現代思想としての西田幾多郎 (講談社選書メチエ 138)

著者 :
  • 講談社
3.09
  • (0)
  • (1)
  • (10)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 30
感想 : 5
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062581387

作品紹介・あらすじ

「近代の知」最大のアポリア、「二元論」。その難関を西田は、判断以前、主観‐客観以前、「色を見、音を聞く刹那」を摘出することで、ラディカルに乗り越える。『善の研究』が創出し、生涯のキータームとなった「純粋経験」を中心に、西洋哲学の「脱構築」を目指した、西田「ポストモダン」哲学の全貌に迫る。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • (2007/4/17)

    京都大学といえば,哲学の道といえば西田哲学.
    まあ,そんな話は良く聞くんですが,京大に10年も居座りながら,いまだ西田哲学にふれたことのなかった僕.
    学位論文の予備審査のときに,T田教授に西田哲学の話をふられて,
    「あ,・・・いや,しらないっす・・・」
    と,歯切れの悪いこと限りなし.

    まあ,工学研究科の学位論文で西田哲学の話が出てくること自体,一般的な視点から見ればトリッキーなんでしょうが~.

    てなかんじで入門という事でこんなのを読んでみました.

    いいですねえ.

    西洋哲学に辟易している日本人にとっては,なりなじむ.

    西洋哲学はどうしても神がでてきて,客観的概念の実在を信じる,(オントロジックな)思想が強いように思う.もちろん
    相対主義や構成主義的な立場の人もいますが,いわゆる「常識」のラインからは外れている感じがする.

    この無機的な考えかたって,人間を特権視せず,森羅万象,自然との共生,自然崇拝を源とする日本人の多勢の無意識的な世界観からは,
    かなり根本的に違うものになってる.

    日本人は,定義可能な客観的な存在よりも,自分たちの精神世界に映し出されたコトとしての主観的世界をより楽しむ方向にある.
    これが,日本のアニメやゲームでの競争力に繋がっているのだとおもったりもするが.
    だから,哲学学ぶ人って日本で少ないんだとおもうんですけどね.ほとんど哲学=西洋哲学だし.結局,直感に合わないから分かりにくいし,
    そこに,「おもしろくなさ」を感じてしまう人も多いだろう.(言い過ぎかな・・・?).

    所謂オントロジー的な視点(「常識」の実在?)が苦手な僕としては「構成主義だ,構成主義だ!」
    とオートポイエーシスやピアジェなどを押す(及び,プラグマティズムbyパース)わけですが,

    西洋の土俵で戦ったら難しい立場だけど,多分,日本なら自然なことなんだろうな,とこの本を読んで思ったのでした.

  • 西田の入門に。

  • 西田幾多郎の『善の研究』を中心とする前期思想を読み解きながら、その現代的意義を論じている。

    ただし、『現代思想としての西田幾多郎』というタイトルから、たとえばフランス現代思想などとの比較・照応を期待する読者もいるかもしれないが、本書ではそうした議論は扱われていない(そうした議論を期待する向きには、檜垣立哉『西田幾多郎の生命哲学』(講談社学術文庫、講談社現代新書)が好適だと思う)。

    本書の主要なテーマは、純粋経験の事実に立脚する西田幾多郎の哲学を手がかりにしながら、経験と言葉の関係について考察することだといってよいだろう。上田閑照が、やはり西田哲学を読み解きながら、経験と言葉の関係を「言葉から出て言葉に出る」という表現で論じていたが、本書の著者も同じ事態を見据えて議論を展開している。なお、著者が『西田幾多郎』(岩波新書)の「あとがき」で述べているところによれば、著者が西田哲学の研究に関わるようになったのは、ドイツ留学から日本へ帰って上田氏を訪問したときに、上田と西谷啓治を中心とする西田全集の読書会の存在を教えられ、以後その読書会に参加するようになったことに始まるらしい。

    私たちはふだん、経験されたことを〈ことば〉という鋳型にはめ込んで理解している。だが他方で、詩のような〈ことば〉は、単に対象としての〈もの〉を意味するだけでなく、私たちの情意に訴えかけるような〈こと〉を喚起することがある。このことを著者は、「〈ことば〉は〈もの〉を言い表しつつ、しかし同時にその中に〈こと〉を住まわせている」と説明する。その上で、言葉による判断以前の純粋経験に立ち戻ることをめざした西田が、他方で「言語は思想の身体の如きものである」と述べているところに、経験と言葉との間に成り立つ上のような関係が見られていたのではないかという解釈が提示される。

    さすがに思索の深みという面では『経験と自覚―西田哲学の「場所」を求めて』などの上田の著作には及ばないといわざるをえないが、難解な西田哲学の含意をきわめて明晰な言葉で解き明かしている点が、本書の強みだと思う。

全5件中 1 - 5件を表示

著者プロフィール

1949年生まれ。京都大学名誉教授。京都大学大学院文学研究科およびドイツ・ボーフム大学哲学部ドクター・コース修了。哲学博士。専門は哲学・日本哲学史。著書『哲学のヒント』(岩波新書)、『はじめての哲学』(岩波ジュニア新書)、『大正史講義【文化篇】』(共著、ちくま新書)など。

「2022年 『西田幾多郎『善の研究』を読む』 で使われていた紹介文から引用しています。」

藤田正勝の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×