地図の想像力 (講談社選書メチエ 50)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062580502

作品紹介・あらすじ

「地図」とは、「世界」を制作する欲望である。古えの想像的な世界図を、正確な測量が覆いつくしていった。近代とは、500年をかけて世界を「単一の連続平面」に描くプロジェクトだった。世界に対する知の意志は、地図を媒体にして、資本と権力に結びつく。地図という具体的な表現のなかに、社会と人間の構造を探る。

感想・レビュー・書評

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  • 私は今まで、「世界 」や「日本」について考えるとき、無意識のうちに、平面上に描き出された世界地図を頭に浮かべていた。

    しかし、この本を読んで、私たちが「客観的な事実」を映し出していると思い込んでいる近代的地図にも、実際に目で見ることのできない国境や記号が書き込まれていることに気づかされた。
    そして、そのような近代的地図は、限られた世界を国境で分割し領有していく帝国主義や資本主義経済、世界の世俗化といったシステムと相互に関わりながら普及していったことが示されている。

    これからは、自分が無意識に行っている地図的思考に注意を向けようと思う。
    また、文学作品の描写における地図的表現、
    登場人物の空間の認知の仕方についても、本著で得られた視点から分析してみたいと感じた。


    本文引用
    p39
    ロビンソンとペチュニクが指摘していたように、地図を作ることは環境に関する知識を記号として伝達する象徴化の形式である。盲人の歩行訓練の事例は、全域的空間という地図が表現する空間のあり方それ自体が他者とのコミュニケーションを可能にする表現であること、それによって地図的空間が、つねに・すでに他者の了解に対して開かれた表現であることを意味している。地図的空間はその存在自体の内に、環境に関する情報の他者との共有と伝達の可能性を内包しており、したがってそこで表現される空間像は、他者と共有され、他者へと伝達される「社会的」な空間像なのである。

    p40
    地図に表現される空間が「点」から見た像ではなく「面」に投影された像であるということは、言いかえれば地図を見る視点は、地図の平面全体の上にいわば偏在しているということだ。

    p47
    地図が「表現」であるということは、それがつねに表現する当の対象である地球表面よりも「まばら」にされ、単純化されたものであるということだ。この点に関しても、航空写真との比較が役に立つだろう。

    p49 地図とは概念である
    言語とは、記号の体系である。言語が記号であるとは、単語のレヴェルで言えば、「いぬ」という言葉が、記号表現(シニフィアン)としての音「イヌ」と、その記号内容(シニフィエ)としての肉食動物の一種との結びつきからなっており、かつ、それらの結びつきが恣意的である(その動物はかならずしも「イヌ」と呼ばれる必要はなく、異なる言語であれば異なる音と結びつきうる)ということである。

    p53
    「科学的」で「客観的」な地図の存在を支えている「科学」や「客観」も、それが世界を記述し理解するための記号による意味の体系であるという点では「神話」や「主観」と変わりがないのだ。まして、市町村や都道府県の境界線や国境線、国家体制による世界地図の色分け、特定の形状をもった地域を「平地」や「盆地」、「湾」や「海峡」などと名づけ、さらにそのそれぞれに固有の名を与えることなどはすべて、世界を記号によって解読し、意味づけられたものとして理解する人間の営みによっている。

    p54
    「地図とは世界に関するテクストである」と言うべきであろう。「テクスト」とは、描く(書く)営みと読む営みとが出会い、それによって意味が生産される空間である。テクストは、世界を「ありのまま」に映し出す中性的で透明な空間ではない。描き手には描き手の、読み手には読み手の世界像や規範、価値意識や欲望なあり、それらが描かれ、読まれる世界に固有の構造や表情を与え、そこから様々な意味=「世界」が生産される。地図とは、そのような世界像の生産の場である。

    p56
    「地図とはコミュニケーション・メディアである」と表現することもできる。それは「意味としての世界」を記載し、保存し、伝達するための媒体(メディア)であり、それが伝達し保存する「意味としての世界」を共通の知識として供することで、人びとに同一の世界像。受け入れされ、彼らが同じ「意味としての世界」を共有することを可能にするための媒体(メディア)なのである。

    p59 地図論的モデル
    親族関係や企業組織、国家機構のようなかならずしも空間的な形態を持たない関係や組織、機構を説明するときに用いられる「上」や「下」、「隣」や「領域」といった空間的な語彙を想起されたい。このような言葉を用いる時、私たちはあたかもそれが「 (地理的)空間」であるかのようにして非空間的な社会をもモデル化し、了解するのである。社会や世界の全域的な広がりについて語り、思考する時、私たちはあたかも地図を見るかのよにしてそれらを対象化し、思考し、言語化しているのである。

    p96
    帝国や文明という社会は、そのような概念・イメージと相関し、それを支えうるシステムとして貢納や徴税、用役や教育、行政文書や教典等の関係や実践、知の体系を作り上げ、その中で帝国や文明に関するイメージを再生産してゆくのである。

    p158
    鎖国という政策は、世界の中の孤立を意味するのではなく、他国との間の関係なくの特定家と限定化を意味しているのである。

    p162
    現在私たちが眼にする世界地図のような、地球表面上の陸地のすみずみまでが国家によって分割された世界は、世界を単一の閉空間としてゆくのと同じ過程を経て、生み出されていったのである。

    p189 幻想としての「自然」
    だが、ある国家の統治領域が、語の文字通りの意味で「自然に」与えられることなどありえない。この意味で、「自然な領域」という主張は一つこイデオロギーである。ここで「イデオロギー」というのは、その主張が実際には「偽り」であるということではない。その主張が実際には他でもありうる恣意的なものであるにもかかわらず、それが唯一とりうる自然な主張や真実であるかのように装って表れる、そのあり方を指してここでは「イデオロギー」と呼んでいるのである。

    p191 国土の実定化
    国土や国民は、山系や水系のように自然的世界のなかに実体的な対応物をもつのではない。それらは、実際の土地空間の上にはそれとして名指すことのできないものでありながら、あたかもそれが画然と線引きできる実体であるかのように地図の上に描かれ、それによって固有の実定性を与えられるのだ。

    p203 社会と想像力
    現実に私たちが今属している「国家」であれ「自治体」であれ、私たちはそれを実際に目にすることはできない。そうした社会的存在の現実性のすべてを地図が支えているのではないが、地図はそのような「全体を見ることのできない社会」に「像」としてのリアリティを与え、空間としてのイメージや概念を与える。それが像として表象されることによって、表象された「像」の対象が「事実」あるいは「真実」としての位格を与えられる。

    p206
    「近代」というプロジェクトは、五〇〇年の時をかけて世界。一枚の地図に描き上げ、世界の側をそれにそっくり似せて作り上げていったのである。

    p210 想像力の排除――純粋に世俗的な世界
    近代的な地図作成技術は、人びとの宗教的な信念や宇宙論的な形而上学の領域に関わらないことによって「事実」のみを描き出し、それによって異なる文化や文明をもつ諸社会に共通の普遍的な世界了解と世界表現としての位置を得ていったのだと、さしあたりは言うことができる。

    p216 イデオロギーとしての近代的世界
    たとえば「日本の歴史」について考える時、私たちは今日的な意味での国土の観念が成立する以前の様々な出来事、「日本」という国土を空間的な枠組みとする一つの歴史の時間のなかに捉えようとする。だが、そこでかつて起こった出来事は、かならずしも「日本」という空間を枠組みとしていたわけではない。

    p222 資本主義の世界的展開
    資本制の世界的な展開は、世界の異なる地域に異なる価格体系が存在すること、商品の価値や労働力の価値、貨幣のカチが世界という空間のなかの諸地域で異なっていることを前提としている。同じように情報産業の世界的な展開も、世界の内部での情報の分布の落差と、情報の価値の差異を前提としている。世界の内部で情報が均質に行き渡っていれば、それを他の領域へ移転することが価値を生むことはない。複数の価格体系や情報空間の併存と差異とが、資本制や情報産業の世界化の条件なのであり、今日の社会では依然として国民国家が、そのような価格体系や情報空間の基本的な単位を構成している。

  • 序章 帝国の地図
    第1章 社会の可視化
    第2章 拡張される世界
    第3章 近代的世界の「発見」
    第4章 国土の制作と国民の創生
    終章 地図としての社会 地図を超える社会

    世界と想像力について考えるための文献地図
    あとがき
    索引
    (目次より)

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著者プロフィール

早稲田大学教育・総合科学学術院教授

「2018年 『社会が現れるとき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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