誰も戦争を教えてくれなかった

著者 :
  • 講談社
3.49
  • (35)
  • (96)
  • (78)
  • (34)
  • (5)
本棚登録 : 1185
感想 : 113
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (346ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062184571

作品紹介・あらすじ

誰も戦争を教えてくれなかった。
だから僕は、旅を始めた。

広島、パールハーバー、南京、アウシュビッツ、香港、瀋陽、沖縄、シンガポール、朝鮮半島38度線、ローマ、関ヶ原、東京……。

「若者論」の専門家と思われている28歳社会学者。
そして「戦争を知らない平和ボケ」世代でもある古市憲寿が、
世界の「戦争の記憶」を歩く。

「若者」と「戦争」の距離は遠いのか、
戦勝国と敗戦国の「戦争の語り方」は違うのか、
「戦争、ダメ、絶対」と「戦争の記憶を残そう」の関係は歪んでいるのでは――。

「戦争を知らない」のはいったい誰なのか、
3年間にわたる徹底的な取材と考察で明らかにする、
古市憲寿、28歳の代表作!

◆オビ推薦:加藤典洋氏
「一九八五年生まれの戦後がここにある。」

◆週末ヒロインももいろクローバーZとの1万2000字対談を収録!
「5人に『あの戦争』に関する全20問のテストを解いてもらったら……」

◆巻末に「戦争博物館ミシュラン」まで付録!

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 2011年にパールハーバーのアリゾナ記念館を訪れて以来、日本や世界各地の戦争博物館・戦跡を巡るようになった著者。
    館内は意外にも反日的な要素がなく、アメリカが戦争で華々しく勝利を遂げた様子が解説・ディスプレイされていたとのこと。青い空・海に囲まれた白い建物というコントラストも相まって、一種の「爽やかさ」まで感じられた…。
    学校で習うような「悲惨な戦争」のイメージとかけ離れていたことから、各国の「戦争の残し方」に興味を持つようになったという。

    「歴史を扱う博物館は、決して死物の貯蔵庫ではない。歴史の再審のたびに展示内容が書き換えられ、その表現のテンションまで変わる、生きた『現在』の場である」

    博物館・戦跡をマジメに巡るようでは修学旅行の平和学習と大差ない。不謹慎と分かってはいるけど、その態勢だとたちまち退屈してしまう。
    そこで著者は館や跡地に「エンターテイメント性」の視点を加えることにした。アウシュビッツ(ポーランド)やザクセンハウゼン収容所(ドイツ)・旧海軍司令部壕(沖縄)etc.と、部屋までも当時のまま残し来館者に体感して貰えるほどポイントが高いようだ。レプリカや人形を設置していくのとはわけが違う。(負の遺産を巡る観光を表す「ダークツーリズム」という言葉を本書で初めて知った)

    ……正直自分にとっては「戦争博物館」と「エンターテイメント性」って結びつけ辛いし、そういった場所では記念撮影すら躊躇してしまう。なかなか賛同できずにいるけど、それが戦争を知らない彼なりのアプローチだったのかなと思うことにしている。

    「戦争というのはきっと、遠く離れれば離れるほど、まるで知らなければ知らないほど、盛り上がれるものなのだろう」

    年齢表示も大きな特徴の一つだ。
    本書では人名の後に数字が付されており、終戦の1945年を起点としていつ生まれているのかを示している。ひめゆり部隊の候補から外れた外間房子さん(-16)、韓国の戦争博物館を訪れる前にインタビューしたBIGBANGファンのアユミさん(+40)といったふうに。(シェークスピア(-381) ・ドラえもん(+167)なんてのもある)

    特に戦後生まれは終戦から何年後かによって、戦争に対する意識の深さを測っているふしがある。補章「ももいろクローバーZとの対話」とかそれにあたるかも。ちなみにそこでは博物館・戦跡巡りに触れておらず、年号など理解度の確認や戦争観を話し合う場となっている。
    理解度が乏しくとも決して無関心でないことが、強い意思のこもった言葉を通して伝わってきた。

    「戦争を知らずに、平和な場所で生きてきた。そのことをまず、気負わずに肯定してあげればいい」

    日本と違って現代史を徹底的に指導する国。戦争を好意的に見る国。
    戦争観は生き物のごとく今を生きる人々の中に生き、時に変化する。当時の戦争自体知らずとも、その生き物の動向を注視するのは今を生きる我々にしかできないことだ。

  • 歴史の教科書から見た「戦争」は、戦争のたった一面に過ぎないんだなって思った。新しい視点ゲット〜♪

  • 誰も戦争を教えてくれなかった 単行本 – 2013/8/7

    箱モノより実物がよりインパクトあり
    2014年8月2日記述

    古市憲寿さんの著作。
    2013年の夏に出ている。

    戦争論というよりは戦争博物館論とでもいう感じだった。
    真珠湾、ドイツ、ポーランドのアウシュヴィッツ、中国、韓国、そして日本国内の戦争博物館、歴史博物館をめぐることで各国での第二次世界大戦をどう認識しているか、どう評価しているのかを読み取り、今を生きる私達が第二次世界大戦との向き合い方を示そうとしている。

    *1894年に起こった旅順虐殺事件はまるで知らなかった。有名でない点では日本人が虐殺された通州虐殺事件とやや似ている。
    ちなみに通州虐殺事件の犠牲者は264人。
    この項目は勉強になった。
    戦争時に虐殺事件は起こりうるのだと実感。
    ただ南京虐殺事件のようにプロパガンダ用としてありえない数の虐殺者数を上げるのは間違っている。
    こういう時に大事なのは数をありのまま発信することなのだろう。

    中でもやはり実物をそのまま残す方法が単なる箱モノ展示以上に効果があるのは著者の博物館巡りからも確かなようだ。
    アウシュビッツやザクセンハウゼン記念館、原爆ドームの迫力が物語っている。

    ただ残念なことに日本では実物を残すことは熱心に行われなかった・・
    長崎でも原爆ドームに準する建物だった浦上天主堂を取り壊してしまった・・
    もし長崎に今も浦上天主堂跡があればもっと大きなインパクトを世の中に発信できていただろうし外国人旅行者も多かったはずだ。

    広島は京都並に外国人旅行客が多い。
    しかし長崎はそれほどでもない。
    箱モノの限界という言葉が本書には何度も出てくる。その通りだろう。
    箱モノの限界を越えるためにディズニー化したり、
    箱モノの限界を越えるために莫大な費用をかけてリニューアルしたり、それらは無駄ではないけど、それなら実物を残した方がてっとり早く思う。
    このことは東日本大震災の爪あとを後世にどう伝えるかという問題に通じると思う。

    また箱モノである博物館建設は乃村工藝社が靖国神社にある遊就館、沖縄県平和祈念資料館ともに同じ会社が手がけていたのは何だか不思議。

    著者も述べているけど第二次世界大戦のような総力戦ばかりを戦争であると日本人が思い込むことで戦後世界各地で起こる紛争や戦争の現実に想像力が及んでいないのではないかという指摘はなるほどと思った。
    無人機、ロボット、サイバー空間、局地戦などがこれからの戦争なのかもしれない。

  • 世界の戦争博物館巡りをまとめた本
    戦争の残し方、政治的な場所、その国家が戦争をどのように認定しているか可視化
    国家の歴史をプレゼンし犠牲者を追悼する崇高な施設
    博物館展示学という専門分野が存在 展示技術が発展、情報技術の活用が盛ん
    1980年代歴史認識の問い直しをめぐって各国が揺れた時期
    個人の価値観が多様化する時代に自国の歴史を再考
    博物館と言うハコモノの限界 残すというより整える
    あの戦争を正しかったと信じる人から見れば遊就館に行けば満足 あの戦争を加害と侵略の歴史と考える人は沖縄平和祈念資料館に行けば満足 両者が歴史認識に関して改心できるほどの展示内容になっているか

  • その国の戦争博物館がどんな展示をしているかを観に行って、その国の歴史観を読み取る。
    現代も戦争を続ける戦勝国アメリカ、そのまま残すことを重視したアウシュビッツ(ポーランド)、大日本帝国に侵略(侵攻)された中国や韓国、左にも右にも気をつかって明確な立ち位置を示さない日本。

    ”戦争=絶対ダメ!”という価値観に縛られない古市さんの視点で、各国の歴史観を観ていくのはとても興味深かった。
    (写真に写る古市さんはだいたいチェックのシャツを着ていた。ブランドショップを巡るのが好きみたいだけど、このチェックのシャツたちもブランド物なのかな、と思った)

    日本以外の国々では9月2日が戦争が終わった日であり、占領期の日本でも9月2日が「降伏記念日」だったはずが、1963年に戦没者供養とお盆を重ねるようにして8月15日が「終戦記念日」になったという。
    歴史は認識によって変わるんだな、と改めて思う。だから教科書の戦争に関する記述や博物館の説明文に細かく抗議をする人たちがいるんだろうな。それぞれの認識にズレがあるのは当たり前なんだけど、様々な事情があって都合のいいように解釈してる場合もあるし、何とも言えない部分だ。

    終盤に古市さんとももいろクローバーZの対談が載っていて、これは2013年当時ネットで騒ぎになったやつだな、と思い出しながら読んだ。
    まとめサイトには、”反日アイドル!?”なんて書かれていたようだったけど、全文読んでみたら”日本と韓国仲良くしようよ”という内容で、何がネットを盛り上げてしまったのかわからなかった。
    悪意を持って恣意的に発言を切り出せば、反日発言をしているように見せられるかもしれないけど、対談内容すべてを読めばそんなことを言っていないのはわかるはずなのに、当時ネットで怒っていた人たちはそんなの読んでなかったんだろうな。
    (何か問題があったとすれば、有安さんが全然発言しないことくらいだ)

    こうやって認識のズレが生まれて、歴史は変わっていくのかもしれない。
    そういった認識の違いを含めたものを、戦争の歴史と呼ぶべきなのかもしれない。

  • ときおり各所で批判とボヤ騒ぎで話題になる古市サンですが、
    私は彼のノリ大好きです☆
    自然体なところとふてぶてしさに、ユニークな才能があると思うので、応援したいです。

    「なぜそれでも日本人は戦争を選んだのか、日本軍が敗れた失敗の本質はどこにあったのか、どうして敗北を抱きしめなくてはならなかったのか。そんなことには興味がなかった」

    っていう冒頭のくだりが笑いのツボにはまりました。
    いずれも真摯に戦後の問題を考察している本のタイトルじゃないですか。
    こういうスカした態度のセンスが大好きです。

    本書では米国、ドイツ、中国、韓国など世界各地の戦争博物館および沖縄戦や広島原爆、東京空襲などの日本の博物館を巡り、各国が自分たちの歴史をどう展示しているのかをゆる☆ふわに比較考察しちゃってる本です。あくまで学生の海外旅行の延長線っぽい軽いノリで、というのがポイント。

    リアル保存にこだわるアウシュビッツやエンタメ感満載の韓国、やけに明るいノリの真珠湾。
    一方日本の、「右翼にも左翼にも批判されないように配慮しまくった」結果、無味乾燥の残念感満載の無数の博物館たち。
    ここ完全に同意という感じでした。

    もうちょっとちゃんと世界を回って考察すれば立派なダークツーリズム本になったのにねっていう残念感から星ひとつマイナスしました。でもそれが彼の本らしさなのかもしれないですが。

  • 本をめくると保守おやじが眉にしわを寄せて起こりそうなフレーズがある。

    「僕たちは戦争を知らなくていい」

    この作品は戦争の記憶をどう「繋いでいるのか」という現在の我々をフィルターにしながら、戦争博物館を訪ねるという紀行記を描くことで、過去を描き、その過去を“体験”として継承することの難しさをあぶり出し、そして未来の戦争すら描いてみせる。

    ディテイルにこだわることで、世間にあふれる“常識”にツッコミを入れていく社会学の文法。これは雑な議論で感情論をぶつけあっている今の思想界には必要な視点。

    各国にある戦争資料館は“あの戦争”の記憶を継承していこうと苦心している。それは記憶を残すということよりも、人間の業と戦っているようにも見えた。

    そして、我が国はその記憶の継承という戦いすら放棄しているのか、継承する言葉を持たないのか・・古市くんの博物館をめぐる旅は結局のところ、我が国の大人が“あの戦争”の記憶を伝えることを放棄してきたのだということを浮き彫りにする。

    しかし、著者の古市氏はその我が国の現状を嘆いて終わる憂国記としてこの作品を終えない。

    それが最初に記した“未来”の記述だ。

    未来の戦争の形。

    あまりに過去の継承にこだわりすぎるあまり、いま現実に変わりつつある戦争の姿を見失っていた。これは読んだ私の衝撃にも近い感覚。

    文体は古市氏のひょうひょうとしたキャラクター全開で、クスッと笑ってしまう脚注も魅力の一つだ。旅をしながら考える。データを客観的に分析しながら考える。どれも面白い“気づき”を与えてくれる。

    そんな中で最終章には驚いた。

    急に小説になるのだ。紀行記であり社会評論であり続けたこの作品のラストは小説に変わって終わる(ホントはももクロとの対談が本当の最後だがそれはアンコール扱い)。

    この最後の“小説”こそ、ミソではないか。

    この作品で見えてきたことと未来についての考察がブレンドされて近未来のある一日が出現する。ここにこそ嫌悪の正体が描かれていた。


    “あの戦争”は体験は出来ないが、結局我々の現実と“地続き”なのだ。そしてそのまま我々はなんとなく未来を迎える。


    そこからは・・・。
    「記憶」を残すとはどういうことなのか。

    そして、我々にはいま残さなければならない「記憶」があるのだということに気づいて本を閉じる。

  • 他の著作よりは本当っぽい。

    この書評が一番合っていると思う。
    http://mercamun.exblog.jp/21402450/

  • これでハワイ行きを決めた。

  • NDC分類 209.74

    「「若者」と「戦争」の距離は遠いのか、戦勝国と敗戦国の「戦争の語り方」は違うのか、「戦争、ダメ、絶対」と「戦争の記憶を残そう」の関係は歪んでいるのでは――。
    「戦争を知らない」のはいったい誰なのか、3年間にわたる徹底的な取材と考察で明らかにする」
    序章 誰も戦争を教えてくれなかった
    第1章 戦争を知らない若者たち
    1 戦争を記憶する
    2 戦争を知らない日本人
    第2章 アウシュビッツの青空の下で
    1 万博としてのアウシュビッツ
    2 ベルリンでは戦争が続いている
    3 僕たちはイタリアを知らない
    第3章 中国の旅2011?2012
    1 上海――愛国デモの季節
    2 長春――あの戦争は観光地になった
    3 瀋陽――倒された塔の物語
    4 大連・旅順――南満州鉄道の終着地
    5 再び上海――戦争博物館のディズニー映画
    第4章 戦争の国から届くK-POP
    1 新大久保の悪夢
    2 感動の戦争博物館
    3 戦争が終わらない国で
    第5章 たとえ国家が戦争を忘れても
    1 沖縄に散らばる記憶たち
    2 平和博物館のくに
    3 そうだ、戦争へ行こう
    4 大きな記憶と小さな記憶
    第6章 僕たちは戦争を知らない
    1 2013年の関ヶ原
    2 僕たちは、あの戦争の続きを生きる
    3 戦争なんて知らなくていい
    終章 SEKAI no OwarI
    補章 ももいろクローバーZとの対話
    戦争博物館ミシュラン

    古市憲寿[フルイチノリトシ]
    1985年東京都生まれ。東京大学大学院博士課程在籍。慶應義塾大学SFC研究所訪問研究員(上席)。専攻は社会学。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した著書『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)で注目される。大学院で若年起業家についての研究を進めるかたわら、マーケティングやIT戦略立案、執筆活動、メディア出演など、精力的に活動する

全113件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1985年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。2011年に若者の生態を的確に描いた『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。18年に小説『平成くん、さようなら』で芥川賞候補となる。19年『百の夜は跳ねて』で再び芥川賞候補に。著書に『奈落』『アスク・ミー・ホワイ』『ヒノマル』など。

「2023年 『僕たちの月曜日』 で使われていた紹介文から引用しています。」

古市憲寿の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×