基準値のからくり (ブルーバックス)

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062578684

作品紹介・あらすじ

基準値を見れば「日本」が見える!

賞味期限、食品の化学物質、放射線量、PM2.5、水質、血圧から電車内の携帯電話まで、

私たちはさまざまな基準値に囲まれて、超えた/超えないと一喜一憂して暮らしています。

しかし、それらの数字の根拠を探ってみると、じつに不思議な決まり方をしているものが多いのです。

たとえば、お酒はなぜ「20歳から」なのか、知っていますか? 

基準値とは、その「からくり」を知らなければ、無用の不安や油断を生むだけの数字になってしまうのです。

本書では「基準値オタク」を自称する俊英研究者4人が、基準値誕生に潜む数々のミステリーに斬り込みます!

「基準値の謎」の例

●各メーカーで違うはずの食品の賞味期限、なぜどれも「横並び」になるのか?

●ひじきやコメにも多量に含まれる発がん性物質のヒ素にはなぜ基準値がないのか?

●第一原発事故後のヨウ素131の暫定規制値は、半減期による「濃度の減少」を前提としていた!

●決まるまで10年がかり! PM2・5基準値設定会議の意外な結末とは?

●同じ農薬、同じ残留量なのに、なぜ「リンゴは安全」で「キクラゲは危険」なのか?

●「避難と除染」の安全すぎる基準値と運用、これでは「福島に帰るな」と言っているようなもの!

●「優先席付近では携帯電話の電源をお切りください」という電車内アナウンスの奇妙さ!

●高速バスの夜間走行距離、基準値に「自信がある」ドライバーはわずか4割未満! 

これらの謎の答えを知れば、「そんな決め方でいいの?」と何度も驚き、絶句することでしょう。一喜一憂する前に、ぜひご一読ください。

感想・レビュー・書評

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  • 村上道夫・永井孝志・小野恭子・岸本充生『基準値のからくり――安全はこうして数字になった』(講談社ブルーバックス、2014年)は、さまざまな分野の基準値が定められた根拠や背景を1つ1つ追う中でRegulatory Scienceを説明した書籍である。

    たとえば飲酒が20歳からと法律で定められているのは、成年年齢が20歳であることが根拠(1947年参議院会議録)になっている。成年を20歳とする根拠は太政官布告(1876年)に遡り、21歳から25歳を成年とする欧米諸国の国民と比較して日本人は「精神的に成熟している」「平均寿命が短い」からだという(p.4)。この根拠、今でも通用するだろうか?

    安全に関する現代的な基準値は受容可能なリスクの大きさによって定められるが、昔からそうだったわけではない。化学物質に関する「古典的」基準値として、環境基準型(無毒性換算型)と残留農薬型が挙げられている(p.130)。2007年に中国産キクラゲの残留農薬が基準値の2倍である0.02mg/kgであることがわかり、廃棄処分された。しかしイチゴやリンゴなどの残留農薬基準は5mg/kgである。キクラゲはイチゴやリンゴのような試験を行っていないので、安全係数をかけて一律で0.01mg/kgという厳しい基準値が適用されているのだ。

    発がん性物質に関する受容可能なリスクの大きさは、10万分の1とされる。
    飲料用水道水を例にとると、分析技術の向上によって発がん性物質が次々に見つかり、ゼロリスクの仮定は置けなくなった。そこでWHO飲料水質ガイドラインにならって生涯発がん確率が「10万人に1人」となる基準値を1993年に定めたものの、リスクレベルについては時期尚早という理由で国民には公開されなかった。その後の大気環境基準値(1996年)で、初めてリスクレベルが明示されている(p.71)。

    もちろん、受容可能なリスクの大きさは場合によって異なる。ICRPの1990年勧告に基づく職業被曝の線量限度20mSv/年では、英国学士院での次のような議論がなされている。年間死亡リスクは、①危険な状況(プロのスタントなど)では3~6/1000。②1歳~20歳男性の平均は1/10000未満。③危険な職業(鉱工業、建設など)では1~3/10000。④製造業では0.3/10000。以上から、年間死亡リスク1/100は許容できないが、1/1000は個人が認識していれば受容可能とし、65歳までの累積の年間死亡リスクが1/1000に収まる値として20mSv/年が設定されている(pp.189-191)。福島第一原発事故では、この数字を根拠に避難勧告がなされている。

    食料品については、安全・安心の二分法が通用しないことがある(p.51)。文化に基づく場合だ。米やひじきに含まれる無機態ヒ素の発がん性は、先に述べた10万分の1というリスクレベルの100倍以上に達する(pp.55-61)。だからといって、我が国で米食をやめるような勧告は行えないし、行うべきでもない。諸外国が米の食用に規制をかけているのは、それが主食ではないために実害が小さいからである。(日本人の無機態ヒ素の摂取量は、線量換算で30mSv/年とのこと。)

    基準を超えたからといって、廃棄や停止などの措置を講ずることが妥当とは限らない。リスクトレードオフといい、9.11で飛行機を避けて自動車移動が選好された結果、翌年の交通事故死亡者数が例年より1500人増加したというのが一例である(p.179)。2012年5月、利根川支流の浄水場で基準値の2倍のホルムアルデヒドが検出され、一都四県の浄水場で取水停止の措置が取られた。結果、地域によっては給水所に2時間以上の行列ができたという。もし真夏に同様の事故が発生した場合、熱中症のリスクを取って取水停止措置を講ずべきか。その判断は容易ではない。

    なお、リスク管理には3つの原則があり、①ゼロリスクに基づく方法、②受容可能なリスクに基づく方法、③費用との兼ね合いで決める(たとえば、リスク低減に支払ってもよい金額から算出する)方法とがあり、③は実際に米国の飲料水の水質基準値に採用されているのだという(p.181)。

  • 農薬が~食品添加物が~!と騒ぐ前にぜひこの本を読んで頂きたい。
    農薬・食品添加物の基準値がどうやって決められて、その値にどんな意味があるかを理解できます。
    https://seisenudoku.seesaa.net/article/493210032.html

  • リスク管理の3つの原則
    ・ゼロリスクに基づく基準値:その物質が一定量までは健康を害さない閾値がある場合
    ・受け入れられるリスクに基づく方法:生涯の発がん確率が10万人に1人以下などと定める方法。大気環境基準、水道水質基準などで用いられている。
    ・費用との兼ね合いで決める方法

    食品中の一般生菌数が1gあたり1000万~1億個に達すると、味や見た目から腐敗が認められる。弁当や総菜は、加熱食品では1g当たりの上限値が10万個だが、非加熱食品では100万個まで認められている。保存できる期間に安全係数を掛けて消費期限や賞味期限が決められる。安全係数は0.7としている場合が多いが、農水省は2008年に食品ロスを削減する観点から、0.8以上を設定することを勧告した。日本では、賞味期限までの期間を製造業者、販売業者、消費者が3分の1ずつ分け合うという商慣習があり、これが廃棄される食品を増やす原因にもなっている。

    アメリカでは、食品中の発がん性物質がどの程度までなら安全とみなすかについて何度も裁判が繰り返されるうちに、生涯でがんが生じる割合として受け入れられるレベルは、1万人に1人から100万人に1人の範囲に落ち着いた。がんの原因の3分の1は、普通の食品に天然に含まれている物質。

    1993年に施行された水道水質基準値では、閾値がない発がん性物質については、WHOの飲料水質ガイドラインにならって、生涯発がん確率が10万人に1人のレベルで設定された。閾値があるホルムアルデヒド等では、動物実験で毒性影響がみられなかった量(NOAEL)に種差、人間の個人差それぞれに10倍ずつ合計100倍の不確実性係数を用いて、基準値が設定される。

    化学物質の基準値には、環境基準型の基準値と残留農薬型の基準値の2種類があった。残留農薬型の基準値は、農薬のラベルに記された使用基準を守って使用していれば超えない範囲でできる限り低く設定される。この基準値を超えた場合、農家が農薬を適正に使用していないことを意味するが、健康リスクが発生することを意味するものではなかった。2003年の食品安全基本法制定時に、農業規範としての基準値が安全かどうかの基準値として統一されてしまった。

    日本の大気汚染対策の対象は、SO2、NO2、PMと変遷した。1980年代までに、疾病の発症は工場排煙に起因するSO2を原因とすることが認められていた。1995年の西淀川公害訴訟判決によって、NO2と道路沿線住民の健康被害との因果関係認められたが、2000年の尼崎公害訴訟判決で否定され、ディーゼル排気微粒子などのPMによる健康被害が認められた。

    生態系保全の視点からの化学物質の規制は、2002年のOECDによる勧告を受けて水質目標が導入された。

  • 519-M
    閲覧新書

  • ふむ

  • 面白かったし、結構怖い話。
    いろんな基準値って、実は必ずしも「化学的に」きまってるわけやなくって、達成できそうな数字だとか、ぼくはこう思うなあ、とか、そういうことで決まってしまう。
    オマケに一旦決まると思考停止になるし、少なくとも日本では変更するのむっちゃ大変そうやし。

    理由って、なんつか、なんかあった時に責められないように、じゃないかという気がしてしょうがない。
    日本人の、無謬信仰と、腐ったマスコミは、怖いからな。

    ここの基準値を決めるときの細かい数字の記載もあったが、その辺読み飛ばしても十分了解できる。

  •  賞味期限や、環境基準など様々な基準値が、どのように決定されていったかを、国内国外の事例を紹介し、説明されています。その決定プロセスは、どういう理由をつけて基準値といった数値が導き出されたのかを理解する上で、欠かせない情報です。基準値はネットなどで調べれば、すぐにその数値がわかりますが、その数値の由来にまでアクセスするのは大変です。それをまとめているだけでも十分価値がありますが、その数値の決定方法に問題提起をしている部分もあり、基準値を鵜呑みにする危うさにも警鐘を鳴らしています。

     基準が思考停止の道具になっている側面があることが述べられていました。基準値未満だから安全。でもその基準値は妥当なの?と自分で考えることの必要性を訴えかけています。

     日本ではゼロリスクを望みがちで、そのために食品などを大量に廃棄したりしますが、食品ロスの観点からも、本当にそれが最善の方法なのかと考えさせられます。一方で、事業者は商品の回転のために、賞味期限を短く設定しがちになると言う問題もあることがわかります。受け入れられないリスクの水準を決め、それに基づいた評価が必要であることが理解できます。

     それにしても、日本では基準が一度決まるとほとんど見直されないというのは、ちょっと危うさを覚えます。そのときの科学的判断で、定期的に基準値を改訂するという構造が必要だと思いました。

     個人的には職業柄、「英国学士院の年間死亡リスクの評価」と、「亜鉛の基準値決定までのプロセス」の件が面白く読めました。前者では、「受け入れられるリスク」という感覚的判断の基準の拠り所を理解できましたし、後者は亜鉛の毒性影響よりも、工場排水の実現可能性の観点から決定された値である、というところに興味を持ちました。

     あと、基準値の根拠が誰にでも追える形で文書化されていることは、数値の見直しや、何を守るための基準かを共有するために重要と述べられておりました。同感です。

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著者プロフィール

むらかみ・みちお 東京大学生産技術研究所特任講師。1978年東京生まれ。2006年東京大学大学院修了。博士(工学)。専門は水環境工学・環境リスク学。著書に『水の日本地図―水が映す人と自然』(朝日新聞出版・共著)。

「2014年 『基準値のからくり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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