- Amazon.co.jp ・本 (202ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062199414
作品紹介・あらすじ
もう若くない、まだ若い、そんな複雑な気持ちを抱えた、人生の折り返し地点にきた女と男が抱える様々な問題――家族、仕事、そして恋愛――を切り取る、短編集
「たそがれどきに見つけたもの」――SNSで高校時代の友だちに久しぶりに再会。彼女はまだ、そのときのことを引きずっているようで。
「その日、その夜」――きむ子は思った。(お尻、出したまま死ぬのはいやだなあ)と。
「末成り」――ちょっと話を盛りすぎちゃったかな……ゼンコ姐さん―内田善子は家に帰って、服を脱ぎ濃いめのメイクを落としながら考える
「ホール・ニュー・ワールド」――コンビニのパート先でちょっと話すようになった朴くんに、淡い恋心を抱く智子。朴くんも、やぶさかではないんじゃないかと思っている。
「王子と温泉」――結婚して、子どもが生まれてから初めてのひとり旅。夫と娘に送り出されて行った先は、贔屓にしている”王子”との温泉ツアーだった。
「さようなら、妻」――1985年、6月。妻と初めてふたりきりで会った日。彼女はあじさい柄のワンピースを着ていた。
感想・レビュー・書評
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40~50代、人生の「秋」を迎えた女性達の悲喜こもごもを描いた短編集。いずれ自分の身に降りかかることがあるかもしれない…と、身につまされる思いで読みました。心も体もじわじわと老いていく、でも、まだまだ!と抗いたい思いがひっそりくすぶっている。その悪あがきを何とも滑稽に描いており、朝倉さんらしく、軽やかなんだけど苦々しくもあり。今回も「やられた~」っと思いました。
一番印象的だったのは、ローカルの人気フリーアナ兼タレントのファンイベントを描いた「王子と温泉」。私自身、夢中になっている俳優さんがいるので、そのフリーアナを「王子」と呼ぶ妙齢のファン達の気持ちが多少はわかる。わかる…だけに、色々と複雑であった(汗)何というか、夢を見たいんだよなぁ。夢というか、妄想なんだけどな。
主人公達の思考や行動全てに共感はできないながらも、時々、リアルに「自分のことか?」と言いたくなる描写があり、目眩がするというか火照りそうというか。なかなか、自分の思い描くように歳を重ねることはできないんだろう。じたばたしながらも、ゆるやかに人生の「秋」から「冬」へとつなげていければいいなと本書を読んで思ったのでした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
40~50代の男女をそれぞれ主人公にした、
6つの短編集です。
自分より少し上の世代が主人公なことと、
あこがれの行き方というよりは
やるせない姿だったので、
まさにその姿は
「哀愁ただようたそがれどき」という
感じでした。
年齢があがっていくけれど
気持ちのどこかでは
またトキメクような出来事が起こるはずと
期待していて、
でも現実はさえなくて変わらなくて…
そんな日々を切りとって
短編にした感じです。
その感じは表紙のデザインで
あらわれています。
シンプルなベージュ寄りの白い紙に
白いレースのカバーがかかっていて、
年をとっていくけれど
ときめいたあの頃のことも忘れられずに
生きている主人公の心とカラダを
うまく表現しているカバーデザインだなと
思いました。
☆2つにしたのは、
「え、ここで終わり?
このあと、この問題はどうなるの??」
というラストが多く、
すっきりしなかったからです。
解決せずに過ぎていく、
それがこの年代の日々と言われれば
そうなのかもしれませんが、
読み手としては
モヤモヤが残ってしまうのが
残念です。 -
40-50代男女の、悲哀に満ちた短編6編。
各ストーリー、年代は一緒でも、立場の違う人たちばかりで、興味深く読みました。
過去に振った多田くんと結婚した朱実、
トイレで死ぬのは嫌だなと思っていた作家のきむ子、
華やかに男を渡り歩いていると噂のゼンコ姐さん、
夜のコンビニでのバイトで、遥かに年下のイケメンくんとのおしゃべりを楽しむ智子、
地方の局アナ「王子」と過ごす温泉旅行に参加した真苗、
4年前に受け取ったチラシの居酒屋に、ようやく立ち寄った利一郎、
どの話も悲しく切ない。そして、痛々しい。
50代ってそういう年なのでしょうか…
同世代、私は彼女達のように痛々しくはない、と信じていますが、周りの評価が少し気になり始めました(汗) -
80歳まで生きると考え、人生を四季の4等分とする。
0~20歳は春、21歳~40歳は夏、41歳~60歳は秋、61歳~80歳は冬。
そんな人生の秋を迎えた人たちの短編集なのだが、
人生を四季に分けるというのがまず素敵だった。ふむふむと思ったり、確かにあのころは春真っ盛りだったな、と思ったり。今は夏なのかな、や、30になったから夏の終わりあたりのあのさみしい感じかとも。
そんな表題「たそがれどきに見つけたもの」。SNSで懐かしの友人と再会、甘酸っぱい初恋のあの人は今頃何してるのだろうと思いにふけってみたり、元彼であるいまの旦那とのもやっとしたことなど。
すべての短編にいえることは甘いだけでない、ほろ苦い様々なこと。人生の秋、その頃わたしは自分の新しい家族を作れているのか、それとも独りを貫いているのかわからない。そんな様々な秋を想像してしまう短編集でした。 -
六つの短編集。
良い意味で『地味に面白い』作品でした。
ただ、これは、大人…というか、50代くらいになっていてこそ、ふむふむ、分かる分かると、感じられるお話じゃないかしらん。
物凄い事件が起きるとか、大どんでん返しがあるとか、そんなお話はありません。長い人生、誰しもそれなりに恥ずかしいことをやってたり、見た目とは全然違う人生を歩んできていたり、密かにときめいたり、いじけたり・・・そんなこんなを、温かいながらも、さっぱりと語られるお話たちです。
一つ目のお話の、初っ端にでてくる。
「人生八十年とし、それを四で割ってみた。四は四季の四である。二十ずつ区切った年齢に春夏秋冬を当てはめた。二十歳までが春、四十までが夏。還暦までは秋として、それより先を冬にした。」
そして、お話の途中でもう1回。
「今度は八十を二十四で割った。寿命を一日の時間で割ってみたのだった。余りが出たので、およそ三ということにした。」
こういう考え方って、よくあるとは思うけれど、改めて数えてみたら・・・私なんて、秋の終わり、一日では17時半くらい。・・・終盤だわ(^^;;
まあ、とはいえ、1年に1つ歳をとるということだけは、人類平等だものね。
自分はどんな冬と夜を迎えるのかなあ?なんて思い本を閉じたのでした。 -
短編集。
「もう若くない、まだ若い」この文言に惹かれて手に取ったけど、この本におけるそういう人たちは、母親と同じ50前後の世代で、私にはまだ共感できかねる世界のお話だったかなと。
親や兄弟や自分の死が近からずも遠からずとなってきたような、まだまだ老後ではないが、現役でもない、みたいな。
その世代になってから読み返したらまた印象が変わりそう。
大きな事件が起こったりすることはないお話ばかりだったけど、なんとなく展開の仕方や終わり方が苦手な感じで、ついていけない感じもあり、いまいち入り込めなかった。
ただ、日常の中で忘れてはいけない、些細で地味だけど、実は大切なものに気付かされるような感じがした。
目の前にいる人、一緒にいる人、もしくは、自分が選んできた時間、結婚や、子供の有無、生活スタイルに至るまで、それなりの理由やそれまでの時間があるんだなと。
言葉にすれば当たり前だけど。
外野や過去に惑わされて目の前の人を見誤ってはいけないね。なんて。
不満はありながらも、みんなどこか納得して生きていくのだな。
個人的に1番良かったのは「末成り」で、おもしろ怖い感じ。
自分とはあまりにもかけ離れた、自分がなりたい自分を演じる自分。
時期を過ぎて着飾って演じても中身は伴わないのよということ?
興味深かったのは、どのお話でもそうだけど、五十路の歳頃になっても、自分や他人を評価するとき、中学や高校時代の雰囲気で形容するんだな〜って。
不思議だけど、理解はできる。おもしろいね。
朱実みたいに、人生を四季や一日に喩えてみると、私は盛夏の午前9時頃、、まだまだやることいっぱい忙しーーーって感じか。なるほど。
秋の夕暮れになったらまた読み返してみたい。
そう思うと、「たそがれどきに見つけたもの」っていう表題は秀逸! -
びっくりするくらい、全く面白くない。
どんぴしゃの年齢の登場人物達の話なのに、あるある感が無く、共感するところが全く無い。
そして、素人が言うのは申し訳ないとは思うが、文章が下手だなあとまで思った。
表題作、何度読み返しても10年のズレがある。
今テレビで校閲のドラマを放映しているからではなく、元々こういう部分は細かいところまで気にして読む方なので、「現在何歳の人の何十年前から何年経ってこれこれのことがあって、それから何年後が現在」というのが合ってないじゃないか〜〜!となれば、酷いとしか思えない。
脱字もあり。 -
(講談社 小説現代のweb siteより)
はっと気付いたら、”いいとし”になっちゃってた大人たち。
でも心のどこかで、「まだ大丈夫、もうちょっといけるーー」と思っている彼らの6編の物語。
「その日、その夜」
きむ子 作家。身につまされて怖くなる。
「末成り」
あたしの中には小さい小さいゼンコ姐さんがいる。
「ホール・ニュー・ワールド」
53歳 コンビニのパート。耐えらんない。幸せな人。同属嫌悪だったらどうしよう。
「王子と温泉」
鳥肌が立った。怖かった〜。
「さようなら、妻」
うっすい男。
そして表題作の、
「たそがれどきに見つけたもの」
50歳 朱実 と夫の多田くん。
勘繰りが止まらないタイトル。
“講談社と集英社が手を組んだのかも!”と、おばちゃんはやっぱり妄想が大好き。
でも、その件がなくても良いタイトルだ。
多田くんの様子も大変良い。
ラストは何度も読み返した。
「おとめちっくラブコメ」の要素が染みついている昭和生まれは、ツイートやメールでその雰囲気を醸し出さぬよう更に気をつける所存である。
それにしても、
伊智子のFBの真相と、
やっぱり『special thanks 陸奥A子先生 & 集英社さん』なのか気になる。 -
ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲四季を聞きながら、人間の一生みたいだな、と思った。タイトル作の冒頭に、そのような記述がありどきっとした。さらに主人公は、24時間に例えて50歳は16時半だと発見する。
6つの短編からなる本書は、そんな黄昏世代を主人公にした作品で50代って疲れた世代のイメージが合ったが、とても素敵に思えた。みんながみんな生活に追われ自分を見失わないそんな50歳になって欲しいと切に願う。