ホサナ

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著者 : 町田康
  • 講談社 (2017年5月26日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (698ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062205801

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ホサナの感想・レビュー・書評

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  • 旧約聖書のモチーフと仏教のモチーフとダンテの「神曲」のモチーフと上方落語のモチーフと変身のモチーフと……とにかくいろんなモチーフが錯綜している。が、それを支えているのは、圧倒的に投げやりで虚無的で音楽的な語り口。
    読みながらいつも思い浮かべていたイメージは波。言いたい事が出て来たらそれをきれいに流しさらってしまう無意味の波。そのリズムによって成り立つ小説だった。
    読みながら何度も飽きそうになった。じっさい、飽きた。でも読み続けたのは、他の本でこのふざけた語りを読むことはできないから。
    本書は全力で「ゼロ」を目指している。「空」といってもいい。膨大な意味を無意味化するために全力を注いだ一冊。

  • 語り手が、飼い犬とともにドッグランでのバーベキューに参加したところ、人間を焼き尽くす光の柱の現出を幻視する。そして世の犬たちの苦しみと正しいバーベキューにまつわる成功と挫折に呑み込まれた末、顕現した光の柱により崩壊した世界に迷い込む―という、壮大でありながら馬鹿馬鹿しく、それでいて哀切の漂う長編小説。

    愚かな人間が、それでも正しいことをしようと思い、しかし身のうちの自尊心や羞恥心、もしくは人間存在そのものの持つ矛盾や罪業のために、誤り、滅んでいく。町田康の他の小説に見られる構造があると同時に、本作は文体が常よりも整然としているからか、笑いよりもその虚しさや悲しさを感じる。

    ありえないような不思議なことが、たびたび何の前触れもなく起こるが、その理由は解明されない。解説してくれる超越者は登場しても、その超越者でさえまた誤り、滅んでいく。聖書や仏説になぞらえたメタファーかと思える事項も多いが、意味付けは転変し、転倒していく。読んでいる間はただ、そのスピードとダイナミズムが心地良い。そして本を閉じるときは、救いも報いも、自力も他力も、すべてが無力であると知らされたようで、ただひたすらな無常に打ちのめされる。

  • 半分ちょい読んで挫折。いや、時間と心に余裕があったら読んだかもしんない。言葉や言ってることは面白くってにやにやゾクゾク。でも半分でお腹いっぱいと思った。買うには高いから図書館で借りたのでした。返却日が迫ってきたのでした。

  • 意味不明。こういう文章は技術以前の問題で、人に何かを伝えようという気持ちがない。ならば発表しなければいい。

  • 支離滅裂だとか、脱線しすぎて意味がわからないという評判。その気持ちはよく分かる。
    でも私は意味や結論や啓蒙を求めていないから、また「面白い」と思えた。
    コレがアレのメタファーで、アレはコレの伏線で...といった分析はナンセンスでしょう。

    著者は巫山戯ているのではなくて、決して多くはない「伝えたいこと」を、ニュアンスごと表現するために、過剰なほど真面目に取り組んでいるだけだと思う。

    受け取る人にはそれぞれの文脈があるから、そこにポンと結論だけ放り込んでも、真意が伝わらないことは多い。
    時間と空間を隔てた相手と繋がることのできる現代は素晴らしいし、異議を唱える気は全くないけど、フロー型の情報氾濫の思考回路のまま、簡潔で分かりやすい言葉を期待するなら小説なんか読まなければいいと思う。

    実生活でも、ユーモアやアイロニーや違和感や納得感は、ある程度の共通認識があって、文脈を共有した相手だからこそ伝えられるものだと思っている。
    話して説明することすら難しいのに、文章ではなおさら難しい。
    「誰が何を思い、何を言い、何をするか」の真意は、「誰がどういう経験を経て、どういう状況でどんなタイミングで」という認識を持たせて初めて、伝えられるものだと思う。
    「そういう文脈」の元だからこそフッと笑ってしまうユーモアや、ふとしたところで自分の経験が並行するような感覚がいっぱいあって、そういうところが私は好きです。

  • 正直、よくわかりませんでした。『告白』『宿屋めぐり』の流れを汲む大作として期待しすぎたのかもしれない。テーマとしては『人間小唄』に近い印象も受けたけど、あのコンパクトさであれだけのことをすでに表現しているのに、この作品をここまで長くした意味がわからない(意味はあるのだろうけれど、私には読み取れなかった)。さすがに最後まで読んでみれば、ものすごいことが書かれていたんだなと気づかされるのだけれど、かといって読み直して答え合わせをしてみたいという好奇心は起こらなかった。ラストにかけて、仕掛けを明かすべく、とても説明的になるところにも閉口した。あと、町田作品によく出て来る主人公を破滅させる美女、本作ではその厭らしさがなんだか平板に思えてならなかったんだよな。犬好きなら、もっとこの話のよさがわかるのか???
    冒頭の「弱い魔人のような顔」という比喩にいきなり笑いが止まらなくなったときには、まさかこんな読後感になるとは思わなかったのに。んんん。これはどういうことなのかな。

  • 駐車場の通過にはじまり、組織が乗っ取られ失い地位を失い、ドッグフィールドの光柱に襲われる?。日本くるぶしからの意味不明の指示があって、正しいバーベキューを行わせるために踝まで砕かれる。何もかも納得のいかない疑問符。不条理の嵐が吹き荒れ、果ては世界のどん詰まりに追い込まれる。ある種の極限状態の中ではじめて普遍的価値の本当の意味を知ることとなる。

  • 帯には、「『告白』『宿屋めぐり』に続く新たな代表作、ここに誕生!」という惹句が踊っているわけだが、結論から言うと、騙された。
    町田康氏の著作に親しんでいる人なら容易に想像できるだろうが、大概な感じで実に700ページ弱、全体を通して、おそらくはほとんどの読者がほとんどの意味を理解できぬままに終わると思う。
    ただ私も冒頭に挙がった2作なんかは大好きだったりするから、もちろん断片的に感銘を受ける箇所は多々あるし、正しいものと正しくないもの、言い換えれば善悪の二元論が慣習として罷り通っている世俗の常識というものに石を投げつけて破壊を試みている文脈はよく分かる。
    私たちが日常で抱く名状し難い個人的あるいは普遍的な感覚、それもどちらかといえばポジティヴではなくネガティヴな感覚を上手く話の中に埋め込んで、ちゃんと言葉で表現しきっている才もさすがと思う。
    しかしながら、例えばピカソの抽象画を観て、俯瞰的に看破した、と感じることがなかなかできないように、この作品を通読して、投影されたメタファーを悉く読解できた、と言うことは至難だ。

    もし読み方の正解が1つしかなく、それは著者の意図を精密にトレースすることだというならば、その小説はもはや文学ではないわけで。
    読書体験を通じて自分のこれまでの人生に何らかの思いを馳せたり、これからの生き方に何らかのヒントを感じたり、自己の内にある何らかのスウィッチが反応したりすることが文学観賞の神髄だとするならば、この作品は間違いなくその範疇には入る。

    不思議なことに、論旨が徹頭徹尾壊れまくったメチャクチャな物語ではあるんだけど、実は最後まで読み通すことはまったく苦痛ではなく、素直に町田ワールドを楽しみながらページを追うことができた。

  • あえてなんだろうけど、いつもとリズム感が違う
    愛犬家の集うバーベキューパーティがあれよあれよというまに救済をめぐる壮大でぶっとんだ世界にどーん。けど、救済って人が勝手に願う都合の良い形でもたらされるものとは限らない。そうであってほしいと人は願いがちだけどね、ていう。

    ひょっとこ、怖い

  • 70年代のロックミュージカル、ジーザスクライストスーパースターにホサナ、ホサナとコーラスで歌う場面があった。救い給え、という意味らしい。
    町田康の新作長編、ホサナ、600ページ。この筆者に馴染んでない自分にはハードルが高かった。人間の所作や言葉を厳しく抉ってくる文章は読んでいて疲れる。現実と非現実、超常現象が重なり神の救いに向けて話が流れるような流れないような、どこに彷徨うのか先が見えない。ひょっとこの作り方まできて断念。

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ホサナの作品紹介

私たちを、救ってください。栄光と救済。呪詛と祈り。迷える民にもたらされた、現代の超約聖書ともいえる大長編小説!

執筆5年。人間の根源を問う傑作大長編小説。
『告白』『宿屋めぐり』に続く、町田康の新たな代表作、ここに誕生!

ホサナ。私たちを救ってください。

愛犬家の集うバーベキューパーティーが、全ての始まりだった。
私と私の犬は、いつしか不条理な世界に巻き込まれていく…。

栄光と救済。呪詛と祈り。私ともうひとりの私。
迷える民にもたらされた、現代の超約聖書ともいえる大長編小説!

ホサナはこんな本です

ホサナのKindle版

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