人はなぜ戦うのか―考古学からみた戦争 (講談社選書メチエ 213)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062582131

作品紹介・あらすじ

縄文時代にはなかった戦争が、弥生時代、「先進文化」として到来した。食糧をめぐるムラ同士の争いは、いかに組織化され、強大な「軍事力」となるのか。傷ついた人骨・副葬武器・巨大古墳など、膨大な発掘資料をもとに列島の戦いのあとを読み解き、戦争発展のメカニズムに迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 図書館でこの本を見つけて、かなり面白く読み始めたのだが、途中で既視感。念のためにアマゾンで調べてみるとありました。15年前に私が興奮して感想を書いている。

    投稿者くま2001年7月29日
    この本のテーマは私の考古学のテーマにそっくり重なっており、まさに「よくぞ出てきました」という思いです。まずは「闘争本能と戦争は関係があるのか」という古くて新しい問題に答えながら、弥生時代以降の倭国の軍事戦略、軍事思想を明らかにし、その特質を述べる。曰く、日本は島国の特性もあり、征服戦争をすることは無かったし、外敵もいなかった。曰く、その軍事合理性よりも、精神性を尊び、合理的な施設や体制を作るよりも人的資源の投入を重視する気風が生まれた。それは保守主義につながり、仮想敵を作るという政策にもつながる。これらを考古学的資料より説得力もって描き出しているという点で素晴らしい。我々はこれらの「歴史的教訓」を活かしながら次ぎの世界にどう戦争のない世界をバトンタッチするのか、考えていかなければならないだろう。

    こういう感想を書いているとは知らずに、私はわたしなりに、この15年間の蓄積を活かして、各論を書き始めていました。というか、まだ一章しか進んでいないのですが、日本人最初の戦死者はいかにして生まれたかを推理してみたのでした。もしかしたら、ほかの章も書くかもしれません。

    25pより。
    戦争による犠牲者と断定するには、いろんな要素を鑑みなければならない(殺人用の武器、守りの施設、遺骸、武器を備えた墓、武器崇拝、戦いを表した芸術作品)。それらを考慮して、最初の戦争犠牲者と言われているのが、福島県志摩町新町遺跡の大腿骨に突き刺さった磨製石鏃である。弥生時代初め頃、木棺墓の熟年男性左足付け根の石鏃である。背後から矢を射られ、致命傷になったかは分からないが、治癒反応がないので、傷を受けるのと同時に絶命している。

    推理小説ならば、「わかったぞ小林くん」パートがあるのだが、いかんせん考古学は迷宮入り事件だらけだ。データも不足しているし、第一ここには数ページ足らずの記述しかない。でも日本の最初の戦死者と言われている害者である。推理する楽しさはある。

    簡単なデータのみ調べた。
    糸島市志摩の新町地区にある「新町遺跡展示館」は、国内で稲作が始まった時期の初めての人骨出土として注目されている「新町遺跡」の様子を余すところなく見学できる施設。昭和61年に初めて発掘調査が行われ、弥生時代早期(紀元前300年頃)の支石墓(巨大な天井石とそれを支える石で構成されたお墓)とカメ棺墓が57基も発見されました。平成4年に町指定の史跡となり、その歴史的に貴重な遺構を保護するために遺跡全体を覆う形で歴史館が作られたとか(見学できる遺跡は埋め戻された現物の上に復元されたもの)。ここから見つかった石の鏃が刺さったままの人骨は、現在、日本最古の戦死者と言われています!(志摩町ホームページより)

    これにより、どうやら木棺墓は支石墓の下にあったようだと分かる。非常に濃く朝鮮半島の影響を受けているだろう。紀元前300年は不明。年代法論争結果によっては、BC8-10年の可能性もあるだろう。

    敵は渡来系弥生人で間違いはない(磨製石鏃)。時期的には渡って来た本人たちかもしれない。害者も渡来系なのは間違いないだろう。縄文時代には戦争はなかった(多くの根拠はある)。弥生時代に入って直ぐに戦争が始まった。つまり彼らの多くは朝鮮半島での戦争経験者かその直接の子供たちだったのだ。戦争で死んだリーダーを丁寧に埋葬する習慣を彼らは獲得していた。英雄として死んだのかは分からないが、粗末に扱ってはいない。彼らは勝ったか負けたかは分からないが、墓がきちんと残っているのは、負けていないことだろう。それなのに背後から矢を射られた?大きな戦争ではなかっただろうから、リーダーも最前線で戦ったのだろう。熟年男性なので、戦士ではなかった。何かを守るために戦死したと見る方が正しいのかもしれない。

    興味深いのは、この棺の下に小穴があって、その中から別の人物の歯が見つかった。少年または青年の頭部だという。松木武彦氏は「墓の主は奮戦してこの若者の「首級」をとったものの、その戦いの傷がもとで死んだのだろうか。それとも、墓の主の戦死に対する敵討ちとして、同じ集落の者が「首級」をとって供えたものだろうか。」と書いている。首級が敵か味方か、が先ず分からないが、味方とすると、理由が見つからない。敵だろう。では、前者か後者か。前者だとすると、言うまでもなく「英雄」としてこの墓が作られたのである。乱戦ならば首級が味方に渡ったままになるだろうか。組織戦ならば、熟年男性が決定的な場面に居たのがよくわからない。後者ならば、首級は矢を射た者の可能性が高い。そうだとすると、戦争に個人的な恨みがかなり残っていることになる。そもそも首級を同時埋葬する文化とは何かなのか。台湾には近代まで敵の首を「狩る」ことで、敵の生命エネルギーを取り込む文化があった。ところが、この熟年男性は縄文人の体つきをしていたという。渡来系と縄文人の混合がかなり進んだあとの人物ということになる。そうなると、新しい社会の中で自分なりのアイデンティティを立てようとして戦乱の中で頑張ったのだという推論も立つ。

    一定の推論を立てようと思ったけど、立たなかった。

    ひとつわかったのは、最初のころの日本での戦闘は、かなり血生臭かったということである。

    2016年4月読了

  • 縄文時代にはなかった戦争が、弥生時代、「先進文化」として到来した。食糧をめぐるムラ同士の争いは、いかに組織化され、強大な「軍事力」となるのか。傷ついた人骨・副葬武器・巨大古墳など、膨大な発掘資料をもとに列島の戦いのあとを読み解き、戦争発展のメカニズムに迫る。

  • 最初はかなり流し読みだったけれど途中からかなり面白くなってきてそのまま勢いで読了してしまった。武器が緩やかに発展していったのは(急激に発展しなかったのは)、日本の地理的要因がかなり大きかったということ、当時の日本からみた異教徒のような外敵がいなかったこと、古墳時代辺りまでには大和を中心とする緩やかな連合政権が成立し、日本全土を巻き込むような大戦乱が起こらなかったことなど様々な要因が関わっていることが本を読んで理解することができた。個人的には筆者が蝦夷討伐において中央が柵の強化ではなくて人的資源の供給を強化していたことを指摘している記述をみて言われてみれば確かにな~と思ってしまった。

  • 日本考古学者として、近年とくに進化論、認知科学的な
    視座を考古学に導入しているユニークな著者による、
    「日本国内における戦争の歴史(縄文~武士の始まりくらいまで)」を
    探究していく一冊。

    こと日本の場合、「日本史」というワードを引っ張り出すと、
    どうしても7世紀以降くらいの天皇・貴族文化~あたりからを
    イメージしてしまうので、
    なかなかそれ以前がどうだったかを面白く学ぶ機会というのは多くない。
    そういう意味で、その時代を「戦争」をテーマにとりあげている
    本書は、特筆すべき価値あるものなのでは、と思う。
    (ま、私自身あんまり歴史に詳しくないうえで、
     この著者の「進化考古学の大冒険」2007という著書が好きなので
     そう思うだけかもしれないが)

    さて、本書を読んで、私は最近ずーっと思っていた疑問にひとつ
    答えを出すヒントが得られたような気がした。
    その疑問とは
    「今日でもいわれる『日本人気質』なるものは、
     果たして本当に他国・他の文化と切り分けられるほどに
     明らかなものがあるのだろうか?
     あるとすれば、いつどのように始まり、どう形成されてきたのか?」
    というものである。

    もちろん「気質」みたいなものを、物体のように確たる存在として
    表せるわけではないから、この問い自体がそもそも成立するかどうか、
    という点は常に自省的でなくてはならない。
    しかしながら、「日本らしさ」は、極めて我々の関心をひきつける
    テーマであることは確かだ。
    ビジネスリーダーたちも、職人たちも、アスリートも、コメンテーターも、
    「日本らしさ」をさも前提のようにして、自分の語りたいように
    語っている。
    それは全然かまわないのだけれど、「人間に対する学問」という観点から
    その形や成立の背景を掘り下げることはできないのか、と
    私は思っている。

    もちろん、基本的にすべての人類はホモ・サピエンスというひとつの
    種であり、肌の色や身体的特徴の違いがあれど、中身は(遺伝子の
    差異を除けば)ほとんど差はないということは今日では自明である。
    したがって、「日本らしさ」を考えることは、
    環境がいかに個人、あるいは集団、さらにその伝承というプロセスに
    関与するのか、ということを問うことである。

    前置きが長くなったが、本書p.229に短くて良い文章がある。

     島なるがゆえに早くから醸成された観念的統合、それがための
     「征服戦争」の不在、その結果として貫徹しにくかった物質的・組織的な
     統合、そこからくる多様性の残存。日本の古代国家の特性は、
     こうした「島国」ゆえの分裂性というパラドックスのうえに
     成り立っていたといえる。

    ここを読んで、合点がいった。
    古代もいまも、日本は細長い島国であることに違いはない。
    そして、他の大陸との位置関係にも違いはない。
    また、気候特性などもほとんど変わっていない。
    いかに輸送革命や情報革命があれど、現実の人間の行動スタイルは
    この環境要因に大きく規定されると考えるのは自然である。

    数千年の歴史を持つ大きな活動…「戦争」の在り方が、この環境に
    大きく影響されている以上、やっぱり
    「日本らしさ」はあるのだろう。
    なお、第二次世界大戦の終わり頃の日本軍の悲惨さについても、
    ここに原因はある、と著者は述べている。

    やっぱり日本は「島国イズム」と切っても切れない関係にあるんだ…。
    本書を読み終わっての率直な感想。
    あとは、本書では触れられていないが「言語」「食」などもやっぱり
    繋がってくるような気はする。明確にどうだ、と今述べられるわけじゃない
    けれど。
    無論、言語や食に関しての、ヒトという種の生来性は大差ないわけだが、
    そこから後天的に獲得して、文化として伝播する(ミーム)段階になって
    このへんは大きく人を規定してくるように思われる。

    まぁ、その「日本らしさ」が分かったところで、いまさらどうだ、
    という気もしなくはないが(笑)、それでも自分のものの見方が
    どこのあたりに起因してくるかを解き明かすのは素直に面白いことである。

  • 考古遺物から、日本列島の戦争の起源を探り、戦争という事象から当時の社会を考える本 

    冒頭、アインシュタインとフロイトの往復書簡から始まり 

    戦争はなくせるかというテーマを基本に書かれているので、思想の好き嫌いによって持つイメージは変わるのではないだろうか。 

    しかしながら、何を持って戦争の証とするか? 弥生以降「戦争の形態」がどう変わったか?古墳埋葬者の身分とは?副葬品の意味とは? 

    これらの問題に考察を加えるのは面白いと思う。

    詳しく当時の戦争(のシステム等)に触れているのは流石だっちゃ。
    社会形成のプロセスとして戦争という事象を捉えると面白い。

    日本人の戦争特性なんかも考察を加えていて参考になった。

  • 結構分かりやすい本。だけど、いつも戦争をしていたわけではないですよね(・∀・)。

  • 単位の埋め合わせに受講したものの、授業が面白く、テキストまで購入してしまった、松本先生の著作です。「戦争とは弥生時代に入ってきた、先進文化だった」との先生の自説が非常に興味深い一冊。

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著者プロフィール

松木 武彦(まつき・たけひこ)
1961年愛媛県生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士課程修了。岡山大学文学部教授を経て、現在、国立歴史民俗博物館教授。専攻は日本考古学。モノの分析をとおしてヒトの心の現象と進化を解明、科学としての歴史の再構築を目指している。2008年、『全集日本の歴史1 列島創世記』(小学館)でサントリー学芸賞受賞。他の著書に『進化考古学の大冒険』『美の考古学』(新潮選書)、『古墳とはなにか』(角川選書)、『未盗掘古墳と天皇陵古墳』(小学館)『縄文とケルト』(ちくま新書)などがある。

「2021年 『はじめての考古学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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