なぜ宗教は平和を妨げるのか (講談社+α新書)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062722339

感想・レビュー・書評

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  •  宗教家である町田氏は、世界で起きている宗教にまつわる武力紛争などを直視しつつ。最後には『もし宗教が真理や正義というまことしやかな表現で「とらわれ」を説き続けるかぎり、われわれは毅然たる態度で、その宗教を踏み越えていかなくてはならない。神にはたった一人で立ち向かえ。』と説く。
     無論、この事がテロの犠牲者の方々、そしてそのご家族を慰謝するには物足りないかもしれない。しかし、宗教を「客体」として捉えている限り、不毛な二元論的論争・闘争から我々は脱却できないのだと思う。
     恐らく、イギリスではテロ対策として宗教指導者への国外退去処分などの措置が採られる事になり、それに対する反発や、新たなテロの惹起が懸念される事態となろう。
     かつては国家という幻想が、実像を伴って人々を支配していたが、今は国境の概念さえ薄れ、宗教は空間を越えて伝播する。それを批判し、対処しようとしても、そこに対象は見えない。確かに、テロの犯人は実在し、どこかに居るだろう。しかし、彼らを捕らえる事で、世界は果たして安全になるのだろうか?
     『アメリカも「アメリカという名の宗教」を広めようとしている』という説が、この本の中に披瀝されている。確かに、アメリカ程強いソフトパワーを持っていた国は無い。日本でもいまだに『アメリカ』という言葉に特別な意義を感じてしまっているのであろう。
    その「特別な意義」が「とらわれ」であるならば、それは超克すべき何物か、なのではないか?
     政治が宗教を制御する事を「宗教弾圧」といい、「信教の自由」を守れ、と言う。
    一方、宗教は「聖戦」を唱え、無辜の民を傷つけ続けている。
     これは「政治」や「宗教」で解決出来ない問題なのではないのか?
     事実、二千年以上我々は宗教と政治の相克を解決出来ないでいるではないか。
     その事を論じる識者を、私は多くは知らない。

  • ちょっと想像と話違ったかな。
    あまり肯けない・・・。

  •  信仰があり、愛を説く人たちがなぜに人を殺す戦争をするのか。なぜ宗教が違うだけで戦いがおこるのか納得かないことが多くてよんでみた。わかったようなわからんような。宗教が盲目でありそれを利用しようとする人が多い。盲目ゆえに救いもあり、狂信的でもあるというのは納得できた。
     自分のなかにある弱さや影の部分をきちんと見据えることが平和につながるという部分で感じたこと。日本の侵略をなかったことにしようとしていた時代や人があるし、もう何度もあやまったたんだからいいだろう。という人たちが日本にたくさんいる。その人たちの意見と中国や韓国、北朝鮮の対日批判攻撃があわさって、利用されることがあると怖いことになるなと感じた。

  • 世界各地で起きている紛争と宗教の関係をわかりやすく解説しており、世界情勢を知るための常識を身につけることができる良書です。仏門出身の宗教学者である著者は、宗教そのものや、個別の宗派を責めることなく、意見の違いによる対立から先鋭化しやすい人の心について、バランスよく解説しており、安心して読むことができます。また、丁寧な議論の中にも戦争に対する強い当事者意識と怒りが込められており、共感するとともに熱い気持ちになりました。

    大自然を司る神々は全能であっても、それを解釈し、伝える人間はきわめて不完全である。自らには謙虚に、他人には寛容に、穏やかにありたいものです。

  •  一神教の排他的論理、狂信者などにより人類に大きな災厄をもたらした宗教。その歴史は拝金と他者排除による戦いの連続であった。
     その「なぜ」に期待したが、押しが弱い印象である。ただ筆を執った著者を評価したい。

  • 「キリスト教が世界をダメにした」、なんて持論を高校のときから持っているわしですが、まさにそんな淡い心にピンと響いた一冊です。

    これは、ユーゴ紛争でのある虐待の場面。
    「1992年6月17日、セルビア人衛兵は21歳のエミルに1リットルの自転車のオイルを飲ませ、それからすでに打ちのめされて反死の仲間3人の睾丸を噛みちぎって呑み下すことを強いた」。
    東方正教を信じるセルビア人がイスラム教のムスリム人に行った虐待の一例です。
    想像を越える虐待の悲惨さに悲しくなりました。

    大宅壮一さんはこんなことを言ってます。
    「世間には常に何ものかを崇拝し、胸に抱きしめていないとおさまらない人間がウヨウヨいる。釣られたがっている魚のようなもので、それに糸をたれてやるのが教祖である」。
    ま、これは新興宗教に当てはまる言葉ですが、

  • レポートは書けって・・ ・・・・ほにゃららら、で読んだら書けませんよねえ、そりゃあ。もう別のフィクション読みたくてしようがなくなりました。でもレポート・・・!

  • 前に図書館で借りたんだけどこれは買おう…

  • わかりやすく書かれているし、何かに偏ることもない。とてもためになる本です。
    素直にそう思えるから、いろんな人に読んでほしいです。

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著者プロフィール

1950年京都市生まれ。14歳で出家し、大徳寺にて修行。34歳の時に大徳寺を離れ渡米、ハーバード大学神学部で神学修士号、ペンシルバニア大学東洋学部で博士号を取得。シンガポール国立大学大学助教授、プリンストン大学准教授、東京外国語大学教授、広島大学大学院総合科学研究科教授を経て、現在、広島大学名誉教授。日本・アメリカ・ヨーロッパ・台湾などで「ありがとう禅」を開催している。著書に『法然・愚に還る喜び─死を超えて生きる』『山の霊力─日本人はそこに何を見たか』ほか。

「2016年 『講座スピリチュアル学 第7巻 スピリチュアリティと宗教』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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