- Amazon.co.jp ・本 (194ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062198417
作品紹介・あらすじ
追いかけるから、負ける。追いかけるから、苦しくなる。待つことができるのが、本物の大人なのだ。ベストセラーシリーズ待望の第5弾
感想・レビュー・書評
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1.著者;伊集院氏は、小説家・作詞家です。電通のCMディレクターになり、松任谷由実や松田聖子のツアー演出を手掛けました。その後、作家デビュー。「乳房」で吉川英治文学新人賞、「受け月」で直木賞、「機関車先生」で柴田錬三郎賞、「ごろごろ」で吉川英治文学賞を受賞。また、伊達歩の名で作詞家としても活躍。「愚か者」で日本レコード大賞を受賞。マルチな才能を発揮しています。
2.本書;伊集院氏が『追いかけるな』をテーマにした理由を書いています。「望み、願いと言った類いのものを、必要以上に拘ったり、必要以上に追いかけたりすると、それが逆に、当人の不満、不幸を招く事が、・・・間々あり得る事を見てきたから」と。4章の構成。「第一章;追いかけるから、負けるんだ」~「第四章;生きるとは失う事」。シリーズ合計で、220万部超のヒット作(2022年3月)。
3.個別感想(印象に残った記述を3点に絞り込み、感想を付記);
(1)『第一章;追いかけるから、負けるんだ』より、「(銀座の底力)作家は自分一人の才能で一人前になると思っている人もいようが、それは違う。人間の才能なんて高が知れている。どんな職業、仕事も周囲の人が見守り、育ててくれるのである」
●感想⇒「人間の才能なんて高が知れている」について。私は、才能には個人差があると思います。しかし、努力すれば、そこそこのレベルまで到達できるので、自分が目指すもの(仕事や職業など)には、刻苦勉励骨身を惜しまず努力する事です。そうすれば、たとえ目標を達成出来なくても、満足感は得られます。結果よりもプロセスに意義があると思うからです。但し、著者が言うように、一人前になるには、周囲の人(親・先生・友人・知人・・)の支援が不可欠です。知人の中に、関係者の有形無形の恩を忘れて、自分の才能を自慢する人がいます。自己中心の生き方をする人は、いずれ相手にされないでしょう。世の中は人の集まりです。感謝の気持ちを大切にしたいものですね。
(2)『第三章;私は黙っていた』より、「(必ず帰ってくるから)子供に対しても、ましてや可愛いと思う孫に対しても、厳しく接する親、祖父母が少なくなった。子供を甘やかしても、ヤワがさらにヤワになるだけである。・・子供というものは何一つわかっていないものだ。・・それを一つ一つわからせるには、辛抱強く躾けるしかない。躾けて初めて子供は理解する。自主性?バカを言ってはイケナイ。そんなものはすべてを教えてから、後の事だ。今、孫に何かを残したい、と相続する準備をする祖父母が増えているらしい。バカな事をしなさんナ」
●感想⇒最近、子供の就職やお見合いに、親がついてくる事があるそうです。著者が言うように、「子供や孫に厳しく接する親、祖父母が少なくなった」からでしょう。某教育者によれば、「人格は3歳頃に基礎ができる」との事。幼少時の躾は重要なのですね。事ある毎に、言って聞かせなければなりません。そして、頃合いを計って本を読ませたり、様々な体験をさせる事も大事だと思います。私なら偉人伝の類いを読ませます。時には図書館に連れて行って一緒に読書するのも良い事です。そして、読後の感想を話し合い、読んだ本の良し悪しを述べ合うのもステキですね。老婆心ながら、”躾”と言いながら、体を叩くなどの暴力は決してしてはいけません。先々まで心の傷になるからです。
(3)『第四章;生きるとは失うこと』より、「(生きるとは失うこと)憂うのは、今の日本人の、個の甘さ、甘え、である。皆が一つの方向へ行けば、ワァーッとヒ弱な鳥のごとくそちらへ走る。敢えて苦節に身を置かねばならない年齢の若者が、スマホを後生大事に持って、暇があれば覗いている。バカナコトヲ・・・。・・情報より大切なものが、人間が成長する時期にはあるだろう。・・君たちが何も持たない普通の若者なら、人の何倍もの苦節経験しなければ、本物の大人の男にはなれないぞ」
●感想⇒「苦節に身を置かねばならない年齢の若者・・」はその通りだと思います。私事です。学生時代の同級生の生活は、ピンからキリまでありました。ピン=❝裕福な暮らし・車を乗り回す・合コンにうつつを抜かす❞学生、キリ=❝貧乏・奨学金・学業を続ける為にアルバイトする❞学生。私はキリに近い生活でした。しかし、その後の人生に役立つ事を多く学びました。学問する事で見識を得、読書する事で多くの事を学び、アルバイトでお金を稼ぐことの大変さ・人間関係の複雑さ・・・様々な経験が出来ました。当時も今もピンの人を羨ましいと思った事はありません。人はそれぞれの環境の中で生まれ育ってきた訳ですから、与えられた条件を受止め、克服する事で未来が開けると思います。この世に生をもたらしてくれた親に感謝し、自分らしさの幸福感を掴みたいですね。
4.まとめ;本書の冒頭に「どんな仕事も、・・・、学問も、行きつくところは、人間はいかに生きるか、という命題に辿り着いている」と書いてあります。誰もが、普段の忙しさに紛れて、生き方についていちいち考えてはいないでしょう。しかし、ある時ふっと人生に思いをはせる事もあります。私もこれまでを振返ると、良い日・良くない日々が走馬灯のように浮かびます。しかし、過ぎ去り日は戻ってこないので、反省しつつも、明日を見て生きる事しかありません。伊集院氏は言います。「私が言う、❝追いかけるな❞は、前進の為にあると思っていただきたい」と。『大人の流儀』を読むと、伊集院氏はぶっきら棒のように見えますが、実は勤勉で、優しく、温かい人柄だと思います。本書は、これからの人生の羅針盤と言えます。(以上)詳細をみるコメント4件をすべて表示-
ダイちゃんさんおはようございます。ダイです。いつも、❝イイネ&コメント❞を頂戴し、ありがとうございます。感想を読み返す度に、偉そうな持論を書き殴っており、...おはようございます。ダイです。いつも、❝イイネ&コメント❞を頂戴し、ありがとうございます。感想を読み返す度に、偉そうな持論を書き殴っており、反省することしばしば。思った事をそのまま書くのが性格なので治りそうもありません。こんな感想ですが、最後まで読んで頂き、感謝です。これからもよろしくお願い致します。2023/08/18
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村上マシュマロさんおはようございます、ダイちゃんさん。いつも私の拙いコメントに返信して頂き、ありがとうございます。ダイちゃんさんの感想は、いつも心からの言葉が...おはようございます、ダイちゃんさん。いつも私の拙いコメントに返信して頂き、ありがとうございます。ダイちゃんさんの感想は、いつも心からの言葉が沢山入っていてお人柄が伝わります。コメントに私事をつい打ってしまい大変恐縮しております。この様な私ですが、ダイちゃんさんの感想を今後も楽しみにしています。どうぞよろしくお願い申し上げます。2023/08/18
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ダイちゃんさんダイです。過分なお言葉を頂戴し、恐縮です。ありがとうございました。ダイです。過分なお言葉を頂戴し、恐縮です。ありがとうございました。2023/08/18
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2015年初版。相変わらずの言いたいことを歯に衣着せぬ文章。今のご時世では、うるさい爺さんなんでしょうね。ただ、私は著者に年齢が近い。頷く部分も多々あります。やたら周りを気にして忖度ばかりをして生きてきた私にとっては憧れる部分が、あります。でも、他の方もコメントされていますが、シリーズを重ねるごとに仕方ないですが新鮮味が、なくなってきたなあと思います。
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バカ犬と呼んでいる愛犬とご両親のお話しがたくさんありました。家族を本当に大切にされています。(しないやつなんているの?:伊集院 静風)
「私が言う“追いかけるな”は、前進のためにあると思っていただきたい。」
「世の中には、さまざまな人、さまざまな場所が、あなたを待っていると信じることが大切である。」
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タイトルは「追いかけるな」だが、それにまつわる話ばかりではないことは、このシリーズが始まってからのことだから驚かない。伊集院静はタイトルと内容でオイラの期待を見事に裏切ることが時々ある、良くも悪くも。それでも楽しく読んでしまうのはオイラが贔屓にしているからだ。正しいとか正しくないとかを期待していないのかもしれない。伊集院静らしいかどうかが大事なのだ。自分らしくいることって、もちろん自分のためなんだけど、どこから切っても自分らしくいることはそんなに簡単じゃない。何かのために自分を裏切るような選択をすることもあるだろう。伊集院静だって実はそういうこともあるのかしれないけど、何のためにそうするのかがオイラみたいな利己的な理由ではないと思う。覚悟が違うのかな。伊集院静が言う男に近づきたいものだ。
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このシリーズ だんだんつまらなくなる。書くべきことでもないことを書くのは作家にとって時間の無駄
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No.35/2022
『追いかけるな』伊集院静
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『今ある悩みや、今かかえ込んでいる問題の本質を見ると、独創性をあと回しにして、
易きに走る輩が、目の前の明るさを求めて
"追いかける"から失敗をする。」
『人はすべて、一人で生まれ、一人で去って行く生きものである。追いかけるな。」
『見ていて切なくなる子供の、救いを求めるような眼差しは、人間社会で言えば、可哀想だ、
になるのだが、ツルは平然とそれをする。
そうしなければ生きて行けないのだ。」
『手間がかかるものには、良薬が隠れている』
✂︎✂︎✂︎
「虚しく実ちて帰る」と言った空海
『"虚しく"のこの不安と孤独こそが人間を成長させる原動力であり、必須条件なのである。』
ネガティブなものは嫌ですが
長い目で見ればそれは必要なものであり
さらに言うと自分から求める価値のあるもの
なのかなと最近感じます。
簡単なものに走り
自分から掴みに行く体験をしないと
失敗がない。
私は失敗しないように行動してきて
それが良いと思っていましたが
それはもしかすると悪いことなのか?
✂︎✂︎✂︎
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伊集院さんのこのシリーズは、いつもスカッとされされ、ホンワカっとさせられます。毎度、お母様とバカ犬ノボはいいですね。今回は、お父さんの思い出もなんかよかったです。
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飽きてきた伊集院静
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気になる語句
*水見色きらく市
静岡にご縁があるのですが知りませんでした、ぜひ一度行ってみたいです。
*五風十雨
習字の練習はこれでやろうかな、この言葉書くとほんわかするような気がします。意味も平穏無事だし。
*麻布十番長寿案
ああ、一度は行ったことがあるかもです・・・あの蕎麦屋
*熊谷守一
要町に豊島区立の美術館があるんですね、これ行ってみよう。
著書も読んでみたいです。
総じて、週刊現代連載のものによる本書、やはりちょっとしたエピソードなどはこんな感じで書きたいものですね。 -
学生時代にほんの少しだけ、作家になりたいと思ったことがありました。
こういう文章が書きたかったものです。
当然のことですが、憧れてるという段階で憧れを手にすることはできないものだと悟りました。
伊集院静さんと同じ人生を歩めば書けるかというと、そういうものでもないのでしょう。
こういう文章は、その人のどこかに正真正銘の優しさが宿っていて書けるものなんだな、と本書を読んで感じました。
そういえば、好きな歌手の歌に
追いかけて 追いかけても
つかめない ものばかりさ
という歌詞がありました。
本当にその通りだな、と。
10年前に出会っていたら…と思う本でした。
こんな風に優しく「追いかけるな」と言って欲しかったな、と。
この本では、伊集院さんが「大人の男が……」と書くところが好きです。
どこか現代の風潮の波に乗れない自分としては、心地よくも、改めての戒めにもなる言葉でした。 -
ドキっとしたり苦笑いをしたり、私は伊集院さんの文章が好きです。
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・私たちは日々、日常のさまざまなことに懸命にむかうのだが、今日はいい一日だったと実感が持てる一日はそうそうあるものではない。そのことは逆に言うと、私たちの日々は上手く行かない方が多いのである。これは万人が共通するところであるということは、私たちにより良い状況を想像する、望みや願いがあり、それにかなう一日がなかなか得られないから。でも、そういう人は情けない人たちではなく、足りなかったことが人間はおぼろにわかる生き物なのである。
・私たちはより良いものへの、望み、願いをこころの片隅に持って、それを離さない生き物なのだ。これを業欲とは考えず、望み、願い、つまり夢がなければ私たちの日々は無味乾燥した日々になる。望み、願いといった類いのものを、必要以上にこだわったり、必要以上に追いかけたりすると、それが逆に、当人の不満、不幸を招くことが、ままあり得ることを見て来たからである。
・追いかけることは決して悪いことではないし、追いかけることでしか成就しなかったこと、あきらめなかったから出来た、という例はある。私がいう"追いかけるな"は、前進のためにあると思っていただきたい。斯く言う私は今も、いくつものことを追いかけている。それでいいと思っているのだが、追いかけるにしても、その姿勢が大切なのだろう。 -
作者の実体験に基づく遠い日の描写がやけに生々しく、リアルな情景となって眼に浮かぶ
人は尊く、儚い。
自分は自分だと言える芯の強さを。 -
生きていく上での両親からの教え、特に母親からの愛情を受け育てられたことがよく分かった。私も幼き頃に母から言われた様々な教えを思い出す。
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帯文:”本物の大人はそんなことはしない。” ”追いかけるから、苦しくなる。追いかけるから、負ける。追いかけるから、捨てられる。人はすべて、一人で生まれ、一人で去っていく生き物である。失なったものはかえってこない。”
目次:第一章 追いかけるから、負けるんだ, 第二章 いつかは笑い話になる, 第三章 私は黙っていた, 第4章 生きるとは失うこと -
小説もきっといいに違いない、と思いつつ食指が伸びずこのシリーズだけ読んでいます。時々「ぐっ」と来たり「むっ」としたりしながら読むのが楽しい。頭を使わずさらりと読めるのがいいです。
このシリーズを読んでいるといつも感じるのは「100%男だな」ということ。匂い立つかのような「男」を感じます。
小説に食指が伸びないのは多分、この「男くささ100%」感がゆえと思います。自分は、という限定ですが。
でも、ふーんそう考えるのか男の人は、と80%くらい女である?私はたまに目からうろこが落ちます。そこが楽しい。
語りすぎず行間に様々なものが立ち込めるようで、文章というものはこういう風に書きたいものだとも思わされます。
はじめの方の文中に、家族の病気に付き添っている人に向けて書かれた一文があります。「どんな状態でも、明るく過ごすようにすることが一番である。明朗、陽気であることはすべてのものに優る」
まさに家族の入院先への移動のバスの中でこの文を目にした時、不意に涙が落ちそうになりました。
伊集院先生と同じように考える一人ではあったけれども、やはりしんどい時もある。でも経験に裏打ちされたその言葉はとても深いところに染みました。
病中だけではなく、辛い時こそ陽気でいるべきだ、という思いを肯定された気持ちでした。
昔のエッセイを読んだことはないのでわからないのですが亡くされた前の奥様のことを書かれるようになったのはきっとそんなに昔からのことではないのではないかなと思います。
時間が経ったからこそ、今が肯定できるからこそ書けるものもあるのではないか、と感じました。
亡くされた奥様のことが書かれてある時、愛情、と一言では言い尽くせない感情が籠められているように感じられます。時間が経たなければ書けない文章、と思います。
これからも追いかけたいシリーズです。
「追いかけるな」と言われても。