ビジネスZEN入門 (講談社+α新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062729611

作品紹介・あらすじ

「本来の禅の教えを現代のビジネスパーソンに
示唆できる人、それが大耕さん!」
――伊藤穰一(MITメディアラボ所長) 推薦!


スティーブ・ジョブズがアイデアやインスピレーションにおいて、
禅に影響を受けたことは、ビジネスパーソンなら周知の事実です。

欧米では今や「マインドフルネス」が、グーグルやアップル、ナイキ、
インテルといった世界の優良企業で、経営や社員研修のやり方、
リーダーシップの育て方などを実践するために取り入れられています。
そのメソッドは、日本にも最近「輸入」されてきました。
この「マインドフルネス」は、仏教の瞑想法に由来しているところから、
同一視する人々もたくさんいます。

この本では、世界のビジネスリーダーたちが、たしなんでいる「ZEN」を、
どのように皆さんも実践できるのか、について、
とても分かりやすくお伝えする入門書です。

著者の松山大耕さんは、京都にある妙心寺退蔵院副住職として、
TEDに登壇したり、ダボス会議に出席したり、世界の宗教者たちと交流を続けている、
仏教界の若き知性の代表的存在として注目されています。

感想・レビュー・書評

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  • zenを通した世界観、世界から見た日本、物事の考え方をしるしてくれている一冊。おもしろい。
    禅を通して、日本についてどういうところなのか、位置付けを語って頂けていることもよい。


    メモ
    ・マインドフルネスと禅の違いは根本にある瞑想する動機、目指すべき方向が全く異なる。効果があるからやろうというゲインの考え方がマインドフルネス。禅は御利益のためではなく、それを実践することが目的になる。
    ・日本の価値観。懐石料理にはメインがない。believe in somethingでなく、respect for something
    ・グローバルリーダーに大切な資質は感動できること。心が大切。日々自分の心に向き合い、心に問いかけながら過ごすこと。それが禅を通じて目指していること
    ・不二の態度。二つに完全に切り分けて考えない。

  • 簡単には理解できないです。
    禅に興味はあるけど、
    修行も何もしていない人間には、
    本を読むだけで会得しようなんざ、
    それこそ煩悩のカタマリだと思う。でも、
    少し理解できた、理解しようと思えた。
    そんな本でした。

  • 京都の有名なお寺の妙心寺の住職の本なんだけど、禅本かなり読んでるけど、それらと比べてもかなり良い本だった。禅とマインドフルネスの違いを明確に言ってるのも良かった。

  • 書名にビジネスとあるが、所謂ビジネス書籍のように具体的に何かを指示するわけではなく、ビジネスパーソンとしてのあり方や心構えを説く。なんだかとらえどころがないけど良い本だった。そういう印象。

  • 世界中のビジネスリーダーがたしなんでいる禅(ZEN)の本質について書かれた本。

    禅の中心にあるのは「実践」。これはビジネスでも同じことです。当たり前のことを毎日実践し続ける。この積み重ねがやがて大きな財産になります。

  • 松山大耕さんの講演を聞く機会があったので本を購入してみた。仏教というと難しい、固いというイメージが湧くが、分かり易く身近な例を用いて説明してくれている。

    「童心是れ祖心に通ず」
    「上下するバイオリズムの波の中で、下がっているときというのは、自分を磨く時間だと私は考えています。」
    これらの文がとても刺さった。

    仏教とは捨てることなり。大人になって自然と身に付いた常識や癖を捨て、子供のように素直に物事を受け止めつつ、こつこつと成長を重ねていくことが重要であると感じた。

  • 禅の本を読むと、まったくわからないか、煙にまかれたような読後になるが、本書も読みやすいがまったく理解も納得もできない内容だった。禅とは余計なものをなくし、本質にせまることがひとつの主旨なのに、なぜ回りくどく、合理的なないのだろう。
    ・日本の子供たちは座禅のとき、素直に言うことを聞くことが美点。ヨーロッパの子はじっとしていられない。
    →単にいう事聞くのが美点?思考停止なだけかも
    ・尼僧が毎朝3時に起きてごま豆腐をつくっていたが、高齢により手が遅くなったので1時に起きてつくるようにした美談として語る。
    →いやいや、寝ようよ。休んだほうがいいよ。完全にブラック企業体質じゃない。
    ・「なぜ毎日落ち葉掃除をしないといけないの?」「じゃなぜ君は毎日ごはんを食べるの?」
    →掃除しななくても死ななないけど、食べないと死ぬよ。

    とこんな具合で、一つ一つがまったく納得行かず、完読が非常に辛かった。これで禅の普及になるとしたら、思考停止している人だけだろう。それが狙いなのか。
    もしくはこれで禅への疑問が、読者に考えさせるという反面教師的な効果を狙っているのなら、相当な策士。
    ちがうと思うけど。

  • 新書/文庫紹介

    『ビジネスZEN入門』
     松山 大耕 著
     講談社(講談社+α新書)
     2016/10 208p 840円(税別)

     はじめに ダボス会議で「禅」を求めたリーダーたち
     1.世界のリーダーはなぜ“ZEN”が好きなのか?
     2.外国人に「禅」はわかるのか?
     3.禅は「グローバル」に通じる道
     4.ビジネスパーソンに贈る「実践できる」禅の教え
     5.「おわりに」に代えて

    【要旨】かのスティーブ・ジョブズが日本の「禅」に傾倒していたことはよ
    く知られている。それ以外にも外国人の経営者やデザイナーなどで禅に影響
    を受けたと公言する人は多い。米国では禅を含む仏教を信仰する人が近年増
    えているとも聞かれる。しかし、それらすべての人が本来の禅の教え、禅の
    本質を理解しているとは限らないのではないだろうか。本書では、海外に禅
    を紹介する機会も多い禅僧である著者が、真の禅の教え、他の宗教や瞑想法
    との違いなどをわかりやすく解説。海外や国内のさまざまな人々との交流の
    エピソードを明かしながら、ビジネスにも応用可能な禅の理解の仕方や実践
    について紹介している。著者は京都にある妙心寺退蔵院副住職。日本の禅宗
    の代表の一人として前ローマ教皇に謁見、ダライ・ラマ14世との会談、ダボ
    ス会議への出席など幅広い活動を続けている。
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    ●禅は言葉ではなく「体験」で教えを伝える

     禅の本質は、次の言葉で表されます。「不立文字、教外別伝」。「不立文
    字」とは、文字や言葉ではなく、実際の体験によってこそ釈迦の本当の教え
    を体得できるということ。「教外別伝」とは、仏様の教えを弟子に伝えると
    きには、経典の文字や言葉によるのではなく、心から心へ、その人の全人格
    とともに伝えられなければならないということです。

     禅では、文字で書かれたものは解釈次第で変わってしまうため、言葉によっ
    て仏教の本質を伝えるのは難しいと考えます。だから、文字や言葉ではなく、
    体験によって悟りを目指す。そしてその経験を人から人へと伝えていかねば
    ならない、とするのです。

     禅は、体験がすべてだといっても過言ではないほど体験や実践を重視しま
    す。座ることだけではありません。掃除や料理といった日々の体験のすべて
    を禅は重んじます。それ自体が禅にとっては修行なのです。そのことが、禅
    を誰にも開かれた宗教にしていると言えるでしょう。

     外国の方が禅の体験をすると、「なぜこんなことをするのだろうか」と疑
    問に感じられることは多いようです。なぜ掃除がそんなに大切なのか。なぜ
    こんなに一生懸命庭の草引きをしなければならないのか。なぜ食事の作法が
    こんなに細かいのか。

     私たちはこれを「働きを見る」という言い方をします。人間はすべて論理
    だけで動いているわけではありません。つらい仕事をしなければならないと
    きもあるし、自分の意には反するけれども謝らなければいけないときもある。
    論理を超えたいろいろな状況に直面します。そういう理屈を超えたところで、
    即座に反応して適切に行動できるかどうか。それがここで言う「働き」の意
    味です。

     重要なのは、「まずやる」ということ。その体験を繰り返し、まず実践す
    る習慣を身につけること。そういう姿勢ですべてのものに向き合うのです。
    頭で考えて終えるのではなく、実践する。姿勢や身のこなしなど、細かな一挙
    手一投足を正すことも、正すとすぐに何か結果が出たり役に立つわけではあ
    りませんが、ずっとやっていけば将来何かしらになる。一つひとつの動きを
    きちっとやっていくと、立ったときの雰囲気や歩き方といったすべてが知ら
    ず知らずのうちに全く違ってくるのです。


    ●無駄なものを何一つ使わないシンプルさを重視

     私が副住職を務める退蔵院は、外国からいろいろな方がいらっしゃってい
    ます。最近では、アーティストやデザイナーの方もよく来られます。彼らは、
    お寺の庭などを見て、よく、その「間」または「余白」に注目されます。

     私がよく案内するお庭に、妙心寺の塔頭・東海庵の方丈南庭があります。
    その庭は本当にシンプルです。塀に囲まれた約100坪の長方形の空間には、た
    だ砂が敷かれ、真っ直ぐの線が引いてあるだけ。石も植木も何一つありませ
    ん。しかし、何もないのかといえばそうではない。塀の向こうには仏殿や法
    堂や松の木があり借景となっているし、庭には松の影が落ちる。また、空の
    青さや雲の白さが目に入る。シンプルを究めた空間があることによって、そ
    れらのものが相互に影響を与えながら存在していることに気づかされるし、
    いろんなものが映えてくるのです。

     禅は本当にシンプルです。しかし、ただ手を抜いただけの単純なものとは
    違います。考え抜いたあげくの究極形。無駄なものを何一つ使っていない。
    だからこそ、そこに見る人の気持ちが反映され、人の心を動かすのです。「そ
    うか、これでいいのだ。これ以上は何もいらないのだ」と。


    ●マインドフルネスとは考え方が根本から異なる

     仏教では、お釈迦様はあくまでも私たちと同じ人間です。その同じ人間が
    悟ることができた。神の力によってではなく、一人の人間が自分の力で悟り
    を得た。とすれば、やる気になれば私たちでも悟りを得ることができるので
    はないか。仏教はそう考えるのです。決してスーパーナチュラルな存在を信
    じているわけではありません。では何を信じているかというと、お釈迦様が
    “悟った”ということを信じているのです。

     キリスト教では、人間は不完全で神は完全であると考えます。私たち人間
    はいい行いをすると天国に行くことができる。つまり、いいことを行いなさ
    い、そうすると救われますよ、神様はちゃんと最後の審判で救ってくれます
    よ、というわけです。
     ここに、いいことをすればご利益がある、という西洋のゲインの考え方の
    根本があります。しかし仏教は、そうではありません。いくら深く信仰して
    も仏様が救済してくれるわけではないのです。

     心の安定がほしい。幸せになりたい。それは国や文化には関係なく、誰に
    とっても共通の願いと言えるでしょう。ただ、どうやってそこにたどり着く
    かが違っています。ゲインとして得るのか、それとも逆にルーズしていくこ
    とで達成するのか。

     最近、「マインドフルネス」と呼ばれる瞑想法が注目を集めています。マ
    インドフルネス(mindfulness)という語は、仏教における「念(サティ)」
    の英訳語で、東南アジアやスリランカなどの上座部仏教で行われている瞑想
    法に由来します。

     知っていただきたいのは、禅とマインドフルネスは、瞑想するということ
    は同じであっても、本質が全く異なるということです。マインドフルネスに
    よって不安な気持ちが解消されたり、身体が健康になったりするというのは、
    とてもいいことだと思います。ただ、効果があるからやろうというのは「ゲ
    イン」の考え方になります。

     禅はそのような考え方を採りません。物事を究めるためには、目の前にあ
    る短絡的な利益を求めるのではなく、それを実践すること自体が目的になら
    ねばいけないのです。そういった意味で、自分の集中力を高めたり、幸福感
    を得たりすることが目的となっているマインドフルネスとは、考え方が根本
    的に異なるのです。


    ●一見何も得ていないような一歩一歩の積み重ねが大切

     大学院の修士課程を終えるとすぐに、私は埼玉県新座市にある平林寺とい
    うお寺で修行を始めました。3年半の修行を終え、修行の総仕上げとして、
    埼玉から京都の退蔵院まで行脚する、すなわち歩いて帰ることを決めました。
    距離にすると600キロ。もちろん初めての経験です。

     歩かないとわからない感覚がありました。そして、歩かないと出会えない
    人がいました。托鉢中に「うるさいからあっちへ行け」と怒鳴る人、無言で
    通りすがりに唾を吐きかけてきた人もいました。しかし、どんな出会いであ
    れ、歩いたからこその出会いである、ということを確信しました。

     歩くのは、ただ歩くだけでよいのです。一人で、前に向かって一歩一歩進
    んでいくだけでよい。考えなければならないこともないし、他人に気を遣う
    こともない。ただ目的地に向かってひたすら歩く。するとその間に本当にい
    ろんなことを考えるのです。そしていま振り返ると、この行脚の経験こそが、
    私にとって最も重要な修行のひとつだったようにも思えます。

     禅は、ゲインではなくルーズである。なぜルーズが重要なのか。それはこ
    の行脚の例にはっきりと表れていると感じます。

     それはビジネスにおいても、グローバルに生きるという上でも、同じこと
    です。本当に大切なものは、決してすぐには得られません。得ようと思って
    得られるものでもありません。また、それは往々にして、遠くにあって大き
    く見えるものでもないでしょう。
     一見何も得ていないように見える地道な一歩一歩の積み重ね。本当に大切
    なものは、自分の中に、自分の足元にあるのです。そこに目を向けること、
    すなわち自分の本質を見つめることの大切さ。それが、禅が教えてくれるこ
    となのです。

    コメント: 禅では「論理」が否定される。論理を「超える」と言った方が
    よいのかもしれない。我々は「論理」の反対語が「感情」であると思いがち
    だが、禅では「感情」も「超えるもの」と捉えられるようだ。無駄な感情を
    捨て、自分自身を第三者の視点から捉える。心理学では「メタ認知」として
    知られるこの視点こそが、禅がめざすものではないだろうか。禅の修行が究
    極のメタ認知を目標とするのだとすれば、少しでも禅に関心をもち、体験す
    ることで、メタ認知の世界に一歩足を踏み入れることができるだろう。それ
    だけでも、ビジネスの心構えや行動、判断が変化していくにちがいない。

  • 禅は、ゲインでなくルーズである。何かを身につけるためではなく、身についたものを削ぎ落とすために行う。その過程で、本当に大切なものに気付いたり、自分自身の本質に目を向けることができる。飽くなき「即効的/直接的ゲインの世界」の先に何もないことが判りつつある現代だからこそ、仏教やZENが再び注目を集めているのではないか。

  • 先日講演を聞く機会があった松山さんの最新著書。
    何かをすることで何かを得る「物資的な豊かさ」から、余計なものを削ぎ落とし本質を見つめることで「精神的な充足」を得る。これがZENの考え方。考え方はいたってシンプルなんだろうけども、ウーン、深い。でも、何かこう痺れるようなカッコ良さがある。この著書を読むと、ちょっとだけ大人の階段を登れるような気がします。

    ・働きを見る。意味の無いことにでも、意味の無いことにこそ、どのような心がけで対応しているかで、その人の本質が透けてみえる。どんな些細なことにでも心を砕いて対応出来る人間なんかを見る。

    ・陰徳。誰が見ているわけでもないが、良い行いをすること。良いことをしていれば主張しなくても、自ずとその行いはわかるもの。そしてその人の人格が磨かれ、にじみ出るものが出てくる。

    ・禅は本当にシンプル。しかし、ただ手を抜いただけの単純なものとは異なる。考え抜いたあげくの究極形。無駄なものを何一つつかっていない。だからこそ、そこに見る人の気持ちが反映され人をの心を動かす。

    ・キリスト教やイスラム教は一神教。人類を超越した絶対なる神を崇め、神に導いて貰う、すなわち何かをすることでゲインするというスタンス。一方の仏教は、お釈迦様も同じ人間であり、お釈迦様同様、1人の人間が修行を通じて、悟りを開けると考えるもの。何かを信じた対価として救って貰うのではなく、自らの修行で道を切り開くというスタンス。同じ宗教でもスタンスは全く異なる。

    ・マインドフルネスと禅は似て非なるもの。マインドフルネスは心の安定を求めて行うもの。一方、禅は瞑想なら瞑想を、走るなら走ることそのものを、ただ集中して行う。つまり行動の対価を求めるか否か、が根本的に異なる。確かにマインドフルネスにより、一時的には心の安定がもたらされると思うが、この安定は長く続くものではない。一方で、禅は、一時的な安定がすぐに得られることはないが、突き詰めて行けば永い安定がもたらされるもの。

    ・無意識の意識。人が意識出来るのはわずか5%。95%は無意識がしめる。人間は極限を超えることで初めて無意識の領域に働きかけることができる。この無意識の領域をも正していくために、極限を超える修行を行う。

    ・今、我々が豊かな生活が出来るのは先代が築き上げてきたものがあったからこそ。先代の遺産を食い潰してばかりで、未来に残す種を植えられているのか。危機感を持つべき。

    ・不二。白か黒かといった二次元的な捉え方はしないという考え方。何事も二つの立場に分けることはできず、その間には無限の立場や考え方があると捉えるのが日本流。グローバルというと、海外の考え方に我々が歩みよらねばならないと考えがちだが、大事なのはお互いの国の考え方やスタンスを尊重すること。日本には日本の考え方があるのだからそこはもっと自信を持つべき。不二というスタンスを持つ日本だからこそ、相手の国を尊重出来るし、また、日本人の曖昧さはマイナスのイメージでとらえられがちがだが、ビジネスの世界で考えるなら、この曖昧な態度が非常に交渉しにくい、ハードネゴシエーターに映る、武器になる。

    ・日本では守破離という言葉がある。型を学び、型を突き詰めた後に、型破りのステージが来る。形無しの型破りは長続きせず、一発屋で終わることが多いのではないか。これをクリエイティブという考えに置き換えると、西洋では生まれる数は多いが形の無い斬新さ、目新しさが多いのでないか。一方で、日本では生まれる数は少ないかもしれないが形を突き詰めて研ぎ澄まされた普遍的に受け継がれるものが多いのではないか。

    ・リーダーシップというのは身に付けようと思って身に付くものではなく、人として当たり前のことをし続けた先に自ずとついてくるもの。

    ・いいことは、世の中をゆがめる可能性があることに心を致さなければならない。いいことをしたいという自己満足のための行為になっていないか、本当に世のためになることなのかを考えること。

    ・与えられた環境の中で、いま自分ができる最良のことをする。他人の行動に干渉し、あれこれと思いを膨らませない。

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著者プロフィール

妙心寺退蔵院副住職
1978 年京都市生まれ。2003年東京大学大学院農学生命科学研究科修了。埼玉県新座市・平林寺にて3年半の修行生活を送った後、2007年より退蔵院副住職。2009年5月、政府観光庁Visit Japan大使、2011年より京都市「京都観光おもてなし大使」。2016年『日経ビジネス』誌の「次代を創る100人」に選出される。2011年には、日本の禅宗を代表してヴァチカンで前ローマ教皇に謁見、2014年には日本の若手宗教家を代表してダライ・ラマ14世と会談し、世界のさまざまな宗教家・リーダーと交流。2014年世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に出席するなど、世界各国で宗教の垣根を超えて活動中。

「2016年 『ビジネスZEN入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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