- Amazon.co.jp ・本 (338ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062194808
感想・レビュー・書評
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本書について、レビューとして興したい言葉は幾つも思いつくものの、堂々と発表する気になれない。ただひとつ言いたいことは、人間の業はひとつの側面だけを見て判断できるほど簡単なことでは無いということ。先の大戦もそうだが、オウム事件といい日本人はこうした人が行なってしまった業に対する総括ということが極めて苦手な人々なのかもしれない。
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ご本人しか書けない本ですね。いろいろな批判はあるのかもしれませんが,著者の視点から見たオウムというものが示されたことの意義は小さくないと思います。書中にあるよう,私の勤め先の卒業生でもありますので,どのような学生生活を送っていたのか気になってました。
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オウムの麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記。 サリン事件の数日前、東京に旅行で行ってて、地下鉄にも乗ってたので、後数日遅かったらと恐ろしくなったのを思い出します。 この手記はあくまでも三女の立場から書かれた物なので、かなり見方は偏っている気がする。 ただ、麻原彰晃の娘として生まれてきた為に、重い十字架を背負わされたように、想像も出来ないような辛い人生を歩む事になったのには同情する。
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特殊な環境で生活し、育ってきた著者による自伝です。著者の言葉で記述され、その思いが伝わります。特殊な家族の中で、両親、兄弟姉妹への想い、また取り巻きへの想いを綴っています。その特殊な環境育つことによって、常軌を逸する行動を取ってしまったことも記述されていますが、その苦悩が理解できました。その特殊環境から別離し現社会で生活することを選択した著者を、静かに受け入れられる社会であってほしいと思います。
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読んでいて、松本さんの11歳からこれまでの人生の余りのハードさに、精神的に消耗した本だった。よく正気を保って生きていらっしゃるなと、尊敬する。加害者の家族がどんなに社会的に厳しい立場に立たされるかをこれまでほとんど考えたことがなかった。
この本の前に高橋英利さんの「オウムからの帰還」を読んでいた。色々な立場の人の話を知りたいと思っているが、高橋さんと松本さんの話は真っ向から対立する訳ではなかったものの、井上氏の印象は大きく違った。
何よりも驚いたのは、麻原彰晃が、松本さんにとっては大好きな父だったということだった。そんな事まったく想像したこともなく、これまでの自分のオウム真理教と事件の捉え方がぐらっと崩れた感じがする。
マスコミはともかくとして、司法の場でも真実を求めようとする姿勢が欠けているんだと感じた。事実を正しく人に伝えたり、事実を確認することがどれだけ大切な事であるかをこの本で徹底的に学べたと思う。真実は簡単に葬り去られたり、ねじ曲げられるんだなとこの社会の現実も突き付けられた。
著書も含めて幹部達が麻原彰晃を祭り上げつつ自分の願望を彼の意向にすり替えたり、失敗を彼になすりつけたりと、神格化されているからこそ良い様に利用したとあり、なるほどなと思った。太平洋戦争時の天皇万歳とつながる気がした。人は責任逃れをしたいんだろう。気を付けたい。
一般社会とオウム教団は本質的にはそこまで変わらないというような記述があって、とても印象的だった。 -
苦労してここまで整理してまとめられたのだと思う。
これからの時間で一つ一つの事柄がさらに整理され、意味を持っていくのか、このまま時がすぎるのかいつかまたまとまった形で読んでみたいと思った。 -
確かに言えるのは、子供にはその存在をそのまま丸ごと受け入れてくれる大人が必要だということ。
著者にはそれが、教祖の父親の他には、16歳で会う松井弁護士までいなかったわけで。
報道・司法・宗教・親子・社会で生きること、いろいろ考え込んでしまう。 -
感想をnoteに書きました。渾身の筆です。→ https://note.com/masakinobushiro/n/n608c2e850e62
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1995年に起こった地下鉄サリン事件はリアルタイムに経験した人にとっては生涯忘れられないほどの衝撃的な事件でした。
麻原彰晃の三女アーチャリーが見てきた父や家族、そして教団が語られています。
何が真実なのかはわからない。
でも、松本麗華ではなくアーチャーリーとしてしか世の中が扱ってくれない社会の絶望感は本当に地獄のような苦しさだったと思う。
読むほどに心が締め付けられるような本でした。