止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (338ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062194808

作品紹介・あらすじ

オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件から20年。あの頃、教祖・麻原彰晃の後継者としてメディアを賑わせた、ひとりの女の子を覚えているだろうか。
アーチャリー正大師、当時11歳。社会から隔絶された地に育った彼女は、父の逮捕後も、石もて追われ、苦難の道を歩んだ。アーチャリーとしてではなく、松本麗華として、これまで歩んできた「オウム」「父」「わたし」のすべてを明かすことに決めた。
本書は、父の逮捕の日から止まっていた時計を、自らの手で動かそうとする苦闘の記録である。

感想・レビュー・書評

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  • ジャンルで言うと宗教の括りに入るのでしょうけれども、私は手記だと考えるのでカテゴリはノンフィクション。

    生まれながらに宗教世界に染まるというのはこの手記を読んでも想像を絶します。親が教祖って…しかもあの麻原…

    私自身も親が入っていたばかりに激しい宗教勧誘に巻き込まれて(オウムではありませんよ)大変な思いをしてきた時期がありますが、本文中にもあるように相手がよくなるようにと宗教的善意で来られるのでどう断っても「不幸な人扱い」されてしまい心から迷惑でした。
    宗教的善意ほど押し付けがましく上から目線で自分勝手なものはありません。
     
    この方は今もこの宗教の関係者からは全ての縁を断ち切れていないのでしょうけれども(そして完全に断絶することは出来ないでしょうね)、生い立ちを考えたらよくここまでの客観的立場にたどり着けたな、と思います。

    「世界中を敵に回しても」という言い回しがこの人の場合は本当に当てはまってしまうのだな、ということに驚いてしまいます。
    どんな父親であっても、この人にとっては優しく唯一の心から愛する人間であり、生きる支えだったのだなということがひしひしと伝わってきて悲しいですね。

    一般的な立場から見ると鼻白むような記述も確かに散見されますが、それもよく自覚した上で自分のありのままの考えを記述されたのだろうと思います。
    この人も書かなければこれからの人生を進めなかったのかなと思ってしまいます。

    四女の方の手記も以前読みましたが、今覚えていない…
    その時現在の顔写真はさすがになかったように思いますが…顔を曝す、生き方を曝すというのは相当の覚悟が必要だったろうと思います。表紙のインパクトはすごいです。伝わってくるものがあります。

    これからもいろいろなものと闘っていかなくてはいけない人生、生き難いでしょうけれど生きてほしいですね。

  • 麻原麗華、麻原彰晃の三女アーチャリーの手記。

    20年が経過したオウムによる地下鉄サリン事件に関する資料としてまずは重要な本である。当時12歳であったという立場であり、その記述が「当事者ではない内部」からの視点である点で他のオウム関連の書籍とは一線を画している。物理的に事件の中心にいながらも、当時幼かったがゆえにある種の責任から逃れており、そのことから虚偽を述べるインセンティブが彼女にはない、という特異な立場にあるからだ。また、麻原彰晃を親しい肉親として見るという立場も、当然ながら他にはない視点を与えてくれる。一方、娘であるがゆえに父・麻原彰晃を過剰に擁護していると場合によっては捉える向きもでてくるであろう。いずれにせよ、オウム事件について考える上で、必ず読むべき本であり、そしてオウム事件は日本人にとっては自らの社会に内在する課題として考えるべき歴史のひとつでもある。

    彼女は、本書の中で父麻原彰晃がオウム事件において果たした役割について、次のように記している。
    「わたしは事件に関し、父が何をしたのかを知りません。でも、当時を思い返し、今まで自分が経験してきたことを考えると、父がすべての主犯であり、すべての指示をしていたとはどうしても思えないのです。当時父を「独占」していた村井さんや井上さんたちが、父に真実を報告し、また父の指示をそのまま伝えていたとは信じられないところがあるからです」。麻原彰晃の娘であり、あのアーチャリーである著者が、これを自らの主張として受け止められたときの世間の反応を想像できないはずはない。その意味で、彼女としてかなり踏み込んだ言明であることは間違いない。ここでは反省の不在ではなく、その覚悟の存在をこそ見るべきなのだと思う。

    オウム裁判については、彼女は森達也の『A3』を読んでいるはずだ。本書の中でも、平岡法相が麻原彰晃に会ったことを森達也に伝える箇所を引用している。それ以上に森達也の考え方が、彼女の麻原裁判に対する考えの形成に大きな影響を与えていることは確実であるように思える。しかし、サリン被害者の視点から書かれた『都子 聞こえますか』(大山友之著)、『妻よ!』(河野義行著)、『アンダーグラウンド』(村上春樹著)には直接言及しているが、『A3』や森達也の他の著作への直接的言及はない。森達也が『A3』で展開した論理は、弟子たちが麻原彰晃の意図を過剰に忖度するとともに、視覚障害があり、自ら事実を確認するに限界がある麻原彰晃に対して都合のよい情報を流す一方で都合の悪い情報が入らなかったことにより適切な判断を行う機会を奪われていたのではないだろうか、というものである。オウム事件は、麻原と弟子たちが互いにニューロンとレセプタとなって暴走した結果ではないか、と『A3』で提示された仮定は、父として麻原彰晃を認識している著者にとって、極めて精神的にフィットするものであったに違いない。そして、自然と自らの腑に落とし、まさにもともと自らの考えであるように認識するようになったのではないだろうか。

    その意味でも、この本を読むのであれば、併せて『A3』を是非読んでほしい。そうすると自分の言っていることが理解してもらえると思う。そして、きっと麻原麗華と森達也との対談を期待することになるだろう。

    著者は本書出版後、日テレ『ZERO』に出演。キャスターに、謝罪がないと批判されていたというが、この本を少しでも読んでいれば、その主張の是非の判断は置くとしても、彼女に謝罪する意図はないということが分かるだろう。
    いずれにせよ、軽々に彼女のことを反省がないなどと批判するべきではない。本書に記されているような、自らの記憶が徐々に失われていくような体験を10代において経験した人は稀だろう。彼女は、それも含めてこれまでの人生において様々な形で闘ってきたのだ。もちろん彼女の言うことが正しいというレベルのものではない。しかし少なくとも被害者への配慮や加害者家族の責任などといった議論とは独立して評価するべきものだと思う。

    読むか読まないかはあなた次第。オウムを異質な絶対悪として断罪することのみを望む人にとっては決して心地よいものではないはずだから。

    ↓『A3』のレビュー
    http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4087450155
    http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4087450163

  • 地下鉄サリン事件から20年。1995年には阪神・淡路大震災もあり、そして個人的には息子も生まれ、とても忘れられない印象的な年。
    オウム真理教の事は当時も沢山ニュースを見ていた。
    なんなんだろう?この人たちは何がしたいんだろう?選挙にも出たりして日本を自分たちの思い通りにしたいのだろうか?
    とにかく宗教とは恐ろしいものだと認識した。
    その麻原の三女が本を出すという事で、とても読んでみたいと思った。
    三女にはとても優しい父親だったようだし、彼女も父親が大好きなようだ。
    やはり人は集団になると冷静じゃいられなくなるのだろうか?
    彼女も今まで生きてくるのに尋常じゃない毎日だったろう。
    過去は消せないし、これからも言われ続けるだろうけど、負けずに生きていって欲しいとは思いました。

  • 「基本的人権」
    この本を読んでいるあいだ、この小学校の社会科で習うはずの言葉が、何度も頭を横切って仕方がなかった。著者は、最低限の人権も認められずに、その半生を生きてきた。
    もちろん著者には、その生育環境や境遇から、世間知らず部分もあったのだろう。しかしそれとて、責任のすべてを本人に着せることは正しいとは思えない。
    また、この本の内容に、もしも多少の誇張や保身が入っていたとしても、それは別問題だ。
    こんなことが、あっていいのか?

    ネット上に散見される出版に対する非難も、大方は的はずれだ。
    オウム事件の責任は、もちろん厳しく問われるべきだ。だが、問う相手はこの著者ではないだろう。著者には、(おそらく)責任はない。謝罪しなければいけないのは、この著者ではない。
    著者を攻撃している人の頭のなかは、子どもの「エンガチョ」の発想に近い。いじめっ子の思想。極めて幼稚だ。そして、危険だ。

    そんなことを理解しない日本の社会は、まだまだ社会的な成熟度が、相当に低いと言わざるをえない。
    非常に野蛮だ。
    (話題がズレるが〔いや、本当は深くつながっているのだが〕、知性のない政治家たちによって憲法を後退させる議論が進もうとしているのも、むべなるかな)

    心から思う。
    著者が一日も早く、「ふつうに」行きていけるようになりますように。
    そのような進んだ日本社会に、一刻も早く成長していきますように。

  • 子は、親を選べない。
    あの地下鉄サリン事件の起きた95年、自分はまだ小学校に入りたてくらいだったので、事件のことはほとんど記憶に残っていない。
    一方作者は11歳。11歳といえば一般的な生活を送っていればそれなりに判断力や道徳の身につく年齢であるはずだけれども、彼女はずっと教団の中にいて、正規の学校教育を受けることはほとんどなかったようだ。そんな彼女にとって、あの事件はどのように目に映ったのだろう。
    恐らく彼女が見させられていた狭い世界の中では、(彼女が教団内で高い地位に置かれていたことも含め)教団内の中の黒い沈殿物を見させられることはほとんどなかっただろう。
    先日たまたまニュースでかつて信者だった人のインタビューを目にしたのだけれども、解脱のために薬物を使用していたことなどが語られていた。彼女がそれらを知らなかったことを、無知だと責めることはできないように思う。
    そして決定的な事件が起き、教団はばらばらになって、それでも彼女は『麻原彰晃の娘』というだけで崇めたてつられ、そこから逃れることができない。組織が壊滅的になってようやく彼女は自身の人生と向き合うことになるのだけれど、それは公安の監視下に置かれた生活で、しかもその出自によって学校への入学を拒否させられたり、バイトを首になったり、「当たり前の、普通の」生活から排除させられる。それでも彼女はなんとか社会に順応しようと懸命に努力する。
    そしてこの手記を出すことで、自分が『麻原彰晃の娘』であるということを認め、一歩歩き出そうとしている。
    かつて道端の虫を踏んで殺していたとき、麻原は無益な殺生はしてはならないと彼女に教えたという。
    また自分も知らなかったことだけれども、麻原は全盲だったということだ。
    彼女は信じている。あの一連のテロ行為は、父の命令によるものではなかったと。その考えに恐ろしさを覚えつつ、しかし家族を信じる気持ちを決して否定することはできない。
    現在の麻原は既にまともな受け答えができない状態になっているという。真実は闇の中で終わってしまうのだろう。

  • あれから20年当時子どもだった著者の半生記。
    オウムに関係があったり、思い入れがあれば別の感想になるはずであろうが、被害者の方には特に不謹慎かもしれないが非常にユニークで小説では書けない面白い本。
    不運な生い立ちとしか言いようがないが、家族であることの大切さつらさ、社会の生きにくさに直面しつつも、前向きに生きていきたいという女性の今までの記録。親の影響や責任は重いということをまたそれを超えた人のつながりが重要であるということが再認識させられる。

  • 止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記 松本麗華
    2015年3月20日第1刷発行
    2017年9月27日読了

    松本麗華 まつもとりか
    1983年4月、オウム真理教の教祖・麻原彰晃と松本知子の三女として生まれる。
    1995年に父が逮捕された後は、教団内で唯一の「正大師」として様々な問題に巻き込まれていく。その後、教団から離れ、文教大学に入学、心理学を学ぶ。現在も、心理カウンセラーの勉強を続けている。

    子は親を選べないと言うが、読んでいてこの人もオウム真理教の被害者ではないかと思った。
    父親への深い愛情、依存とも思えるほどの想いが読み取れる。
    一方で事件に関する事実、マスコミで報道されていることとの食い違い=大体はマスコミのでっち上げ。については著者の話の方が信頼性が高いのではないかと思った。
    確かに、強迫観念、うつ病であることを著者で記載しているが同等以上にこの本からは1人の素直な人間の言葉もあると感じられました。
    おそらく、オウムに巻き込まれなければ普通の、一女性として人生を送っていたのではと思うほどに。
    オウム真理教の麻原彰晃の娘というネームバリューは大きく、その子供からの視点という意味では価値ある一冊と思いました。

  • 2016.7.7読了
    とても読みづらい文章だったけど、彼女が一生懸命描いたのは伝わった。子は親を選べない、彼女にとっては大事な父親、ましてや事件当時は11歳の学校にも通わず小さな世界で生活していた女の子。とはわかっているのだけど、余りにも大きな事件過ぎて、複雑としか言いようがない。ただ、彼女の人生は彼女のもので、こうして事件と向き合っている姿を知ることができて良かったと思う。(図書館)

  • 麻原彰晃の三女の手記。自身ではどうしようもない運命に翻弄されたこれまでの人生を振り返る。
    気の毒な反面、彼女に責任ないこととはいえ、被害者の方に向き合う姿勢がもっとあってもよいのではないか。
    父親を庇護しようとする思いも、理解できなくはないが、違和感は残った。

  • たしかに壮絶な人生で計り知れない苦労があっただろう。でも、腑に落ちないことだらけの内容。記憶を失ったといいながら、子供のころのことを詳細におぼえていたり、自分と関わった人たちを善と悪の二種類にキッパリわけていたり。うまくいかないことは全て周りのせいだったり。結局なにを語りたいのかわからなかったり。カウンセラーになる夢は立派だと思うけれど、それ以前に本人がしっかりと、カウンセリングを受けるべき、という印象。同情はするけれど共感はできない。

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著者プロフィール

1983年4月、オウム真理教の教祖・麻原彰晃(松本智津夫)と松本知子の三女として生まれる。
1995年の麻原教祖の逮捕後は、教団唯一の「正大師」としてさまざまな問題に巻き込まれたが、16歳のときに教団から離れた。
現在は執筆のほか、インストラクター、カウンセラーとして活動。文教大学臨床心理学科卒。日本産業カウンセラー協会、日本人間性心理学会所属。

「2018年 『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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