田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」

著者 :
  • 講談社
4.03
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  • Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062183895

作品紹介・あらすじ

どうしてこんなに働かされ続けるのか? なぜ給料が上がらないのか? 自分は何になりたいのか?――人生どん底の著者を田舎に導いたのは、天然菌とマルクスだった。講談社+ミシマ社三島邦弘コラボレーションによる、とても不思議なビジネス書ここに刊行。「この世に存在するものはすべて腐り土に帰る。なのにお金だけは腐らないのはなぜ?」--150年前、カール・マルクスが「資本論」であきらかにした資本主義の病理は、その後なんら改善されないどころかいまや終わりの始まりが。リーマン・ショック以降、世界経済の不全は、ヨーロッパや日本ほか新興国など地球上を覆い尽くした。「この世界のあらたな仕組み」を、岡山駅から2時間以上、蒜山高原の麓の古い街道筋の美しい集落の勝山で、築百年超の古民家に棲む天然酵母と自然栽培の小麦でパンを作るパン職人・渡邉格が実践している。パンを武器に日本の辺境から静かな革命「腐る経済」が始まっている。
【著者・渡邉格(わたなべ いたる)から読者のみなさんに】
まっとうに働いて、はやく一人前になりたい――。回り道して30歳ではじめて社会に出た僕が抱いたのは、ほんのささやかな願いでした。ところが、僕が飛び込んだパンの世界には、多くの矛盾がありました。過酷な長時間労働、添加物を使っているのに「無添加な」パン……。効率や利潤をひたすら追求する資本主義経済のなかで、パン屋で働くパン職人は、経済の矛盾を一身に背負わされていたのです。
僕は妻とふたり、「そうではない」パン屋を営むために、田舎で店を開きました。それから5年半、見えてきたひとつのかたちが、「腐る経済」です。この世でお金だけが「腐らない」。そのお金が、社会と人の暮らしを振り回しています。「職」(労働力)も「食」(商品)も安さばかりが追求され、
その結果、2つの「しょく(職・食)」はどんどんおかしくなっています。そんな社会を、僕らは子どもに残したくはない。僕らは、子どもに残したい社会をつくるために、田舎でパンをつくり、そこから見えてきたことをこの本に記しました。いまの働き方に疑問や矛盾を感じている人に、そして、パンを食べるすべての人に、手にとってもらいたい一冊です。

感想・レビュー・書評

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  • 読了しました。
    『人新世の「資本論」』(斎藤幸平)を読んで、本書の読書会を友人たちと開催した際に、パパ友より進められて、手にした本です。

    本書は、著書が田舎でパン屋を営むまで、営んでからの暮らしを描いた自叙伝的なものです。
    何が面白かったかというと、「資本主義」の矛盾と、菌と共に歩むパン屋を基本とした暮らしが絡み合って、感じたこと、周りで起こった事、家族と一緒に考えた事、著者自身の生き方などが赤裸々に描かれているところです。

    『人新世の「資本論」』で現在の資本論について打破すべきであり、「脱成長」を目指し気候変動を防止することがを提言がされており、とても共感するところは私自身、多くありました。
    しかし、現実社会においては、「脱成長」は無理なことも多く、その読書会でも
    まずは「知ることから始める」「当事者感をもつ」というような事が話し合われました。

    本書は、そんな生ぬるい傍観者ではなく、マルクスの考え方を今のこの日本、岡山の片田舎で実際に実行し、二人のお子さんと奥様で日常を過ごしている、「攻めの生き方」が描かれています。
    そういった内容でだからこそ、ただの自叙伝ではなく説得力もあり、とっても面白い本に仕上がっています。

    「マルクス=革命」といった感を私は持っていますが、そういった過激なものではなく、
    いまの社会に適応しながらも、自分の意志を貫くには、どうしていったらいいのかということを真剣に考え、パンを作る過程で「菌」との対話の中で、利益をださないパン屋を営む過程が描かれています。
    その思考も、一見とびぬけて見えますが、まったくそうではなく著者は「資本論」を引用しながら適格なロジックのなかで導き出した答えを、暮らしに反映し今も続けています。

    資本主義に代わる価値観を、自信の体に入れようとすると、慣れきってしまっている自らの体は、拒否反応が多いのですが、腹をくくって生活をするなら今でも実現可能だということがリアルにわかりました。

    読み終えると、今も岡山県の片田舎でパン屋「タルマーリー」を営んでる著者が、そのパンを口にしてみたいと思わせる気持ちになる本です。これも資本主義におけるマーケティング戦略の罠かもしれませんが…。
    通販もしているようなのですが、店に本当に行ってみたいと思わせる本です。

    「人新世」を読んだ方、資本主義に代わる価値観に触れたい方にお勧めの本です。

  •  田舎ではじめたパン屋さんの成功物語!というよりも社会学的要素もあり、店主のこれまでの経験から何を発見し、何を大切にしているかということが伝わる本です。資本主義のこともわかる!
    【中央館3F・東 588.32/WA】

  • 鳥取県智頭町にあるオシャレで美味しいパンとビールのお店、タルマーリーの店主が書いた本。

    天然酵母を使ったパンが出来るまでのお話しと、労働についての経済的な視点からのお話し。著者の渡邉さんはとっても頭の良い方のようで、マルクスの資本論を題材にしつつ、難しい経済の話を丁寧に自分なりの体験と解釈を加えて説明されている。

    なぜ、ブラック企業のように四六時中働かされる状況が生まれるのか、なぜ労働者の給料が安くなっていくのかなど、ふむふむと思いながら読ませていただいた。

    著者は現在も、アクセスが良いとはとても言えない場所で人気のお店を営まれている。経済の理論は、こういう話に疎い私にはなかなか頭に残りにくかったけれど、心に残ったのは

    ”一つ一つの「商品」を丁寧に作ること。「商品」をきちんと人に届けること。「誰が」「どんなふうに」つくり、そこにどういう意味があるかを、丁寧に丁寧に伝えていく力が必要”

    というところ。自分の商品を作ったり売ったりする時にも、心に刻んでおきたいなと思った。

  • 何でこの本のことを知ったか忘れてしまったが、しばらく前から図書館で予約待ちをしていた。それが、『脱資本主義宣言』を読みおわるのを見ていたかのように、順番がまわってきた。

    書類やら手続きやら月初からのいろいろが、とりあえず一段落して、久しぶりに手は編みものをしつつ、本を読む。手を動かしつつ朝から読んでいた本を、昼過ぎに読み終える。

    「腐る経済」というのは、どうも「脱資本主義」と似ているようだった。『脱資本主義宣言』では、アメリカ様の儲けるご意向がばかすか通り、暮らしが急激に変わってしまった事態のひとつとして、「パン食」の普及についてずいぶん書いてあった。そういうのを読んだばっかりだったので、「パン」屋さんが「脱資本主義」みたいな話を書いてるのは、ちょっと「?」だったが、読んでいると、どうも似たニオイのする本なのだ。

    ▼「腐らない」という現象は、自然の摂理に反している。それなのにけっして腐らずにむしろどんどん増え続けるもの。それがおカネ。(p.2)

    「腐らない」パンや、「腐らない」食べものがヤバイように、「腐らない」おカネもヤバイ。「腐る経済」の"腐る"で著者が言いたいのは、ちゃんと腐ることで、ものは姿を変え、土へ還り、自然のいとなみのなかで循環していく、ヤバイものは浄化される…というようなことらしい。著者の言う「腐る」には、大きくわけて発酵と腐敗のふたつがある。

    ▼…イーストのように人工的に培養された菌は、本来「腐敗」して土へ還るべきものをも、無理やり食べものへと変えてしまう。「菌」は「菌」でも、自然の摂理を逸脱した、「腐らない」食べものをつくり出す人為的な「菌」なのだ。
     添加物や農薬といった食品加工の技術革新も、同じような作用を引き起こしている。時間とともに変化することを拒み、自然の摂理に反して「腐らない」食べものを生みだしていく。
     この「腐らない」食べものが、「食」の値段を下げ、「職」をも安くする。…(略)
     …おカネは、時間が経っても土へと還らない。いわば、永遠に「腐らない」。それどころか、投資によって得られる「利潤」や、お金の貸し借り(金融)による利子によって、どこまでも増えていく性質さえある。(pp.73-74)

    著者は、いまは岡山の田舎でパン屋をいとなんでいる。「酒種(さかだね)」でつくる「和食パン」をはじめ、天然菌を採取し、それを育ててパンをつくっているそうだ。酒種でつくるパンといえば、明治に木村屋がつくったあんぱんもそうだったなと思う。

    第一部「腐らない経済」では、パンをつくって暮らしをたてていく道を選んだ著者の履歴と、その過程で出会った「菌」の声が、150年前のマルクスの声と重なっていると気づいた話が書かれている。そして、第二部「腐る経済」では、「田舎」で「パン屋」を営むこと、そこで菌を育て、パンをつくり、商いをしていく暮らしのなかで、どうやったら経済を「発酵」させ、「循環」させることができるだろうという試行錯誤が書かれている。

    「都会」での会社員時代、おカネを使わされるために働かされているような理不尽を感じていた著者は、「田舎」で「利潤」を追求しない商いをやっていこうとする。

    ▼「田舎」には、「都会」の理不尽さはないけれど、その分、便利さもない。生活を成り立たせるための条件は、「都会」よりも厳しい。おカネ任せ、他人任せでは暮らしていけないのだ。(p.165)

    著者の父は大学でつとめる研究者なのだそうで、この父がゼミの学生に息子のつくる素材と技術にこだわったパンの話をしたときのことを、話してくれたことがあるという。

    ▼―(略)ただ、おまえたちがつくるパンは、巷で流通しているパンと比べると、やっぱり高い。スーパーやコンビニで売られているガラクタのようなパンも、国の安全基準はちゃんと満たしている。100円のパンとおまえたちがつくる400円のパンが並んでいたら、おカネのない学生は、ガラクタだと分かっていても、安いほうのパンを買ってしまうだろうとも言っていた。(p.223)

    「おカネの使い方を見直すこと」が、経済を「腐らせる」ひとつの方法だろうと著者は書く。おカネの使い方こそが、現実を動かし、社会をつくっていくと書く。それは確かにそうだと思うけれど、著者が丹精してつくった「高いパン」や、フェアトレードの「高いチョコレート」や「高い服」は、おカネがある人でないとそうは買えないよなーとも思う。そのあたりで、いつも、ちょっと、モヤモヤ~とする。

    この本は、かなりおもしろかったけど、もうひとつ私がどうかな~と思ったのは、「男35歳、家族の生活も賭けての大勝負」(p.21)というようなところで、パン屋は妻との二人三脚でと書いてあって、きっとそうでないと成り立たない商いであり暮らしなのだろうということは伝わるのに、こういうところにひょいと出てくる「男」って何なんやろう??と謎なのだった。

    なるほどーと思ったのは、イナズマは「稲」の「妻」だという話。窒素固定といえばれんげ草(=マメ科の植物)しか知らずにいたし、それだって学校の机上で習ったことで、土にふれ、作物をよく見て知ったわけではないのだ。

    ▼「雷がドンと鳴ると、空気中の窒素が水に何トンと溶けるんだよ。空気中の窒素が雨に溶けこんで、それが土を肥やして米を実らせる。だから、『稲』の『妻』なんだ。昔の人は、科学なんて知らなかったけど、五感と経験で、自然のことをよく知ってたんだ」(p.200)

    そして、竹細工職人の平松さんの話にも、はっとした。

    ▼―日本に資源がない言うんは大ウソですよね。森があって水があって、四季がめぐり、豊かな資源に恵まれています。僕は、こんなに資源が豊かな国はない思うんです。竹だって、そこら中で勝手に生えてきます。
     でも、江戸時代の終わり頃から、西洋の技術に圧倒されて、目の前にある豊かさが見えんようになってしまったんでしょうね。昔から長い時間をかけて培われてきた伝統技術が、その頃を境に、ものすごい勢いで失われていきました。
     それでも、桶屋や鍛冶屋、竹細工は、生活と密着していたから、最後まで生きながらえたんです。そこにトドメを刺したのがプラスチックです。…(略)…おかげで、切っても切っても生えてくる無尽蔵の資源の竹は、今じゃ厄介者です。使えばいいのに、誰も使いませんから。…(p.209)

    "資源がない日本"観を、私もなんとなく身につけていたことに気づく。その自分に気づいて、うぉーと思う。

    (3/20了)

  • 岡山の片田舎で一つ400円もするパンを売っているお店でのマルクスの教えと天然菌によって生み出される「腐る経済」に基づいた自然な暮らし。

    だれもかれもがこの生活を真似することはできないだろうけど、こういう暮らしもきちんと成り立つのだ、と知ることはとても大切なんじゃないかと、思う。

    地元の竹とお米と水でなければ育たない菌があり、築百年の古民家でしか作れないパンがある。

    ちゃんと生きるってこういうことなのかもしれない。

  • 人生にはいろいろな選択肢がある。
    その中で自分で選んで、今の場所にいる。
    誰かから強制されてるわけじゃない。

    今の自分は過去の自分の選択によって、できている。

    環境や仕組みのせいにするのではなく、
    小さくても、自分のできることをやる。
    その中でも、視点は大きく持つことが大事。
    それを体現しているのが著者の渡邉さん。
    今に至った葛藤を含むプロセスが描かれていて、刺激をもらえた。

    自分の人生を見つめ直すきっかけになった。

  • 勝山町行ってみたい!!

    自分で生産手段を持つこと、、。

    就職して働き出して2週間が経ったけど
    自分の時間を使って労働することと、
    コロナのことも相まって
    やっぱりわたしは自分で稼ぐ力、地に足つけて自然や食を大切にしながら循環していける暮らしをしたいな〜〜と思い始めていたときのこの本。

    すごく興味深く読んだ。

    菌との関係や菌の声を聞くという考え方も素敵だった。

    わたしは何が判断基準かなあ…。

    コロナがおさまったらタルマーリー行ってみたいな。

  • 大変面白く興味深かった。SDGが注目されるずっと前から持続可能な社会を築こうとする若きパン職人であり経営者であり父であり地域住人。発酵と腐敗。どちらも同じ過程だが一方は人間の暮らしを豊かに、片方は迷惑にする。ただ、腐るということは、自然の摂理で、別に悪いことではないのだ。むしろ腐る事が普通で、腐らない事の方が、不自然。お金は腐らない。ここに違和感を感じた筆者が目指す腐る経済。お金を稼ぐ事がゴールで、さも高い年収の人が優れた人と見なされれる、文中にも出て来る「外資系」企業で働く搾取されたサラリーマンの私。こういう生き方を尊敬しつつ、自分はどう生きるのが幸せか、改めて考えるきっかけとなった。地域限定通貨は、今、もう実現している。すごい予見。
    タルマーリーと勝山という街に行ってみたい。そうすることが、彼らを応援し、このチャレンジを持続させる一助となるだろうから。
    自然に抗う事なく、自然に身を任せる。そこに全ての答えがある、そう考えるようになった、とても良い本。

  • 田舎のパン屋さんが、マルクスの資本論などを説く。自然酵母でできたパンづくりを通じて、地方経済のひずみや自然界の豊かさを語る。自営業で利潤を得ない小商いというのは、理想論ではあるけれど、昔の農村の地産地消、自給自足社会で、誰もが生産者であり消費者でもあったころは、自分の手掛けたものにもうすこし誇りを持って生きられたのではないだろうか。

  • パン屋カフェで読んだ。

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著者プロフィール

1971年生まれ。東京都東大和市出身。23歳でハンガリーに滞在。25歳で千葉大学園芸学部入学。農産物流通会社に勤務後、 31歳でパン修業を開始。2008年千葉県いすみ市で、自家製酵母と国産小麦で作るパン屋タルマーリー開業。10代にパンクバンド活動で培ったDIY精神から、起業後は自力で店を改装。2011年岡山県に移転し、野生の麹菌採取に成功。2015年鳥取県智頭町に移転。パンの技術を応用し、野生の菌だけで発酵させるビール醸造を開始。著書に『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』(講談社)、『菌の声を聴け』(ミシマ社)。

「2022年 『撤退論 歴史のパラダイム転換にむけて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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