取り替え子 (講談社文庫)

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著者 : 大江健三郎
制作 : 沼野 充義 
  • 講談社 (2004年4月15日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (392ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062739900

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取り替え子 (講談社文庫)の感想・レビュー・書評

  • 大江健三郎氏の小説を二冊読んで、新書を何冊か読んで、気がついたことは、大江健三郎という方は、とても保守的な方なのだということです。でも思想やイマジネーションが革新的なので、わかりづらいと思われてしまうと、過激なことを好んだり、白黒つけなければ気がすまなかったりする人には、理解できなくなり、裁判を起こされるようなことにも残念ながらなってしまうのだなあと、思いました。(もともと文学を知らない人が、文学の奥深さを知るには、魔法使いに弟子入りでもしなければいけません)

    大江氏は決して、言いませんが、保守的な傾向に導いたのは、息子さんであろうと、同じ知的障害のこどもを持つ私は、よくわかります。障害のある息子さんを持たなければ、あるいは、もう少し過激な人生を送られていたのかもしれません。故伊丹十三氏と同じように。

    たとえば、知的障害の息子が冬の朝方暗いことへの不安から、マンションの玄関で大声をあげたとしたら、そして、その苦情を言われたら、「知的障害なんだから、仕方ないでしょ? 何が悪いの?」とは言えない訳です。それは、子供のために言えないのです。子供は、それをしてはいけない、ということを、大人になるまで、少しずつでも学んでゆかねばいけません。じゃないと、大人になっても、そこここで、大声をあげるような、異常な大人になってしまいます。そうさせないように、教え込むことは、知的障害なので、無理です。そこは、親が周囲に気を配ってゆくしかないのです。
    そういうことを繰り返していると、人格が保守的になっていまいます。
    仕方が無いことです。

    だからこそ、本当に革新的な、そして、過激で華やかな人生を送った伊丹氏を、心から、(青年時代にジャン・コクトー『オルフェ』のジャン・マレーに自分を見立ててくれたほどの、同性愛的な感性をずっと宝石の如く大切にしながら)尊敬し、眩くどこかとおくから、見つめるように、人生の一部にしていた訳です。

    最高のワインを味わう如く、最高の文学、最高のイマジネーションを、味わえるのだと思いながら、大江氏の小説を、たくさんの人に読んでほしいなあと、自分も二冊読んだばかりですが、思います。

    伊丹十三氏の自殺を取り上げてはいますが、大江氏は決して、一般的な「理由付け」で突き詰めてこの小説を書いてはいません。多くの後悔を文章中に孕みながらも、生と死そして、死を超えた、魂へのいとしい想いを、広い広い空間に投げ出しているかのように、暗い曇天を描きながらも、生き生きと、描いています。

  • 大江さんも伊丹さんも好きなので読んでみたが、やはり難しかった。読んで良かったとは思う。

  • 高校時代からの親友であり映画監督の塙吾良がビルから投身した。古義人のもとには彼の声が吹き込んであるカセットテープとそれを再生するための「田亀」があった。「田亀」をとおして吾良と会話する古義人。その姿におびえる妻の千樫と息子のアカリ。

    「田亀」と距離をおくためベルリンに赴く古義人。
    週刊誌では吾良の死因が悪い女に求められるが、吾良と千樫はそうではないと思う。
    吾良がヤクザに襲われたときのことから、吾良は自然と自分に襲いかかってきたテロルについて思いを寄せる。

    ベルリンに行く前、千樫は古義人に言う。
    彼らが学生のとき、夜中に帰ってきてガタガタになっていた、あのときのことを今度はウソをつかずに書いて終わるべきだと。

    その出来事は「アレ」と呼ばれる。
    吾良のほうからは「アレ」を描いたと思しき絵コンテがあり、吾良は今まで培った小説技法をたよりに吾良の視点からの「アレ」を描こうとする。

    大黄さんという、吾良の父親の門下生だった人物があらわれる。米軍の占領下、彼は講和条約の発効前に日本人からの蹶起がなされるべきだ、少なくとも抵抗したという歴史の片鱗が必要だと考えている。そのためには米軍と同等の武装が必要になる。

    この武器を与えるのがCIEで働いているらしいピーターという白人の役目であるらしい。
    ピーターが吾良に対しどうやら性的な願望を持っていて、大黄さんは吾良を利用して取引をするつもりらしいことが示唆される。

    結局のところ、「アレ」とは何かはわからない。
    在日の子供らに剥いだばかりの牛の生革を頭からかぶせられ、体が血と脂でどろどろに汚れてしまう……。

    実のところ僕は加藤典洋「小説の未来」を読んで本書を手にしたのであって、ここで行われたのが強姦であるという説が頭のなかに既にあった。
    でもどうやらこの評論がいくらか物議をかもして大江の「憂い顔の童子」では作中で引用、批判されてもいるようだ。

    しかしそうはいったって、そういう性的な事柄を連想させるような書き方がなされていると思うのだが……それが不協和音として松山の回想を暗い基調にしているというような。

    最後の章は千樫の視点から語られる。
    そして「取り替え子」というタイトルともなった一連の思想が垣間見える。

    しかしながら松山の回想における張りつめた糸のような緊張感が、ここでどこかすっぽぬけてしまっているような気がしてならない。
    それはなんだろう、千樫という女の肉体をもった人物というのがどうも想像しにくいところにありそうだ。

    端的に言って女を描くのはあまり上手くないのじゃないか、という気も。
    女が自主的に動いているというより、常に作者の視線のなか操り人形のように女が語らされているような、不快感というのかな。

    それから主題に感心したかといえば、歳も離れているし、実感としてはあまり来なかった。
    ただ読書体験としては久々にスリリングなものだったと思うし、読んでいて揺さぶられるような心地良さがあった。
    というわけで本当のところは☆4.5くらい。

  • とても難しい純文学小説。著者の大江健三郎自身と、自殺した映画監督で大江の義兄、伊丹十三をモデルにしているということで興味深く読んだ。
    作家の古義人は、映画監督の義兄、吾良の自殺の理由を探ろうとする。吾良が古義人に残した録音メッセージとの対話や、映画の絵コンテから、共通のトラウマである少年時代の記憶がよみがえる。ただし、その核心は本書からだけではよくわからない。
    また古義人の妻であり吾良の妹である千樫も重要な位置づけを担っている。本書のテーマの一つである、「取り替え子」は生み替えともいえるだろうか。趣旨は少し違うが、トニ・モリソンのSulaという本を思い出した。
    大江は義兄の自殺を悶々と悔やんだのだろう。さまざまな思想が示され苦しいほどで、本書の大半が話し言葉で書かれていることもあり、一部消化不良である。他の大江作品(というほどは読み込んでいないが)と同じで、読後感がずっしりと重い。

  • 古義人こぎと、奥さんの千樫ちかし。義兄の吾良ごろうが自殺。田亀というカセットテープレコーダーで声を聞く。
    文章が、そのままの英訳みたいと感じた。○○は、それは○○だが、○○である。とか。
    この文はどこにかかっているのかを考えながら読まないと、イメージできない。大江さんの文章は、こういうかんじなのかな?
    あと、漢字が難しくて読めないのがよく出てくる。なんとなく意味はわかるけど…

    とりあえず頑張って最後まで読みましたが…
    その場のストーリーを目で追うだけで、あまり読み取れずに終わってしまった。
    結構時間かかったので、他に読みたい本もたくさんあるのにこの本をチョイスしたのを少し後悔した。でも、どうであれ初めて大江作品に触れることができたのは、よかったかな。
    ちなみに、大江作品を紹介してくれた友人は、「後期の作品よりも、初期がオススメ」って…先に言うて!

    最近知ったのですが
    初期から最近の作品を集めた短編集が出てるらしいですね!それはそれで、読んでみたくなりました。

  • 以前に読んだ「水死」の前の時代の小説だ。「水死」を読んでよく分からなかった人物背景もよく分かった。義兄の塙吾良が、伊丹十三をモデルにしているというのも途中で気づいてからより面白くなってきた。そういえば、愛媛の「伊丹十三記念館」に行ったことを思い出した。そう考えると、いろいろなことがつながってくるのだ。

  • 大江健三郎の義兄、伊丹十三が飛び降り自殺。生前、彼から託されていた田亀というカセットを通じて、大江は伊丹と会話を続ける。我慢して読んでみたが最後まで頭に入ってこなかった。残念。

  • 文体もそれほど込み入っておらず読みやすい。それにしても本多勝一(らしき人物)の攻撃の苛烈さ。後半はやはり大江文学らしいカーニバル性。

  • 読み辛くてぜんぜん進まない…

  • 読んでいて楽しい、それでいて読み終わってしばらく経つと、すっかり何が書いてあったのか忘れてしまう。『憂い顔の童子』を読んでみて思い出したのだけど、やっぱりここで記載されている「アレ」私も核心が良くつかめなかった。とはいえ、このように書こうとしているのに直接に書けないものが現れているのを目の当たりにするのは面白い体験である。しかしこのことは『憂い顔の童子』に引き継がれていなかったら、やっぱり「アレ」の存在意義は読者にとってなかなか不明瞭なままだったろうとも思う。

  • 「おかしな二人組」三部作のスタートとなる作品。義兄である伊丹十三の死を経て書かれた作品ということで、吾良が大きな役割を持って描かれている。とも言えるし、いやいや、吾良は彼の他の作品でだって大きな役割をいつだって担っていたじゃないか、とも思うし。終盤がとても美しかった。モーリス・センダックの絵本を一つの題材として展開される部分が。そうか、だから取り替え子なのか、と。(10/6/7)

  • 某サイトのレビューでは、わかり易くて大江作品を理解する上で役立つということだったが、あまりそうは感じなかった。

    むしろ「万延元年のフットボール」などのような大江健三郎らしい粘度の高さもなく、登場人物の内面への掘り下げがいまいちだと思った。

  •  伊丹監督が自殺した理由を知りたいこともあり購入したから、かなり以前から手元に置いていた本です。何度も読みかけるのだが、そのたびにはじき出されるような気持ちにさせられて挫折してきたものだ。大江さんの本は、途中から、そういう体験を超えても、読み通せば大きな感動を与えられた記憶から、めげずに挑戦し続けてきたのだ。かすかなチューニングの手違いで、読み通す気力が萎えて、はじき返されてしまう。しかも、三部作の第1作、本は3部作とも買いそろえているのだ。監督の自殺の事実性よりも、魂の真実が綴られていると感じた。監督の残した録音テープと対話する出だしは、今回とても身近に感じられた。終わり頃、奥様の視点に変わるときに、あぁまた投げ出してしまうのかと危惧したけれど、読了できてよかったと思う。著者とあまり年齢が違わないから、もう再度読み返すと言ったことはできないように思う。

  • 難解な文章に惑わされちゃあいけない。一文一文を精査して再構築した感すらある、練られた文章。

  • 4日くらい、1章ずつ読み進んでいたのだが、5章目に入ったところで我慢できずに一気に読み終えてしまった。
    義兄・吾良の自殺と遺されたカセットテープをきっかけに、主人公・古義人の少年時代の体験が呼び起こされる。
    古義人らが少年時代に体験した森の中の練成道場での出来事。
    そこでは、政治的な問題や思想を大きく含みながらその集団と進駐軍の軍人、少年時代の古義人と吾良のホモソーシャル、ホモセクシュアルな関係が描かれる。
    最終章は主人公の妻の視点に切り替わる。それまで、男たちが主眼に置かれていたこの物語の中で、この章だけは女性が主役にすえられる。取り替えられた、あるいは失われた子どもを「生みなおす」存在として彼女らは表舞台に登場する。しかし、私はこの章について納得がいかない点ある。
    一つは、無垢で美しい子どもが無条件に欲望されること。主人公の妻は、子どもの頃から美しく才能あふれる存在だった兄が、森の中の出来事を経て「向こう側」にさらされたことを悔やみ続ける。無垢さや完璧な美しさを失ったとき、子どもは「取り替え子」になるのだろうか。それはそんなにも悲しむべきことだろうか。そして、たとえば「取り替え子」として生まれた子どもは、欠けている部分を他の何かで補うことによって、いつか美しい自分を取り戻さなければいけないのだろうか。
    もう一つは、そういう子どもを産むことを女たち自身が望むこと。この作品の中で、女は常に「母」である。「母」は美しい息子を産もうとし、息子は死んでまた「母」の胎内に戻っていくかのようだ。そして、「父」はほとんど不在である。
    この作品から読み取ったものを確かな言葉にする術を私はまだ持たないけれど、もっと突き詰めて考えなければいけない作品だと感じた。

  • 伊丹監督と義兄弟とは知りませんでした。すごい引きずったんですねぇ。

    コギト→チガシに話が流れていくところは結構良かったんですが、なんだろうなぁ、うーん。これ難しいな。
    「あの事件」について私は中途半端にしか理解できていたいところが問題なのかもしれません。

    10.10.01

  • 男性に対するマイナスコンプレックスの塊だったよーな…。逆方向の、女性っていう出産できる性に対する超えられない羨望もひしひしと。

  • 大江健三郎。

    私小説というおうか、自分の人生が語られている。

    どこまでが事実で、どこまでが小説としてのことなのか、気になるところではある。



    登場人物はおそらくほとんど実在の人物。

    古くからの友人であり、義兄である吾朗(伊丹十三)の投身自殺からはじまる。



    本の中にたくさんのメタファーがあり、何となく読んでいた私は気付いたり気付かなかったり。

    四国の森の少年時代の怖い体験や、

    吾朗との「田亀」を通じた通信、ベルリンでの100日間を通して吾朗の自殺を追いかけていく。



    最終章では千樫(大江ゆかり、大江健三郎の妻、伊丹十三の妹)が引き継ぎ、

    センダックの絵本から妹としての立場で小説を閉じる。




    あまりにもたくさんの要素が盛り込まれているため、

    読んでいて難しいと感じるし、読み終わっても著者の意図が読めたのかどうかはわからない。

    とにかく、読みやすいけれども重く、ずっしりとくる話。

    背景についていろいろと説明があるわけではないので、自分である程度知ろうとしなくてはいけない。


  •  《おかしな二人組》第一部 2009.5.4-8.

  • 初めて読んだ大江健三郎作品。なんか読みにくい、という噂を聞いていて読まずじまいだったんですが、最近の作品だからか、比較的読みやすかったです。
    しかし久々に人間というものをここまで深く描いた作品に出会った気がした。一言でまとめれば「いろんなことが含まれている小説」
    小説のタイトルがなぜ「取り替え子」なのかわかった時の感動はひとしおです。

  • 読み終わるまでにだいぶん時間がかかった。

    義弟吾良の自死がテーマ。

    彼の作品は初期のものとごく最近のものしか読んでいなかったので、それらをつなぐ道筋が類推できて興味深かった。

    センダックの絵本は子ども達に読んで聞かせ、親しんできた絵本作家だが、千樫の、自分の手元にぐいと引き寄せた解釈には共感できた。

    作成日時 2007年07月03日 19:24

  • 事実に即した小説らしいですが、それについての知識がなかったのであまり心から没頭することはできませんでしたね、すこし残念です。

  • うーん…。背景を知っているからどうしてもそれと突き合わせて興味本位で読んでしまったけど、まったく知らない場合はどうなんだろう? そして人間心理的なえぐさが、いまいちしっくりこなかった。

  • 2006/9/24読了 大江健三郎さんの最近の作品は読んだことがなかったのですが、この作品を読んでもっと読んでみようと思いました。作品の内容を捉えるのも難しくて気楽に読み進めることはできなかったけれども、読んだ後にたしかな手ごたえのようなものを感じました。最終章の千樫を視点人物の中心とした章が一番好きです。引用された言葉などの中に深く心に響くものがありました。

  • センダックの絵本は怖い。

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