- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062747509
作品紹介・あらすじ
妄想に近いたわごと。言葉になりかける寸前でぐずぐずになってしまう想い。ワードプロセッサーの中でのたうち回る私の思念が現実を侵食する。やめてくれないか。そういうことは。と思ったけれども、それでもほつほつ続けるうち私自身が因果そのものとなり果て…。町田節爆発、クールでキュートなエッセー。
感想・レビュー・書評
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【泣いたり、笑ったり、考えたり】
名前は知ってるけど、町田康って誰やねん。バンドマン?小説家?検索して顔を見てもピンとこない。ただ、なんとなく手に取った一冊。バンドマンでしかも、パンクで、怠惰な生活を送っていたのに?芥川賞を受賞して、エッセイも小説もヒットして?そんな奇跡ってあるの?と穿って読み始めた。
最初はクセが強くて豚骨を極限まで煮詰めたようなこてこてな文体だと思って、2、3ページづつしか読めなかったのに、なんだろうか。芥川賞を受賞した作家のエッセイとは思えないほど、哀愁がそこにはあって、終盤に向けては次よ次よと駆け足で読み進めてしまった。
リズムなのか、なんなのかわからないけど、読んでいてとっても面白くて、でも時には考えさせられて。一気に引き込まれて、久しぶりに良い読書体験をした。解説を中島らもが書いていて、それもとても良かった。
本当に凄い人もいるもんだ。他の作品も読んでみたくなった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者は泉州堺の出身だそう。大阪弁のしゃべりそのまま、句点を使わず読点だけで、切れ目のあるようなないような、軽快なようなのんべんだらりのようなリズムで続く、かと思えば唐突に体言止め。という文体。雰囲気は[ https://booklog.jp/item/1/4480437347 ]とも共通していて、大阪弁でものを書くとこういう方向になるんやろか。と思いかけたが、まったく違う言葉で書かれた[ https://booklog.jp/item/1/4309026370 ]もやっぱり読点ばかりでゆるゆる続く独白やったような、してみると話し言葉であるところの方言をあえて生に近い状態のまま書き言葉に押し込めようとする試みは話し言葉の持つエネルギーによって話題によらず硬軟にかまわずそういう方向にならざるを得ないのかもしれぬ、とまれ真似てみて分かることは、この書き方けっこう気持ちいい。
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町田康節で綴られるぼやき集。正直そこまで面白くはない。
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感想
思念の暴走。脳内の電気信号は止まらないが外に出るのは恥ずかしがる。無理矢理紙に落とし込めば。もはや自分の内側にあったものとは違う。 -
お恥ずかしながら、高校生のとき、軽音楽部で筆者の「INU」の曲を演奏したことがあります。正確に言えば、練習をしたことがあって、本番ではやらなかったかも知れません。何しろ私は、ロックとはほど遠い高校生で、ましてやパンクとは全然縁のない感じでしたが、軽音楽部の中でベースをやっているのが私しかいなかったため、強制的に演奏させられたわけです(笑)。
その曲の入っていたアルバムのタイトルが「メシ喰うな!」で、そのアルバムの中に入ってた曲が「つるつるの壺」です。本屋さんでこのタイトルを見つけて、思わず買ってしまいました(ずいぶん前ですが)。
さて、この本ですが、読み始めは実に読みにくいです。悪い言い方をすると、簡単なことをわざと難しく、しかもわざと明後日の方から書いている文章です。もっとも、それが現代的なレトリックなのかも知れませんが。一文がやたら長くて、なかなか句点にたどりつかないのも、いっそう読みにくさを感じます。が、読み進めて慣れてくると、筆者の語り口が楽しめるようになるから不思議です。特に、後半の誰かの本の解説か何かの文章は、もとの本を読みたくなるほど、いい感じのひねくれ加減です(爆)。ただ、中原中也著『中原中也詩集』にも書いているようなのですが、これはややはてなでした(^^;。
p.31に執筆活動のことが書かれていて、エッセーや小説はワードプロセッサー、歌詞や詩はボールペンというのが面白い。確かに、浮かんでくる言葉も違うのかも知れない。筆者は、p.35「パーソナルコンピュータは、一瞬、一瞬を決定・整理していくための道具であり、紙とボールペンは、一瞬、一瞬をなるべく混乱させる、決定を先送りさせるための道具である。」と説明している。
アルバムを発表すると、宣伝のためにインタビューを受ける話が出てくる。p.222「で、あーたがこのアルバムで訴えたかったこと、主張したかったこと、リスナーに伝えたかったことは結局のところなんなんです?」というインタビュアの質問に対して、「音楽というものは論文ではないのであって、言いたいことなどあるわけがないし、一言に要約できるような種類のものではない。」と一刀両断にしているところが清々しい。では、なぜそんなことをインタビュアが聞くのかといえば、p.223「大多数の読者、及び彼自身が愚劣なテレビ番組によって物語ジャンキーになっているからで、需要があるからに他ならず、…(後略)」ということになるのだが、私はこれを読んでいて、今の、スポーツにやたらと感動を求めているのと同じだなと思ったわけです。
p.264からは講演が採録されていますが、こちらは実に読みやすい。これくらいのテイストが、ロックでも、ましてやパンクでもない私には、ちょうどいいようです。
最後に、中島らもさんが解説で、p.290「という訳で本書「つるつるの壷」も、E7である。町田康は本当はCもFもGもEmも知っている。絶対に知っている。でもそんなもの出さない。E7。気持ちがとってもE7。」と書いています。単に駄洒落が言いたかっただけなのか知れませんが、このE7というのが、もちろん、和音、コードネームだということはわかりますが、これの意味するところがピンとこないまま読み終わりました。 -
ハードカバーで再読。99年刊。もう20年以上になるのか。
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なんかこの人の割にパンチが足りない。
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ん~…
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歌うように物語をつづる。芥川賞作家。町田康がつづるエッセイ集です。こういう本よりもビジネス書を読んだほうがすぐに役に立つと思いますがすぐに役立つものはすぐに役立たなくなります。視点を変えたい方はぜひ。
すでにこのときから『町田節』と呼ばれる独特の文体で語られる筆者のエッセイは笑いのツボからその視点にまつわるところまで、自分の感覚に重大な影響を与えてくれました。確か、この本を読んだのは大学時代~漂白の時期を送っていたころだと記憶せられますが、今回この本を再読して、当時の気持ちを思い出して、『もう二度とこんな時期には帰りたくない!』というのと『いざ、戻ったところでこういう精神があれば何とか乗り越えられるんじゃないのか?』 というなんとも複雑な気持ちがない交ぜになっています。
どうも筆者はこのエッセイが書かれた時期に結婚をしているのですが、彼らはどのようにして『夫婦となりしか?』ということがあまり語れている文献が無いので、彼ら夫婦の紡ぐ『物語』というのはオリジナリティー溢れるものだろうなということを、この本を読みながら勝手に想像してしまいました。
一番僕が読んでいて『おっ?』と思った箇所は『人間の屑と聖書』と銘打たれたとある場所で行われた講演を文字に起したもので、筆者が室内警備の夜間仕事をやっていたときのことがつづられていて、詳しいことは書きませんが、彼の語っている同僚の様子が、昔、某所で経験したまったく同じ施設警備の職種に集ってきた人間たちと同じ人たちだということに、ウーン、と考え込まざるを得ませんでした。
そして、その続きである「勝者の傲慢、敗者の堕落」という箇所で、つづられているロックに対する彼の見方が本当に鋭く、現在読んでもまったく古びていないな、という驚きがありました。ほかにも、彼のつづる『日常』は本当に独特の世界観でつづられていて、この本を読んでもビジネスなどにはまったく役には経たないと思いますが、こういう本の中にこそ、むしろ『喜び』や『救い』があるのだと、確信を持っていえることが現在ではできます。