間と自分が違う」ことを外にアピールして、その行動が仲間内から評価される...という段階になると妙なことになる感じがある。

    自分自身はそういう「悪目立ち」の極端さは苦手なところがあるのだけれど、そこに惹かれてどっぷりいった方々の姿を知ることができたのは、とても面白かったし興味深かった。そしてもちろん、彼らが特別ではなく、自分と地続きであるからこそ、自分を客観視することを意識していかんとなぁと。

    なんかまとまらないけれど、在特会というネット文化が生み出した組織を、ネットが生み出した現象としてではなく、あくまでそこに所属する個人に焦点を当てて描いているところにこの作品の面白さがあるのだろう。読み応えのあるルポルタージュでした。

  • レポート作成のために購入。
    真理を知るためには、多様な意見を知ることから。この本は、あくまで中立的に在特会という組織を追っていたけれど、別視点から書かれた本も読みたいな。在特会側が出してるのと、反在特のカウンター勢力が出してる本もあったから、合わせて読もう。

  • 人を憎むのは楽しい。
    いじめは面白い。

    在特会は、在日外国人を排斥する理由があると言う。著者は一応反論を用意するが、在特会の誰ひとりとして耳を貸しはしないだろう。それは著者もわかっているようだ。議論の不毛はくりかえし語られる。彼らは言う。「お前在日だな?」。
    その虚しさは、いじめっこを叱る経験の浅い先生の虚しさだ。いじめっこは言う。○○は××なんだもん。先生は言う。○○は××じゃないでしょ? それでいじめが止まるなら誰も苦労はしない。理由はわりとどうでもいいのだ。こういうの愛国って呼んだら、愛国が怒るだろ。

    2冊の本を思い出す。1冊は「わが闘争」。理由のどうでもよさと敵意の行き場がよく似てる。それから「ヒトラー政権下の日常生活―ナチスは市民をどう変えたか 」で語られる時代がやってくる。「在特会はあなたの隣にいる」どころではない。在特会でない人のほうが少数となる時代。その次にやってくる時代のことは、歴史が教えてくれる。

    こういう連中は世界中どこの国にもいる。ぼくは時々思うのだが、主義主張を同じする者同士、彼らは国際組織を結成すべきではないだろうか。互いに協力すればWin-Winの関係を築けると思うのだが。というか、彼ら同士は仲良くできるのか知りたいだけなんだけど。

  • 実際に何度かみたことがあるひとたち。

    ほんとただの鬱憤ばらしだし、ほんとに日本という国の将来に憂いを抱いてというひとは少数だろう。
    本人が気づいているかいないかっていうのはあると思うけど、自分の生きずらさを何か他のもののせいにしたかっただけなんだろう。

    自分が傷つくことがないところで。

    でもほんと普通のひとたちなんだろうな。同じ電車に乗ってる。
    コミュニケーション苦手だったり、今の自由主義に搾取されてる側だったり。

    普段の彼ら彼女らとは話してみたいし、盛り上がるかも。


    でも罵倒の対象が私の大切なひとたちだったりする。

    自分たちが生きずらさから傷ついたりしてるなら、自分たちが罵倒しているひとたちも傷つくんだってこと想像するのってそんなに難しいことなのかな。

    まず罵倒している側のひとたちと向き合って話してみたりしないことにはだたの汚い言葉連発のこじつけの誹謗中傷でしかない。

    そこでストレス解消しても自分たちの現実の世界は何も変わらないと思う。


    あたしはその手を握り返すことは絶対ない。でも握り返してしまうひとの気持ちもこの本を読んでみてわからなくもない。

    在特会から離れてしまった会員の「僕らが持っていないものを、あの連中(在日のこと)は、すべて持ってたような気がするんです」
    守るべき地域。守るべき家族。守るべき学校。古くからの友人

    「ネットで知り合った仲間以外、そうした絆は持っていない。」

    人と人との繋がりが分断されてる今だから余計に繋がっていたいと人は思うんだろう。

    その場が在特会になってしまうのはやっぱり残念だけど、でもそういう場として機能していたとこがあんまないことが問題なんだ。


    でもやっぱり在特会は煽るにしても使う言葉が汚すぎよなー。ほんと日本語分かるから

  • よくぞここまで徹底的に取材した。これでこそノンフィクションルポ。
    在特会とその周辺を追い掛けた本。恥ずかしながら、思い出すと京都滞在中も裁判所前で、在特会関連のビラなど配られたり弁護士会で話にあがっていたけれど、当時知識不足でやり過ごしてしまっていた。いわゆるネトウヨは、聞いたことあったがここまで過激な言動を繰り返しているとは初めて知った。刑法犯の成否は問題にならないのか…?と思うレベル。
    一定の民族への誹謗中傷は、いじめの構造と同じで、自らの立ち位置をはっきりさせるし優越感を感じられる簡単な方法なんだろう、というのが私の当初からあった見方。
    しかしこれだけ在特会が勢力を持ったのは、ネットの威力抜きには語れなさそう。既存の言論ツールでは淘汰されてた、反論可能性の低い「言いっ放し言論」が見かけの説得力をもって、ただ数だけは多く存在していられるようになったんじゃないかと思う。
    上述の構造に加えて、安田氏の言うところの群れる快感のようなものが要因になっているよう。
    集団心理を考える上でも、今の世の中の構造を考える上でも、とっても興味深かったと思います。

  • 在特会って、すごく暴力に弱そう。ここは暴力と言うよりもゲバルトという方があっているかもしれないけど、反対勢力にそれをかけられたら脆いと思う。

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    そもそも彼らはなんでこんなことを主張するのか。
    これにあるのは、ネット上でのエスノセントリズムに満ちた罵詈雑言が不思議だからだ。どこのどんな面した連中がこんなことを書いているのだ? と。それを実際に見てみたいという気持ちはわく。
    で、実際に面出しした連中が現れたし、それを追ったルポということになる。
    結果は、なんというなく予想通りという感じで意外性はない。

    意外性がないだけに、疑う気持ちもわく。
    だれしもがもつ憎悪や恐怖、そして差別感情を、匿名だから言いたい放題言うという見方。特別な存在ではなく、そこに心の闇を拡大するツールがあったというものだ。
    なぜそうするかというと、社会が不安定になって、仲間を求めるからで、仲間を作る手段として恐怖や憎悪を利用している。
    だから、実際の「敵」が恐るべきものなのか、憎むべきものなのかは、どうでもいい。
    著者はあえてこの用語や説明を使っていないけど、ナチス台頭時のドイツと同じであり、階級脱落や無産階級であり、疎外であり共同体の喪失だ。エーリッヒ・フロムの自由からの逃走の見立てである(エーリッヒ・フロムについては本書内で言及している。)

    これ(自由からの逃走の見立て)は私も妥当だと思う。というか、そういうふうにしか見えない。
    2ちゃんねるでもそういうことなんだろうなあと思っていて、面出しした連中のルポを読んでみたら、実際にそうだったという感じだ。
    それだけに、「分かりやすすぎる」というのが、いささかひっかかる。

    ----

    では具体的に、他にどういう解釈があるのかと言われると分からない。
    ただ、なんとなくだけど、良いいい方が思い浮かばないのだけど、それは「闇」じゃないのではないかと思う。
    闇じゃなくて、「暴力の欠如」にあるように思う。なんでこんなにゲバルトに弱そうな活動が、曲がりなりにも存在しているのか、そっちのほうが気になった。なんか間尺に合わないぞ、と。

    それは、在特会に「敵」とされた側からの暴力的反撃(つまりはでもで乱闘になって、鉄拳でもゲバ棒でも殴り倒せ)の欠如という意味ではなくて、「暴力を受けるかもしれない」という恐怖感が在特会に欠如しているという意味だ。

    私は、この本の中で「大人たち」と言われている人々に違和感を感じた。
    彼らはこれを知っているはずなんじゃないのか。むしろプロなのではないか。
    世代間のギャップとか、ネットとか、「リアルとバーチャルの区別の付かない」という説明とか、そういうところに落としこむ話じゃないように思う。

    まとまりのない感想文ですいません。オチ無しです。

  • 愛国と民族主義は違うということについて、考えてみたくなる。

  • 勉強になりました。

  • 「在日特権を許さない市民の会」というネット右翼に関するルポルタージュ。なかなか読み応えがあった。

    在特会は「在日韓国人・朝鮮人が様々な特権を持っているために日本人が生きづらくなっている(だから出ていけ)」という主張を基盤に街頭演説したり、デモをやったりしてる団体だそうです。この本を読んで初めて知った。

    読み終えて、「現代は『なんとなく』の"空気"が蔓延している時代」なのではないかと思いました。

  • ミステリー小説のように読んでしまった。不気味な現象に踏み行って謎を解体し、彼らもまた自分と同じ弱き人間なのだと明かしていく様は、まるで京極堂の憑き物落としのようだ。

  • 本編を読んでいる時は在特会への嫌悪感しか覚えなかった。が、エピローグを読んで、自分の中の「危うさ」に気付かされた。在特会の延長線上に私たちはいて、多くの人が無意識に在特会を支えてしまっているのかもしれない。

    在特会とは何者なのか、ここ数年自分がすごく知りたかったことが丁寧に描かれていた。著者に感謝。

  • 安田浩一『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』読了できず・・・。
    内容は興味深いのですが、
    読んでいてしんどくなってしまいました。
    今、私が感じている疑問の答えのヒントが書かれていると思うのですが、
    心の忍耐力が足らず、読み終えられませんでした。

  • ジョック・ヤングの『排除型社会』を読んだ直後であったのであまり驚きを受けることもなく淡々と読み進められた。

    あらゆる権威が無効化され非正規雇用が珍しくなくなった後期近代、ましてやノルウェーのウトヤ島乱射事件の犯人ブレイヴィクが羨望するほどの閉鎖的・不寛容的政策を取っている日本で在特会のような存在が登場するのは必定である。著者が『在特会は「生まれた」のではない。私たちが「産み落とした」のだ。』と言っているのはそのような文脈においてであろう。

    言うまでもなく、現代の経済活動に生き生きと生を謳歌する個人は全く重要ではない。ただミスなく粛々と働く「マシーン」さえいればいい。実際人間が行なっていた労働は機械が取って代わり、他の労働の多くも日本人にやらせる意味はなくなってしまった。

    経済市場とそれに適応した政策下に「産み落とされた」在特会という「うまくいかない人たち」。彼らは現在の日本社会というシステムの生産品である、故に(一部ではあるが)その活動を承認する人間がいるのは当然である。しかしその承認はただ都合がいいからなされるだけで、彼らの孤独を癒すものではない。また在特会の「仲間」たちの承認もモルヒネでしかない。確かにまるでサークル活動のようにみんなでワイワイ騒ぐのは楽しいことだろう。野球場での応援のごとくみんなで同じ言葉を一斉に口にする愉悦は身が溶けてしまいそうなほどだろう。だがそれはやはり刹那的快楽にすぎないのだ。

    刹那的快楽を是とする資本主義によって産み落とされ、それを謳歌する者たちを恨み怨嗟している在特会。にもかかわらずその快楽の調達方法が資本主義的であるというのはあまりにも皮肉な話である。

  • ネット右翼とは良く聞く言葉だが果たしてその実態とは、と言われると良く判らないので研究のために買ってみた本書だ。が、読み進めるほどにやるせなさが募る何とも言いようのないネット右翼の活動に呆然としてしまう。

    本書が中心として取り上げるのが会員数1万人を超え最大のネット右翼集団といわれる通称「在特会」こと「在日特権を許さない市民の会」だ。国を憂える右翼を標榜しながら標的とするのは何故か在日朝鮮人。しかもその攻撃方法は数を頼りにした幼稚な口喧嘩なみの罵詈雑言と差別用語の集中豪雨的シュプレヒコール。そしてネット右翼らしく活動の一切合切はネットで中継されておりそれをまた見る多くの人間が喝采を送る。「思想が無い」と右翼の面々からも揶揄されながら、まさに日頃の鬱憤をシュプレヒコールと演説で吐き出しているだけに見える活動は一体何なのだろうか。

    彼らの活動を追う本書を読んでいると何故かグリーンピースなどいわゆる環境テロリストような活動家を思いだしてしまう。グリーンピースの主導者は恐らく金の匂いで動いているのであろうが、その彼らを支える末端の活動家の最大の動機と思われるのは、何らかの主張をすることで世間の注目を引きたい、認められたいという意識が根底にあり、それの表現形式はネット右翼もグリーンピースも極めて類似しているように感じられる。

    既存政治、既存組織への信頼が失われるなかで、ネット空間を駆使して新たな活動への組織化が行われているのはある意味ではそれなりの成功なのかもしれないが、その寄って立つ目的も思想も必要とされないというのがまさにネット社会の特徴なのだろうか。

  • 著者は、約一年半に渡り、「在日特権を許さない市民の会」(通称「在特会」)に体当たりで取材し、それを取り纏めたのが本書である。

    在特会は、在日朝鮮人などが不当に優遇されており、その反射的効果として、日本人の権利が制限されていると主張し、ネットや街宣活動を通じて、ここ数年で飛躍的に会員数を増やしている組織である。

    今日の日本に蔓延する閉塞感は尋常でないものがあり、それによって苦しめられている一部の人達が過剰に被害者意識を募らせ、そのフラストレーションのはけ口として在日の人達を標的にして過激な活動にでたものというのが、在特会に対する一般的な評価といってさしさえなかろう。

    著者も、基本的にはこれと同じスタンスだが、単にこの極端な主張を展開する在特会を批判するのではなく、時には彼等と自分を重ね合わせ、在特会にも一定の理解を示している点は面白い。
    著者は、在特会の会員の多くは社会から疎外され、所属を持たぬ者達であり、そのようなひとたちが唯一拠り所とするのが、「日本人」であるという、揺るぎのない所属であるというが、これはなんと根源的かつ絶望的な思いであろう。

    私には、在特会の主張が全く理解できないが、一定数その主張に強く共鳴する人がいることを本書を通じて知り、そのような事実が現実に存在することに恐れを感じるとともに、その事実が何かを自分に突き付けているような感覚にもとらわれるのである。

  • 在特会に集う「うまくいかない人々」とその背景に広がる無数の普通の人々。つくづくネット社会の恐ろしさを感じました。

  • 立ち読み、飛ばし読みにて読了

    結局のところ、ネトウヨも在特会も

    「こうであるはずだ!」

    と現実にそぐわないもの(「日本の税金で」→外国人も納税者)でも、疑わず、反対知識(これすらも「こうだ!」と決めつけ)を勉強することもなく決めつけ、もしくは曲解して信仰しているにすぎず

    また、在特会の実態として「自分達が苦しんでいるのに…」という思いから「(自分達の国で)外国人のくせに生活保護ももらえて、人によってはパチンコや焼肉屋で大成功してるなんて…」しかも「少しくらい不便な扱いを受けたからと差別だ何だと騒ぎ立てやがって」という自国の政府に選挙や直接行動をもって訴えるべきことを「手近な、弱い(抵抗力の弱い)」外国人に訴えるといったことを「自らの職業や名前を隠して(ネットでは匿名性、街宣で顔は出るが職業や名前を隠したり、芸名のようなものを使って…通名批判してるのにね…)」を行っているだけじゃないかとの感想

    ただ、本に載っていた14歳のネットから情報を得て理論武装(もどき)をしている少年の一面的な見方に類似の人間が増えているのだとすれば寒気を覚える。

  • 心のなかに生き辛さの「闇」を抱えた人たちがみな荒唐無稽な陰謀論に安易に飛びついて無邪気にヘイトスピーチを垂れ流すかといえば決してそうではなく、在特会に「救い」を求める連中に同情の余地はありません。もちろん「思想がない」人たちを理解することは到底できません。
    むしろ、在特会を利用し、あるいは寄付をしたりして助長する匿名の「一般市民」の存在に底知れぬ「闇」を感じました。
    この意味においては、在特会は我々が生み出した、という本書の主張には納得できます。

    匿名の一般市民が社会悪を助長するケースと言えば暴力団の例が想起されるところですが、暴力団の方がかなりマシです。
    暴力団はカタギの世界との間には一線を引いているはずで、ネットと現実の区別もつかずに「自分たち以外はすべて間違っている」というような思い上がった主張はしないはずですから。

    在特会に”寄り添う”著者のスタンスはときに危なっかしく見えますが、本書の場合は、そのダイナミックな距離感が却って立体感を出しているようにも見えます。
    また、安田さんが時々見せる癇癪というかキレる寸前のじれったさや、(是非はともかく)筋金入りの活動家である西村修平氏らとの関わりかたから、安田さんが(プロフィールや本書あとがきから見ておそらく左翼の活動家として)渡ってきた数々の修羅場がチラチラみえて、ちょっと面白く感じました。

  • 逮捕者まで出すような過激な行動や、幼稚にも見えるような罵声を浴びせる運動スタイルで話題の「在特会」に迫ったルポ。途中取材拒否を受けながらも、ネットでつながる新たな運動を支える人間たちと、「在特会」を生んだ背景を描いている。
    彼らは自分たちを〝被害者〟と位置づけ、日々の鬱憤を〝イベント〟としての運動で発散しているだけのようにも見える。あの想像を超えるような過激な運動スタイルを支えているのは、ごく普通の人たち。既成のメディアよりもネットに飛び交う情報をより信用しているところに共通点があり、運動に心の隙間を埋めてもらっているようである。
    方向性や表現の仕方はともかくとして、現代に生まれるべくして生まれた〝市民運動〟ともいえる。
    筆者の立ち位置の説明がややくどいか。センシティブな問題でもあるので、わからないわけでもないが。

  • 「在特会」を「自分とは全く関係のない人間の集まりである」という認識を持っている方にとってはおそらく受け入れ難い内容になるだろうし、「レイシスト集団を徹頭徹尾糾弾する」といった内容を求めているのであれば肩透かしを食らうだろう。ただ、オビにある「われわれ日本人の"意識"が生み出した怪物ではないのか?」という問題提起と著者の至った結論には非常に頷けた。「ではどうする?」という点については本書を読んだ各人がそれぞれの立場で考えるしかないのだろう。

  • 在特会をはじめとした排外主義者の集まりに取材してまわったルポ。やはりどうしても「排外主義者に寄り添う」ようにしないと取材できなかったということもあるのだろうけど、その結果としてこういった団体の活動に賛意を示してしまう人たちの空虚さが描かれていると思った。その空虚さに重点が置かれて、排外主義の対象となってしまっている人たちへの行動への批判が弱いが、それは氏の他の作品を参照することになるのだろうか。在特会等の複数の団体が結局は分裂して先鋭化していく構造や、うっかりハマってしまっていたことを省みる人たちの述懐といい、僕らはオウムから何も変われないままなんだなと思う。

  • 面白かった。これまであまり知らなかった世の中のことが少し分かるようになった感じがした。

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ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて (g2book)の作品紹介

差別的な言葉を使って街宣活動を行う、日本最大の「市民保守団体」、在特会(在日特権を許さない市民の会)。彼らは何に魅せられ、怨嗟と憎悪のレイシズムに走るのか。

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