白道 (講談社文庫)

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著者 : 瀬戸内寂聴
  • 講談社 (1998年9月14日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (388ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062638814

白道 (講談社文庫)の感想・レビュー・書評

  • 読み始めは待賢門院璋子の奔放な性がいやで、何で西行はこの女性に思いを寄せたのかと投げ出しそうになりました。
    西行を題材とした小説ですが、所縁の地を訪ねた折は紀行文としても読めます。文章はやや難しいところもありますが、著者ご自身が出家されているからでしょうか、西行自身に添うように綴られた文章は、彼の出家の理由や人生、歌についてなるほどと思わせるだけの説得力がありました。
    厳しい仏道修行を己に課した出家後の西行の姿に、捨てるのではなく、求めるという強烈な意志が感じられました。
    また年を経て読み直してみたい本です。

  • 西行にかかわる人や場所、歴史の流れなど詳しく書かれている。他の文献の著者の説に反対や賛同の意見も多々述べてる。同じ出家者として、西行の出家の理由を推測しているのが興味深い。待賢門院璋子のことはその理由の一部でありすべてではない。出家に明確なひとつの理由はなく、何か不思議なものにそそのかされるようにして出家した。若かったとはいえ、妻子もいながら、待賢門院璋子への一途な思いで出家したというのには無理があるように感じていたので、この説に納得した。

  • ??????私がこの本を読むレベルに達していません。いつかチャレンジできる日がきっと・・・・・・???????ごめんなさい 挫折
    評価が低いのは(★★)自分の教養の無さで有り本そのものではありません

  • (2012.09.28読了)(2012.07.27購入)
    【9月のテーマ・[平清盛を読む]その④】
    出家した西行と自分の出家を重ね合わせながら、西行の足跡をたどった紀行文、と言ったところでしょうか。作家ですので、西行の気持ちを想像しながら、綴っている部分もあります。西行のことばかりではなく、待賢門院璋子についても多くの紙数を費やしています。
    待賢門院と西行・佐藤義清の間に何があったのでしょう。義清はなぜ出家してしまったのでしょう。
    平清盛や平氏の一族の話は、あまり出てきません。西行は、出家したので、権力のことなどあまり関心がなかったのでしょう。
    瀬戸口さんの訪ね行く先は、京都周辺から、吉野、熊野、四国、白河の関、平泉、鎌倉、など広範囲にわたります。それだけ西行は、広範囲を歩き回ったということです。
    23歳で出家し、72歳まで生きたということですので、50年近く自由に動き回れたわけですから、当然ということかもしれません。和歌を詠むためにも必要だったのでしょう。

    ●身を捨ててこそ(63頁)
    鳥羽院に出家のいとま申し侍るとて詠める
     惜しむとて惜しまれぬべきこの世かは
      身を捨ててこそ身をも助けめ
    この歌の調子は高く強く自己主張がはっきりしている。どうせ惜しんでみたところで惜しんではくれないこの世、いつかは死に至るこの世ではないか、それならいっそ我から身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあるのではないだろうか。自分はその道を進んで選ぶのだと、胸を張って昂然と眉をあげている義清の表情が浮かんでくる。
    ●西行の出家(110頁)
    西行は嵯峨に出家後少なくとも二回棲んでいる。
    出家後の西行は、特に寺に入るでもなく、自由に東山や北山や嵯峨に仮の庵を結んでは、気ままに好きなところへ出かけていたらしい。
    一体、西行は、最初何宗の僧侶を戒師として出家得度したのであろうか。「西行」は号といわれ、また西行房とも呼ばれていたらしい。
    ●和歌の起原(123頁)
    もともと和歌は我国では神への捧げもの、法楽として作ったのが起源であった。仏への法楽としての陀羅尼真言に相当するものだったのである。
    ●芭蕉と西行(174頁)
    芭蕉が西行を、自分の文学の源泉として仰ぎ追慕した情熱は、「笈の小文」の序文に、
    「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫通するものは一なり」
    としているのにも見られる
    ●熊野詣(176頁)
    「要するに長生きが目的ですよ。熊野は昔から黄泉の国と信じられていました。もがりの大地です。そこへ詣って帰ってくるという行為は、一度死の国へゆき、生きて帰ってくるという意味になるのです。」
    ●崇徳院(288頁)
    崇徳院は在位中に早くも「堀河百首」を召されているし、新院となって間もなく康治二年(1143)頃、新たに十三人の歌詠みに百首を召されている。院を入れて十四人の歌集となっていて、これが崇徳院の召によって編まれた二度目の百首となり、「久安六年御百首」、通称、「久安百首」と言われている。崇徳院はこうした試みを進んで企てられるほど和歌を愛され、自身もまた歌人として優れていた。
    ●神仏習合(317頁)
    奈良時代におこった神仏習合の考え方は、平安時代にはさらに進んで、本地垂迹の考えが行き渡るようになっていた。平安末期には、大日如来は天照大神、阿弥陀如来は八幡神というように、本地である特定の仏や菩薩が、特定の神として垂迹するという思想が行き渡った

    ☆関連図書(既読)
    「清盛」三田誠広著、集英社、2000.12.20
    「平清盛福原の夢」高橋昌明著、講談社選書メチエ、2007.11.10
    「海国記(上)」服部真澄著、新潮文庫、2008.01.01
    「海国記(下)」服部真澄著、新潮文... 続きを読む

  • 若き日の西行、武士佐藤義清は女院への恋を秘め決然と出家した。矛盾と相克の末に西行は、わが心ひとつがついに捕えきれないことを悟る。この頃の常で姻戚関係がややこしく、??となりましたが、リアルな感情の機微を書く円熟した筆運びには感服しました。

  • 西行法師のことは、元武士で、若くして出家して、歌人として有名だという以外に、知る事は殆どなかったのですが、こうして同じ出家者の視点から見た西行というのも面白いですね。出家しても尚捨てられない西行の一途な恋は、人間的でもあり、現代人が見ても魅力的な人物だと思います。

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