権力の空間/空間の権力 個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ (講談社選書メチエ)
- 講談社 (2015年4月11日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062586009
作品紹介・あらすじ
ハンナ・アレントは『人間の条件』の中で、古代ギリシアの都市に触れて「私的なるものと公的なるものとの間にある一種の無人地帯」という奇妙な表現を使っている。ここで言われる「無人地帯」とは「ノー・マンズ・ランド(no man’s land)」の訳語である。そして、このノー・マンズ・ランドこそ、都市に暮らす人間にとっては決定的に重要だ、とアレントは言う。
本書は、この表現に注目した世界的建築家が、アレントの主著を読み解きながら、現代の都市と人々の生活が抱える問題をあぶり出し、われわれが未来を生き抜くために必要な都市の姿を提示する書である。
ノー・マンズ・ランドとは、日本家屋で喩えるなら、空間的な広がりをもった「敷居」のようなものだと著者は言う。古代の都市では、異なる機能をもつ複数の部屋を隔てたり、家の内と外を隔てたり、私的な領域と公的な領域を隔てたりする「敷居」そのものが場所として成立していた。しかし、そのような場所は現代の都市からは完全に失われている。
それこそが人々の閉塞感を生み、人と人のつながりを破壊した原因であることに気づいた著者は、敢然と異議を唱える。その打開策として打ち出されるのが、インフラのレベルから構築される「地域社会圏」というヴィジョンである。そこでは、国家の官僚制的支配から自由になった人々が、それぞれの能力と条件に応じて協同し、住民の転入・転出があっても確固として存在し続ける都市が実現される。
誰も有効な処方箋を書けずにいる困難な日本で、幾多の都市にまなざしを向けてきた建築家が回答を示す必読の書。
感想・レビュー・書評
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ハンナ・アレントの空間論を手がかりに、古典古代以来の住宅に存在していた「閾」(公的空間と私的空間を接続する住宅内のスペース)が、資本主義化による労働・人間の均一化によって消滅し、「政治」が官僚によって奪われていくさまを描く。
前半はアレントの議論をなぞるだけで、やや退屈かな、と思っていたが、終盤筆者の建築の実践の話から、「選挙専制主義」に対する「地域ごとの権力」を提起するところで俄然面白くなった。
筆者は、小田原市の市民ホール設計をめぐって井上ひさしと対立したそうだが、そこに「知と行為の分離」(p.258)をみる。この観点は非常に興味深いもので、歴史学においても、専門家と市民の関係を考えるときに援用できると思う。歴史学者が一方的に歴史像を提供するのではなく、市民とともに歴史をどのように描いていくか。そういう課題に相通ずると思う。
一方で、市民の側に依拠したとき「明らかに専門知からは容認できないもの」が出てくることもありうるだろう。それに対してどのように対峙するのか。という点は気になった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
Y-GSA教員
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貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784062586009 -
ハンナ・アーレントから着想した空間と権力との関係、さらには経済行為と共存する「地域社会圏」まで話を広げた一冊。
産業化と共に訪れた工業社会によって賃金型、被雇用型労働者が生まれ、公的空間と私的空間の分離は、機能や合理性を重視する官僚政治によって決定的となり、住居の内装や区分までが機能的に定められることとなった。
このことから著者は、圏内でインフラ整備や生活保障の機能をもつ「地域社会圏」の実現を訴える。
あとがきから察するに、設計の仕事から追放されたことに思うことが大きかったのだと思う。
ものを作る人の知を述べている箇所も、頭を使う仕事がしたいと言って、「頭を使わない職業があるんですか?」と返された自分の研究室訪問を思い出して、再び頭の痛い経験を思い出した。 -
【選書者コメント】建築とは誰のために作られるのか。横須賀美術館など数多くの公共建築を手がけた建築家による著書。
[請求記号]5200:589 -
哲学的な話と実話