取り替え子 (講談社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (392ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062739900

感想・レビュー・書評

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  • 伊丹十三が倒錯的な性愛にこだわりつつも
    常に社会正義を踏まえて作品づくりをしていたことは
    「女」シリーズを見ればよくわかる
    そういう、きわめて人間的な矛盾が
    彼を一種の自家中毒に追いやったということは
    言えるのかもしれない
    伊丹の死後
    日本の芸術映画をリードしたのは北野武だった

    小説家の長江古議人と映画監督の塙吾良は高校時代からの親友である
    共に、教師たちから目をつけられる存在だった
    しかし同じはみ出し者といっても
    自己の内面にこもりがちな古義人に比べ、外交的な吾良は
    その分、他者のエゴイズムとまともに向き合いすぎるところがあった
    良く言えば自信家、悪く言えば鼻持ちならないやつで
    人によっては馬鹿正直と見るかもしれない
    のちに塙吾良は、社会派のコメディ映画で商業的な成功を収めるが
    それと引き換えに、ヤクザの襲撃を受けたり
    イエロージャーナリズムにつきまとわれるようになったりして
    ガタガタに疲弊してしまうのだ
    そういう苦しさは
    例えば「政治少年死す」をめぐってのごたごたを前に
    結局は、スッポンのように身を縮めることで
    やりすごしてしまった古義人には
    まったく、理解できないことだったかもしれない
    だから、2人にとって共通の苦い経験である「アレ」の受け止め方も
    実はまったく違うものだった可能性がある
    …古義人の村の右翼集団にだまされて
    米軍将校を相手の性的接待をやらされそうになったあげく
    仔牛の臓物を頭からぶっかけられたのだが
    吾良にはそれを
    単に野蛮人の狼藉として割り切ることができなかったのだろう
    ちなみに言うとあの辺は
    「アパッチ野球軍」の舞台にもなってんだけどね

    まあ吾良にはそういう
    「話せばわかる主義」みたいなものがあったのだ
    それは言ってみれば、人間の無垢に対するひとつの信仰だった
    だから、晩年の吾良から影響を受けた若いガールフレンド・シマ浦は
    別の男とのあいだにではあるが
    メイトリアークとして、吾良の「生まれなおし」をはかるわけだ
    そんなの、実際生まれてくる子供にしてみりゃ
    迷惑な思い入れでしかないと思うけど…

  • 大江さんも伊丹さんも好きなので読んでみたが、やはり難しかった。読んで良かったとは思う。

  • とても難しい純文学小説。著者の大江健三郎自身と、自殺した映画監督で大江の義兄、伊丹十三をモデルにしているということで興味深く読んだ。
    作家の古義人は、映画監督の義兄、吾良の自殺の理由を探ろうとする。吾良が古義人に残した録音メッセージとの対話や、映画の絵コンテから、共通のトラウマである少年時代の記憶がよみがえる。ただし、その核心は本書からだけではよくわからない。
    また古義人の妻であり吾良の妹である千樫も重要な位置づけを担っている。本書のテーマの一つである、「取り替え子」は生み替えともいえるだろうか。趣旨は少し違うが、トニ・モリソンのSulaという本を思い出した。
    大江は義兄の自殺を悶々と悔やんだのだろう。さまざまな思想が示され苦しいほどで、本書の大半が話し言葉で書かれていることもあり、一部消化不良である。他の大江作品(というほどは読み込んでいないが)と同じで、読後感がずっしりと重い。

  • 大江健三郎の義兄、伊丹十三が飛び降り自殺。生前、彼から託されていた田亀というカセットを通じて、大江は伊丹と会話を続ける。我慢して読んでみたが最後まで頭に入ってこなかった。残念。

  • 読んでいて楽しい、それでいて読み終わってしばらく経つと、すっかり何が書いてあったのか忘れてしまう。『憂い顔の童子』を読んでみて思い出したのだけど、やっぱりここで記載されている「アレ」私も核心が良くつかめなかった。とはいえ、このように書こうとしているのに直接に書けないものが現れているのを目の当たりにするのは面白い体験である。しかしこのことは『憂い顔の童子』に引き継がれていなかったら、やっぱり「アレ」の存在意義は読者にとってなかなか不明瞭なままだったろうとも思う。

  • 某サイトのレビューでは、わかり易くて大江作品を理解する上で役立つということだったが、あまりそうは感じなかった。

    むしろ「万延元年のフットボール」などのような大江健三郎らしい粘度の高さもなく、登場人物の内面への掘り下げがいまいちだと思った。

  • 伊丹監督と義兄弟とは知りませんでした。すごい引きずったんですねぇ。

    コギト→チガシに話が流れていくところは結構良かったんですが、なんだろうなぁ、うーん。これ難しいな。
    「あの事件」について私は中途半端にしか理解できていたいところが問題なのかもしれません。

    10.10.01

  • 男性に対するマイナスコンプレックスの塊だったよーな…。逆方向の、女性っていう出産できる性に対する超えられない羨望もひしひしと。

  • 以前これを読まずに憂い顔の童子を読んでしまってえらい目にあった。未読!ていうか続きものってちゃんと書いとけ!

著者プロフィール

大江健三郎(おおえけんざぶろう)
1935年1月、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)に生まれる。東京大学フランス文学科在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。さらに在学中の58年、当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞、64年『個人的な体験』で新潮文学賞、67年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、73年『洪水はわが魂におよび』で野間文芸賞、83年『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛賞、84年「河馬に噛まれる」で川端賞、90年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞。94年には、「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。そこでは人生と神話が渾然一体となり、現代の人間の窮状を描いて読者の心をかき乱すような情景が形作られている」という理由でノーベル文学賞を受賞した。

「2019年 『大江健三郎全小説 第13巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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