三月は深き紅の淵を (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062648806

感想・レビュー・書評

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  • 恩田さんの作品を読むきっかけになった本。
    とにかくタイトルが素敵過ぎる!恩田作品の魅力でもあります。
    謎は謎のままに、、、。深い霧に包まれた幻想世界を旅しているような、そんな感覚を味わえる一冊です。

  • 第四章は難しすぎた、、、
    でもなぜか読むのをやめられなかった。

  • リセ、、、理瀬、、、なかなか出てこない。と読み進めた。本を探す本。

  • マトリョーシカのような小説。
    この本の中に4作が入っており、それぞれの中にも『三月は深き紅の淵を』が入っていて、ストーリーもあり…。
    お偉いさんに囲まれた若手。女二人の夜行列車での旅。異母姉妹の高校生。と、3章まではストンと来る面白さ。
    そして最終章…賛否分かれる感想に納得。迷子になり、戻ってこれた!と思ったらまた迷子…迷ったまま最後は放り投げられた感じ(笑)でも、それがまた心地良い。時間をおいて再読したら、新たな感覚を得られそう。

  • とても面白く読んだ。
    これぞ、本好きがじっくり読む本、などと悦に入って。
    暗記するくらいに、ほとんど二度読みしてしまった。

    四章仕立て。カルテット(四重奏)作者は言う。

    『四部作という形式にあこがれているのはロレンス・ダレルの「アレキサンドリア・カルテット」という、素晴らしい四部作のせいだ。文字通りエジプトのアレキサンドリアという土地を舞台に、運命のからみあう四人の男女の物語をそれぞれの視点から描いた小説で、これまで数限りない人々を魅了してきた小説である。馥郁たる香りに幻惑されて最後まで読み終えると、実は緻密かつ周到な計算で築き上げられていた世界だということが分かる仕組みだ。』(第四章 回転木馬)

    ああ、「アレキサンドリア・カルテット」つい最近話題にしたばかり。
    英語で書かれた20世紀の小説100撰に入っていた本。(alexさんの日記)
    若い頃、一部「ジュスティーヌ」を読み、忘れられなかった本。
    二部~四部「バルタザール」「マウントオリーヴ」「クレア」を絶対読むー!と思ったこと。
    それは私の事情。

    作者はそれぞれの章に意味をもたせ、入れ子式の二重構造を四つに分けて、つまり八構造なるほど複雑だ。
    そうして一本の芯が「三月は深き紅の淵を」という魅力的な題の小説のゆくえ。

    第一章 待っている人々

    なにやら謎めいた館が現れ、館ものかな、と思っているうちに出てくるわ出てくるわ、おびただしい本、本の置き所のない本棚の埋まった部屋部屋。それだけでもわくわくするのに、四人の訳知り年配者のおおげさな読書論、文学の話題の興深いこと。

    第二章 出雲夜想曲

    女編集者二人連れの夜汽車旅。本の話題が出ないわけはない。次々と興味津々。
    幻想的な夜汽車の旅の果ての謎。

    『物語は一人で歩いていき、次々と新しい伝説のベールをまとっていくの。』

    第三章 虹と雲と鳥と

    事件が起こる。ミステリー仕立て。謎解きの楽しさの影に怖ろしさが。

    第三章 回転木馬

    さながら回転木馬のように回る回るイマジネーションの渦。
    作者(恩田陸さん)の影、種明かしめいたもの。
    新しい作品「麦の海に沈む果実」のまえぶれ。私は「麦の海に沈む果実」を先に読んでいたのでなお、感慨があった。

    わくわくして読んだ章ごとの私の印象。謎、謎また謎。
    でも一番私を魅了したのは、私も小説を書いてみたくなったと思わしめたこと。(書きやしないけど)
    そう言ってみたくなる、惹きつけてやまない何ものかがある物語だ。特に四章が好きだ。

    大切なものを失って、気づかなかったとしたら?
    失ったものを取り戻せないのは悲しいし、失ったもののすべてを惜しむ。

  •  【再読】

     趣味の欄に「読書」と書いたがために、課長に呼び出され、会長宅で2泊3日を過ごすハメになってしまった会社員の鮫島巧一。
     待ち受けていたのは、会長をはじめとする読書家の4人の老人たちで、彼らは戸惑う巧一に、とある稀覯本の話を始め、屋敷内にあるはずの、その本を探してほしいと持ちかける。(『待っている人々』ほか3編)

     『三月は深き紅の淵を』という正体不明の本を巡る4つの物語。関連があるようなないような3つの物語が4つ目の物語で覆り、読めば読むほど謎は深まり、足をとられ、でも読まずにはおれないこの感覚を何と呼べばいいのか。(ということで、もう少し追いかけます)

  • 恩田陸の古い本を物色する。何を読もうかと思っていたところ、『17年ぶりに理瀬シリーズ新作』という記事を見て、未読のこのシリーズへ行くことにする。
    で、この作品、4つの章から出来ているが、「三月は深き紅の淵を」という小説に関する物語ということだけが共通していて、それぞれは独立した話に。

    第一章、会社の会長の自宅に招待された青年がその家に隠された幻の本の在り処を推理する。
    ここで語られる「三月は深き紅の淵を」の構成や内容、それにまつわるエピソードのひとつひとつにそそられる。
    若き日の作者の、これからこういう物語を書いていき、そして世間を騒がせていきたい、という思いが詰まった予告編のように思えた。
    青年の推理から一転二転する本筋の展開も楽しめる。

    第二章、二人の編集者が幻の本の作者を突き止めに夜行列車で出雲へと旅する。
    最早こういう夜行列車の旅は望むべくもないが、その情緒に作者探しの推理が絡まるところが宜し。
    ここでは編集者による作家批評が出てくるが、これも若き作者の、売れっ子になってもこういう人にはならないでおこう、という思いが見え隠れするように思えた。

    第三章、高台にある公園で起きた二人の女子高生の転落死の背後に隠された真実。
    パズルのように入り組んだ関係者の回想が不穏な空気を醸し出し、そこに加えて少女二人の因縁にあんな猟奇的な事件を捻じ込んでくるところなんざ、正にこの作者ならではのゾワッと感。

    第四章、次回作の構想を練る作家、取材旅行先での出来事、謎めいた学園の出来事。
    ここに来てようやく「水野理瀬」が登場。が、作者の筆が縦横無尽に迸る展開に、ちょっとついて行けなかったのでした…。

  • 自分にはまだ早かったかなと。
    読んでいて難しいなという感じだった。

    1〜3章までは『三月は深き紅の淵を』という一冊の本に関する、それぞれ独立したエピソードであり面白かった。(所々に繋がりもある)

    ただ、4章が難しかった。わからなかった。
    理瀬シリーズとして、『麦の海に沈む果実』との関連があるらしいので続けて読むこととする。

  • 注:この本の内容と『黒と茶の幻想』の結末の方向性に触れています


    ウィキペディアを見ると4作目なんですね。恩田陸の。
    『六番目の小夜子』、『球形の季節』と恩田陸、お得意のパターン(設定といい、結末がどっかいっちゃうといいw)が2作続いて、次に本人曰く「完璧にプロットと作って書いた」という『不安な童話』。
    その後ということで、まぁなんというか。いろいろ鬱屈が溜まっていた時期だったんですかね?(笑)
    登場人物を通して語る、どっかで聞いたよーな、どーでもいい世相批判がうるっせーのなんのって!w
    『三月は深き紅の淵を』という妙にくどいタイトルもそうなんですけど、素人が手慰みで書いている小説じゃないんだからさぁ~w

    いや、読んでいて、やっぱりさすがだよなーと思う所も多々あるんです。
    どうという話じゃないんだけど、何だか妙に読んじゃうところとか。
    その辺りはさすが腐っても恩田陸!って感じ。←ホメていますw
    とはいえ、如何せん全般にテンション低すぎねぇ~か~って感じはするかなぁ~(と言うより、意気込みに筆力が追いついてなかったという方が適当か?)。

    この本は4つの話からなっているんですけど、1つ目『待っている人々』は話自体どーということないのもさりながら、上でも書いたように、登場人物を通して語る、どーでもいい世相批判が多すぎですね。
    著者独自の視点のそれであればまだしも、全て当時他の誰かも言っていたようなことで、読んでいて薄ら寒い(笑)
    ていうか、ウィキペディアを見るとこの『待っている人々』が出たのは1996年ということですけど、現在の世情批判と大して変わらないところが面白いです。
    その時代から4半世紀近くが経って、ITだなんだかんだ言っても、人間も世情も大して変わんないんだなぁ~ということなんでしょうか?w

    ただ、これも上に書きましたけど、どーということない話なんだけど不思議と読ませるんですよね。
    たんに恩田マジックということなのか、ていうか、この話の場合、時代が恩田陸に追いついた(or世の中が恩田陸化した?w)と言った方が適当な気もするんだけど……!?
    その辺り、当時リアルタイムで読んだ人に聞いてみたいです。
    小説としては、ま、★2つというところw


    2つ目の『出雲夜想曲』は結構好き。
    女性二人が夜行列車で延々語る、いかにも恩田陸というインドアな感じ、それはそれでいいんだけど、実際に出雲の着いてからの雰囲気がいいんですよね。読んでいて醸し出される光景が妙に暗くって。
    夜行列車の車内は夜だから当然暗いはずなのに、昼間である出雲での出来事の方にほの暗さを感じるところが面白い(上手い!)です。
    ただ、重箱の隅突っつくようですけど、あの廃屋で歩きタバコをする人はいないと思うけどなぁ…。
    小説としては、★3つ。

    3つ目の『虹と雲と鳥と』は、終盤いきなりバーン!という衝撃とそれに続く迫力ある場面があるから、そこで評価は一気に上がるんですけどねぇー。
    ただ、恩田陸オールスターズとでも言いたくなる登場人物たちに、え?またこの人たち?と、ちょっと食傷気味(笑)
    ていうか、不思議なのは二人の母親って、東京でデザイナーとして活躍していた父親と結婚したはずなのに、なんで離婚した後、どっちの奥さんも同じ長野に住んでいるんだろう?
    あと、二人がぶら下がっていたというのもよくわからないんですよね。
    そんなこと実際に出来るものなのか?第三者が後で見てそういうことがあったとわかるものなのか?
    その辺りはよくわからなかったんですけど、そういうのは重箱の隅だと思うので小説として★3つ。


    4つ目の『回転木馬』は……
    いやはや。もう笑っちゃいました(笑)
    恩田陸の持ち味は結末は読者にゆだねる(結末が書けないとも言うw)ところにあると思うんですけど、まさか四部作の4つ目全て読者にゆだねるという荒業に出ちゃうとは!w
    とはいえ、読んでいて妙に面白いのが可笑しくって。
    いや、小説の部分じゃなくて。書きあぐねて、あーでもない、こーでもないとやっている、エッセイの方。
    あれ読んでいると、「四部作!と、バチっと決めちゃったら逆にダサいっていうのもあるか?」なんて思っちゃったりで。
    いやぁ、憎めねぇ、憎めねぇ(笑)
    あそこまでやるなら、いっそ、「トイレにいってスッキリしてきた」とか「コンビニ行って、ビールと肉まん買ってきた」とか、バカ丸出ししちゃえばもっと楽しめたのになぁ~w

    というわけで、これは小説じゃないんで★は無し。
    ただ、それは小説としての評価で。エッセイ、それもデビュー後4作目を書いている(まだまだ新人)作家のエッセイとしてなら、★5つでもいいんじゃないでしょうか。
    ていうか、この4つ目の話だけでなく、この本は全体的に恩田陸の創作ノートみたく読めるところがあって、そこがとっても興味深かったです。
    1つ目だったか、2つ目の話だったか、「気に入った本を読んでいると、その行間から自分が書く小説が浮かび上がってくる」みたいなことを登場人物を言う場面がありましたけど、「そうそう。この著者の書き方って、そうだろうね」って、すっごく納得できましたもん。

    さらに、この本の中に出てくる、(2001年に出版される)『黒と茶の幻想』はこの時点でどのくらいまで構想されてたのか、あるいは書かれていたのか。
    登場人物や大体のストーリーはともかく、登場人物いわく「尻切れトンボという感じは否めないね。そんなこと、どうでもいいやって感じの終わり方なんだよ」って、もうこの時点でそういう結末と決めてたってこと!?
    しかも、その後に「とにかく、途中これでもかこれでもかと変な事件を羅列するのにエネルギーを使い切っちまったって感じだね。あれは」と続くって…。
    恩田陸って、どこかの時点で結末(らしい結末)を書くことを放棄したんだろうなーと気はしていましたけど、そうか!この時点だったんですね。
    それはやっぱり、完璧にプロットを作って書いたという、前作『不安な童話』のトラウマなのかなぁ…w
    ま、人間、自分らしくないことはしないに限るってことなのかもいれません(笑)

    それはそれとして、小説の方の最後。
    憂理が理瀬に「別の三月の世界で会えるかもしれない」と言う場面があるんですけど、自分としてはこっちの三月の世界の話の方が断然面白かったです。
    もっとも、それは先に『麦の海に沈む果実』を先に読んでいて、エッセイの合間に出てくる話の断片をつなげてストーリーに出来るからであって。もし、読んでいなかったら何が何やらわからなかったような気がするんですけど、どうなんでしょう?
    その辺り、こっちを先に読んだ人に聞いてみたいです。

    その「別の世界で会える」とか、エッセイの部分が丸々2つ目の話の取材ノート(どうインスピレーションを受けたか?)になっているところとか。この4つ目の話は、いろんな点で著者の創作法が窺えるところが面白いです。
    ただ。最後の最後、「この書き出しは、どうだろう?」とあるんですけど、「森は生きている」と思うけどなぁー(笑)

    全体的には、著者が持っている自らの小説の魅力に、著者の小説を書く力(技?)がまだまだ追いついていない時期の小説なんだろうなという気がしました。
    ただ、4つ目の話の(小説の方の)最後とか、3つ目の話の途中のいきなりの展開とか、ああいうはっちゃけた展開は恩田陸にしては珍しくて面白かったですね。
    この後に書かれた(らしい)『麦の海に沈む果実』のあのなんとも煮え切らなさを思うと、何とももったいないような。
    とはいえ、その煮え切らなさこそが恩田陸の(ファンが抱く)魅力的な部分でもあるのかもしれません。

    恩田陸は、時代が恩田陸に寄り添ってきたのか、恩田陸が時代に寄り添ったのか、どちらかはわからないですけど、妙に「現在」という時代と合っているようなところがあって興味深いです。

  • とても不思議な物語。
    4つの短編で構成されていて、全て「三月は深き紅の淵に」という幻の本を巡って話は作られている。


    ざっと簡単に説明すると、一章は本だらけの大きな屋敷の中から「三月」の本を探す話、二章は2人の女性が「三月」の作者を突き止めるべく推理を進める話、三章は異母姉妹の美人な女子高生を巡る話でおそらく「三月」が書かれる前の話、そして四章はまさに作者が「三月」を書いている話。これらは、作中に出てくる「三月」と話は全く違うのだか、それぞれどこか似通った話で構成されていると感じた。特に四章は作中に出てくる「三月」の四章とほぼ同じ流れで書かれている。つまり本書自体が作中で出てくる幻の「三月」の本になぞらえているのだろう。

    第一章で、この幻の本についてこう書かれている。
    『なんというか奇妙な印象を受ける小説でね。種類の違う素材のかけらをモザイクにしたような小説。びしっと隙がなくて文句なしの傑作、っていうのじゃないんだ。なんだこれは、と読んでいるうちにずるずると引きずり込まれて、しばらくたっても小説のかけらが頭のどこかに残っているような小説なんだ。』(31ページ)

    本書はまさにこんな小説。本当に読後しばらくたっても頭のどこかでこの作品がもやもやと残っている。物語自体がベールを被ったような作品。一言で感想を言え、と言われても表現出来ない。

    好き嫌いが分かれる作品だと思うが、読後、読者それぞれがいろんな考え方が出来る作品だと思う。これを読んだ人同士でこの本について語り合いたいと思った作品だった。ただ一度読んだだけでは足りないというか、この作品が言いたいこと、大切なことが読み取れていない気がするので、もう一度読んでみようと思う。

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著者プロフィール

1964年宮城県生まれ。92年『六番目の小夜子』で、「日本ファンタジーノベル大賞」の最終候補作となり、デビュー。2005年『夜のピクニック』で「吉川英治文学新人賞」および「本屋大賞」、06年『ユージニア』で「日本推理作家協会賞」、07年『中庭の出来事』で「山本周五郎賞」、17年『蜜蜂と遠雷』で「直木賞」「本屋大賞」を受賞する。その他著書に、『ブラック・ベルベット』『なんとかしなくちゃ。青雲編』『鈍色幻視行』等がある。

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