アンダーグラウンド (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
3.68
  • (397)
  • (423)
  • (738)
  • (69)
  • (18)
本棚登録 : 6261
感想 : 414
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (780ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062639972

作品紹介・あらすじ

1995年3月20日の朝、東京の地下でほんとうに何が起こったのか。同年1月の阪神大震災につづいて日本中を震撼させたオウム真理教団による地下鉄サリン事件。この事件を境に日本人はどこへ行こうとしているのか、62人の関係者にインタビューを重ね、村上春樹が真相に迫るノンフィクション書き下ろし。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 読んで良かった一冊。
    1995年3月20日の地下鉄サリン事件。

    報道からは得られなかったであろう声に触れられ、読んで良かった思いが溢れた。

    涙なくしては読めない被害者、家族のつらさ、あの時のこと、その後。
    対して悩みつつも関係者62人に真摯に向き合った村上さんの姿、思いも伝わってきたのが良かった。

    印象的だったのは多くの方が警察組織に疑問を感じ、もっと真摯に受け止めていたら…という憤りを口にされていたこと。

    そして風化させない大切さが被害者の方、村上さんの何よりの願い。

    死刑=終わりでは決してないことを今、改めて思う。

  • おぞましい気持ちを何度も覚えた。

    地下鉄サリン事件という一つの出来事を見つめる、六十二人の双眸から辿り着く闇に。

    六十二の語り始めはどれも違うのに、三月二十日という一つの点に集約されてゆき、本当にあっけなく非日常に変わってしまう。
    そうして、それまでとは異質な日常に戻っていく姿に、何も言葉が出ない。

    加害者たちは人間として同じ土台に立ってはいない、と語る人がいた。
    人間は、時として人間でなくなることが出来るのかもしれない。だとしたら、彼等は一体何だったのだろう。

    読んでいるだけで、無味無臭の恐怖が起きる。
    たまたま、電車の中で読んだのだけど、この空間が惨状に変わるのか、と悲しい想像をしてしまった。

    村上春樹が、こうした形で本を出したことは、本当に大きいと思う。
    他の文庫本なんかを探しても、見つからない本もたくさんある。2014年現在、事件はそういう局面を迎えているのだろう。

    「日本のような安全国家」が、こうして嘲笑われるように堕ちていく様子を、私はもう何度目の当たりにしただろう。
    そうして、この嘲笑は現在進行形であり、明日はどうなるかなんて、分からない。

    けれど、可能性をなくしていくことならば、人間には、出来る。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「本当にあっけなく非日常に変わってしまう。」
      何か起こったら、生き残る自信がないので、普段から身辺を片付けています(積読は全然減ってません...
      「本当にあっけなく非日常に変わってしまう。」
      何か起こったら、生き残る自信がないので、普段から身辺を片付けています(積読は全然減ってませんが)。。。
      2014/05/01
  • ちまちま読んで半年間かけて読了。
    1995年3月20日、地下鉄サリン事件。当時3歳にもなっていなかった私にはもちろんなんの記憶もない。
    それがどれほど人々を恐怖に陥れたのか、どれほど恐ろしい薬物が撒かれたのか、これを読んで私は本当に何も知らなかったのだと思い知らされた。
    ニュースで見て聞いたことではなく、あのとき、地下で本当は何が起きていたのか。その場にいた人々はどういう人生を生きてあの事件に巻き込まれ、そしてその後どのように生きているか。村上さんが約一年かけてインタビューしてきたというこの一冊には、平成最悪の無差別テロとしてニュースでただ流され消費されていくだけのものではない、ほんとうの声のようなものがあったと思う。
    被害に遭われた方々の中で、オウム真理教のことを恨んではいない、という方も一定数いたのが印象的だった。もちろん憎んで早く死刑にしてほしいと言う方もいるけれど。
    それと、『事件に巻き込まれてからの自分は「もう既に一回は死んじゃっているんだ」と思うことがある、そうすると何かふっきれた感じがして、「そうだ。なにごとによらず迷うことなく前向きにやっていこう」って考えられる』と答えていた方も印象に残った。

    宗教ってなんなのだろう。
    信仰って?信じるって?

    **
    物語とはもちろん「お話」である。「お話」は論理でも倫理でも哲学でもない。それはあなたが見続ける夢である。あなたはあるいは気がついていないかもしれない。でもあなたは息をするのと同じように、間断なくその「お話」の夢を見ているのだ。その「お話」の中では、あなたは二つの顔を持った存在である。あなたは主体であり、同時にあなたは客体である。あなたは総合であり、同時にあなたは部分である。あなたは実体であり、同時にあなたは影である。あなたは物語をつくるメーカーであり、同時にあなたはその物語を体験するプレーヤーである。私たちは多かれ少なかれこうした重層的な物語性を持つことによって、この世界で個であることの孤独を癒しているのである。
    しかしあなたは(というか人は誰も)、固有の自我というものを持たずして、固有の物語を作り出すことはできない。エンジンなしに車を作ることができないのと同じことだ。物理的実体のないところに影がないのと同じことだ。ところがあなたは今、誰か別の人間に自我を譲り渡してしまっている。あなたはそこで、いったいどうすればいいのだろう?

  • 最近、電車内での事件が立て続けに起きていたので、ふと地下鉄サリン事件を思い出し、この本を手に取った。村上春樹が地下鉄サリン事件に遭遇した方々へインタビューをした内容がまとめられており、事件のリアルを知ることができる。
    自分がもしそのような事件に遭遇したら、どんな行動を取るだろうか。いつもと違う駅でおりるのか、人を助けるのか、それとも会社に直行するのか。ちょっとした行動の違いが生死を分ける。自分の直感と五感を大切にして日々過ごさなければと思う。

  • 65冊目『アンダーグラウンド』(村上春樹 著、1999年2月、講談社)
    1995年3月20日。カルト宗教団体「オウム真理教」は東京都の地下鉄構内でサリンを散布するという、未曾有のバイオテロを行った。俗に言う「地下鉄サリン事件」である。
    本書は村上春樹がその事件の被害者、および被害者遺族にインタビューを行い、その証言を纏めたノンフィクションである。
    証言者の数は60人以上。750頁を超える大ボリュームの一冊である。

    〈一九九五年三月二〇日の朝に、東京の地下でほんとうに何が起こったのか?〉

  • 村上作品でもっとも好きな作品。地下鉄サリン事件の被害者に焦点をあてたインタビュー集だが、被害者の日常や背景を淡々と描きながらも、人物像が浮かび上がる筆力に感動した作品です^_^
    オススメ!

  • 1995年に起こった地下鉄サリン事件。事件当初は「オウム真理教」という特殊フィルターを通して連日連夜報道されていたが、被害者含め一般市民にとってあの事件とは何であったのか。村上春樹氏が62名の関係者にインタビューを重ね再検証する。

    本書を読んでまず思うのは本作品の執筆が村上春樹氏で良かったということだ。氏の何かを判断したり決めつけたりしないスタイルが今回のノンフィクションに非常にマッチしている。本作品に登場する人々の人柄や生活、事件がもたらした影響を剥き身のまま伝えてくれる。我々と変わらぬ普通の人々の人生が当日交差して立体的に描かれることで、事件の異常性と大きく構えれば1995年の世相や歪みを描き出している。

    そしてこうした事件で毎度語られるマスコミの横暴には苦笑いしてしまう。一方で、現場にいたマスコミ関係者のインタビューも掲載されているので個人としての言い分や論理を聞くと気持ちはわからなくもないと思うのが不思議なところだ。

    世界でも有数の平和国家で起きた、世界的に見ても極めて稀な無差別バイオテロを起こしたオウム真理教。彼らを「カルト集団」で片づけるのではなく、我々一般市民との関わりで何が起こったか捉え直す良いノンフィクションであった。

  • とにかく深く考えさせられてしまった。られた、ではなくさせられたであるのはインタビューの最後にある村上春樹自身が綴った文章にもあるように、わたし自身がオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件について、生理的嫌悪感から無意識的に考えることをやめてしまったからだ。この本を読むことによって、やっと正面から向き合う気持ちになり、あらゆることを考えさせられた機会となった。

    圧倒的な暴力のまえで、暴力を受けた側は何かしらの感情は持つが、その感情を表すための言葉は失ってしまう。地下鉄サリン事件が起きた1995年、わたし自身は1歳になるかならないか。生まれたばかりの者にとって、覚えていない事件を“関係のないこと”と判断するのは非常に容易い。現にわたしはこの年になるまで事件のことを深く知ろうとは考えてはいなかった。毎年3月になれば世間は事件を振り返り、長期に渡る裁判に動きがあればそれはニュースとして報道されていたから、事件全体のことは知らなくても、主犯が誰で、どんな目的があり、どれくらいの被害者が出たのかは知っていた。でも本当にただ知っていただけだ。それ以上のことは能動的に知ろうとする自分はいなかった。その理由は先述した内容になるが、少し知っただけでもとてつもない生理的嫌悪感があったのだ。はっきり言えば知りたくはなかった。

    本を読んで思ったことがある。この事件は誰にでも遭遇する可能性があり、多くの人はこの本に書かれている内容を他人事だと思えないだろうということだ。事件の体験者は自分だったかもしれないし、自分の家族だったかもしれないし、生まれたばかりの自分の子どもである可能性もあった。それゆえに読みすすめることが、しばしば辛いと感じた。読み終わった今はただ、駅員としての責務をまっとうしようと行動した方々、そして自身も苦しい状況にありながら、互いに助け合いどうにか地上に出て病院まで辿り着けた方々の人としの素晴らしい姿勢を、自分も見失わないようにしたいと思うばかり。

  • 730ページもある分厚い本だがあっという間に読めてしまった。最初のインタビュイーの女性が語る、地面に仰向けのまま口にスプーンを突っ込まれた人々というショッキングな事件の光景がずっと後を引く。
    冒頭部分では高橋さんという東京メトロの職員の死が何人ものインタビュイーの口から多角的に語られる。ある人にとって高橋さんは赤の他人だが、ある人にとっては同じ釜の飯を食べた同僚だった。彼らの体験談の中で高橋さんは様々な視点で描写される。
    サリン事件の実際を知る上でも新鮮な体験を得られる本書だが、毎日の通勤で通り過ぎる人々の個人像を詳細に見せて貰ったのが一番の収穫だった。特に上記の高橋さんについては、なんというか高橋さんを主人公に添えたノンフィクションの三人称小説のような雰囲気があった。世界が人のつながりによって三次元的に構成されているのを実感する。
    そして、それぞれ異なった人生を送る人々の体験談がモザイク状に集まって、サリン事件の混乱、恐怖、諦念、怒りを伝えてくる。すごく面白い本だった。

  • 村上春樹による「オウム地下鉄サリン事件」の被害者たちへのインタビューに基づくノンフィクション。文庫本で600ページ以上という大作。

    この作品は読む前に期待していたものよりも、もっと多くのものを含んでいると感じた。
    その内容は大別して2つに分けられる。「被害者たちの体験の追憶」とそこから著者によって分析される「地下鉄サリン事件とは何なのか」である。

    前者は圧倒的な取材量がベースとなって描かれる、サリン事件の被害者たちのリアルである。著者はこの作品を書こうと思った動機として、当時のメディアが被害者たちを「傷つけられたイノセントな一般市民」としてしか描いておらず、彼らのリアルが明らかにされることがほとんどなかったからだと冒頭で語っている。
    メディアは、オウム(悪・狂気)と被害者(正義・正気)という単純な二項対立を描くために、被害者たちの「顔」(個性)を排除したのだ。
    対して村上春樹は、被害者たちが事件の当時どんな目に遭って、どう感じて、今(取材当時)どう生きているのか、を率直に綴る。

    このリアルに圧倒された。
    被害の大小に関わらず、被害者たちの人生と生活は事件の前後で一変してしまった。それが痛々しく伝わってきた。
    特に、こうしたイレギュラーな大事件は人が平時に信じている価値観や「軸」、大事にしているもの、アイデンティティを浮き彫りにするのだと感じた。事件の後、多くの被害者たちがより一層自分の生き様を考えて、それに偏るようになったと語っている。

    そして「地下鉄サリン事件とは何か」という問題。
    村上春樹はこれに対して、いずれこの大事件が単なる「狂気の集団によって起こされた異常な事件」「都市伝説的な犯罪ゴシップ」と見做されてしまうようになることに多大な危機感を持っていると書いている。
    実際、事件の後に生まれた自分もこれに似たようなイメージを持っている。この2022年において、大多数の日本人がそうだと思う。村上春樹の懸念は当たったわけだ。

    では村上春樹が分析する「地下鉄サリン事件とは何か」とは、「オウムの狂気は我々の中にも存在する」という事実である。
    つまりオウムとは「自律的に目標を追求する意志を抑えつけるシステム(高度管理社会)への反抗」であり、これは誰しもがうちに抱えている問題だとするのだ。
    この分析は傑出した洞察かと思う。実際、インタビューの中で「彼ら(オウム信者)の気持ちも分かるんです」という被害者もいた。

    個人的にもこの分析は当たっていると思う。自分の中にも社会に反抗して自律的パワープロセスを追求したい気持ちはあるが、それに見て見ぬ振りをして上手く社会に溶け込んでいる。多かれ少なかれ人はそうした感情を持っているのではないか。
    麻原彰晃は人のこうした感情を非常に上手く焚き付けて、魅惑的でシンプルなストーリーを説くことで信者を獲得していった。信者は麻原についていくことで自尊心を満たし、代わりに自我という対価を渡した。

    「地下鉄サリン事件」は正義と悪の単純な二項対立ではなく、我々の内にも存在する負の感情の表出である。それを理解しなければ、今後第二のオウム、地下鉄サリン事件が出てくるだろう。
    今からでも学べることはあるのではないか?
     

全414件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

村上春樹の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
村上 春樹
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×