心という難問 空間・身体・意味

著者 :
  • 講談社
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (394ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062200783

作品紹介・あらすじ

哲学には、いくつか、根本的な大問題があります。たとえば、他我問題。他者は本当に存在するのだろうか。すべては、私の脳に映し出された像にすぎないのではないか。そんなことはない、といいたいところですが、歴史的に、さまざまに論じられながら、解決したとは言えません。すべては、あなたの脳の中に映じていることだ、という主張に対して、結局、有力な反論はだせないのです。

あるいは、あなたは、他人の痛みを感じることができるでしょうか。他人が腹痛を訴えているとして、その痛みが本当にあるのか、あなたにはついにわからないのではないか。これまた、哲学史上の有名な難問です。

目の前にリンゴがある。あなたがそれを知覚しているから、あると言える。哲学史上有名なジョージ・バークリの名言によれば、「存在するとは知覚されることである」。とすれば、リンゴのある部屋から誰もいなくなれば、リンゴは存在しなくなる。
そんバカな、といっても、論理的に反論するのは、きわめて難しい。

このような哲学の難問にたいして、著者は、まっこうから、いや、リンゴはあるんだ 、という哲学的立場を確立しようとします。
素朴実在論という立場です。

古来重ねられてきた哲学的議論をふまえつつ、さまざまな反論にさらされてきた「素朴実在論」を、周到かつ明解な
議論でうちたてる、著者渾身の代表作です。
好評を博した快著『哲学な日々』の理論編ともいえる力作。

感想・レビュー・書評

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  • わたしと他者の五感は互いに共有認識できるものか?という命題。逆転スペクトルの懐疑という話、実際には自分以外はわからない(ゾンビである)という話、眺望論、相貌論など、正直難しい。
    解答編ではなんとなく今までの説明をなぜしてきたか分かった気がした。他我問題、言語的概念が開く物語世界を生きるのは私ひとりではないこと。すべてはノイズであり、そこに意味や秩序、知覚や個人的相貌を含めて実在している。
    哲学者の極々一部の考えに触れることができた気がした。
    この本を読んでいる人生が、すべてわたしの夢の中でなければ。
    229冊目読了。

  • 約20年前「無限論の教室」に出会って以来、著者の平易な語り口の虜になってしまい、以降全てではないものの同氏の著述を可能な限り追いかけてきた僕。そこではテーマは違えどいつも「世界とこの私」を巡る疑問が通底していた。本書は著者のライフワークといってもいいこの「他我問題」を、極めて平易な言葉で、しかし周到な注意を払いながら扱った労作。ついに著者の中で一つの区切りがつけられた感がある。

    読み始めると、著者がなぜ、我々が世界を直接経験しているとする「素朴実在論」に拘泥するのか不思議に感じらるかもしれない。しかし安易にこれと対立する立場である「二元論」、即ち我々は世界そのものでなくその表象である知覚イメージを受け取っているのだとする立場に立ってしまうと、自分は自分の知覚していることしか知り得ないとする「懐疑論」を導入してしまい、果ては自分以外の主体は意識を持たない「ゾンビ」であるという極端な結論、即ち「独我論」を導いてしまう。これこそが著者が最も受け入れ難いものなのだが、そもそもこれがなぜ著者の言うようにグロテスクなものなのかが共有できないと、懐疑論を必死に叩き潰そうとする本書の試みが理解できないかもしれない。

    しかし、少しでも懐疑論に違和感を感じる人ならば、第2部「理論」以降の展開は興味深く読めるだろう。著者はここで「眺望」と「相貌」という、世界からの「提示」を受領するための視座を導入する。グーグルマップのアナロジーで示されている通り、我々が「無視点的」な世界像を参照しつつ個別の視座から世界を眺めているというのは多くの人の実感にそぐうものではないか。そしてその「眺望」は公共的、つまり行為主体がいつでもそこに立ちうるという意味で、他者の知覚は知り得ないとする懐疑論を迂回することができる。面白いのは、唯物論的な立場では切り捨てられて然るべき「錯覚」や「幻覚」でさえも一つの「眺望」の下での世界のあらわれであるとし、一旦引き受けてしまうところ。極めて寛容で豊潤な著者の世界観がここに示されていると思う。その際、副詞的に立ち現れてくるとされる「感覚的眺望」の概念も直感的で諒解しやすい。

    最も刺激に満ちた部分は終盤の「脳神話」との想定問答。著者は、感覚的眺望は脳や身体の問題だが、知覚的眺望は直接的な世界のあらわれであり脳とは無関係とする。また、世界のあらわれを脳に生じた知覚イメージとする脳神話論者の立場は、「世界の外側の脳」というシステム外の超越的存在を想定しなければならず、最早システム内では論ずる意味がないとする。実無限を否定する立場の著者としては、無限後退に陥るような想定は容認し難いのだろう。

    なお著者の仮想敵は脳科学者でなく、世界の全ては脳内イメージの産物であるとする「脳神話論者」であることに注意(一部のレビュアーに誤解が見られる)。ただ唯物論的世界観にも魅力を感じる自分としては、脳科学者からの反論も期待したいところ。しかし、多種多様な眺望と相貌に幾重にも彩られ、有視点的な拡散と無視点的な収斂の相克に蠢きながら、それでも総体として大いなる秩序を保つ「世界」の姿は、僕にはとても豊かで心地良いものに思える。また、ウィトゲンシュタインの言語ゲームを引き合いに出し、物語が共有されている以上「完全なる他者」など存在しない、とする著者の見解には大いに共感した。

  • 2016.10―読了

  • 「語りえぬものを語る」が大変良かった野矢茂樹による
    「眺望論」「相貌論」を世に問う哲学書。もちろん私はその
    是非を問えるような立場にはないのだが、今までに触れた
    ことのない視点は新鮮で、常に実感・肌感のようなものを
    大切にする著者の考え方もすとんと腑に落ち、大変興味深く
    読ませてもらった。ただ、脳科学の本も多数読んできたせい
    だろうか、「脳神話との決別」の項は踏み込みが足りない
    気がしたな。

  • 人間とは、こころとは、についての哲学

  • 図書館の新刊コーナーで見つけて借りる。

    シュミの読書などしてられないほどの余裕のない生活。野矢さんの本は目次と最初の章と、あとはいくつか拾い読みだけして返却の2週間がきてしまった。

  • 24ページ疑問です。
    池谷裕二先生の著書「単純な脳、複雑な「私」」の273ページから、297ページにたいして、どうお考えだろう。

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784062200783

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著者プロフィール

1954年(昭和29年)東京都に生まれる。85年東京大学大学院博士課程修了。東京大学大学院教授を経て、現在、立正大学文学部教授。専攻は哲学。著書に、『論理学』(東京大学出版会)、『心と他者』(勁草書房/中公文庫)、『哲学の謎』『無限論の教室』(講談社現代新書)、『新版論理トレーニング』『論理トレーニング101題』『他者の声 実在の声』(産業図書)、『哲学・航海日誌』(春秋社/中公文庫、全二巻)、『はじめて考えるときのように』(PHP文庫)、『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』(哲学書房/ちくま学芸文庫)、『同一性・変化・時間』(哲学書房)、『ここにないもの――新哲学対話』(大和書房/中公文庫)、『入門!論理学』(中公新書)、『子どもの難問――哲学者の先生、教えてください!』(中央公論新社、編著)、『大森荘蔵――哲学の見本』(講談社学術文庫)、『語りえぬものを語る』『哲学な日々』『心という難問――空間・身体・意味』(講談社)などがある。訳書にウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』(岩波文庫)、A・アンブローズ『ウィトゲンシュタインの講義』(講談社学術文庫)など。

「2018年 『増補版 大人のための国語ゼミ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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