知的複眼思考法 誰でも持っている創造力のスイッチ (講談社+α文庫)
- 講談社 (2002年5月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062566100
感想・レビュー・書評
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ハウツーはともかくとして、思考停止しないこと、マジックワードに惑わされずに自分の言葉で考えること、問いを発すること、などなど。当たり前だけれどそれが難しい。
質問はありますか?と言われて、誰も何も言わないことが多い。話を聞いてなかったのか、と思われるようなくだらない質問をするのは論外だけれど、それってあまりに何も考えてないみたいじゃないか、と思ってしまう。
テレビというメディアを、受動的だからと敬遠したこともあったけれど、読書だって読み終わっても何も考えなければ同じだなあと反省した。
96年とかだいぶ前の本だから、いまのツイッターとか震災後のあれこれを踏まえたらどういう論旨展開になったのかなーと。他人の言葉を簡単に引用して、他人の言葉に影響されてるひとがあまりに多いんじゃないかな。自分も然り、だけれど。
TLで流れてることを受けて、それに関してツイートするだけって、なんか自分では何も考え出してないみたい。
まあとにかく、思考停止しない、鵜呑みにしない、なるほどとすぐ納得しない、が理系大学生としての当面の目標だな!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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1番の発見は
「実体論ではなく関係性論で見る」という視点
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常識,ステレオタイプ,パターン,レッテル,絶対的価値観,神話,善悪二元論,正解がある
→単眼思考
非常識,クリエイティブ,相対的価値観,非二元論,正解はないが問いはある
→複眼思考
・複雑な問いを一面的にとらえず多面的にみる
・問いの対象そのものを見るのではなく、対象を取り巻く人・モノの関係性を見る(実体論ではなく関係性論で分析する)
例: 紙幣はそれ自体が価値を持たないが人々の経済上のやり取りに欠かせないものであるから価値がある
「やる気」は個人だけでなくその個人を取り巻く人やモノといった環境によってかわる。
→「万物に"やる気がない人"は存在しない」
「知らないから,わからない」「勉強不足だからわからない」
→正解がある,勉強すればわかるという答えに飛びつきたい気持ちの表れ.
”考えるプロセスを経ていなくても,答えされ見つけられればそれでいい.このような習性が身についてしまうと,今度は答えがなかなか見つからない類の問題に出会った場合に途中で息切れして,ステレオタイプの発想に囚われてしまいます”
「視座の高さ」
読書の仕方
・著者とは対等の立場にあるものとして読む.相手も人間.
・ゆえに書かれたものを不動の完成品と思わない.
・その所作として「簡単に信用しない」「著者の狙いをつかむ」「論理を丹念に追う」「前提を探り,疑う」
問いの立て方、展開の仕方
実態を問う問い、因果を問う問い
〇〇はどうなっているのか。
どうすれば〇〇するか。
→なぜ〇〇か?という言い換えをすることが、考えることにつながる。
→y =f(x)のfを突き止めること
擬似相関(偽f)に注意。どう見破るか。
→yを固定すると必ずxが必要
→xを固定すると必ずyが導出される
がどうか
→他のパラメータ(z)を変えてもx→yか?
実はzがyを左右するパラメータでは?
fに対する検証を横着し、印象だけで方程式の成立を判断してしまうこと=ステレオタイプ
抽象的すぎる→すすまない
具体的すぎる→特殊事情にとらわれ、思考が前に進まない -
大学当時のゼミで使いました。
「主観ではなく客観、それもその他いろいろな視点からものを見れるようになる」ということは、これからの社会でとても大事ですし、実践的な内容だと思うのですが、
最初の章(半分くらい)でもうお腹いっぱいでした。
同じことの羅列が多いです。
ただ噛み砕いて書いているのでより解りやすいのかもしれません。
大学の導入書には扱いやすいのでしょう。
ただ、オリジナルとか新しい発想・考え方とかではないので今更感もします。
それを実践できる人が少ないからなのでしょうけど(苦笑) -
感想
主語と述語に分解する。それぞれ別のフレーズで言い換える。問題の構造を変化させ新たな解決策を見つける。あるいは問題でないことを発見する。 -
情報を鵜呑みにせずに、自分で考えることの大切さを学べた。
教育問題を中心に例示されており、確かに古い例もあったが、根本的なところは変わらないため、分かりやすかった。
これからは問いが出た時に、その問いを原因や主語を分解することで、複数の視点から答えを出せるようにしたい。 -
関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40012731 -
論文書くときは「どのような」という問いの立て方はだめで「なぜ」という問いに取り組まなきゃいけない。
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単行本が1996年刊行となっていますので、四半世紀以上前に書かれていたことになりますが、現在でも十分通用する内容だと思います。固定観念や、「わかりやすさ」のための安易な要約が広がる状況は、時代を問わず問題となるということでしょうね。
「答案の端に、教師が書いたとおぼしきA~Dの文字…受け取った生徒は、Aだと喜び、Dだと落ち込む?Aが優秀で、Dが劣っていると誰も言っていないのに?」常識にとらわれた単眼思考を行っていては、いつまで経っても「自分の頭で考える」ことはできない。自分自身の視点からものごとを多角的に捉えて考え抜く-それが知的複眼思考法だ。
聞き飽きてもなお言われ続ける「近頃の若者は…」とか「偏差値教育が問題だ…」といった言説。これらの何が問題かといえば、雑な思考でいつも決まった結論を出すために、思考が固定化し、自分の頭で考え、多角的な視点から思考・議論することができないことでしょう。ステレオタイプを正しい意見だと信じて疑わない人…何を言っても主張を変えることはなく、議論になりません。嫌ですが、自分もその落とし穴に陥っているのではないか?という観点から振り返ることが、紋切り型の思考から脱却する一歩になりそうです。
内容を鵜呑みにしない批判的な読書をし、様々な視点に立って文章を書いてみる。大きな問いを小さな問いへと分解し、概念化・一般化を用いて思考を展開させる。また、実体論だけでなく関係論的な観点からものごとの多面性に注目する。逆説を捉え、「意図せざる結果」の因果関係を把握する。「問いの立て方」をメタの視点から問う。こういった方法によって、複眼思考を身につけることができると説かれています…。凝り固まったものの見方に漬かっている身としては、耳の痛い話のオンパレードでした。さて、まずは反省しなきゃ。