私の中の男の子

  • 講談社
3.13
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  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062174589

作品紹介・あらすじ

19歳で小説家としてデビューした雪村は、周囲から当然のように「女性作家」として扱われることに戸惑いを隠せない。性別なんて関係なく、作家として生きたい-。それからの雪村は、担当編集者の紺野と、仕事に意欲を燃やし出す。大学では時田という友人もでき、順調に仕事も増えてきた雪村だったが、またしても自分が「女性」であるがゆえの大きな壁が立ちはだかってきて…!?社会で働き、世界を生きるすべての女性に届けたい、著者随一の「生き方小説」。

感想・レビュー・書評

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  • 文才があり、作家としては成功したものの、
    その容姿については
    ひどいバッシングを受け、
    大ダメージを受ける主人公『雪村』(女性)。

    精神にダメージを受けると、
    オモシロイ小説なんか書いちゃいられない。

    書きたいのに。
    容姿のことなんかにとらわれずに、どんどん書いていきたいのに。

    そこで、
    出した彼女の結論、というのが、
    思い切って、<女性>を捨てる事だった…。

    たかが見た目。
    されど、雪村をここまで追い込むとは、
    侮ってはいられない肉体。

    肉体VS精神!(て、違うか?)

    終盤まで
    痛い雪村の行動にはハラハラさせられるが、
    孤独なファイターである精神もやられっぱなしではなかった。

    容姿、見た目を全く無にしてしまう場所にて
    ようやくそれは目を覚ました様だ。

  • "推し"であるナオコーラさんの書籍は、なるべく新品で購入してすこしでも貢献したい、と思っているけれど、図書館には未読の作品がたくさん並んでいて、嬉しくてつい手に取ってしまった。
    今は目標があって財布の紐が堅いので…今だけ…!

    他の作品同様、本作も著者自身が感じてきたことを主人公に重ね合わせ、嘘偽りなく書かれていて、不器用ながらこの真っ直ぐさが好きなんだよな、などと思いながら読み切った。

    全く否定するつもりはなく、なるべく理解できるといいな、と思いながらも、正直トランスジェンダーっていうのは分からない部分も個人的には多くて、だけど「女性である前に、作家だ」っていうのにはすごく共感できた。私も男性が多い社会で働いていたとき、女だからってナメられたり、この後歩むであろう人生を勝手に決めつけられて不快に思ったことがあるから。
    これってジェンダーギャップ指数が上位の国とかに住んでいる日とも思うことなのかね、なんて考えたりした。「××である前に、一人の女性だ」っていう言葉はよく聞くけど、考えてみれば逆はあまりなくて新鮮だった。


    P.139
    そうか、体重を気にするというのは自分のことしか考えていないということなんだ、と雪村は気がついた。時田のように、人とのかかわりに重点を置いて考え事をしてこなかった。間柄に力点を置いている人は、自分がどう見えるかを気にしないし、相手を評価することもしない。ただ、自分対相手という場所が見えるだけなのだ。
    「時田くんは、あれだよね。人との接し方に長けているよね」
    魚の出汁がきいているスープは、日本人の舌に合う。時田がこれからも、おいしいものを食べていけますように。
    「でもね、必要以上に『自分がどう見えるか』を気にしている人の仕草が、チャーミングに見えることもあるよ。自意識が高いことを、悪い性格だとは決めつけられないと思うな。だって、世の中のみんながみんな、他人に思いやりを持てて、非の打ちどころのない、コミュニケーション能力の高い人ばかりだったとしたら、つまらない集団になると思わない?」と時田は言った。


    この文章で、泣くなんておかしいかもしれないけど、なんだか私は泣けてしまった。時田の言葉が、自分を肯定してくれているみたいだし、自分の大切な人たちを肯定してくれているようでもあるから。
    うまく言葉にできなくて良さを伝えられずもどかしい思いをしたこともあるけど、本当に自意識過剰な人ってチャーミングで結構好きなんです。

    ナオコーラさんの作品は、物語を楽しむこともそうだけど、ナオコーラさん自身の考えがどんな言葉になって描写されているのか、その表現力にドキッとしたくて読んでいる節がある。

    裏表紙のカバー袖にある〈著者〉に笑ってしまった。こういう遊び心も大好きです。

  • ひとりの「女の子」が、自覚ないまま「女=弱く自立しないもの」のイメージを携えて育つことになる現代日本の中で、性別から切り離した「自分自身」となり、性別を意識しなくとも、ただそこに在る自分として他者と関係を作れるようになった過程を描く。連続する独白のような形。
    これは世間のいう「女性らしさ」「男性らしさ」について改めて考え直したことのある人には理解可能な過程でしょうが、そうでなければわからんかもしれません。わからないと思った方には、書かれている通りのことがありのまま、実際に自分に起き、そのことに違和感を持つ自分とそこから脱してゆく自分、というのを想像をしてみてもらえたら良いと思う。そのことがその方が「なんじゃこいつ」と思う誰かと働く羽目になったときの働きやすさにつながると思う。
    2010年の連載作品らしく、その頃にこれを世に出した編集者と作家はすごい。ほんの12年前だがその頃の「上司」「同僚」たちはいまより12歳上の人々で、義務教育における家庭科と技術が男女共修になっていないころの人々がほとんどだったわけなので。
    頭でっかちの主人公から、依頼心が減ってゆくプロセスにリアリティがあった。

  • 『あのさ、私、最近急に、世界がある、っていう気がしてきたんだけど、時田くんは最初っから、世界がある、って知ってたの?』

    自分はカメラになって世の中を写しとりたい、自分というカメラで。山崎ナオコーラはどこかでそう言っていた。そしてこの本の中でも主人公の作家に同じようなことを言わせている。そう言う山崎ナオコーラの小説は、確かに見過ごしてしまいそうな世界を山崎ナオコーラ色のレンズを透して描いているのが魅力になっている場合が多い。しかし最近の彼女の小説はどこかしら自律宣言めいたものが多いようにも思う。世界ではなく自分自身を描いてはいないだろうか。この「私の中の男の子」もまた然り。

    もっともこの本は前半と後半で随分と趣きが異なるようにも思う。前半は一人の女性の気持ちが小さな世界の中だけで右往左往する様子が描かれる。その閉じたような世界観があるからこそ後半で一気に世界が広がるような印象が強くはなると思うけれど、小説というよりは誰かの日々のブログを読み続けているような、ちょっとした居心地の悪さが、そこには付きまとう。それは他人の日記を盗み見る時の居心地の悪さとどこかで繋がっている感覚だ。この小説の主人公を山崎ナオコーラ自身に重ねあわせて読まないようにしないと、その感触は増々強くなってしまう。

    そんな私小説的な雰囲気もさることながら、世界を山崎ナオコーラ色のレンズを透して写しとってみたいと公言していた作家の良さが前半の恋愛小説めいた文章の中からは中々見えてこない。もっと、なるほどそういう風に世界をみることもできるなあ、という話を期待しながら読んでいるファンとしては残念な感じがする。

    後半、一人の人間として自律するさま、世界が急に広がるような展開、が描かれるようになると、少々ぶっきらぼうな紋切り型の言葉づかいでありつつも断言した中に同時に許容される不確実性や多様性が存在する、という山崎ナオコーラの独特のイメージが広がってくる。その多少哲学的な物言いこそ自分が好きな山崎ナオコーラなのだ。世界は自分自身の視点からだけ成り立っている。そう宣言しながらも、彼女の小説の主人公は常に世界の小さな変化に敏感だ。その世界を記述する文章がとても印象的なのである。

    それにしても最近の山崎ナオコーラの小説の中で流れる時間の早さは、少し度が過ぎはしないだろうか。確かに大きな精神的な変化が昨日今日の時間の長さの中で起こるのは不自然だとしても、まるで朝の連続テレビ小説の総集編を見ているような時間の流れ方起こる時に、少々置いてけぼりを喰らったような感覚を味あわされることがある。むしろその変化がじっくりと描かれてたらば、と思うこと仕切りなのである。

  • 自分の中に無いものを求めるのは普通の事なのかもしれない。
    外に求めようと、内に求めようと。

  • 19歳で作家としてデビューしたとたんに「女性作家」として世間に認識されて、女性、とつくことに対して葛藤を覚えた作家雪村の自分の性別をみとめるまでの軌跡。
    ナオコーラさん自身とかぶる設定に思える。ネットの暴言とかも。

    ナオコーラさんの文章、全く気取りがなくて好きだ。かっこいい。今更、って思えるようなことを素直にずばずば書いていることろがいい。いい文章を書くということよりも自分が書くべきことに真剣になっている度合いのほうが大切なんじゃないかって思えてきたこのごろ。

  • わたしが今まで読んだナオコーラさんの小説で一番好きで、一番共感できた。性別の違和感、というよりわたしという人間にはこうであって欲しいという願望、理想がものすごくうまく、繊細に描かれてる。この気持ち、わからないひとはわからないんだろうな。けれどわかるひとにはピンポイントな物語。
    登場人物、全員が好き。とくに時田くんには救われる。
    劣等感で、自分という人間を客観視してしまうひとへ送りたい。

  • #関わりたい奢りたいとか支えとか自己愛の外たしかな世界

  • 本人が一番女性性というものに捉われているのでは?

    著者が一時期やたら私はブスだからと連発していて鬱陶しいなと思ったんだけど、おそらくその時期にあったこととか本人なりの理由みたいなものはなんとなく分かった。
    とは言え、これって内向的?社交性が薄い?女の子が家族や周りの大人たちが「かわいい」と構ってくれることを「容姿が良い」「特別な」「お姫様」と勘違いしていて、いきなり他者に忖度なく特に悪気もなくブスって言われてやっと現実に気付くっていうよく女芸人ネタになるようなあるある話にしか感じない。そこで私は男の部分があるからっていうのは脳内お姫様設定とやってることはたいして変わらない気がする。
    時田くんのような人ともっと対話が出来ればいいのになと思うけど、『男ともだちを作ろう』でも女なんて面倒でバカだけど私は違うからそっち入れてよー的なスタンスを感じたのでジェンダーというよりは自己に向き合うべきだと思う。結婚妊娠後もジェンダーのひとをやってるけど。運動を頭を使ってするものだ、と自分に引き寄せていったように。

  • いわゆる女らしくあることを忌避する大学生であり作家でもある雪村という女性の数年間が描かれる。雪村が女性であることを忌避する言動はしばしばあり、乳房切除をしてしまうほどなんだけど、全編通して雪村がどうなりたいのかがよくわからなかった。男性になりたいのか? 女性でないものになりたいのか? ……女性でも男性でもない意識で生きればいいじゃんと思うんだけど、そういう感じでもない雪村の言動な気がする。自然のままだとドレッシーな服とか選んでしまうようだし、好きだと思うのも男性だし、つき合ったのも男性だったり、捨てきれない女性的な面がけっこうあるようなんだけど、何だか意識にとらわれて自由に振る舞えていないみたいな雪村。
    そんな感じで雪村のこじらせぶりを面倒くさく感じながらも読み続けたのは、雪村がしばらくつき合い、好きでないと思い込んで別れを告げ、その後友だち関係になる時田くんがすごく気持ちのいい性格と考えをもつ好男子だったから。
    たとえば、時田くんが雪村に告白するとき、「オレは雪村さんが好きなんだ。オレを彼氏にしてほしい」(p.86)って言うんだよ。「オレの彼女になって」的な男性の告白って定番だと思うんだけど、ある意味それの逆をいくような「オレを彼氏にしてほしい」って言い方が新鮮に思えた。どっちも似たようなもんだけど、「オレの彼女に」はやっぱりオレワールドに入れって感じがするのに対し、「オレを彼氏に」は彼女のワールドに入れてもらえますかっていうニュアンスが感じられないだろうか。
    さらに、雪村が時田くんと3か月つき合ったあげく「やっぱり付き合えない」と別れを告げたときの時田くんがいいこと連発で言う(p.103)。

    「もうひとつ聞きたいことがあるよ。『やっぱり付き合えない』ってことは、今までのことをなかったことにしたいってことなの? 最初から付き合ってなかった、って思いたいの? 確かに、三ヵ月くらいのことだし、ゼロも同然なのかもしれないけど。オレは、雪村さんと友だちだった期間も楽しかったけど、この三ヵ月はそれの何倍も楽しかったよ。散歩が意味のないことだと思ってないよ」
    「私も、楽しかったよ。楽しかったって言う資格ないけど」
    「資格あるよ。オレのこと好きじゃなくても、楽しかったって思ってほしいよ」
    「うん」
    「せめて、この話は『別れ話』にしてほしいよ。『間違いだった』とか、『つい、付き合いたい、って言っちゃった』とか、『やっぱり、なしにしたい』とか、それって、あんまりだよ。ひどいと思う」

    っていう感じ。その後、時田くんと雪村は大学卒業時に友だちとしてつき合い続けることにし、国際協力関係の仕事に就き海外で暮らすようになった時田くんとの仲が続いていく。
    この小説を、ちょっとうがった見方をすると、時田くんの言動には意志的に生きている姿が反映されている気がする。そしてそれは旧来「男性的」とされているもの(実際に時田くんのように気持ちのいい考えをもっている男性はまれ)。かたや雪村の落ち着かないこじれぶりは旧来の「女性的」なものがしっかりしみ込んでいるように思える。書題からは、雪村の内面に男の子的な面があるところが示唆されるが、果たしてどうだろうか。「私って男っぽい性格だから」という女性がそうでもないこと、ままある気がするんだけど。

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著者プロフィール

1978年生まれ。「人のセックスを笑うな」で2004年にデビュー。著書に『カツラ美容室別室』(河出書房新社)、『論理と感性は相反しない』(講談社)、『長い終わりが始まる』(講談社)、『この世は二人組ではできあがらない』(新潮社)、『昼田とハッコウ』(講談社)などがある。

「2019年 『ベランダ園芸で考えたこと』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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