- Amazon.co.jp ・本 (290ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062584524
作品紹介・あらすじ
新自由主義は、なぜ経済の暴走を止められなかったのか。原因は野放図な自由の容認にあった。経済は人と人のつながりによって成立する。自由放任の経済は、人びとの絆と信頼を破壊し社会基盤を掘り崩す。いくつもの「フィクション」を積み重ね破綻した新自由主義=新古典派経済学の欺瞞と論理矛盾を暴き、あるべき経済の在り方を社会との関係に注目して論じる。
感想・レビュー・書評
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新古典派経済学の問題点を指摘し、現代日本に新自由主義が跋扈する前の日本の組織風土や文化資本を重視するべきだという著者の主張。
新古典派経済学への批判に多くの紙幅が割かれているが、かなり強めの批判指摘のため、フラットな批判なのかどうかが判別難しかった。
良質な社会資本を生み出すために「他者の目」や「制裁」を利用するべきという主張など、受け入れられない主張も多くあった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
とても面白かった。新自由主義的経済、成果主義などがいかに日本の生産性を低め、「文化」を破壊してきたかということを経済学の見地から述べている。
また、大学教育において、学生が教員を評価することの問題点も述べているのが印象的だった。大学は公的支援を受けている以上、学生だけのために教育を行っているわけではないとする。すなわち「優秀な指導者、教師、研究者や公共心のある模範的市民などを育成する」(p182)ことも期待されているとする。言い換えれば、大学教育を受けたものが他の社会構成員にも利益を与えるという外部性を持っているからだ、と述べている。
本書の内容に立ち入って問題点を述べることはできないけれど、ひとつだけ気になったこと。
著者は「自分は以前から新自由主義の問題点を指摘し続けてきたけど、ほとんどの経済学者が新自由主義を支持してしまって、自分の意見は通らなかった。けど、現在になって自分の予測は残念ながら的中した」といくつかの箇所で述べている。
それは確かにそうかもしれない。でも、「自分はずっと言ってたのに、まわりが聞かなかった。ほら、だから言ったでしょ」ということではなくて、「自分が言ってた意見が通らなかったのはなぜか?」という問いを立てたほうが、問いの立て方としては誠実なんじゃないか。何百年も人と人とのつながりが重視されてきたという日本の「文化」がありながら、どうして新自由主義がドトウのように受け入れられ、そして日本の「文化」を「破壊」してしまったのか。
その問いに答えるのは、もしかしたら歴史学の仕事なのかもしれない。けど、どうも「ほら、だから言ったでしょ」的な物言いは、ちょっと引っかかるところが個人的にはある。 -
新自由主義や新古典派経済学の真髄である「厚生経済学の第一命題」つまり、「個人が自己利益を追求して自由に行動すると、経済の資源配分が効率的(最適)になるといういう意味の命題が誤りであるとし、様々な角度から検証し証明しようとした書物である。
新古典派経済学のパラダイムの構造と主張を分析したのち、個人の独立性という虚構、法化社会で自己利益を追求する個人という虚構、高能力を持つ合理的な個人という虚構を説明し、情報の非対称性、取引費用と契約の不完備性について論じた後、ネットワークと社会資本、社会関係資本と人間の行動などについて論じ、日本社会をいかに立て直すかの方向性を示し、終章している。
高等数学で捉えきれない人間の行動を基礎とした社会経済学の進展が待たれるところである。 -
新古典派経済学に基礎を置く新自由主義に対する批判の書。
互いに何の関連性も持たない個人と、市場だけから構成された新古典派は、現実のモデルとはならないことをさまざまな例を挙げながら検証。
新自由主義が世界を覆い、日本はかえって生産性が落ち、社会も劣化したという。
個々人の規範意識の復興や、それを育む文化、教育の重要性を語る。