- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062585835
作品紹介・あらすじ
二〇世紀前半、日本、ロシア、中国のそれぞれの「辺境」地域は、なぜ「生命線」となったのか。
義和団戦争から満鉄解体まで、満蒙でくりかえされる軍事衝突には、「鉄道」をめぐる利権が絡んでいた。
ロシアが「北満洲」に設立した中東鉄道とライバル会社満鉄との権益競争、ロシア革命後の「革命派」と「反革命派」の内戦、張作霖など軍閥とスターリンの対決……。
鉄道をめぐるドラマを辿り、新しい国際政治史を描く。
感想・レビュー・書評
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本著は、蒙満を主にロシア・ソ連の観点で考察している点が面白く、且つ貴重。
自分自身、日露戦争後、日本が中国東北部での勢力を確たるものにできた、との認識を持っていたが、実は、その後もロシア・ソ連の影響力は続き、日本の外交もロシア・ソ連の関係性を重視していたことが分かる。
(因みに、後藤新平は親露派だし、海軍も対米の観点で親露派といわれている)
本著から、当時の鉄道の持つ重要性が理解できる。
満鉄もそうだが、中東鉄道もロシア政府と一体となった形での運営がなされており、鉄道は、産業との兼ね合い、軍事戦略上の位置付け(名目として鉄道を守るための軍人配置)、開拓移民等々、様々な意味合いを持っていた。
”ウィッテ体制”(ウィッテ:日露戦争のロシア側の講和交渉全権大使)
「シベリア鉄道の敷設により、レールや機関車の生産で鉄鋼業など国内産業の巨大な需要を生み出し、シベリアの眠れる資源を開発し、農民は鉄道に導かれてシベリアの未開拓地に移住して、農村の貧窮を解決すると同時に農業生産高を向上させる。
そうなれば、余剰のないなかで小麦を輸出して外貨を稼ぎ、財政派健全化する代わりに、国内で農民が飢餓に苦しむ、という悲惨な光景は見られなくなるはずであった」
”ウィッテの罪”
彼が、ロシアを中国東北に誘った。
それは、ロシア自身の国益を損なった。
その理由は三つある。
・数世紀に及ぶ中露の友好関係を壊した。
・アムール鉄道の敷設を中止したため、ロシア極東は開発が遅れて防衛が困難となった。
・ロシアは中国東北に巨額を投じたが、結局のところ日本を利する結果になってしまった。
アメリカとの利害関係
この本で満蒙における日本とアメリカの利害対立が描かれていて、この対立が第二次世界大戦に繋がっていくことが理解できる。
特にアメリカ資本家は、鉄道の利権を中心に日露の動きを牽制し、対立を深めていく。(当時、アメリカは南方のフィリピンを支配していたが、投資という意味では、鉄道網が発達していた中国東北地方が魅力的だったのだろう)
アメリカのシベリア出兵の動きは、表向きはともかく、日本がこの地域で勢力を伸ばすのを抑えようと、ウイルソン大統領出兵に踏み切ったもの。
イギリスは、日英同盟をベースに日本を利用しようとしたが、逆に歯止めをかけようとしたのが、第一次世界大戦後に大国にのし上がったアメリカであった。
満蒙とは?
ソ連が、日本による満州国建国に際して中立的な立場を示したが、その際のスターリンの満蒙に対する認識が興味深い。
スターリンは、日本が満州事変を始めた目的は、第一に「共産主義の伝染病」から日本と華北を守ること、第二に将来のアメリカとの戦争に備えた資源供給基地を獲得することにある、と考えていた。
しかし、『日本帝国主義者たちは、ソ連、中国、アメリカの狭間にある、ネズミ捕り(中国東北)に引っかかった』とみていた。
ソ連の撤退
1935年ソ連は日本に中東鉄道を売却。それはソ連が中国東北における主導権争いを放棄したことを意味した。スターリンの遅きに失した英断であり、日本との戦争を回避を目的としていた。(中東鉄道は赤字が続き、他国での鉄道事業の運営の難しさを感じていた)
また、1933年の反共を掲げるヒットラー政権の誕生も関係がある。
ソ連は中国東北部から撤退するも、その後、日本との間で国境での争いが増え(ノモンハン事件等)、空軍を始め、国境沿いに戦力を増強し、結果、第二次世界大戦終結間際に満州に雪崩打つ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
歴史
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中国東北部における鉄道の利権に関し、三国の状況が論じられている。中でもソ連の記述が中心で、帝政ロシアからソ連に至る過程に説得性がある。最終章では軍備拡張の背景が語られ、この地域に限らず今日世界に通じる見解だと感じた。
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日本から見た南満州鉄道に関する本は多いが、これはロシア(ソ連)から見た北満州部分の「中東鉄道」に関する本。筆者は後書きで、ロシア極東の保護のためには中国東北を己の影響下に組み込むことが安全、この地域で影響を維持するために必要な装置としての中東鉄道、と述べている。裏返せば、日本にとっては朝鮮半島や日本本土の保護のためにやはり中国東北を己の影響下に組み込もうとした、とも言える。
一方で19世紀末以降日露は常に対立し続けていたわけでもなかったが、筆者は、「北満州」と中東鉄道がロシア極東の防波堤として機能していられると安心していられた、と述べている。そうならば、北満州までも日本の勢力圏に入った満州国成立以降、この地域での日ソ戦はいずれは不可避だったのだろうか。
もちろん、この地域での当事者は日露だけでなく、中国もいた。ただし、中国にとっても「辺境」だったからか、国民党政府自体というより前面に出てくるのは奉天派や馮玉祥である。 -
222.5||As
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amazonからの引用ですが…
二〇世紀前半、日本、ロシア、中国のそれぞれの「辺境」地域は、なぜ「生命線」となったのか。
義和団戦争から満鉄解体まで、満蒙でくりかえされる軍事衝突には、「鉄道」をめぐる利権が絡んでいた。
ロシアが「北満洲」に設立した中東鉄道とライバル会社満鉄との権益競争、ロシア革命後の「革命派」と「反革命派」の内戦、張作霖など軍閥とスターリンの対決……。
鉄道をめぐるドラマを辿り、新しい国際政治史を描く。
…との内容だそうで、帯には「日露戦争、ロシア革命、満州事変、ノモンハン事件……ロシア側新資料が明かす、鉄道利権をめぐる『三国志』!」という文句が…。
昔勤務していた某研究センターの院生だった麻田君(現在は東北大のアジ研のようですね)の著書です。彼のことですので、各国の公文書館で丁寧に丁寧に調べ上げた成果と思われます。
以上宣伝。