屋根屋

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (314ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062187749

作品紹介・あらすじ

雨漏りのする屋根の修繕にやってきた工務店の男は永瀬といった。木訥な大男で、仕事ぶりは堅実。彼は妻の死から神経を病み、その治療として夢日記を付けている。永瀬屋根屋によれば、トレーニングによって、誰でも自在に夢を見ることができるという。「奥さんが上手に夢を見ることが出来るごとなったら、私がそのうち素晴らしか所に案内ばしましょう」。以来、二人は夢の中で、法隆寺やフランスの大聖堂へと出かけるのだった。

感想・レビュー・書評

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  • 表紙絵はマルク・シャガールの『街の上の恋人たち』。その絵からイメージを膨らませたような不思議な話だった。
    家の屋根を修理しに来た屋根屋に明晰夢の見方を指南してもらい、私は屋根屋と一緒に夢の中の旅をする。
    2人の旅は夢の中とはいえ、なんとも甘美。シャガールの空を飛ぶ恋人たちのように。黒鳥になる場面は「レダと白鳥」を彷彿させる。
    2人が訪ねるのは、福岡市の東経寺大屋根、奈良の瑞花院吉楽寺、法隆寺の五重塔、フランスのノートルダム寺院、シャルトル大聖堂、アミアン大聖堂など。国宝建造物の屋根の上からの景色。フランス料理や極上ワインを楽しみ、水の中を泳ぎ、ヒマラヤの峰々の上を飛ぶ。夢のような旅(夢なんだけど)。夢が素晴らしすぎて、現実の世界が薄れる。夢に囚われていく。
    「屋根瓦の上は、なんと静かな、清浄な空間でありますか。この何にもない所に二人で一緒に棲み着かんですか」屋根屋の言葉は哀しい。
    屋根の美に魅せられ、妻亡き後は夢行きを楽しみながら独り静かに暮らしていた男の寂しさを感じる。
    屋根上で仕事をしている男に対し、地に足つく生活感溢れる主婦の私はあくまで現実的。

    読んでいる「私」が主人公の「私」になっていくような、夢の中に入り込んで迷子になりそうな不安を感じながらも、現実から逃避したい気持にもなる。
    現実と夢の境界が曖昧になり、どちらが夢か、どこから夢か分からなくなる。やはり怖い気がする。

  • 表紙のシャガールの絵がイメージぴったりの、不思議な物語だった。

    雨漏り屋根の修理に来た職人の永瀬は夢を自在にコントロールできるという。
    話を聞くうちに夢の世界と、そこで見る屋根の上に興味を持ち始める施主宅の「奥さん」。
    夢に同行したがる「奥さん」と渋る永瀬。押し切られるように夢旅行を重ねてゆくうちに、二人の積極性が逆転し、だんだん雲行きが怪しくなりはじめる。
    ファンタジー?
    妄想?(なら、誰の?)
    夢か現か?(どこからが?)

    着地点が気になりページを繰ったが、中盤以降、冗長な気がした。
    もっと短くしたほうが、二人の積極性が逆転する辺りからの不穏な空気感、夢に囚われてしまいそうな怖さ、なのに振り払いきれない未練、などが生きてくる気がする。
    結末に向けての数十ページも少し描きすぎに感じた。

    国宝級のお寺の屋根瓦に残る「落書き」についての話がおもしろかった。
    瓦師の味わい深い日常、若い坊主の想い人への賛辞と名前、庶民の大工の手習いの歌、などユーモアやロマンたっぷりのそんな話を聞いたら、私が「奥さん」でも、きっと夢行きに同行したくなると思う。

  • 専業主婦の主人公が、屋根の修理に来た屋根屋と夢の話になり、いつしか二人は夢の中で落ち合うようになる。と書くと不倫もののようだが、何しろ夢の中の出来事だから…。
    夢の中でお寺の屋根に登り、更にフランス旅行をして大聖堂の屋根に登り、更に更に空を飛んでまさに「夢のよう」な体験をして、でも段々夢に捕らわれて行くようで怖かった。主人公が飄々としていて、それに気付いていないのにも。
    夢か現実か分からなくなるのは困るが、夢をコントロールするのは楽しそう。私も見たい夢のシミュレーションして眠ってみようか。

  • ある主婦が、雨漏りを修理に来た屋根屋の職人と雑談をするうちに、
    夢の中で好きな所に連れて行ってやると言われ、
    半信半疑ながらも教えられた通りに。
    夢の中で待ち合わせ、彼女の希望通りの場所へ行く二人。
    夢行きの旅はしだいに遠く、しまいにはフランスまでの長旅へ。
    それは幾晩も連続した夢を見るという、難しい技術が必要だった。
    リアルな夢に耽溺した主婦はどうなるのか....?

    誰かの夢と自分の夢がドッキングするという発想が、とても面白い。
    しかも相手はゆきずりの(?)屋根屋だ。
    旅する場所は、大きな寺院や大聖堂の屋根ばかり。
    地上から離れた、足場の安定しない屋根の上という状況が、
    吊り橋を渡る時のような緊張感を生み出すのか、
    他人同然だった二人の距離がどんどん縮まっていく危うさに、
    なんだかドキドキした。
    セクシュアルな関係ではないけれど、精神のエロティシズムを感じた。
    夢と現実が入り交じったような、不思議であいまいなラストがこのストーリーにはぴったりだ。

    表紙のシャガールの絵にインスピレーションを得て書いたのでは?
    と思わせる、斬新な着想の大人のファンタジー。
    いろんな場所へ連れ回され、なかなか楽しい疑似体験の読書だった。

  • 上手いタイトルをつけたものだ。上から読んでも下から読んでも、右から書いても左から書いても同じ漢字を使った最短の回文「屋根屋」である。もっとも、作者が名うてのストーリー・テラーとして知られる村田喜代子。この人の書くものならタイトルが何であっても手にとるだろう。空を飛ぶ恋人たちやロバの絵で知られるシャガールの絵を表紙に使って、シャレた本が出来上がった。

    「私」は、北九州市に住む専業主婦。夫はサラリーマンで、休日はゴルフ三昧。息子は受験勉強とテニスの部活に忙しい。新しく東京に建てる電波塔の名が「東京スカイツリー」と決まった梅雨に入ったばかりの頃、築十八年の木造二階建てのわが家に雨漏りが始まった。素人の夫では手に負えず、専門業者がやってきた。

    「永瀬工務店」は、屋根専門の工務店。永瀬は以前寺社の屋根修復に関わっていたが、長期に及ぶ仕事中に妻が入院、勝手に休むこともできぬまま妻は息を引きとり、死に目に会えなかった。それ以降、大屋根の端から飛び降りたくなる強迫神経症を病み、医者にその日見た夢を記録する日記をつけることを言い渡され、そのお陰で快癒。夢日記はその後も続けること十年、今に及ぶという。

    夫と一人息子が出かけた後、週日の日中を独り過ごす「私」は、毎日やってくる屋根屋との休憩時の茶飲み話を楽しみにするようになる。屋根屋は長年の修練で夢を自在に見ることができるという。そんなある日、夢でフランスのとある町の屋根の上にいたことを話したついでに「私」は、屋根の夢が見たいと口にする。永瀬は「私がそのうち素晴らしか所へ案内ばしましょう」と言うのだった。

    ここまでなら社交辞令ですむ。ところが、次に会った時永瀬は、自分が見たい夢を見るには、見たい夢の体験を作ることだと言い、手帖を破るとその一枚に福岡市にある寺の所番地を書いて手渡した。近くの高いビルの上から屋根を見るのだと。実際に足を運んだ時点で、女は男の術中に陥ったと言えるかもしれない。次は、夢を思い出しやすいレム睡眠中に覚醒するため、いつもより一時間早く目覚まし時計をセットして眠るように、と永瀬は電話で指示を出した。後は、夢の中で会いましょう、と。

    家族にかまってもらえないことで不満を燻らせていた専業主婦が、無意識の裡に募らせていた自分のことを見てほしい、という願望が識閾を超えて噴出したと見るべきだろう。たとえ、夢の中とはいえ、夫以外の男と逢瀬を楽しむことに、女は何の葛藤も感じていない。ところが、夢の中、ネグリジェ姿で寺の大屋根の上で男を待つ女の上に現われたのは、咆哮する金茶の大虎だった。消え去った後で屋根屋が言うには、心の隅で思っていたご主人が出て来たのだろう、と。罪の意識はあったのだ。

    一度味をしめるともう止まらない。次は奈良にある瑞花院吉楽寺。瓦に落書きがあることで知られる古刹である。ここでは、オレンジ色の火の玉に脅かされる。どうやら屋根屋の死んだ妻らしい。どちらも疚しさを感じつつの道行きなのだ。極め付きは連続夢を使ったフランス旅行だ。シャルトルやアミアンの大聖堂の屋根を見てみたいと言う屋根屋の夢につきあって、毎晩夢での逢瀬を楽しむ「私」。二羽の黒鳥になって大空を飛ぶうちに屋根屋は、いっそこのままここで暮らさないかと女を誘う。男性読者としては、お気楽な夫に注意してやりたくなるが、同様の不満をかこつ女性読者なら、このまま突っ走れと応援するところかもしれない。

    なにしろ夢の話だからフランスにだって行ける。豪華なホテルに宿泊し、料理だって味わえる。それどころか、鳥になったり、透明になったりして成層圏近くまで上昇し、ヒマラヤ山系の上を飛んで日本に帰ってくるという豪華な旅が家にいながら楽しめるのだから、考えようによっては最高である。しかし、部屋こそ別とはいえ、連日夫以外の男と海外旅行を楽しんでいるのだ。夢であることを自覚しながら見る夢を「明晰夢」という。この明晰夢の危険性の一つとして現実との区別が付かなくなることがあると言われている。「夢うつつ」の毎日が過ぎるうちに「私」が陥る危険とは…。

    かつては、時々見た「空を飛ぶ夢」をほとんど見なくなった。フロイトの性的欲望説をとるなら、まあ当然と言っていいし、ユングの現実逃避や希望の拡大説をとっても、今更これといった希望もなければ、受け容れられないほど苛酷な現実もない。しかし、主人公のような立場にある人物なら、どうだろう。地方都市の住宅地にいて、夫も息子も自分のことに忙しい。自分のアイデンティティをすべてかけるほどの趣味もない。自分の知らない世界に住む強烈な個性を持った異性が現われれば、まして現実ではない夢の中の逢瀬なら、心が動くのは当然だろう。

    「夢オチ」というのは、極めて安易な解決の手法であって、村田喜代子ほどの作家がそんな結末を採用するはずはないが、どうするつもりか、と楽しみにしながら最後まで読んだ。なるほど、こうきましたか、という結末に上質の怪談を読む喜びを感じた。すべてが終わった後に背中に残るざわつく感じ。読書の愉しみをたっぷり堪能させてくれる一冊。

  • 屋根屋さんが魅力的だからこその底知れなさ、闇深さが残って、こわいなー。
    後半、引き込まれて一気に読みました。
    村田さんの本、また読みたい

  • ゴルフ三昧の夫と部活に熱中する息子との日常に退屈している平凡な主婦と、妻を亡くした孤独な屋根屋との、夢の中だけの屋根を巡る旅。
    大人の少女漫画という感じ、逆説的だけれど。主人公は、したたかで強い女だ。男性の方がロマンチストで、そして脆い。主人公が介入してこなければ、屋根屋は孤独だけれど、波のない夢の中での屋根を巡る旅を心穏やかに楽しめただろうに。
    最初の方の、主人公が料理を振る舞う中で2人の距離が縮まり、初めて主人公が屋根の瓦を踏む、そして夢で二人が屋根の上で会う、その流れが心地よかった。後半の展開は、永瀬だけが追い詰められて主人公は結局何も失わないのがはがゆく、もう少し、なにかえぐられるものが欲しかった。それとも全てが主人公の夢だから、こんなに主人公は優位で足場がぐらつかないのか。
    一つのものに執着して(今回は屋根)、それを軸に話が展開していく、こういうタイプの小説は好き。自分自身もそんな風に一つでも譲れないものから世界が広がっていったら嬉しい。そしてこの物語のようには身を滅ぼさないためには、現実を大切にしなければ。

  • 村田喜代子とか、多和田陽子とか金井美恵子とか、ゆるぎない独自の世界のある作家は本当に素晴らしい。
    読んでいてこの小説世界から抜け出したくない気持ちになる。冷静に考えれば、ちょっと無理のある物語でも、一旦入り込んでしまうと全く気にならない。
    安易に屋根屋が男前だったり、二人の関係が発展してしまわないのが良い。あくまで二人で屋根を上から眺め、空を飛ぶうちに漂ってくる官能の雰囲気で十分背徳的な気分になる。(特に黒鳥になってしまうくだりは秀逸)
    多分、屋根を修理したり、ヨーロッパや日本の寺院を見て回ったりした著者の経験がこういう小説になったのだろうと考えると、一般人が同じ経験をするよりずっとたくさんのことを学び、考え、感じているんだなと思う。そしてそれを結びつけてしまう能力。
    選ばれて作家になった人なのだとつくづく思った。
    こういう作家をリアルタイムで読める幸せをかみしめた。
    シャガールの表紙絵もぴったり。

  • 作品が読者を巻き込み、グイグイと中へ連れて行く。屋根屋の永瀬と屋根の修理をしてもらう家人の奥さんが中心の話。夢というのは起床時にはほぼ忘れている事もあり、深くは考えてないがこの作品を読むと夢ってコントロール出来るのかとちょっと興味を持った。しかし、夢日記に関してはいろいろと怖い話を聞くので実践はしたくない。すごく不思議な作品だがなぜか、それが心地いい。

  • 家の屋根の雨漏りの修理に来た屋根屋の永瀬と、夢の中で逢瀬を楽しむみのり。
    2人は京都の五重塔、フランスの大聖堂へと旅をした。

    ゴルフ三昧の夫と、高校生の息子と3人暮らしの平凡な主婦みのり。
    そこに現れた屋根屋の永瀬は、彼女に刺激を与えてしまったのでしょう。
    夢の中だからいいよね、という気持ちでいながら、一歩踏み出す直前まで行ってしまっていて、どうなるのかと緊張しました。
    何も無くて良かったんだと思います。

    永瀬が残した落書き。
    家の屋根瓦の上にあるかもと勝手に想像してました。
    違った…。

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著者プロフィール

1945(昭和20)年、福岡県北九州市八幡生まれ。1987年「鍋の中」で芥川賞を受賞。1990年『白い山』で女流文学賞、1992年『真夜中の自転車』で平林たい子文学賞、1997年『蟹女』で紫式部文学賞、1998年「望潮」で川端康成文学賞、1999年『龍秘御天歌』で芸術選奨文部大臣賞、2010年『故郷のわが家』で野間文芸賞、2014年『ゆうじょこう』で読売文学賞、2019年『飛族』で谷崎潤一郎賞、2021年『姉の島』で泉鏡花文学賞をそれぞれ受賞。ほかに『蕨野行』『光線』『八幡炎炎記』『屋根屋』『火環』『エリザベスの友達』『偏愛ムラタ美術館 発掘篇』など著書多数。

「2022年 『耳の叔母』 で使われていた紹介文から引用しています。」

村田喜代子の作品

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