文庫版 絡新婦の理 (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (1408ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062735353

感想・レビュー・書評

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  • 久々に読み返した。百鬼夜行シリーズは、個性豊かで魅力的な登場人物もさることながら、事件の舞台も印象に残るものが多くて、犯人探しとかトリックうんぬんより、この世界観を楽しむために読むといっても過言ではない。
    絡新婦では、過去の作品とのつながりもあって思わずニヤリとしてしまった。

  •  全ては蜘蛛の巣の中で行われていること。いつの間にか、気づかぬうちに自分も駒になっている。全てが計算されて、偶然を装って必然にしている。それは京極堂の登場も、榎木津の能力さえも利用している。
     今までの事件は個々の偶然が集まり、一つの事件となるものだった。今回はその纏まった事件が複数あり、全てに蜘蛛の手がかかっている作為的なものだ。過去の事件の情報を見て、どういう流れで解決に至っているかを理解する洞察力、細かな事件を収斂させていく構成力などの能力が今回の真犯人はずば抜けている。蜘蛛の巣にかかった人々は道中で倒れるが、京極堂たちは中心に行き蜘蛛と対面する。だがそれは本当の蜘蛛が用意した偽物でもある。蜘蛛は舞台を用意して、事件を操り、最後は全てが綾取りのように消えてしまう。あとには何も残らない。
     関口がいないかわりに益田がワトソン役になっているが、結構有能なのでまた普通のミステリーのようだ。話がスルスル進む。今までの作品では、曖昧模糊として陰鬱な雰囲気は関口の不安が発していたところもある。そういう靄のかかった雰囲気も良いが、今回は蜘蛛の糸の話なので俯瞰しなければ全体像は掴めない。それに霞をかけるとやり過ぎるので益田を配置したということかな。
     この物語はややこしいようで殆どがハッキリと解明される。なので考察するのは真犯人である茜のことが大半になる。京極堂は動機なんていらないと言っているが、物語を読むというのは野次馬感情に似たようなものなので詳しく知りたくなるのは心理だ。
     京極堂が茜に、貴方の父は麻田代議士でも渡辺さんでもないという。これは麻田夕子と渡辺小夜子の父のことだろう。彼女たちの父は真佐子の相手をしていたのだと思う。彼女たちさえも蜘蛛の手の中にいた。小夜子や夕子を殺したのは、異母姉妹の可能性があったからだ。美由紀は京極堂などと同じく物語を進めるための駒だろう。死んでも死ななくてもどちらでも良い。
     茜が20歳の時に家を出たのは、織作として戸主をしたくなかったゆえの抵抗だったのか。紫が長くはないということは五百子から聞き出しているだろう。それと同じく、自分たちの家系についても全て知っていると思う。茜は自分のことを「石長比売の末裔」と認識していることから、自分が織作の、五百子の血を継いでることを確信している。五百子は知らずのうちに真佐子に織作の血筋のものをあてがったのだろう。
     葵の茜に関する発言の中に、茜が一時薬学を学んでいたというのを話すシーンがあったので、葵からすると家出ということではないのだろう。そして、それは葵からする認識であって、父と母からすると違っていたかもしれない。京極堂の話では、家出に近い形で出て、働きながら学校に通っていたらしい。働いていたのはRAAでだろう。なぜRAAで働いていたのかは分からない。男に抱かれることで個人を認識したのか、織作としての自由恋愛をしたかったのか。そこで働いていた同僚である、川野弓栄、前島八千代、高橋志摩子の3人はのちに殺される。前島八千代、高橋志摩子とは芳江の家で一緒に暮らしていたこともある。彼女たちは、いや家族に対してもそうだが、茜の居場所のために殺されたのだ。
     茜はただ居場所が欲しかった。個人というものが薄弱だった。それはシステムの中で有効に作用して、誰が動かしたのかを分からなくさせるが、逆に自分もシステムの中で動けなくなってしまった。無意識のうちに作ったシステムは、自分の想像以上の働きで作用して、蜘蛛の巣が巻き取られるようにかかった人々も巻き取られてしまった。茜に出来ることは、自分が中心にいたということを隠す作業だけだった。考えると色々出てくるだろうし想像もしたくなるだろうが、この居場所が欲しいという単純な思いが強く出て、今回の事件に至った。京極夏彦はQ&Aでテキスト以上のことは無いと言っているので、それ以上考えても意味がないように思う。もちろん好き好きに考える事は出来るだろうが、それは二次創作に近いものになるだろう。
     今作は今までの作品で培ってきたものの集大成と感じた。事件の起こし方や、納め方が秀逸だ。事件が蜘蛛の巣状に広がり、読み終わると全てが無くなっている感覚は素晴らしい。

  • 最初、面白かったんだけどなー。
    後半、どんどんよくわらなくなってきてしまった。
    長編大好きだけど、長編すぎて話の流れや人物が自分の頭から抜けてしまった。

  •  百鬼夜行-陽が今年の3月に発売されることを知り、読み返してから読みたいと思い順番に読み始めました。たぶん4回目くらいになります。何度読んでも程よく忘れてしまっているのでとても面白いです。この作品は大好きな関口くんはほとんどでないのですが、それでも面白いことには変わりませんでした。
     ラストはポッカリ喪失感が生まれる結末でした。死んだ人たちは、みんな、死んで欲しくなかった人ばかりでした。真犯人の気持ちを一生懸命想像してみました。でも、ぜんぜん想像できませんでした。
     犯人は他の道を選べなかったのか?これは私個人の考えですが、選べなかったのではなく、すべて自分で選んでいたと思います。だから私はこの犯人に好感を持つことがまったくできませんでした。
     次回作、この犯人が死ぬことを知っています。とても残酷な方法で殺されます。「悪」だから死ぬ、そんな単純な式にしたくないけど、私は少しも憐れに思うことができません・・・。

  • やたらと分厚い本ですが、張りまくられた伏線をきれいに回収して、「あなたが蜘蛛だったのですね」のラストまで徹夜で一気に読んでしまいました。
    個人的には京極堂シリーズの中で最高傑作だと思います。

  • 一番好きな作家の一番好きな作品。

    殺人事件が起きて探偵が犯人捜して事件を解決する、という流れなので、分別するときっと推理小説なのでしょうが、いやはやそんな通り一遍の括り方なんて全く以って出来ません。

    殺人がそこかしこで起きますが、全体像が全然掴めないので何をどう考えながら読み進めれば良いのか分からない。
    犯人も黒幕も1人ではないので後半に至ってもやっぱり何が起こってるのか分からない。
    ただ、随所に散りばめられた伏線を探偵役が綺麗に回収していく為、モヤモヤ感と爽快感を共存させながら読んでいけます。
    そして最後の一行を読んだ後、幻想的な冒頭に戻って事件の全容を知った時、きっと驚愕します。
    声が出ます。腰が浮きます。

    身内の人間同士の掛け合いも薀蓄も面白いし、シリーズの過去作品に出てきた人物が今作にも関わってきたりする楽しさもあります。

    ミステリーや推理小説好きの方にはたまらない作品だと思いますので、ぜひご賞味下さい。

  • 最後まで読んで、スムーズに最初のページに戻る。
    はあ〜凄いなあ...としか出てこない。圧巻。
    年末年始にじっくり読めて良かった。
    鉄鼠から大分空いてしまった。

  • 姑獲鳥で驚愕して魍魎で確信して本作はそれらを超えて、読み終えたらもうすごいのひとこと。このひとやっぱりすごい。。

  • なんか鈍器で頭殴られたみたいな目眩のする読了感でした。このシリーズは時系列に進んでいるから当然刊行順に読んだ方が「理」なんだろうけど、女学院、蜘蛛、呪術…の題目に誘われてWikipediaで人物予習を万端のうえ狭骨、鉄鼠を飛び越えて手を付けてしまった。
    登場人物が多数だけあってとにかく人が死ぬ死ぬ!天罰然りな死もあれば犠牲死(の方が多いんだけど)あれだけの壮大なスケールのシナリオを描いた“蜘蛛”…というより京極夏彦やっぱり凄すぎる。
    「あなたが蜘蛛だったのですね」真犯人を示唆する冒頭であるが、最後まで到達後再読すると桜舞い散る情景なのにゾクゾクと鳥肌が…。そして改めて読み終えた頁数を見て達成感が溢れました。
    ただ、まさかのあの事件のあの人が出てくるとは!やはり“あの人は誰!?”にならない様にフライングも程々に…という事ですかね。今回も京極堂、榎さん共に格好良かったです!

  •  シリーズ第5弾。娼婦らしき女性が小さな宿で殺害されているという地味な事件から始まる物語は、遠方で起きた怪奇事件と奇妙なかたちでリンクし、そのつながりは話が進むにしたがってどんどん複雑になってゆく。誰が被害者で誰が加害者なのかすら良く分からなくなってゆき、すべて読み終えた段階になってもなお、自分が事件の全貌を把握できているのかあやふやだ。終盤を読んでいる頃にはもう前半の伏線など忘れてしまった、というのもあるが。
     『狂骨の夢』ではキリスト教・心理学、『鉄鼠の檻』では禅がモチーフとして登場するが、本作では性別観?とでも呼ぶだろうか、小説内の言葉を用いるならば“フェミニズム”がモチーフとなる。舞台が1950年代ということを考えれば、現代に比べ格段に女性の権利は弱かったのだろう、これを糺す杉浦美江や織作葵の舌鋒は凄まじく、これに応える中禅寺や榎木津の話と合わせて面白かった。
     同時に、太平洋戦争からそう年月の経っていないこの時代に、「性」という概念が戦前からどう変化し、それが人々の心・価値観にどう影響を与えていたのか、非常に気になった。というより、理解できなかったように思う。シリーズを通じて中禅寺が行う“憑き物落とし”は、解説で「ものごとに固定した意味を求め、そこに自分自身の土台を築こうとする心を察知し、その凝りをほぐす操作」と説明されている。そう言われると「そりゃありがたいな!」とも思えるが、中禅寺自身が毎回躊躇しているように、大きな危険を孕む行為でもある。価値観を破壊するとでも言い換えられるだろうか(登場人物がどこかでパラダイムシフトとか言っていた気もする)。
     その上で、憑き物落としの末、自分が信じていたものが崩れ去り絶望のままに死んでゆく登場人物を見ていると、なんともやるせない気持ちがこみ上げてくる。そして、その絶望の大きさを十分に感じ取ることができない自身の乏しい感受性が歯痒かった。

    憑き物落としからは、自分を縛り上げていた固定観念からの解放感も味わうこともできる。あまりに人が死にすぎる結末はとても悲しいが、この解放感が少しは読後感を爽やかなものにしてくれているのかも知れない。

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著者プロフィール

1963年、北海道生まれ。小説家、意匠家。94年、『姑獲鳥の夏』でデビュー。96年『魍魎の匣』で日本推理作家協会賞、97年『嗤う伊右衛門』で泉鏡花文学賞、2003年『覘き小平次』で山本周五郎賞、04年『後巷説百物語』で直木賞、11年『西巷説百物語』で柴田錬三郎賞、22年『遠巷説百物語』で吉川英治文学賞を受賞。著書に『死ねばいいのに』『数えずの井戸』『オジいサン』『ヒトごろし』『書楼弔堂 破暁』『遠野物語Remix』『虚実妖怪百物語 序/破/急』 ほか多数。

「2023年 『遠巷説百物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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