- Amazon.co.jp ・本 (277ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062636407
感想・レビュー・書評
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辺見庸(1944年~)氏は、宮城県石巻市生まれ、早大第二文学部卒、共同通信社の北京やハノイの特派員を務めた。外信部のエース記者として知られ、1979年に日本新聞協会賞を受賞(共同受賞)、1987年、胡耀邦総書記辞任に関するスクープにより、中国当局から国外追放処分を受けた(国外追放処分を受けるのは、ジャーナリストとしての勲章とも言われるらしい)。1991年、『自動起床装置』で芥川賞、1994年、『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞を受賞。1996年、共同通信社を退職し、以降、フリーのジャーナリスト、小説家、詩人。
私は、著者の作品では、暫く前に『もの食う人びと』を読んで衝撃を受け、東日本大震災後には、石巻出身の著者が、日本を覆った空気への違和感を綴った『瓦礫の中から言葉を-わたしの〈死者〉へ』を読んで、目を見開かされたのだが、本書(講談社文庫版)については、今般たまたま新古書店で目にし、『もの食う人びと』と関連する作品と知って、手に取った。(尤も、改めて『もの食う人びと』をめくってみると、船戸与一が解説で『もの食う人びと』の本質を理解するための「絶好のサブ・テキスト」として、本書のことを詳しく書いており、当時は気付かなかっただけなのだが。。。)
本書は、1987~95年に「現代」、「朝日ジャーナル」、「中央公論」、読売新聞等の雑誌・新聞に掲載された評論・エッセイをまとめ、1995年に出版、1997年に文庫化された。(講談社文庫絶版後、2014年に鉄筆文庫で復刊)
本書について著者は、「『もの食う人びと』を補足し、表裏をなすもの」、また、「『もの食う人びと』で、私は概して自分の「善」なるもののみ作動させ、「悪」および善でも悪でもない他愛もないもの、ないしは無意識のあからさまな登場を禁じた」が、そのことに対する「落とし前」をつける必要があった、と書いている。
そして、本書には、上記の通り、様々な文章が入っているのだが、通底しているのは、表題作の「反逆する風景」に書かれた、「風景はしばしば、被せられた意味に、お仕着せの服を嫌うみたいに、反逆」し、「この世界には意味のないことだってあるのだ」ということを訴える、ということである。
新聞やテレビなどの組織ジャーナリズムは、その業として、物事を如何にシンプルにわかり易くするか(伝えるか)に苦心するものであるが、そもそも世の中の物事の多くはそんなにシンプルではないし、著者が強調するように、しばしば意味のないことすら含まれていることは事実である。私は、物事に意味を見出そうとすること、また、一見意味の無さそうな複数のことに因果を見つけ出して、より大きな意味を発見しようとすることが無駄だとは考えないが、そうしたアプローチを過信することの危険性は強く感じる。そうしたアプローチによって、人間社会の近代化が目覚ましい進展を見せたことは間違いないが、21世紀に入った現在、近代文明社会が様々な壁にぶつかっているのは、その手法に限界があるからなのだ。
著者特有の毒気の強い題材・表現に好き嫌いはあるような気がするが、物事の見方、感じ方をリセットするための強い刺激になる一冊とは言えるだろう。
(2024年1月了)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
長らく読みさしていたものを、ようやく気分が乗ってきて読み終えることができた。筆者の場合は世界を見て回りながらの経験だが、私にも時々、見慣れたはずの光景が、出来事の中で全く違った意味を持って反逆してくるように感じることがある。そういうのを捕まえるには晴耕雨読か昼耕夜読か知らないけれど、たくさん読んで、たくさん自分の身体で経験して生きること。考えたことを文字にすること。その他特記事項としては石巻高校→早大卒っていう経歴が「あぁいかにもそんな感じね」って妙に納得してしまうバンカラさを漂わす本でしたw
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『もの食う人びと』裏バージョン。「風景」に解釈など必要ない。そこにあるままそれ以上でもそれ以下にもあらず。ジャーナリズムのこじつけに惑わされるな。
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目を覆いたくなる現実を前にしても、決して目を背けない。そして、数字や文字で片付けられてしまいそうな事象を、そこにいる人の生きる姿や息づかい、感性としてとらえようとする真摯さ。そんな辺見先生が、世界で見たひとの暮らし。地位とか、思想とか、障がいとか、ひとはなにかとレッテルをつけ、意味合いを付けたがるけれど、それを拒み、地下茎のような、そこにただある真実を見る大切さを思う。
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文体が好みなのですごく読みやすかった。
「もの食う人々」には書かれなかった、泥の中に埋もれていた著者の本音が見える。
ドラマの途中に突然脈絡のないシーンが挿入されるような、突然風景のフォーカスが外されたような、それまで積み重ねられた意味が、突然差し込まれた無意味によって中断される。嘲笑うみたいに。
何もかもにどこか空虚さを感じて綴られたのであろう作品。
辺見さんの文章は栄養価高い感じしますねーおいしいおいしい -
作家のオリジナリティはどのように主張するのか。題材の選択、筆致に加えて、事件に遭遇する”ツキ”もあるか。”事実とは、限りなく無意味に近い”という言葉を換言すると、世の事象は各自がてんでバラバラに存在し、統一的な意思を欠くという事だろう。実存主義、だったか。
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『もの食う人びと』も重かったが、こちらは暗い重さか。