喧嘩両成敗の誕生 (講談社選書メチエ)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (236ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062583534

作品紹介・あらすじ

中世、日本人はキレやすかった!大名から庶民まで刃傷沙汰は日常茶飯、人命は鴻毛のごとく軽かった。双方の言い分を足して二で割る「折中の法」、殺人者の身代わりに「死の代理人」を差しだす「解死人の制」、そして喧嘩両成敗法。荒ぶる中世が究極のトラブル解決法を生みだすまでのドラマ。

感想・レビュー・書評

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  • 室町時代の人々の心象は興味深かった。名誉心が過度に強く、激情的で執念深いという意外なものであった。復讐心の制御との格闘の中で生まれた喧嘩両成敗法、裁判への移行と時代の空気感に触れたようであった。「柔和な日本人」の見方が変わる、価値ある一冊である。

  • 高野秀行さんとの対談本「世界の辺境とハードボイルド室町時代」が非常に面白かったので、これも読んでみた。いやあ、面白いなあ。そうなのか!という指摘の連続で、実に興味深かった。対談での著者の言葉通り、内容がギッシリつまっていて、とっても濃い。一般向けにわかりやすく書かれているけれど、中味を咀嚼するにはゆっくり読む必要がある。当然ながら対談ではかいつまんで面白いところが話題になっているので、あっちを読んでからこっち、というのは正解であった。

    対談で、この本が世に出た経緯や、ここに込めた著者の思いが語られていた。しみじみ心に残る話だった。「生涯で一冊一般向けの本が書ければいいな、これで研究活動は店じまいにしてもいいやという気持ちで書いた」のが本書だそうだ。そういう気迫が静かに伝わってくる。

    つくづく思ったのは、「日本人の伝統」とか「受け継がれてきた日本人らしさ」などという言葉は、よほど慎重に眉にたっぷり唾をつけて聞かないといけないなあということだ。せいぜい明治以降の傾向であったり、中には戦時中くらいに元があるものを「日本人は昔からこうだった」と考えてしまうことがよくあるように思う。清水先生は丹念に一次資料を読み解いていくことで、かつての日本人の姿を浮かび上がらせる。研究者って素晴らしいなあとあらためて思う。

    今の私たちからはおよそ「異文化」としか思えない室町時代のありようを知ることで、今現在の「異文化社会」を理解する手がかりになるという、高野・清水両氏の考え方にはとても説得力がある。と同時に、それでもやはり厳然としてある日本の独自性にも目を開かされる。出てから十年にもなる本を今頃読んで言うのも何ですが、いい本でした。

  • 喧嘩両成敗法――紛争当事者の”理非を問題にせず”双方を処罰するという世界的に特異な法律が、なぜ近世日本に登場したのか。その源流を中世社会に求め、室町から戦国期の膨大な文献から紛争事案を引用しつつ、その時代の人々の心性、倫理観、法慣習を明らかにしていく。
     読んで驚くのが中世の人々の異常な喧嘩っ早さと人の命の軽さ。下人同士のちょっとしたいざこざが大名同士の全面戦争に発展するとか、トラブルの報復のために無関係な周辺住人ごと焼き討ちとか、公道を歩く者(特に女)は誰のものでもないから拉致ってもOKとか、「修羅の国」どころの騒ぎではない。そしてそれらは決して社会規範からの逸脱的行動でも一部の階級独特の規範でもなく、庶民から貴族まで当然かつ正当な行動であった。
     さらに、当時の人々の感覚として、紛争当事者の一方が損害を受けたならもう一方も同等の損害を受けなければ釣り合いが取れないという信念(衡平感覚)や一方の損害はもう一方の同等の損害によって贖われるという信念(相殺主義)が極めて強いかたちで共有されていたこと、さらにその均衡の感覚があくまでそれぞれにとって主観的なものであったことが、状況を一層苛烈な方向へと導く事となる。つまり、紛争により一方が損害を受けたなら、損害を受けた側は損害を均衡させるだけの損害を与えるべくもう一方へ報復を行う。しかし、報復を受けた側がそれを均衡ではなく過剰な報復であり釣り合いがとれないと感じたなら、再びの報復が行われる。さらに報復を受けた側は……と、報復の連鎖はどんどんエスカレートしてゆく。
     こうしてみれば、十七条憲法の「和を以て貴しとなす」に象徴される穏やかで理知的な農耕民族イメージの日本人像などは、ほとんどファンタジーみたいなものだということがよくわかる(ちなみに、室町期よりも古い鎌倉期やさらに時代をさかのぼった古代はさらに好戦的で残酷な記録を多く見ることができるから、ほんまに恐ろしい「修羅の国」なのだ)。狩猟民族で好戦的な西欧人と農耕民族で温厚な日本人といった古典的で素朴なステレオタイプでは描くことのできない中世日本人像がみえてくる。現代の目から見れば、西欧人は西欧人で、日本人は日本人でやはり相応に残酷かつ凶悪なのだ。
     この苛烈な自力救済的な社会規範の中で、紛争を解決する方策として喧嘩両成敗法が成立していく。衡平感覚と相殺主義を前提とすれば、双方の損害が釣り合うことが紛争解決の必要条件だと言える。だとするならば、その釣り合いを強制的に生み出してしまえばいい。紛争当事者のどちらに理がある非があるといったことは完全に議論の埒外において、とにかく双方の損害を一緒にしてしまう。つまり、紛争当事者の両方が等しく処刑されることで均衡をとる。これにより、有無をいわさず紛争は治められ、社会秩序は回復される。喧嘩両成敗法とはいわば、中世の社会秩序を守り維持していくための、ひとつの知恵なのだといえる。
     やがて戦国期、安土桃山期を経て江戸期へと移行するにつれて、こうした喧嘩両成敗は影を潜めるようになる。法の支配と裁判による解決という近世の社会体制が確立していくわけだが、それでも喧嘩両成敗的なものを求める心性はそうそうなくならない。その最たるものが赤穂事件だといえる。忠臣蔵が今でも人口に膾炙しているのは、こうした心性が今の日本人にも少なからず受け継がれていると言えるわけで、そう考えるととてもおもしろい。

  • 現代においても影響が残る喧嘩両成敗という法について、その成立に至る問題解決の試行錯誤の歴史を様々な事例を通して明らかにする内容。中世自力救済社会とその克服を目指す為政者たちとのせめぎ合いが面白い。

  • 喧嘩両成敗、って喧嘩した両方を死なせるって意味だったんだね?というレベルの知識のない人間にもわかりやすく室町時代の人々の倫理観や価値観を伝えてくれる本。研究によると、室町時代を生きた人々の倫理観や正義感はだいぶ現代の個人主義的感覚からかけ離れたものだった…ということで、ある種のSFを読んでいるかのような興味深い内容だった。
    現代的感覚から見ると、警察や刑務所にあたる公権力がない分、問題が起きたときに自己責任で解決しなければいけない領域が大きい。だが基本的に一人では何もできないので、何かしらのグループに属してそのグループの威を借りたり、グループの連帯責任で生活していく必要があった…という部分が一番のギャップだ。
    この部分は現代の素っ気ない人間関係に感謝しかない。

  •  読んだのは半年ほど前のことになるが、感想を思い出しながら書くことにする。
     この本は中世に漠然と興味を持っていたころ、中世人の考え方を理解するのにおすすめの本という評価を見て、読んでみることにしたものである。
     この本は法制史の本で、室町時代の中世人という現代と異なる価値観をもつ集団の中で、喧嘩両成敗という有名な法がいかに誕生したかということが書かれている。
     私の中で印象に残っていることは2点ある。
     一つは、中世人の異質な価値観である。中世人は非常に短気で名誉を少しでも傷つけられたらすぐに喧嘩に発展し、殺傷事件に至ることも珍しくない。個人間の争いに留まらず、その人たちが属している集団同士の争いに発展し、役人が仲裁に入ってなんとか収まる、ということもままあったようだ。喧嘩の具体的な理由は現代から見ると取るに足らない理由も多い。本には書いた短歌が児に笑われたという理由で児を殺害した人が登場していた。この人は異常者ではないというのが驚きである。 
     歴史を学ぶ上でつい現代の感覚で昔の出来事を見てしまいがちであるが、当時の価値観を考慮した上で、出来事を解釈していくという必要があるのではないだろうか。
     もう一つは喧嘩両成敗の成立の背景についてである。喧嘩両成敗は訴訟を個人間で解決した自力救済型の社会から統治機構による裁判権が確立した近世社会の移行期に誕生したもので、裁判権の統制を行っているが個人間の解決の要素もある、と記述されていたと覚えている。また、喧嘩両成敗は当時の衡平を重視する価値観からも受け入れやすいものであったものだという。喧嘩両成敗という言葉は現在も使用されることがあり、どっちも悪いの意味で使用されることが多いと思うが、その背景には社会の価値観や社会制度の移行など複雑なものがあり、とても興味深かった。
     この本は、以上のようなことを根拠となる資料を提示しながらわかりやすく論を展開して説明する。喧嘩両成敗自体に興味がなくても、室町時代の日本人がどのような人たちであったか知りたい、という方にも自信を持って勧めることのできる本であると思う。

  • 「喧嘩両成敗」法は何故誕生したか、室町時代に遡って研究する本。随一面白かった!法も警察も裁判所もない時代の共同体ごとの自力救済を原則とするなか村八分さらには埒外(outlaw)に置かれることは何を意味するのか・「両成敗」を求めたのは民衆か権力者か・何故これ程まで「面子」が重要視されるのか・何故これ程まで「平等の損」に執着するのか・責任を(当事者ではない誰かが)取ることの意味と真実を突き止めることへの無頓着さ・「(結果はどうあれ)こんなに頑張ったんだから」が現代でもまかり通るそのルーツ・被害者落ち度による過失相殺が今も残る国。

  • 「世界の辺境とハードボイルド室町時代」を読んで、是非読みたくなった本。期待した通りの面白さだった。

    まず、室町時代から戦国時代にかけての人々の激しい気性に驚かされる。公家や武士のみならず商人や農民に至るまで、とにかく自尊心・誇りが高く、ちょっとした嘲りの言葉や悪口から(時にそれが勘違いであっても)激しい口論になり、すぐに手が出て大きな諍いに発展し、怪我人や死者を続出させてしまう。自尊心・誇りを守ることが命より大事という、激情的で執念深い中世日本人気質。為政者達は、この瞬間湯沸し器のような人々の諍いを如何に丸く納めるかが腕の見せ所というか存在意義、という面があったようだ。

    中世の人々の心性を規定していた「衡平感覚」(人々が「復讐」を行おうとするとき、双方の損害を「等価」にすることに価値をおくバランス感覚)や「相殺主義」(「衡平感覚に基づいて、当事者双方の損害を等価にしようとする発想」)、そこから生み出された「折衷の法」(係争対象の利権を当事者間で折半することで問題を解決させる法思想、具体的な紛争解決慣行として「中人制」、「解死人制」がある)が、喧嘩両成敗法(「喧嘩をした者は、喧嘩の理由に関わらず、(原則として)当事者双方をともに死罪とする」法)というやや乱暴で理不尽な紛争解決思想の源泉、とのこと。

    「喧嘩両成敗法は、専制的や武断的であるどころか、紛争処理法としては、むしろ同時代的にはそれなりに人々の合意を得やすいものであった」と言え、時の為政者達は、喧嘩当事者の「一方を「非」として、他方を「理」とし、なおかつ双方に禍根を残さない」解決を図るのは極めて困難であり、「最も家臣や民衆の支持をえやすい方策として、喧嘩両成敗という法理を採用せざるをえなかった」のが実情だった。ただし、喧嘩両成敗法を定めた「大名たちの真の狙いは喧嘩両成敗を実現することなどにあったのではなく、あくまで喧嘩を未然に防止し、トラブルがあった場合は大名の裁判権のもとに服させる」点にあったことに注目すべきなのだとか(喧嘩両成敗法には、相手から攻撃されても我慢してその結果傷つけられた場合には、傷つけられた側に喧嘩の原因があったとしても、その場で応戦しなかったことに免じて負傷した側を勝訴とするただし書きが付いていた)。

    「衡平感覚」や「相殺主義」、「折衷の法」、「喧嘩両成敗」といった中世の人々の紛争解決思想は、「白黒を明らかにしない」「玉虫色」「足して二で割る」といった形で現代の我々にも脈々と受け継がれているのだという。著者は、「柔和で穏やかな日本人」というイメージの裏に、中世から受け継がれている激情的で執念深い気質が隠れている可能性をも示唆しているが、はたして…。

    「たのふだ御方」は「憑んだ人」「頼んだ御方」の意であり、主人と仰いだ人であり、相手の支配下に属して支配されている状態を意味している、とか、「流罪」イコール「死」を意味していた(「流罪」は、在任を法の保護の埒外に置くことに最大の意味があった。流罪者へは復讐(自力救済)し放題)とかも知らなかった。勉強になった。

  • 「謎の独立国家ソマリランド」からの「世界の辺境とハードボイルド室町時代」、そこからの「喧嘩両成敗の誕生」です。高野秀行がソマリランドの平和を氏族主義によるトラブル回避にあるとして日本の戦国大名に見立てたことが、著者 清水克行独自の研究の室町時代の社会史研究に繋がりました。確かに似てる似てる。それにしても近代以前の日本人ってプッツンしやすかったんですね。笑われてキレる感じが、ツッパッているティーンみたい。そうならないように、というのではなく、そうなったらどう落とし前つけるか、の技術が法をつくっていく、社会の安定を作っていく、というお話だと読みました。ただ、ソマリランドは「男一人殺されたらラクダ百頭」というルールだけど、室町時代は「一人を討たば一人をきり、二人を討てば二人誅する」(あくまでルールのひとつだけど…)の違い。ソマリランドは経済的なバランスも含んでいるけど、日本の場合はあくまで名誉のバランスなのだな、と感じました。今、世界中でお互いにツッパッている緊張が多発していますが、例えば戦後最悪な日韓関係は名誉の問題で解決出来るのか、リアルなお金の問題で解決するのか…。アフリカ大陸や近代になる前の社会などの遠い世界の問題じゃなくて、実は今、日本で必要な技術もここにあるのでは、と感じました。

  • [迷裁き、いや、名裁き]日本においては一般名詞化されるほど定着しているにもかかわらず、世界において類似の法を見つけることが極めて困難な「喧嘩両成敗」。改めて考えてみれば不思議に満ちたこの法は、どのような社会や考え方を背景として成り立ったものなのか......。異色の歴史読本です。著者は、NHKの歴史番組『タイムスクープハンター』の時代考証も務めた歴史学者、清水克行。


    これは名著。喧嘩両成敗というパンチのあるテーマから、日本人の精神史、中世の社会状況、そして法概念の変化までを視野に入れた意欲作となっています。とにかく読んでいて抜群に面白い一冊でもありますので、タイトルに「おっ」と感じた方はその勢いで購入されることをオススメします。


    喧嘩両成敗が成立する上で必須の役割を果たした室町期の社会の描写が本書の中でも白眉かと。笑われたことにブチ切れて人を一刀両断にした挙句、当事者が属する集団の全面抗争にまで至りそうになる話など、とにかく挿まれるエピソードの一つひとつに驚きと「本気かよ......」感が溢れた作品でした。

    〜どうも洋の東西を問わず中世社会に生きる人々にとっては「真実」や「善悪」の究明などはどうでもよく、むしろ彼らは紛争によって失われてしまった社会秩序をもとの状態にもどすことに最大の価値を求めていたようなのである。〜

    このテーマを「発見した」清水氏、そして清水氏を「発見した」選書部の山崎氏に拍手☆5つ

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著者プロフィール

清水克行(しみず・かつゆき)
明治大学商学部教授。専門は日本中世史。 主な著書に『喧嘩両成敗の誕生』(講談社、2006年)、『戦国大名と分国法』(岩波書店、2018年)、『室町社会史論』(同、2021年)などがある。

「2022年 『村と民衆の戦国時代史 藤木久志の歴史学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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