政治の起源 上 人類以前からフランス革命まで

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  • Amazon.co.jp ・本 (386ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062171502

作品紹介・あらすじ

ベストセラー「歴史の終わり」から21年。
フランシス・フクヤマが最後の仕事に選んだテーマは、世界・全社会における「政治秩序の起源」だった。
アメリカはなぜ大国として今日の地位を築いたのか。
中東にはなぜ民主主義があれほど望まれながらも
根付かなかったのか。
中国は今後本当に世界大国化するのか。
ありとあらゆる国家の政治制度、歴史を論じながら、
国民国家の終焉とその後の世界を読み解く、
大著。原書(2巻本)をそれぞれ2冊ずつに分けて
合計4巻のシリーズとして出版予定。

(日本語版の序より)
本書『政治の起源』とその続巻は、政治制度発展と衰退の歴史的パターンを広範に扱う(略)。今日の政治にかかわる人々の多くは、歴史的文脈の視点を欠き、いま直面している問題が過去に起きた問題といかによく似ているかを理解していない。人類史を通じて、人の本性は変わっていない。「再世襲化」、すなわち支配階級が政治制度を私物化し自分の目的のために使おうとするような慣行は、中国の後漢時代や一七世紀フランスと同じように、現代でも普通に行われている。本書の日本での出版を通じて、日本の経験を世界の他のさまざまな社会の場合と引き比べるとともに、日本の諸制度の将来についての議論を活発化させる一助になってほしいと願っている。

感想・レビュー・書評

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  • 久しぶりに読みました。重厚な書籍。いきなりステーキで300gのサーロインステーキを食すようです。

    題名は「政治の起源」かの「歴史の終わり」で有名なフランシス・フクヤマ先生の著書です。この本は上巻と下巻に別れていますが、この書評では上巻の「中国」を中心に詳述したいと思います。

    まず3つの要素が近代的な自由民主主義の基礎になると述べられております。その1番目は「国家」であり、これは国家はその領域内で権力を行使することが出来ます。2番目は「法の支配」であり、これにより権力は法の下で正当化される一方で制限も受け、権力行使が予見可能になる。3つ目は「民主主義的な説明責任」であり、国家権力が支配者の利害でだけでなく、共同体全体の利害を反映することを確かにします。

    ごく初期の国家を、社会学者マックス・ヴェーバーが「家産性」国家と名付けました。これは国家が支配者の家産の延長であり、支配者の親戚や友人が政府の主要官僚になり、支配者一族の為に働くといった状態をいうものです。

    これに対して近代国家は、このような属人的な要素のない制度であり、支配者一族の利益と国家の利益は厳密に区別され、広範な公共の利益に対して奉仕することを目指す。すなわち、支配者との個人的なつながりでなく、資格や能力に基づいて選抜された管理が政府の役職に就きます。

    フクヤマ先生はヴェーバーと異なって、近代国家の最初はヨーロッパで生まれたのではなく、紀元前221年に秦が中国を統一した時に誕生したとみなしています。

    すなわち、中国では家産的な要素を排除した官僚採用試験が始まり、教育を公職とする官僚制度の思想が生まれました。

    これがさらに確立するのは漢王朝であり、中国二千年の儒教伝統の一部となっていくと説きます。

    そのような意味での近代国家がヨーロッパに生まれるのは、やっと17~8世紀であり、フランスやプロシアは中国よりも1800年ほど遅かったのです。

    しかしながら、中国には「国家」はあったものの、「法の支配」、「民主的な説明責任」がないため、専制君主の横暴に多々あった、と結論付けています。(秦の始皇帝や、唐の武則天や毛沢東)

    そこで「初期」国家形成について、説明を加えます。

    まず、初期国家形成には、生存するよりも多い余剰の量の資源の獲得が必要です、
    二つ目は、社会の絶対的規模が初期的な分業と支配エリートの出現を可能にするほど大きいことが必須です。
    三つめは、集団が地理環境の制約を受ける必要があります。この制限により、技術的に生産性を上げた時、その集団は人口密度を上昇させます。
    そして最後に、部族集団が自分たちの享受していた自由を放棄し、国家の支配を受け入れる要因を持つ必要があります。

    このような上記条件に加え、中国の国家は中央集権化され、官僚主義的で、とてつもなく専制的でした。中国では、世襲貴族、領土を基盤とする貴族、組織化された農民、商人階級を基盤とした、都市、寺院、その他の自律的集団といった社会勢力が、自分たちを制度化する前に、国家が成立しました。

    中国では、ローマとは異なり中国の軍事組織は厳しく国家の統制下におかれ、政治的権威に動的な脅威とはなりませんでした。この状況は20世紀まで続きます。

    それでは、より詳しく中国の「国家形成」の過程を見ていきましょう。
    中国史の中で全く変わらないものの一つに、社会組織における家族と親族の重要性があげられます。

    秦国では縁故とは無関係な行政形態を、地方の一つの国家の時から試み、統一して帝国になった後も全土で試みました。

    ちなみに1949年に中国共産党が政権の座についたときも、中国の伝統的な家族主義を一掃し、個人を国家に直接結びつけようとしました。

    政治学者チャールズ・ティリーは、ヨーロッパ各国で国家建設が進んだのは、王が戦争をする必要があった、と述べていますが、この相関関係は普遍的なものではなく、南米などでは確認できません。

    しかし、東周時代において、戦争が国家形成の元になったことは議論の余地のないとのことです。

    東周が成立した紀元前770年から秦が中国を統一した紀元前221年までの間、中国では絶え間ない戦争が起きました。

    大規模な戦争がつねに起こっている状態は、時代遅れの古い制度を破壊し、それに代わる新しい制度をつくりだします。こうした革新は、軍事組織、徴税、官僚制、民生用の技術革新、思想の面で起きました。

    これについては、詳しくは本書を読んでもらうとして、思想の面について述べます。
    春秋戦国時代、暴力が数世紀にもわたり吹き荒れました。社会はそのため疲弊しますが、そのことが原因により、政治と道徳に深い思索がなされるようになります。

    才能あふれた教師、著述家、助言者たちが歴史に名を残しました。例えばこの時代に活躍した孔子は、上流階級の家に生まれましたが、学者・教師として自力で名声を得ます。

    孔子の他にも多くの著述家がいました。所謂、諸子百家時代であり、墨子、孟子、孫氏、韓非子などといった人々が登場しました。

    彼らは、中国全土で行なわれた戦争を原因として、各地を根無し草の様にまわり、知的イデオロギーを生み出しました。

    言い換えれば、適切な統治のあり方に関する一般的に容認された一連の考え方を生み出しました。後代の中国人はこの考え方を使って、自分たちの政治指導者の実力を判断しました。

    次に、中国全土を知識人が移動したことで、国民文化のようなものが形成されました。中国の偉大な古典は、ちょうどこの時期に作成され、高く評価され、中国全土や中国に接していた遊牧民にまで伝わりました。その影響力は大いにあり、中国を占領した遊牧民は自分たちの制度を押し付けることはしませんでした。

    そのころ秦では、親族ネットワークに代わって個人と国家を直接結び付けるシステムを導入することを狙った政策を慎重に実行しました。この個人と国家を結びつける思想を法家思想とよばれました。

    これを行ったのが、魏の大臣・商鞅であり、魏より比較的立ち遅れた秦に移り、孝公の首席顧問に就任します。秦に移るなり、既存の家産性行政制度と激しく戦います。商鞅は貴族たちが代々世襲していた特権に攻撃を加え、最終的に官僚制度を実力制度にします。

    秦は辺境の一王国にすぎなかったのですが、この制度変換は軍事面で多大なる功績を意味しました。

    土地、家臣、女奴隷、衣服は実績に応じて国家から分け与えられました。しかし国法に背いたものには厳しい罰則が与えられました。重要なのは、この制度では政府の官職を、世襲でなく、国家が恣意的に配分したことにありました。

    他にも、商鞅の行った重要な改革として、挙げられるのは井田制(封建農地制度)の廃止と、国家の直接監督下で個々の家族へ土地を再配分したことでした。

    加えて、商鞅は成人男性に人頭税を設けます。これは軍事行動に対する特別予算を目的とするものでした。

    以上のことを総括すると、商鞅は伝統的な親族関係を基礎とした権力と土地所有の制度に代わり、国家を中心とし、縁故無関係な統治形態を導入するため多大な努力を払い、こうした社会改革を実現した点にあります。

    それでは、このような優れた秦の政治近代化は経済近代化につながらなかったのかという疑問が出てくるでしょう。

    近代国家の出現は集約的経済発展の必要条件であるが、十分条件ではありません。資本主義が出現するには他の制度も必要になります。西洋における資本主義革命の前には近代初期の認識革命が起きており、それによって科学的な方法、近代的な大学、技術革新、所有権制度が生まれました。

    技術革新は科学的な観察により新たな富を生み、所有権制度により人々は改善・改良と言うことを考え出すようになりました。

    秦が統一した中国は多くの意味で知的に豊かな土壌でした。しかし、秦の主流の学術伝統は過去中心主義であり、近代自然科学を生み出す抽象化に掛けていました。

    加えて、戦国時代の中国では、独立した商業ブルジョワジーが出現しませんでした。都市は行政的かつ政治的な中心部でしたが、商業の中心地ではなかったのです。また職人や証人になっても社会的な名声は得られませんでした。

    社会の近代化とは、親族を基盤とした関係を破壊し、より自発的で個人的なつながりにとって代わるものです。中国では、秦による統一後社会の近代化は起きませんでした。それには二つの理由があります。一つ目は資本主義的分業がなかったこと。二つ目は中国社会での親族関係を切り崩す試みは独裁国家による上からの強制的なプロジェクトだったことがあげられます。

    西洋では、対照的に、親族関係はキリスト教によって切り崩されました。上記に述べた資本主義の十分条件も西洋では満たしていたのです。

    このようなため、「秦」は近代国家でありながらも民主主義ではなく、現在の中国も「近代国家」でありながら「法の支配」、「民主主義による説明責任」ないので中国は上述のように近代的な自由民主主義国家ではないのです。

  •  最近、「説明責任」というコトバが躍っている。一般に、会計用語として遣われているのこ言葉は、政治の中でいいように操られているようにしか思えて仕方がない。こんなコトバがどこから生まれて、何を指しているのか知りたく、図書館の政治の棚をあさっていたらこの本(の下巻)にいろいろとあったので読むことにした。下巻だけ読もうとおもったが、「説明責任」なるコトバの舞台であろう民主制ではなく、古代の中国、インドやイスラムなどが詳述されているようなので、上巻から行儀よく読むことにした。
     本書のタイトルは「The Origin of Political Order」である。"Political Order"は政治そのものというより、政治がもたらす秩序を指す。
     本書は、原著のタイトルどおり、上下巻をとおして、政治体制がどのように生まれ、発展してきたのか、史実にあらわれる"国家"たちがどのように秩序を形作り発展あるいは崩壊していったのかについて論じた本である。
     私たちが生活していく中で、国家や法律、官庁との関わりは簡単に想像できる。が、私はそれが「想像を超えられない」というのが実態であるように感じている。行政サービスや法秩序の維持、インフラの整備や保全は、人がかかわっている筈なのに、その「人」が直接「国家」や「法」と結びついているのが明らかに思えないからだ。自分たちの身の回りの家族や地域社会、せいぜい区市町村が限界で、それより大きい都道府県や日本国となると、想像の域を出ない、そう思うのである。
     では、政治秩序とは何か、政治秩序の実体とは何かを問うために、過去を繙いていくのがこの本の流れである。なお、序論で宣言しているとおり、歴史的経過を記述するものではなく、学術的整理を図るものではない。
     上巻では、国家成立以前から中世期までの中国、インド、イスラム圏、最後につなぎとして西欧(キリスト圏)に触れ終えている。家族や地域のコミュニティから、「国家」が必要となった背景について、戦争の発生や軍、治水の必要性などから論じられている。肝心の、国家がなぜ生じたかについてハッキリと述べられているのは、秦による中国統一と、その後の漢の流れのみである。中国は国家の統一が、統治の第一到達点であり、戦争はその繰り返しなのである。一方、他の地域について戦争がなぜ生じるのか、戦争に応じる手段として、軍組織を要したのがなぜなのかはよくわからない。部族や地域コミュニティはともかく、国家規模の単位が略奪を行う動機や根拠をどこに見いだしているのか論じられていない。
     興味深かったのは、「国家による統治」の前提に、意思決定の民主性ではなく、統治機構の構成員に地縁・血縁を排除し、能力主義による登用がなされたことに注目し、統治機構を論じている点である。特に、部族や宗教をルーツとして発生した(どのようにかは分かるように示されていない)国家の中核たる統治機構、政府は、国内のエリートであるとは限らず、奴隷を高級官僚や軍人を充てたイスラム圏の政体は非常に興味深かった。イスラムに限らず、モンゴルにも似通った点がありそうな気がするが、その点にも触れられていない。下巻に示される本筋の論理とは異なるのだろう。
     下巻が楽しみである。下巻を読み終えたら、そもそも本書を読む動機となった「説明責任」を含め総括することにする。

  • 世界の国々の成り立ちと、各国の政治体制に関してマクロ的に述べたもの。大国の現在に至るまでの成り立ちから、何故そうした文化や考え方があるのかを俯瞰することができる。

  • ふむ

  • 様々な国の国家の起こってきた有り様や文化や宗教と政治の関連性がどのように進んでいくのかということがわかってきます。少し難しい本ですが非常に勉強になります。

  • 基本的な政治制度 ?国家 ?法の支配 ?説明責任

  • 真っ当すぎて文句のつけようがないんだけど、読み物としては左右どっちかに(でなくてもいいけど)揺れてる方が面白いんやろなあと。ツッコミどころがなさ過ぎて、変な因縁チックになっちゃう…(≧∇≦)
    上巻は「第一部 国家以前」と「第二部 国家建設」。前者は一々ご尤もだけど、昔習った感やらどこかで読んだ感やら満載で、後者が断然面白い。中国・インド・中東、でちょい欧州の触り。中世くらいまで。これで副題が「人類以前からフランス革命まで」は偽り看板やろー。
    特にインド史は社会制度・政治・国家から宗教に、普通の日本人が標準的に知ってる範囲よりずっと詳しい。

  • 政治制度の発達を考察する多文化政体通史。中国に関する部分は退屈でしたが、インドやアラブに入るとこちらも知識が無いのでそれなりに面白い。中国に関する内容には違和感がつきまとうので、インドやアラブについてもそちらの文化の人が読めばそれなりに思うことはあるんだろうけど。

  • 本書では、「国家」、「法の支配」、「民主主義的説明責任」3つの政治制度に着目し、近代的な民主主義国家を考察する。上巻では、「国家」について、中国、インド、中東を比較する。中央集権的な近代国家を設立するために、部族組織による家産制が障害になる。この両者の緊張関係が3つ地域を通して描かれている。

    中国では、度重なる内戦と法家思想によって、中央集権化を世界で初めて達成した。インドでは、宗教が部族組織を強めてしまい、権力の弱い国家しか作れなかった。中東では、奴隷軍人制度を使うことで、家産制を乗り越えた。

    国家を設立していく過程で、文化的、宗教的な違いがその後の制度に大きな違いを生み出し、現在もそれが残っているということに大変驚いた。

    どのように国家が設立されたのだろうかという疑問に答えてくれる大変興味深い本。

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著者プロフィール

1952年、アメリカ生まれ。アメリカの政治学者。スタンフォード大学の「民主主義・開発・法の支配研究センター」を運営。ジョンズ・ホプキンズ大学やジョージ・メイソン大学でも教えた。著書『歴史の終わり』(三笠書房、1992年)は世界的なベストセラーとなった。著書に、『「大崩壊」の時代』(早川書房、2000年)、『アメリカの終わり』(講談社、2006年)、『政治の起源』(講談社、2013年)、『政治の衰退』(2018年)、『IDENTITY』(朝日新聞出版、2019年)などがある。

「2022年 『「歴史の終わり」の後で』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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